2566. 本島北10日間 ~⑫弟デュヴァハの薬
イライス・キンキート邸、中二階にある茶室。
包んでおいた剣を装備し直したドルドレンとフォラヴは、先に座ったシャンガマックの両隣の椅子に掛けた。
イライスが館の中に、『海賊寄り』の使用人しか置かないのは、分かる気がした。神殿の息のかかった人間より、信用できるからだろう。
午前の明るい日差しは、雲の多い空から細く落ち、ティヤー風の室内を品良く照らす。磨かれた床と壁は濃茶の板張りで、部屋の床沿いをぐるりと装飾板が囲む。明るい青と朝焼けのような赤を基調に、調度品で整えられており、椅子や卓や窓を飾る布も、すっきりした差し色で揃えられていた。
壁と天井に、飾りガラスの明り入れが下がり、天井は中心に向かって角度がつき、小ぶりな部屋に開放感のある高さを与える。
部屋はティヤーの伝統的な家屋の質だが、調度品の民族色が強烈なものは全て、ヨライデを感じさせた。三人はヨライデを知らないが、ヨライデ出身者ミレイオの雰囲気が重なる。強烈なまでの彫り込み、宗教を帯びる仕様表現で、一発で目を奪うのに、不思議と他の雰囲気に馴染むのは見事だった。
絨毯のない艶やかな床は、靴を履いていてもひんやりと気持ちが良い。丁寧な仕事で樹皮を編んで作られた椅子も、掛けていて心地良く、三人共、イライスを待つ時間は口数少なく、この興味深い部屋を味わっていたのだが。
ガチャリと音がして、閉じていた扉が開くと、その心地良さは消える。
まず、妙な臭いが空気に混じり、イライスが使用人に支えられて部屋に入ると、彼女の顔に皆は一瞬、言葉を失った。土色・・・皮膚が、死人のように黄ばんだ土色で、ゆっくりと懸命に呼吸するイライスは、死に際のように見えた。
ドルドレンが椅子を立つ。続いてフォラヴとシャンガマックも席を立ち、イライスの側へ行き、使用人に代わって手を伸べようとすると、イライスは息苦しそうに微笑んで、小さく首を横に振った。
「よく・・・来て下さいました」
「どうされた。喋るのも辛そうである。俺が支える。椅子へ」
掠れた声の婦人にドルドレンが手を添えようとするが、手をちらと見た老婦人は視線で椅子を示す。
「客人に。そんなことは・・・どうぞ、おかけ下さい」
「いいえ。私たちはハイザンジェルの騎士です。手助けさせて頂けませんか」
掛けてと言われても下がらないフォラヴが、使用人の脇に並び『私が』とやや強制的に、イライスの片腕に手を添えた。初対面で失礼、とは断ったが、言うことを聞かない若い騎士に、イライスはちょっと不満そうな横目を向けた。
「若い方・・・騎士でも・・・ 」
「まずはおかけ下さい。歩くのも辛いお方に支える手を出した私への注意は、着席されてから伺います」
善良で強引な、綺麗な顔の騎士に、イライスが苦笑する。だが息を吸い込んで咳き込み、あ、と思ったドルドレンがその背に手を添え、すぐ目を見開く。彼女の腕に触れたフォラヴと目が合い、彼も同じことを思っていると分かる。衣服の上からでも、イライスの体は冷たい。
シャンガマックは、イライスに触れることはなかったが、彼女が支えられて椅子に掛ける時、椅子を引き、腰を下ろした背後にいたので、彼女に何が起きているかを理解した。
この婦人、イライスは、死体になりかけている。
死相は見えないのに―――
イライスが掛け、騎士三人も椅子に座った後。イライスの後ろに使用人が控えた状態で、イライスは話し始めようとしたが、途切れがちな声と咳が、話を邪魔する。呼吸も難しいようで、息を吸い込む夫人の目は苦しさを映し、騎士たちは見ていられず、彼女に『無理せず筆談でも』と頼んだ。
受け入れたイライスは、すぐ使用人にペンとインクと紙を命じ、使用人は退室する。心配するドルドレンは、夫人が謝るのを止め、『もっと早く来るべきだった』とし、先に提案を聞いてもらえないか、相談に入った。
やり取りを聞きながらシャンガマックは、なぜこの婦人が死体に近づいているのかを考えていた。
目が合ったフォラヴは、ちょっとした仕草を通して『癒そうとしたが難しい』と指先で示し、妖精の彼が難しいとは何故か、シャンガマックも驚いた。理由は掴めない様子・・・・・
異臭は、婦人から発している。死体の山を越えてきた自分たちが、そこに直結しない臭いの質である。
衣服に隠れている皮膚にも、何かしらの症状が出ているかもしれない。皮膚が見える箇所は、顔と首くらいで、手袋までつけて、この気温で体を覆う。
死相があれば別だけれど、彼女にはそれがない。死ぬ運命にいない人間が、無理に死へ導かれているような。
そして嗅いだことのない、妙な臭いはこの症状を・・・と思っていると、使用人が手に銀色の皿を持って戻った。
皿に載せられた薬をまず渡し、それから再び廊下へ出て、扉脇の小卓に置いてあった盆を持ち、紙とインクとペンを、イライスの前に並べる。礼を言う主人に、下がるよう指示を受け、使用人は部屋を出た。
『先に薬を』ドルドレンが薬と水を勧め、イライスも水を受け取って、震える手で薬を口に運んだ。薬は咳止めで、喉の狭まりを広げると説明しながら、几帳面な夫人は騎士たちに『みっともない姿で』と微笑んだ。
「そんなことを言わないで良い。先ほどの話では、『船では無事で、家に着いてから、息子の荷物が』と。彼の荷物に何かあったのか」
静かな口調で心配を伝える総長に、イライスはペンを手に紙に理由を書き始めた。美しい筆記は、恐ろしい内容を告げ、走るように流れるように滑るペンの先、インクが途切れたところで、文字を凝視していた三人は目を見合わせた。
「弟の・・・荷物に」
呟いた総長の最初の言葉。イライスは消え入りそうな声で答える。
「はい」
「その瓶は、今どこに?」
声を潜めたフォラヴが続けると、夫人は少し視線を横にずらし『私の寝室です』と教えた。
「あなたは、栓を外して臭いを嗅いだ、それだけなのだな?」
焦るようにシャンガマックが確認し、夫人は辛そうに息を吸い込みながら頷く。
「中身は何かと、栓を取っただけでした。しかし、それで私は」
げほっと咳をし、横のドルドレンが急いで彼女の背中をさする。無理して喋らなくて良いと頼み、苦しそうに頷く夫人の背をさすりながら、部下たちの目を見た。
「あなたの息子はどうされた。彼は無事なのか」
婦人の大きく吸い込む呼吸が落ち着いたところで、ドルドレンはゆっくり尋ね、紙を前に寄せる。夫人はペンで『彼は荷物の中身を教えて預け、その足で仕事へまた出た』と書く。息子は無事である様子。
―――イライスの息子が、カーンソウリー島の警備隊から、遺品で引き取った叔父・イライスの弟の荷。
自宅へ着いた日。6日ほど前のこと。息子が警備隊の確認を経て持ち戻った、弟デュヴァハの所持品をイライスが見ていた時。
小瓶を二つ固定した小さな鞄―― 専用のような ――があり、瓶は二つとも空に見えたが、一本に薄っすらと液体の揺らぎが残っていた。
弟がこんな薬を持っていたかと疑問に思い、イライスは瓶の栓を抜く。小瓶の真上に顔が来る姿勢は、栓を抜いたと同時に異臭を嗅ぎ、それと同時に眩暈がした。慌てて栓を直し入れ、倒れかけた体を壁に寄りかからせて考える。
何かおかしいと怖れを感じ、小瓶を鞄に戻し、他の者の手に触れないよう、鏡台の引き出しにしまった。
それから弟の遺品をまた調べ始めたが、異臭が頭痛を起こし、気持ちが悪くなり、遺品の荷物は一室に置いて、その日は早く休んだ。弟の声が、聴こえた気がした。
休んでも具合は回復せず、翌朝、体が冷えている状態で日常をこなしたが、弟のいない仕事に手を付けるのは頭痛や吐き気の連続で難しく・・・ この不調は毎日続いた。
医者に診てもらっても、原因が分からない。瓶のことは言わなかったため、医者は呼吸を正す薬を出し、血の巡りを良くする食事と、安静を勧めるしか出来なかった―――
「私は長くないと思います」
ペンを置いたイライスが、自分を気にして覗き込んだ騎士に伝える。ドルドレンは首を横に振るが、彼女は自分で勘づいているのも分かる。
「イライス、お守り代わりの龍の鱗はあるか」
ふと思い出したドルドレンが、イーアンの鱗はどうしたかと尋ねた。女龍の鱗なら、原因不明の―― もしも邪に関する何かだったとしても ――少しは和らげるのでは、と思ったからだが、老婦人は息苦しそうにゆらりと首を振る。
「船で。戻る際です、魔物が出たので」
大型客船を守るために使い切ったと、消えそうな声のイライスに、騎士たちは『分かった。喋らないで』とまた頼んだ。ここからまた、イライスの息切れが落ち着くまで待つ。
イライスは、騎士たちに伝えられることは出来るだけ話そうと考え、ある一つのことを思い出した。
「今。思い出したことが・・・デュヴァハ・・・弟が薬を買っていた場所は、普段は近所の薬局ですが、閉まっている時は、神殿の」
息切れして言葉に詰まり、イライスはまた咳き込む。ドルドレンが止め、神殿の薬局か何かあるのか?と言うと、イライスは『ヨライデの薬を輸入する、神殿の司祭に頼った』と紙に書いた。
老婦人の手はペンを置かず、騎士たちの次の質問を知るように、もう一行増やす。
『隣の地区にある奉献所、薬局、ギビニワ司祭管理』
*****
この後。体に無理があるので、イライスを休ませることにしたドルドレンは、クフムに書いてもらった提案書を渡して、体調の穏やかな時にでも目を通してほしいと伝えた。
イライスは使用人と共に、寝室へ戻る前、三人も一緒に部屋前まで来てほしいと頼み、付き添って部屋まで行くと、夫人は使用人を下がらせ一人で部屋に入り、出てきた時、手に小さな鞄を持っていた。
それをドルドレンに預け、『これが』と呟いた背の高い騎士に頷くと、『決して栓を開けないように』注意し、また使用人を呼んで、部屋に下がった。
また近いうちに日を改めてくると約束し、ドルドレンたちは館を出て―――
「シャンガマック。イーアンから連絡は」
「まだです。行きますか?隣の地区」
「探しましょう」
イライスから預かった鞄、その内側にある、危険な小瓶がどこから出てきたものか。そこで買ったかどうかは、イライスも知らないようだが、弟が普段使っていた薬とは違う、薬らしき瓶の存在に怪訝を感じた、と。
*****
―――『死の数日前から操られていたんだろう』 こう、ヨーマイテスは言っていた(※2526話参照)。
この話をどこでするべきかと考えていたが、イライスの状態を見たシャンガマックは『もしや共通するのでは』と勘づき、薬局を探す道で、それを総長とフォラヴに話した。
「弟のキンキートは、死んでいた?それを操られていたと」
聞き返したフォラヴに、『死ぬ前から操られていた意味だ』とシャンガマックが訂正。ドルドレンは眉を寄せた。
「カーンソウリー島滞在で、イライスの話を聞いた時。イライスの息子が、叔父の遺体を確認したのだが、他の遺体より損傷が激しかったそうだ。イライスの息子は『叔父だけが酷い暴力を受けた末に殺された』と、イライスに伝えた。
だが、この話を隣で聞いていたイーアンは、少し首を傾げ・・・何か思い当たったような顔をしたのだ。後で少し教えてもらったところによると、『イライスの弟は人間の状態だっただろうか?』と」
「・・・イーアンが、ですか?彼女はなぜそう思ったのですか」
「いや、詳しく聞く時間がないまま、船で皆に報告が始まったから。イーアンがそう感じた理由は知らないのだ。
だが彼女は常に、知識と擦り合わせ、現象として可能性があることを口にする。イライスの弟はラィービー島に入る前から『死体になりかけて』、入島後に死体状態で僧兵に倒された、とすれば。今、シャンガマックが気付いたそれも」
「総長。あの建物では」
話を遮ったフォラヴが、通りの並びに立つ、宗教色を見つけて教える。奉献所・・・とは、おかしな名称だと思ったが、見れば納得する表向き。
要は、貢物を受け付ける施設の印象で、分かりやすい飾り立て方をされた、神殿様式の小型版が通りにあった。
「何に操られていたのだと思う?サブパメントゥだろうか」
奉献所へ歩きながら、ドルドレンは褐色の騎士に尋ねる。うーんと唸ったシャンガマックが肩を竦め、『父は、何に、と決めてなくて』と返す。
「先ほどのイライスの状態を思うと、彼女の弟もまた高齢ですから、仮にあのおかしな瓶の中身で、体の自由を奪われたとしたら、事件が起こる(※僧兵の殺害)までの間、普通の動きは出来なかったと思います。
父は何か見抜いたようでしたが、俺が想像するのは、『だから何者かの操りがあって、事件直前まで動いていた』と」
総長とフォラヴは、彼の推理に頷いたところで、奉献所の入り口前に着いた。
隣の地区という割には、大通り4つ先。徒歩20分程度の場所にあるここは・・・・・
「ここも、ですね」
フォラヴが小さな溜息を吐く。さらっと周囲を見渡す妖精の騎士に、ドルドレンも同じように後ろを見回す。シャンガマックが壊れた入口を少し覗き込んで、『人がいる感じではないかな』と呟いた。
「地下から出てこなかった魔物が、家屋倒壊。よりによって、こちらの地区ですか」
ここへ来るまでの風景に、壊れた家屋や地割れの後をいくつか見たが、イライスの館付近はそうでもなかった。隣の地区に入った途端、そこかしこで地割れが目立つなと思いきや。
奉献所の壁が崩れているのが見え、並びの店屋も、倒れた壁がもたれ掛かって、人の気配がない。表は人や馬車が行き交うけれど、壊れた建物近くは人がいなかった。
「昨夜のことだし、避難しているかもしれない」
魔物自体が出てこなかった騒動で、緊急避難場所などは設けられていないが、持ち家が壊されたら知り合いや家族の元へ移動するだろうなと、三人は理解する。
「ということは、司祭は・・・所属の神殿、ですかね」
シャンガマックが首を傾げると、ドルドレンも『その線が高い』と同意。フォラヴが『貴族担当の部署がある神殿の名前、シャンガマックは覚えていらっしゃる?』と尋ね、褐色の騎士は首を横に振った(※覚えていない)。
仕方なし、三人は宿へ戻ることに。
もしこの場に、司祭がいたらどうする気だったかと言うと―――
「僧兵を捕らえた時と同じ」 「そうするつもりだった。禄でもない予感しかないのだ」
ドルドレンは、司祭の在席を確認したら、シャンガマックとお父さんに頼んで、捕獲してもらおうと考えていた。話し合ってどうにかなる印象がない神殿側は、荒っぽい手で話を聴き出す方が正確に思う。
「どうされるおつもりかと思いましたけれど。またも手荒な方法でしたか」
少し呆れたフォラヴの声に、ちらりと見たドルドレンは『お前はそう言うが、時間がない』と注意し、イライスの容態と気づいたフォラヴは黙った。
急がないと、彼女は死ぬ。急いでどうにかなるのかも分からない。
だが、この心配の行く先は、意外な展開へ進み、想像を外れた結果へ動く。
三人は、来た道を引き返し、龍で宿に戻った。
戻るとすぐに、精霊ポルトカリフティグの迎えによってドルドレンは出かけることになり、シャンガマックとフォラヴは、他の者に報告し・・・イーアンから連絡が来て―――
お読み頂き有難うございます。




