2571. 本島北10日間 ~⑰三日目、ギビニワの手記と問題削除の一件・『アソーネメシー』の遊戯
朝一番で、タンクラッドはイーアンの部屋の扉を叩いた。
少しして『はい』と中から返事が返り、数秒後に扉が開く。寝起きのイーアンが意外そうに見上げる顔。この顔が、更に意外さを浮かべるんだな、と親方は思いながら『朝食の前に船へ』と単刀直入、海方面を指差す。
「船?今ですか?」
「そうだ。それ、寝間着じゃないだろう。そのままでもいい」
寝間着じゃないだろと見下ろされた格好は、イーアンの普段着。時間関係なく動き回るイーアンは、寝間着なんかに着替えていられないので、いつ出かけてもいい衣服。
まぁそうですが、と自分の服を見た女龍は、タンクラッドに背中を押されて、水一杯飲むこともなく、朝っぱらから港へ飛ぶ。
親方は龍気の面。このお面の龍気、私に影響しているのだろうかと考えるイーアンは(※龍気の出所知らない)そろそろお空に龍気補充に行った方が~と思いつつ・・・二人はあっさり、アネィヨーハンの甲板に降りた。
港は警備隊の敷地なので、見慣れた隊員たちは、いつトゥが居ても驚かない。燃えるような朝焼けの赤い雲の下、銀色に赤が映えるダルナは、二人の挨拶に応じてから、夜中の一件を伝えた。
タンクラッドは先に少し聞いていたが、寝耳に水のイーアンは目を真ん丸にして『なんですって』と驚く。
「じゃ、もう。ギビニワ司祭は死んで、死霊使いは。いや、他の地区には居るかもしれないけれど、ギビニワ司祭だけは確実に死んだと」
レイカルシに諭されて引き上げた理由。『死霊使いが他にもいるなら、ここを潰したがために、他へ逃げられる可能性もある(※2569話参照)』・・・それが。
誰ぞの手であっさりと暗殺?こう口走ると、銀色のダルナは少し間を置いて、首を一本傾ける。はて、といった具合。
「その人間だけ、とは、言い方に感じなかった。少なくとも、『ティヤーの神殿が操った死霊は片付いた』解釈で良いはずだ。一人なのか、複数なのかは(※気にしてなかった)」
「あなたに告げた相手は、精霊か何かですか?」
「これをお前に言うのも、俺なりに気遣う。だが教える。『アソーネメシーの遣い』だ」
アソーネメシー? 誰?と呟いたイーアンに、横に立っていたタンクラッドが『原初の悪』と添え、ギョッとした女龍が振り返った。タンクラッドも、トゥにこれを聞いた時はクラッとした。
「原初の、悪の、遣い・・・が?ここへ来た?私の負担を減らす・・・と」
出来レースのよう――― むかーっとしたイーアンは、顔に出る。レイカルシに聞いた、死霊を呼び込んだ張本人は『原初の悪』。なのに!
私の負担を減らす?使い魔(※使い魔決定)にギビニワ司祭を殺させて、この一件は終わりにしたぞと、言いに来た。
そこら中、魔物が出れば死霊が憑いているティヤーで、死霊使いも出しておいて、『これはちょっと多かったか?』くらいの感覚で、片づけ・・・・・
苛立ちで戦慄く女龍の気持ちは、タンクラッドも充分理解できる。トゥは、静かに女龍を諭した。
「俺に伝えた相手は、精霊じゃないだろう。だが網元は、精霊だ・・・この世界の最初からいる、厄介な精霊」
「厄介どころでは・・・!なんて、バカにした動きを」
「そうだな。『遊戯』と呼んでいたから。まさにそんなつもりだろう。しかしイーアン、まだ話はある。遣いは、ギビニワという男の記録も渡した」
記録、と言われ、コケにされて振り回された気持ちのイーアンは、ぐっと歯を食いしばりながらも、大きなダルナを見上げた。
「記録。何ですか」
「これだ」
ぽい、と足元に落とされた手記。神殿の言葉で書かれ、持ち主の名にギビニワとあり、トゥが言うには『ヨライデから輸入した原料で死霊を作り、信者に用い、貴族の殺害にも使用した』内容が書かれていた。
実は、この手記は本物ではない。
アソーネメシーの遣いが、本物さながらに作り出した『証拠品』。ギビニワ司祭の心臓から辿った記録を、物体に変えたものだった。それも、トゥは話す。
読めない神殿の文字だが、トゥは感覚で読み取っていることを全て教えてやり、『その文字を読む者に、改めて読ませろ』と言った。
「だが。この手記を使う場面は、なくても良いのかもしれないな」
「トゥ、なぜそんなことを言いますか」
「精霊が命じて『片付いた』からだ。人間の問題を引きずるほど、女龍は時間がない」
「あなたまで!」
「イーアン。トゥの言葉は、遣いの言った意味と違うぞ。それは分かるだろ?」
トゥの諭しに、カッとなったイーアンを、タンクラッドが押さえる。パッと向いた悔しそうな女龍の角を撫で、タンクラッドは背を屈めた。
顔の高さに合わせた視線で『世界が急いでいる。そう思えないか』と囁くと、イーアンが嫌そうに目を逸らした。
イーアンも気づいてはいる。でも、感情が揺すられっぱなしで追いつかない。タンクラッドは溜息と共に、女龍を抱き寄せ、背中を撫でて話しかけた。
「からかわれた、程度じゃないからな。被害が出て、死人が出て。多くの人間の痛みや苦しさが、遊びで使われたと思うと、俺も嫌だ。ただ、それさえ、世界の流れの一つであることを、俺たちは常に知っていなければいけない」
「タンクラッドは、逆の立場でもそう思いますか」
腕の内に収まって呟く女龍の否定に、タンクラッドも少し考える。『お前の立場でものを考えたら、もっと板挟みだ』と正直に告げ、顔を上げた女龍に微笑んだ。
「辛いよな。お前のように熱い心だと、一層辛い。空の頂点だけに」
「言わないで下さい。そう思える時もあるけれど、今は何とも言えない悔しさです」
そうだな、と頭を撫でる親方に、イーアンは少しずつ落ち着きを取り戻し、心境の様子を見守っていたトゥは、遣いの残した『大いなる発言』も最後に伝えた。
―――『サブパメントゥは創世の怨念が再発、アイエラダハッドで漏れた世界の禁忌はティヤーを滅亡へ引導、神出鬼没の異次元大陸からは余波が漏れて』
愕然とする女龍に、『知っているんだ。全部を』と、銀色のダルナは付け足した。だから、世界が急いでいると言った。
この後。イーアンと親方は、トゥに促されて宿へ戻り、朝食後に皆を部屋に集め、『一つの問題の強制終了』と、『ギビニワ司祭の行い』が書かれた手記について話した。
手記を読むのは、シャンガマックが動きそうになったが、ここはクフムに回す。彼を信用する、というべきか。シャンガマックの気遣いで、クフムは『読みます』と本を手に、緊張しながら朗読した。
途中、つっかえるところや解釈にいくつか要素がある箇所は、シャンガマックと相談して近い意味を当て、正確さを伴う内容が伝えられる。クフムは読みながら中身の酷さに顔を顰め、えげつない表現は口ごもるので、シャンガマックが代わりに伝えた。
朗読が終わったすぐ、訝し気に聞いていたミレイオが『えっ。じゃあさ』と声を上げた。
「僧兵も知らなかった、ってこと?あの男が話したの、一部って感じだけど」
「そうでしょうね。クフムが読み上げたことが全てで、これは司祭の記憶というか、記録らしいですし、僧兵の話したことは殆ど書いていないので」
シャンガマックは、クフムの開いている手記を、横からページを捲らせてもらって何度か見直し『一部的にしか出ていない』と再確認。
「僧兵を信用していない。だから経緯まで伝わっていないような。その逆で、司祭側も僧兵の行動を把握しきれていない」
シャンガマックの言葉に続けたのは、フォラヴ。こんなに互いを信用しない間柄で、よくこれまで、と眉根を寄せて呆れた。
「弟さんのデュヴァハ。彼は死んでしまってから、僧兵に会っていたのですか。召使たちが気付かないまま・・・?」
顎に手を当てたイーアンが首を傾げ、その視線を受け止めたシャンガマックも、同じように首を傾げた。
「召使いたちも、肌の土色具合や、体調の悪化・異臭は、勿論知っていたと思うが。喋って動いている主人に、どう接していいか悩んだかもしれない。明らかに異変を感じても、小さい島で主人を置いて逃げる、それが出来るかどうか。
僧兵は・・・気にしなかったんだろう。俺はそう思う。父も言っていたが、あの男は自分のことしか見えていない」
そうですねと頷く女龍が、ふーっと息を吐いて、クフムに『今読んだ以外の解釈が出来そうな、箇所はありますか』と尋ねる。クフムはページを繰りながら首を横に振った。
「いえ・・・伝えた内容が、尤も自然な解釈だと思います」
もう一度読み直しますと顔を上げた僧侶に、『気づいたことがあれば教えて』と頼み、イーアンが何か言おうとしたのを、タンクラッドが遮った。
「とりあえず、な。お前たちは、チウグー地区神殿へ乗り込む予定だったから、これで用事は消えたわけだ。嫌味じゃないぞ、事実、そうだ」
タンクラッドがまとめ、煙に巻かれたように終わった一件に、騎士たちと女龍は顔を見合わせる。
「でも、イライスには伝えませんと。それにピインダン地区神殿では、イーアンが『追って連絡する』と次を約束しました。放棄する形で収束しては、問題が」
フォラヴは、方をつけた方が良いと意見し、それはイーアンも同意だった。
シャンガマックは少し考えていたが、彼の場合は『自分が精霊の意向に従わないと、相手がどの精霊でも、後で何か言われるのでは』と(※拘束期間中)そこで躊躇う。
シャンガマックの反応はさておき。イーアンもフォラヴも思うのは、『荷箱を盗んだ僧兵・僧兵がラィービー島で殺害・キンキート家の~』について、イライスに伝えて終わりになるとしても、他はそうもいかないこと。銃器や火薬や、動力、国民の無差別殺戮の問題。
「とりあえず、これからイライスの家へ行きます」
昨日の彼女の状態から、多分回復していると思うけれど。この話を伝えたら、彼女がどう反応するかイーアンは今から心配になる。
「私も行きます。シャンガマックは残られても」
フォラヴが付き添いに挙手。シャンガマックが振り向くより早く、彼を控えに回した言葉で、褐色の騎士はちょっと苦笑いした。
今日の行動予定は、丸ごと変更。神殿に行くのではなく、イライス邸に向かう。
オーリンとミレイオは、今日もコアリーヂニーと話があり、証拠集めに出ようとしていたルオロフが『紙に書くから、ティヤー語お願い』と頼まれて、ルオロフも同行決定。
タンクラッドも、近所の工房で制作指導を始めたので、シャンガマックは親方に付き添うことになった。
クフムはどうしようかと、予定を決めた皆が、ふと思った時(※忘れる)。
彼から、『船で過ごせないですか』と許可を求められる。
船理由に『トゥが居るから大丈夫では』ダルナが守る船なら自分一人でも・・・そう思ったらしく、タンクラッドもガヤービャン外には出かけないので、了承した。フォラヴはこれを聞いて、『昨日もそれで良かったじゃないか』と内心苛ついたが、誰に言うこともなく。
クフム、初・一人で船待機。神殿言葉で再現された手記を、読み直すそう。
この日から4日間で、物事は様変わりする。
****
『ヨライデに首を突っ込まれるのもな』
大きな捻じれた角を抱えた頭が、緩慢な動作で振り返る。後ろには、遣いがしゃがみ、目が合って、アソーネメシー・・・『原初の悪』が呟きで確認。
『宗教の人間だけ、だろ?』
聞かなくても、見えてはいるが。
話かけられると機嫌が良さそうな、黒い仮面の反応は面白い。俺に恩でも感じたか。
『そうです。後は手付かずで』
それでいい、と『原初の悪』がゆっくり歩き出すと、何もなかった砂の床から古木が生え、椅子のようにうねるそこへ座った。足を組んで、両手を肘掛けに置き、紺色の僧服に身を包んだ精霊は話す。
『魔物の王がな。魔物だけで足りないと、のたまわる。死霊乗せの魔物は放置しておけ。魔物が癒着しやすい状態は変えるな』
『いつまでが良いですか』
期限があるのかと尋ね返した遣いに、『原初の悪』は薄ら笑いを浮かべて『そうだなぁ』と勿体ぶる。
『魔物が調子に乗ったら。目安はそうしろ』
『そうします』
フフッと笑った遣いに、もう行くよう、指をすっと払う。遣いは消え、黒い精霊は押し殺す笑いを続けた。
自分の面を与えた遣いが、女龍の目に留まる時。あの女龍は単純にすぐ反応するから・・・・・
『ヨライデのちっぽけな楽しみは、残しておいてやろう。お前らも、つまらんことが一つ外れて、ちょっとは動きも良くなる・・・ にしても、なぁ。イーアン。お前はどうしてそんなに、龍らしからぬ奴なんだか』
創世と同じ勢い、同じ強さを手に入れて、ちんけな人間と変わらない感情は、いつまで経っても。虚空の闇を見上げて、首を横に振り。
『女龍。強いだけで、動きがじれったいと思わないか?龍なら悔やまないことを、山のように抱えて悔やみ、過去の貧相な感覚を手放せない。いつかお前自身が世界に問われる時、それじゃ弾かれるぞ』
アソーネメシーは、この国の呼び名。どこの人間が思いついたやら。
意味を知ったら、さぞ・・・・・ おかしそうに笑った『原初の悪』は、ぽんと肘掛けを手で叩き、古木の椅子と共に、床に溶けて消えた。
お読み頂き有難うございます。




