256. 長剣と職人
翌朝。イーアンとドルドレンは早めに朝食を済ませ、まだ残っていた自分たち用のお菓子を包んだ。
「私の分を、タンクラッドにも分けます」
何それ、と思うドルドレンだったが。菓子くらいでムキになるなと言われそうで、黙っておいた。
昨晩は、時間こそ短め(←2時間)だったが、かなり楽しく気持ち良く。幸せな恍惚の時間をもらったので、ドルドレンは少し心が穏やかだった(※単純)。
毎日こうだったら良いのにな、とニヤニヤするドルドレンは、本当に早いところ支部の裏の壁を壊して、さっさと新居を立てて移りたかった。
――そうしたら、遠慮しないで声を出してもらえる(※今は控えめ)し、そうすると燃え具合が格段と変わりそうだし、何より安心していつでも朝からいちゃつける(※職場は横であることを忘れている)。
あの、可愛い白い前掛け姿で、台所にいるイーアンに飛びつくことも出来る(※火の元が危ない)。一緒に風呂だって入れる。風呂でもイイコト出来るかも(※温泉で怒られたのを忘れている)。
朝っぱらから、妄想尽くしでやらしいこと満載の脳みそになっていたドルドレン(パパ似)だったが、イーアンにあっさり龍を呼ばれて、気がつけば、荷物もくくりつけ済みの空の上だった。
イーアンの予定だと、タンクラッドの工房に行く前に、親父さんの工房に寄って、この前ボジェナに借りた服を返すという。
「昨日。親父さんの工房に持って行けば良かった」
うっかりしていたとイーアンは反省している。ボジェナにもお菓子をちょびっと包んだらしい。
あれこれ話しながら、その流れでイーアンは言う。『今日も親父さんのところで待っててね』振り向きざまの奥さん(※未婚)に、恐ろしい発言を食らったドルドレンは、滑り落ちるかと思った。
「え。なんで」
「多分。今日も教えてもらうことが多いと思って。ドルドレンが暇でしょうから」
「親父のところでも暇だ」
「そうですよね・・・・・ どうしよう」
気にしないで、とドルドレンはお願いした。こんな程度のことで引き離されてはたまらない。見張っていないと危ないイケメン職人が相手では、今後はひたすら保護者で行かないといけないのだ。
こんな雑談をしつつ、やはり今日もあっさりとイオライセオダに到着する二人。龍に一旦帰ってもらって、町に入り、親父さんの工房へ向かう。
「おお。二日連続で来ると何だか違う親近感だ」
親父さんはちょっと嬉しそうに、朝一の訪問者を歓迎した。イーアンはボジェナに衣服を返そうとすると、ボジェナはこれから来るから渡しておくと親父さんが受け取った。
「お菓子もあるので、少しですが、これも渡してもらっても良いかしら」
ボジェナが喜ぶから、と親父さんは笑顔で受け取った。そして総長の肩を掴む。ぎょっとして振り向くドルドレン。
「総長を預かっておくから、安心して仕事して来い」
「俺は今日、一緒に行くんだ」
「子供みたいな駄々はやめろ。そういや、ボジェナが総長に聞きたいことがあるそうだ」
その発言にはイーアンも反応する。ドルドレンも眉を寄せて、内容を尋ねる。親父さんは二人を見ながら、ちょっと頭を掻いて小声で打ち明けてくれた。
「え。ダビ」 「ダビ?あの男」
「そうなんだ。イーアンと一緒に作ってると知ってから。ダビのことばかり話すんだ。イーアンに聞けと言ったら、誤解されると怒ってな。イーアンの仕事仲間だと思ってるから、複雑なんだろう。
総長に聞いてみたらどうだ、と言うと、総長とあの人が仲が良いとは思えないとかぶつくさ言っていたが、とりあえずイーアンに詳しく聞くよりは。な。そうじゃないか?」
ドルドレンはイーアンを見つめる。イーアンも首を傾げて、暫く返答に悩む。
「ダビ。ダビですか。んーまー・・・ドルドレンの知ってる範囲で、教えたら伝わるかしらね。どうでしょう」
「ぬぅ・・・恐らく、俺の知っている範囲のダビは、1分以内で紹介が終わるぞ」
「まあ。とにかく。だったらボジェナが、後からイーアンに聞くだろうから、最初の情報だけでもくれてやってくれ。ボジェナだって、自分なりの質問で聞き出そうとするから」
よく分からない流れになり、ドルドレンはとにかく親父さんに押さえつけられ、今日も離れ離れの状態に嘆いていた。親父さんに送り出されて、イーアンは小さな荷物を持って、タンクラッドの工房へ向かった。
アーエイカッダの工房敷地に入ると、ノックする前に扉の鍵が開けられて、タンクラッドが戸を開けてくれた。
「おはよう。窓から見えた」
「おはようございます。ちょっと早かったでしょうか」
「早くて良いと言っただろ。一緒にいる時間が長いから、早いほうが良い」
今の言い方は何だか気になる。と思いつつ。イーアンは笑顔で中へ入る。タンクラッドはイーアンの背中をそっと押して、工房の机のほうへ向かわせた。机の上には黒い剣があった。イーアンではなく、タンクラッドが作った。
「これ。え、もう」
タンクラッドが微笑んで、イーアンに剣を渡す。角製と分かっていても、何か決定的に違う気がする。
その違いを知ろうとして、イーアンは必死になって剣に顔を寄せ、食い入るように見ながら調べる。タンクラッドは、その状態に可笑しくなって、少し吹き出して椅子に掛けた。
「イーアン。椅子に座れ。そんなに夢中になって見なくても、ちゃんと教える」
「あなたは。あなたは何て凄い人なんでしょう。ごめんなさい、剣の職人にこんな当然のことを言って。でも、もう感動を超えて驚くばかりです。私にもここまで出来る腕があれば」
出来るわけないのだけど・・・呟きをこぼす口に手を当てて、イーアンは小さく頭を振る。あまりに凄い作品の出来と、その早い仕上がりに、圧倒的な自分との開きを見た。ショックと嬉しさの複雑な心境だった。
タンクラッドはイーアンの右横に座り直し、机に肘を突いて体を前に屈め、イーアンの持つ剣の剣身に指を当てる。
「ここ。昨日の朝に金属だと言っただろう?簡単に言うと、もともと金属素材なのだろうと思う。
最初、表面は焼けて剥けるが、中身が全く違うものだったのだ。この金属はイオライの石とも違う。もっと粘り気があり、酸や磁気や塩に強い。そして熱にも強かった」
「中は空洞でしたでしょう?それはどうなりましたか。この剣を見るに、あの空洞の膨らみがないようです」
「そうなんだ。焼いたら空洞の分が消えて、全体が一つになった。もう完全な金属状態で、叩くことも伸ばすことも出来た」
まじまじと見つめ、飽きることのない漆黒の美しい剣身に見惚れるイーアン。鋭いと知っていても、ついそっと頬に当てて目を閉じる。そのひんやりした温度が、もうすでに金属であることを体に覚えさせた。
そんなイーアンを見るタンクラッドは、ちょっと剣を触って、イーアンから離した。
「ごめんなさい」
危ないのに変なことをしたと謝ると、タンクラッドは剣を机に置かせて、イーアンの鳶色の瞳を見る。
「変なことではない。剣に少し妬いただけだ。こんなにすぐにお前を魅了する剣が、少し。少しな」
魔物だからか、とタンクラッドは笑った。椅子を立って2~3歩進んで振り返り『一緒に茶を淹れてくれ』とイーアンに頼んだ。イーアンはすぐに立ち上がって、台所へついていく。
今日は促されたので、昨日と同じようにイーアンは湯を沸かすところから、茶葉と茶器の用意をして、お茶を淹れた。お茶を運んで、近い椅子に掛ける二人。
「昨日と同じなのですけど、お菓子があるので良かったら」
荷物の中から菓子を取り出して、イーアンはタンクラッドに勧めた。職人は嬉しそうに、優しい笑みを浮かべて『待っていた』と一つ摘んで口に入れる。
「そうでした。今日は他にもお土産があるのです」
思い出したイーアンは腰袋から一つの牙を取り出した。タンクラッドはそれを見つめて、イーアンの目に視線を合わせる。
「これは、龍の牙です。多分、これを持っていれば魔物に遭遇しないと思うのです。
タンクラッドはご自分で石を採りに出かけるでしょう?イオライの岩山で、私も魔物を知りました。とても危ないから、是非、持ってお出かけになってほしいのです」
これだったら、いやな気遣いじゃないかなとイーアンなりに考えたお土産。
片耳が不自由だからと、女性に付き添われて行くなんて男の人は嫌だろう、とドルドレンに言われて、それなら龍の牙を持たせればと思った。
それでも余計なお世話か分からないが、イーアンが牙を差し出すと、タンクラッドは少し口を開けたままイーアンを見つめていた。その時間が10秒を越えた時、この反応にどう対処したら良いのか困ったイーアンは、机に牙を置こうとした。
タンクラッドの手が素早く動き、イーアンの手を掴む。牙を持った手を大きな手がしっかり掴み、驚いているイーアンの目を捉える。
「こんなに貴重なものを。俺にくれるのか」
イーアンの手を、両手でそっと挟んだタンクラッドは牙を受け取る。受け取っても手を握ったまま、瞳を見つめたまま、心の奥まで見通すように職人は動かなかった。どうしてか、イーアンも固まってしまって動けなかった。怖くはないが、何かとても、大切な気がして動けなくなっていた。
「イーアン。龍の牙なんて大変貴重なものだ。それを俺の仕事の採石のために」
「これしか思いつかなかったのです。ご一緒できたらとも思いました。でもそれでは足手まといになるし、失礼だし。だからせめて、安全であってほしいので、これを連れて行ってやって下さい」
「お前が俺に付き添いたかったと。昨日会ったばかりの俺に。イオライの山は危険だと知っていてか」
「知っています。だからそう、私が同行なんて身の程知らずで浅はかですけれど。だけど、あんな魔物が沢山いる場所に、タンクラッドは行くんだと思ったら、怖くて」
イーアンは言いながら気がつく。何だか自分が、非常におかしな言い方をしていることに。あれ?何か変な言い方になってる気がする・・・・・ 普通に心配しているだけなんだけれど、何だか誤解を生むような。
ちらっとタンクラッドを見ると、若干、誤解され気味の表情に変わった気がする。む、まずい。やはり地雷を自爆でやった気がする。
話を逸らそう。このままだと地雷自爆が増えかねないと判断したイーアン。何度も同じような気持ちの内容を説明する時、言えば言うほど上塗りが厚くなってしまう。
「とにかくですね。これを持っていらして下さい。きっとお守りになります。
それで、親父さんの話なのですけど、昨日ドルドレンが、親父さんに剣を作ってもらった話をしていまして」
「おお。そうだ。それも話そうと思っていた。あの剣はここに・・・・・ あ。いや、牙のことだが。これはじゃ、受け取っておこう。ありがとう。いつも持っていくことにする」
タンクラッドの切れ長の目が、優しさに満ちてイーアンを見つめる。彼もかなり良いお顔立ちなので、この手の微笑みは、女性が溶けるか倒れる。家に帰って白飯を、おかずなしでこれで食べれるレベル(※漬物ではなく)では、と思う。
そんな貴重な笑顔に、有難くイーアンは感謝しつつ。ニッコリ、ちょっと頑張り気味に、地雷手前で足を浮かせるくらいの笑顔に留める。
「で、剣だな。あれは昨日サージに見せてもらって預かった。見るか」
驚くぞ、と立ち上がったタンクラッドは、同じように椅子を立つイーアンの背に手を当てて、工房の奥へ連れて行った。背中を押される頻度が9割くらいのような気がするイーアンだが、これはこういう癖かと理解して、とりあえず気にしないことにする。
工房で作った剣を、沢山掛けてある置き場から、タンクラッドは一本の剣を引き出した。
「ああっ!」
思わず声を上げるイーアン。振り向いたタンクラッドが右手に持つその剣は。まさに自分が思っていた通りの、そのままの剣だった。ドルドレンの剣、黒い両刃に銀の剣身。
「昨日。サージに聞いた。イーアンの絵を見せてもらって、親父が作ってみて懸念のある場所の話も聞いた。絵をじっくり見た後、俺には融合できる気がした。朝、既に角は金属化することを知ったから、火を入れて叩き直した。それがこれだ」
両手で口を覆っていたイーアンは、ゆっくり近づいて、タンクラッドの手に握られた長剣を間近で見つめる。まさにこれだ。まさにこの状態の剣を思い描いていた。どこまで繋ぎ目もなく出来るのだろう、とそれが心配だったものが、望んだとおりに一体になって、恐ろしいほど美しく、無敵の剣に見える。
「これだろ。お前が見たかったのは」
剣に目を丸くし、ひたすら見つめて言葉を失うイーアンに、満足そうにタンクラッドは声をかけた。『これです・・・・・ 』イーアンは目の前にある剣が信じられなかった。凄いことが起こったのは分かった。剣から、それを持つ頼もしい職人の焦げ茶色の瞳に視線を移し、頭をゆっくり振る。
「あなたは。タンクラッド・・・・・ 」
そこまで言うと、イーアンは感動と感激に両腕を広げて、職人の広い胸を抱き締めた。ぎゅっと抱き締めて『何て素晴らしい。凄い職人です。有難うございます。本当に有難う』この言葉を何度も、これしか言う言葉を知らないように、イーアンは呟いて感謝する。
感激で抱きついたイーアンに戸惑ったタンクラッドだったが、すぐに剣を置いてイーアンを抱き返した。自分の胸に頭を寄せて、胴に回した両腕をしっかり自分の背中に当てる、会ったばかりの・・・風変わりな女性の喜びを、タンクラッドは素直に嬉しく思った。
毛皮を着ても細い背中。美しい服に身を包んでいても、剣に感動するような女性の小さな体。誰かに抱き締められるなんて、何十年ぶりなのか。大きく力強い手で抱き返して、柔らかい螺旋の髪を撫でて、その笑顔の頬をそっと指でなぞる。イーアンの温もりに満足するタンクラッド。
「お前は剣で感動するのか」
「剣も、です。素晴らしい匠の技術に感服します。素晴らしい豊かな美しさには感動します」
「これほど喜ばれるとは。しかし面白い試みだ。俺も作り甲斐があった」
「これはドルドレンに渡す剣です。彼はこれで魔物をもっと倒すでしょう」
胴につけた頭を離して、自分を見上げるイーアンの優しい笑顔が、ドルドレンの剣を喜ぶ表情になる。タンクラッドは少し気持ちが引き戻された。
「あ。そうか。これは総長の。彼が使う剣だったのか」
イーアンは腕を解いてニッコリ笑う。本当に嬉しそうに、剣に目を移して、まさしくこの剣ですと囁いた。
タンクラッドは意識を戻し、それはそうだよな、と心の中で呟いた。剣を使う、相手がいるからこその依頼なんだから・・・と。でもそのことを認める自分の息苦しさが、自分をこれから困らせるのも分かっていた。
お読み頂有難うございます。
 




