2570. 本島北10日間 ~⑯司祭の工作と老貴族の死・『アソーネメシー』の遣い・強制終了
☆前回までの流れ
イライス・キンキートの危険を知ったイーアンは彼女を助け、救われたイライスは、女龍に『弟の死』に関する情報を与えます。本島に、死霊使いの司祭がいる。しかし一人ではない可能性から、女龍は調べることに。
今回は、ギビニワの場面から始まります。
夜。チウグー地区神殿内東部分、地下二階。司祭は、老貴族の死に首を突っ込んだ、『僧兵』を思い出して苛立つ。
―――私の計画の展開。
歓談で、『神殿がウィハニの女との面会を望んでいる』『ティヤーにお力添えを』と誘った直後、デュヴァハ・キンキートの役目は終わり。
老人がいきなり死んだとして、不思議ではない。
今際の際が『神殿と懇意にお願いします』なら、ウィハニもこちらへ来ただろう・・・ はずが。
翌日用の薬材料を棚から下ろし、机に並べていた司祭の手が、ドンと机を打つ。『まったく!』面倒なことをしてくれたものだと、ギビニワは吐き捨てた。
「たかが僧兵が!一介の僧兵なんか、要らない人間の排除だけしていればいいくらい、分からないのか!殺すだけの仕事なのに!」
あの僧兵の仕業。真実を知らされていないギビニワも、そう思っている。
苛立つギビニワは、薬草束を手荒にほぐし、鷲掴みで天秤皿に置いた。ガシャンと天秤が傾き、石の床に落ちた薬草と分銅を、ブツブツ言いながら拾うが、あの僧兵が搔き回した問題を思い出すと、憎たらしくて仕方なかった。
当の僧兵は、事件後にカーンソウリー南で雲隠れした。
私も、『機構の派遣騎士を招いた日』のピインダン地区神殿へ呼ばれていたが、私と同じ部署の司祭に代わってもらった(※2524話最後参照)。私が行ったら、何を言われるかと思ったからだ。
計画に横槍を入れられたせいで、こちらがヘマしたようになってしまった。
―――デュヴァハ・キンキートは、神殿の方向性に口を出し過ぎた。
投資で『聖なる大陸』行きの券を確保したくせに、火薬の存在を伝えられた時から、反対を・・・ 他の貴族連中にも、神殿への投資を考えろと触れ回っている噂が広がり、担当の私に『黙らせろ』と上の指示が来た。あと一歩の、この大切な時期に騒ぐ方がいけない。
魔物資源活用機構の派遣が、ミャクギーから南下する情報が入り、思いついた。
彼らと近い船に乗っていたらしき、アイエラダハッド逃げ落ちの僧侶(※クフム)の僧衣から聞けた情報。最近は、『僧衣越しの情報』は使えなくなったそうだが、あの時はまだ。
『金持ち貴族の老人が、ふざけ半分で盗難、軽率な人格と思われたまま死に、死の現場に立ち会ったウィハニの女は、神殿に話に来る』。そんなに、無理のある思い付きではない。
外さないよう、計画を立てた。デュヴァハに『派遣騎士が向かっている情報』を与えると、案の定『母国の誼で招待する』と息巻いた。そうと決まれば、彼は持病の薬を外出中の日数分、買いに行く。
すぐに、彼の買い付けの薬局を閉めさせて、奉献所で買わせた。毎日飲まなくても長く効用があるとし、薬瓶を二本出した。『長期間用で効きが強いから、最初は体に抵抗が出るかも』と教えた。
派遣騎士を、ラィービー島の別荘へ案内する段取りを、こちらで組んでおこうかと提案したら、それも『では、頼む』と・・・デュヴァハは、荷を盗むなど、考えもしない。『カーンソウリーに派遣団体が到着したら、神殿から別荘へ案内する使いが来る』、そんな感じだった。
港で警備隊もいる中、荷箱が盗難に遭い、派遣団体が盗まれた荷を探して別荘まで行き、出会いがしらに貴族が急死・・・なんて、想像は働かない。
こちらの準備完了を伝える手紙が届くより早く、デュヴァハが出発したのは、小さな誤算だったが。あの手紙が、姉イライスに渡った。だが、まだここまでは良い。
出発日に一本目の薬を服用して、老体は一気に不調となっただろう。
別荘に到着前に、もう一本飲むように伝えた指示に従って、デュヴァハは二本目を飲んだ。あっという間に動く死体に変わり、そこからは私が操った。
死体の目は見えはしないが、聞くことは出来る。
盗難仕事は、事前にカーンソウリーの神殿で頼んでおいた。だが、これが大きな間違い。
荷を運んだ僧兵に、『盗んだ荷箱の所在を、派遣騎士に教えろ』と・・・死んだデュヴァハに言わせたものの。
続きは途絶えたのだ。何者かにやられて。魔物か僧兵か・・・ 誰かが喋っていたのは聞こえたが、それは召使かと思った。
だが後から、島へ出向いたのが『あの僧兵』と聞いて、あいつならやりかねないと―――
ガガンッ!! 建物が揺れたと同時、鈍い音が響き、司祭はハッとする。気を取られていた回想は吹っ飛び、慌てて部屋の扉を開け、通路へ出た。またも、ガゴン!と重い鳴りが空気を伝う。
「魔物か?魔物が出たのか」
人のいない自分の管理する地下で、襲われては一たまりもない。司祭は部屋に入り、大急ぎで薬草をまとめると、作り置きの薬が入った小瓶と、呪符の木片を粗布袋にいくつか突っ込み、棚に置いてある透明の石を引っ掴んだ。掴んだ拍子に、大きな揺れが来て、棚の一つが倒れる。
建物の揺れは、頻度を増しており、何かが打ち付けられる鈍く重い音も、揺れに伴って間隔を狭め、司祭は部屋を飛び出して地上一階へ走った。階段を駆け上がる間、一階でも騒ぐ僧侶たちの声がし、階段を上がった横の簡易玄関で、思わず足を止めた。
僧侶たちは、建物の反対側に集まっている様子―― 簡易玄関の扉がない。壊れた扉があるのではなく、もぎ取られたように、丁番の付いた木枠ごと無くなっていた。
建物西側から僧侶たちの声がするのは、皆がそちらへ逃げたからかと、ギビニワは気づいた。
ポカッと扉枠ごと取られた、壁の穴の向こう。立ち尽くし、脂汗が垂れたギビニワを、腐った大きな死体が見ていた。
「わ・・・・・ 」
司祭が引き攣った声を上げる間もなく、巨大な死体から一部が飛び出て、司祭を壁に押し潰した。
くちゃ。ズズズ、ボト。
石の壁に押し付けられて潰れたのは、一瞬。動く死体から飛び出した骨が元に戻ると、離された司祭の壊れた体は、壁を伝って落ちた。
巨大な死体が揺れながら向きを変え、用が済んだとばかり、ぐらぐら不安定な歩みで神殿を離れる。大きい神殿では騒ぎがまだ終わっておらず、西側に集まった僧侶たちは、そちらに大量に出てきた動く死体に応戦していた。
一体だけの大きい死体は、ギビニワ司祭を殺した後、誰に見られることもなく、海岸へ進む。そこかしこの地面に穴が開いているが、よろける足を取られもせず、それは浜へ降りた。
『お前に見合わない奴だったか』
巨大な死体と波打ち際の間に立つ、一人の影が問いかける。死体のボロボロの腕が、その影に伸び、月光の下で重なった影。
『これか?奴の心臓』
死体が差し出した、拳大の肉の塊を見下ろし、影は首を傾ける。心臓から、持ち主だった人間の記録が離れ、浮塵子のように吹いて、瞬く間に塵となった。
『ふぅん。そうか。お前を従えるには、確かに不足だな。霊の力を拡げてやっているのに、みみっちいし、どうも・・・この国は独り善がりが多い』
そうじゃないんだよな?と、自分の真上に屈めた腐った頭に、影は確認する。
ぶらんと揺れた頭にハハハと少し笑って、ドロドロの死体の腕をポンと軽く叩いた。それと同時に、死体は消え去り、影の手にくすんだ光の模様が走る。光の模様はすぐに消え、月光に影を作っていたその者は、神殿に背を向けた。
さざ波に月光が塗される。ティヤーに似合わない、フードの付いた厚ぼったいクローク姿は、白い月の豊かな明るさに縁どられて、左右の頬に入った赤い模様の黒い仮面が、より暗く見える。
『どうかと思えば、大したことはなかった。昨日も探して、今日見つけて。そこまでする価値もなかった。時間の無駄もいいところだ』
人間の一人分の、欲。一人分の、悪。
味気なく、続きも平凡。そんなもの。何の用もない。
『どれ。物見遊山だ。アソーネメシーの遣いが、土産を持って行ってやろう』
片腕を勢いよく上げ、厚い生地を翻す。バサッと重い音を立て、足首まであるクロークの裾が広がる。血塗れの革長靴が砂地を蹴った次の一秒、空気と砂が舞い、空を衝く竜巻を起こし、黒い仮面の者は消えた。
神殿はまだ騒がしかったが、間もなくして、僧侶が応戦していた動く死体が全て、頽れて土に伏せ、砂に変わり、おびえた神殿に夜の静けさが戻った。
今だけの静けさ。ここから数日後まで、神殿は前代未聞の乱れを起こす。
*****
夜更け。ガヤービャン停泊中のアネィヨーハンで、銀色のトゥが出迎えた相手は、ささやかな手土産を携えていた。
トゥはこの相手が、どこから来たかを探ることはしなかったが、似たような感覚を知っていた。
アイエラダハッド決戦が終わる時、自分を押し潰しそうになったあれと・・・どこか似通う雰囲気。ただ、あれとは比べ物にならない。この来客は、その関係で、下っ端。
とはいえ―――
『俺を遣わせたアソーネメシーから、女龍に宜しくと。暇つぶしで手こずらないよう、軽く茶々を入れておいたが、これは俺の気持ちだ』
「意図は何かあるか?裏でも意図でも、付帯があれば伝えてやろう」
『さすがに長生きなだけある。二つ首の呪われしダルナよ。そう、はっきりこちらの意図を聞くもんじゃないだろうに』
カカカ、と軽く笑い飛ばした、黒い面の男。トゥは一本を鎌首にして持ち上げ、もう一本の首をぐるっと回して、浮かぶ男の真ん前に寄せた。
「女龍の『暇つぶし』とな。俺がお前を読み取ってもいいが、俺の配慮だ。言いたいことは、今話せ」
『・・・少なくとも、お前は俺を敵視していないな』
「味方だとも思わない」
『あっちもこっちもで、手が足りないようだ。サブパメントゥは創世の怨念が再発、アイエラダハッドで漏れた世界の禁忌はティヤーを滅亡へ引導、神出鬼没の異次元大陸からは余波が漏れて、女龍は大忙しだろう?
死霊は、アソーネメシーの遊びだ。魔物の強化を求めた誰かに付き合った、単純な遊戯の一つ』
「遊戯を、お前が茶々で終わらせた。権利はない立場でも」
『アソーネメシーが命じれば、俺が動く。俺は遣い』
「お前を遣いと呼ぶか?そう伝えるぞ」
じゃあな、銀色・・・ トゥの言葉に答えはなく、会話は中断で終わる。黒い仮面は薄笑いの顔。クロークは紺色がかり、左右に広げた両腕は、仄暗い明りを筋にして模様のように走らせ、血濡れた長靴は古い蔦が絡みついて、膝まで縛り上げていた。風に開いたクロークの下、手足以外―― 胴体 ――は、その男になかった。
真夜中の空中に、砂が落ちる。トゥはこれが何から出来ているか、理解していた。
あれは、死霊の長だろうと。とっくの疾うに消えた屍の名残に、息吹を与えた『アソーネメシー』とやら。あれが自らを『遣い』と称した以上、主人がそれ。
トゥは、なぜ自分の元へ遣いが来たかも分かる。直に、イーアンたちのいる宿へ行かず、ここへ来た意味。遠い遥かな昔の出来事の再来、世界の謎の扉も、あっさり口にするには、この世界に人間を運び込んだ俺が丁度良かった。
「アソーネメシー。タンクラッドが見た『原初の悪』だな」
ふむ、と二つの首を絡ませて、黒い船の上に浮かぶダルナ。
遣いが伝えた『手土産』は、明日教えることにしようと・・・夜を見送った。
世界は、急いでいる――― 問題を増幅させるかと思えば、進みが悪いと分かった途端、増した手数さえあっさり削る。
まるで、遊ぶように。
実のところ、遊ぶようにこれを行う誰かが、世界を司る一人にいる。
翻弄されているなと、トゥが感じても。世界に楯突くことはない。時を巻かれ追い立てられ、走るだけ。
お読み頂き有難うございます。




