2592. 見限る精霊 ~③ルオロフ編・託され汲む先・遺跡入り口
―――時間を少し戻す。
シャンガマックの『試し』を途中まで見ていたタンクラッドは、ルオロフより先に観客状態を抜けた。それは唐突に、彼の剣を持つ腕に巻き付き、剣を奪いかけ、即反応したタンクラッドに阻止されたすぐ、タンクラッドを吹っ飛ばした。
この一連、ほんの数秒だが、気配より音で振り返ったルオロフは、剣職人の応戦する寸前を目にしたが、こちらが動くより早く、タンクラッドは猛烈な勢いで視界から消えてしまった。私の目で追えないとは!と軽く驚くが、そんなことより。
ルオロフはシャンガマックを一度振り向いたものの、剣職人が吹っ飛ばされた方へ走り、彼を追い、そして赤毛の貴族も、木々と茂みを跳び出した眼前、広がる沼に出くわし足止めされた。
「沼?随分と大き・・・ ?」
足を突っ込む手前で、ぐっと立ち止まった沼の端。かなり広い沼を見渡した薄緑色の目に、違和感が映る。人工物・・・いくつかの、壊れた人工物らしきものが、水面に点々と浮かんでいた。
「あれは」
タンクラッドさんはどこかと、沼の向こうを気にしつつ、ルオロフは水面の異物に視線を戻す。よく見ると、荷車や梯子、荷袋、縄等。ここに、似つかわしくない物ばかりで疑問。金属の光も見える。形から、鶴嘴と円匙だと思うが、どうして沼にあるのか。人が住んだはずもない・・・精霊の島だろう?と眉根を寄せた貴族は首を傾げ、壊れた物が浮かぶ近くへ移動した。
沼端はぬかるみ、水生植物が水際にびっしり生えている。これだけ植物が多く、土も濡れていると、虫も多そうなものだがと、全く虫がいない風景も妙に感じる。カビで黒くなった、壊れた梯子の側へ行き、距離にして3mほど先のそれを見つめて、ルオロフはもしやと過る。
この場所の秘密を、何者かが嗅ぎ付けて島へ入ったのか。壊れているとはいえ、カビで真っ黒になった木製品の経年変化は、そう古くないような。
海を渡る海賊がこの孤島を見つけて来たか。だが、これまでに会った彼らは、こうした場所を発掘しそうな印象はなく、やりかねないとするなら、神殿関係だが・・・
「タンクラッドさんが、心配だが。彼は一度来ているし、とりあえず、私は我が身の心配か。これも、試されている内に入っていそうな雰囲気だな・・・ 」
独り言を呟き、赤毛の貴族は左右を見て、垂れた蔓を取りに行く。『精霊の島で植物を切っても問題ない』と剣職人に聞いていなかったら、蔓に手を出すのも遠慮しただろうけれど。
「人間の住む島ならな。別に考える事もない。しかし場所が精霊の、となれば」
すみません、と謝りながら、貴族は蔓を長めに引きちぎり、片方を輪に結んで、これを沼のゴミに投げた。輪はきちんと引っ掛かり、少し揺らして深く輪を入れ、ルオロフは蔓の輪に掛かるゴミを手繰り寄せる。
全く届かない所もあるが、5m少しの距離にあるものは回収した。
広い沼だが、浮いているところと、水辺の距離はそう遠くなかった。縄にかけて手繰ったゴミを、水辺を覆う植物から外すため、少し水に入って足も濡れたけれど。
「精霊のいる場所を汚すなんて。私には信じられない」
ルオロフは、この行為をどこかで精霊が見ていると思うが、気を引くための行動ではなく、本心。聖域を敬うのは当然だろうと思う。聖域じゃないならいざ知らず、でも。
人間相手なら『良識ある人』で、良い行いに礼も言われるものだろうけれど、そこは少し違って―――
「え。なぜ」
集めたゴミ、ではなく。ルオロフが驚いたのは、手にしている蔓。蔓から血がボタボタ落ち、ぎょっとして手を放す。蔓が泥に落ちたと同時で、集めたゴミが動き出した。
なんだこれはと後ずさって、周囲を見回すルオロフに、小さく甲高い呟きが届く。
『全部が精霊の守るもの』―――
「・・・はい・・・?そうですね」
聴こえた言葉の含みが分からない。一応、そうですねとは答えてみる。
だが、若者の答えは気に入らないのか、突如、けたたましい破壊音が森に響き、ルオロフはサッと両耳を手で塞いだ。何か失礼だったか?!慌てるも、次の言葉がまた届く。今度は、聞いたこともないような低い声。
『なぜ成長した。何がお前を作った。生きる値を何に得た』
「えっ?!あの、成長?作るとは、一体」
『敬いは、土地の境があるものか。壊すも使うも、人間の裁量か。ここに於いては手を入れるのも躊躇い、他に於いては我が物の扱い』
「・・・そ、それは。いや」
『学ぶ気はあるのか』
はたと気づいたルオロフに、学ぶ気があるかを問う声が、文字通り降り注ぐ。
いきなり、土砂降り。わっ、と豪雨に驚いたルオロフは、瞬時に森の中に逃げ込む。が、どこもかしこも精霊だらけ、身を隠すも逃げるも無理な話で、木々はルオロフを生き物のように阻み、枝は服を裂いて、ルオロフの身体を打つ鞭の如く撥ねる。
慌てて避けるが、服だけは破かせるに任せた。精霊に応戦、これがどこまで許されるか分からない。
だがあちらの攻撃は容赦ない。応戦しなければ無理だと已む無し、絡め捕られる手前で枝を叩き、突き出して伸びる根を踏み砕き、頭を掠めた鋭い嘴の鳥を叩き落した。
叩かれた勢いで頭がもげ、振り返り様、皮一枚で繋がった鳥の頭が、ぶらっと揺すられこちらを見る。
ルオロフの凝視に鳥の頭が笑い、それはあっという間に大群の―― 首がない ――鳥の群れに変わり、ルオロフは急いで逃げた。
「私が間違えていたのか?もしや、気を悪くさせたか」
飛びのいた足場も、ぐにゃりと波打ち、割れた土は大量の礫を吹き上げる。生き物がいないと思いきや、山のような昆虫が、ここぞとばかり、礫に混じって襲い掛かった。
集中豪雨、首の落ちた鳥の群れ、虫だらけ、命を持つような木々や石の攻撃。止まる間もなくそこも逃げ出したが、ルオロフはこれが今、答えを求めているのではと感じ取る。答え!答えだ!と、枝を飛び移りながら、思いっきり叫んだ。
「私が、『精霊の島以外なら良い』と言ったためか!木を倒し、土を掘って、人の生活を起こすことを、どこで行うにしても、精霊の許しあればこそと、私が考えていなかった発言か!海と大地の全ては、精霊の源にある事を、私が軽んじたと」
『良い。先へ行け』
遮る声。ルオロフの口に水を詰めるように黙らせ、そして森は静まる。
ルオロフの衣服だけが千切れ破けて汚れたものの・・・最後に止まった枝の上から背後を見ると、何もなかったように戻っていた。そして、枝上から沼を見ると、沼も無く。
ふわーっと息を吐き出し、『これは大変だ』とルオロフは顔を擦り、枝から飛び降りた。
*****
タンクラッドさんに言われた意味が分かった・・・ 服が破けて情けない姿を気にしながら、ルオロフはやり取りを思い出す。
「そうか。そうだよな。私の感覚では、何者かに異物廃棄され汚された場所を、整える・片付ける行為は、良い認識だが。それだけでは単純で、大切な中心に及ばない。
ゴミになった品さえ、元々は作るために、多くの自然を壊して得るのだ。私が使った蔓も、生きていたもの。採取した場など関係なく、何もかもがどこに於いても、精霊の産物。世界の産物。
この意識が遠のいて、くり抜いた『人間中心』の感覚が当然となっては、忘れ薄れた分、悪気がなくても行いに通じてしまう」
正に私の行いがそれだったわけだ、と赤毛の貴族がすまなく思った、次の一歩。続く試しに、また遭遇。
先ほど同様、風景は様変わりする。大きな間欠泉が、森を出たそこに噴き上がった。アイエラダハッドでは間欠泉も見るけれど・・・ティヤーの小さな島でこれはない。最初からあったら、上空で見えている。
少し落ち着きを取り戻したルオロフは間欠泉を前に、今度は何だろうと歩を進め、湯気立つ熱気の水際、草一本ない岩盤に相手を発見。岩の足元が薄っすらと透け、座ったまま埋め込まれた僧侶の目が開くや否や、『出してくれ。熱い。助けてくれ』と空気を震わす求めが聴こえる。
「生きているわけはない」
けったいな状況に、ぽろっと零れたルオロフの一言で、僧侶は怒りの形相に変わった。
『精霊に閉ざされたのだ。数えきれないほど懇願したが、決して出されることがない。ここは遥か昔に、王国が在った。沈んだ王国の名残の島を、再び日の目に晒そうと』
「あ・・・なるほど」
僧侶が怒鳴るにつれ、間欠泉の勢いが増す。降り注ぐ熱水は高さを増し、それをちらりと見てルオロフはどうするべきか悟った。悟った一言『なるほど』に、遮られたと思った僧侶は『手を貸せ!私を出せ』と要求のみに切り替えたが、ルオロフは首を横一振り。
「遥か昔の王国、か。そんなものを尊ぶなど、誰の都合か私には見えないな。沈んだなら、それは大きな意味があってだろう」
『何者か知らないが、自分がどれほど愚かか』
「愚かはお前だ。数えきれない懇願が通じないくらい怒らせたか。もしくは、無意味な懇願と思われたかだ」
私が手を貸すに至らない、と言い捨てたルオロフは離れる。
待て、出せと喚く声は、空気を伝ってしつこく、本当に生きたまま閉じ込められたように感じたが・・・ 生きていようが見せかけだろうが、返答は変わらない。赤毛の貴族は振り返ることなく無視した。
間欠泉の周りを歩き、僧侶から相当離れた時、しゅうっと気が抜けたような音と共に、間欠泉は消え、森が現れ、僧侶の顔をつけた巨大な蜘蛛がどさっと落ちる。それはルオロフを見つけ、とんでもない勢いで走ってきた。
気持ち悪さに、うっと思うもこれは遠慮しない。ルオロフは腰の剣を抜き『例え、精霊であっても』そう呟くと、瞬く間に蜘蛛に駆け上がり、二秒後に顔面から尻まで切り裂いた。
「何が正解か、私は知らない。だが、僧侶の考えより私の方が幾分、理解はあるはず」
びゅっと剣を振って鞘に戻す。縦二分割の蜘蛛は突進した方へ走りながら、速度が落ち、足がもつれて倒れた。森の木も下草の長さも、まるで関係なくすり抜けていたので、精霊の試しに間違いないがこれで良かったかどうか。
『進め。導きを学べ』
蜘蛛が消えたすぐ、ルオロフの赤毛を涼風が抜ける。はい、と答えたルオロフは、二度目の試しに自信がついて、ちょっと嬉しかった。
学びの早い、赤毛の狼・基ルオロフは、この後も順調に・・・一、二回、は危うかったが、どうにか長引かせることなく、精霊の問答をこなす。道なき道の方向を確認しようがなかったが、どういうわけか、精霊の相手をするごとに、方向は正されていた様子。
最終的に辿り着いたのは、ぽっかりと大地にあいた大穴。精霊の勢いが、ここで一度止まる。
これは本物・・・だなと、穴の下の暗がりにある、古い遺跡に頷いた。
お読み頂き有難うございます。




