255. 明日の準備
支部の裏庭に降りて、龍にお礼を沢山伝える。龍もちょっと満足そうだった。
明日もイオライですと伝えるイーアンに、龍は顔をすり寄せてから空へ戻って行った。
「イーアンと一緒にいるのが普通なんだろうな」
荷物を持ったドルドレンは、龍の小さくなる姿を見送りながら呟く。イーアンも同意した。『私はあれの側にずっとはいないのでしょう。いつかまたお別れしないと』そんな時が来るんですねと寂しそうに言うイーアン。
「その時は、世界から魔物が消えて。俺たちが平和に、幸せに暮らす時だ」
ドルドレンはイーアンを抱き寄せて、一緒に建物の中に入った。
イーアンとドルドレンは一度、寝室で荷物を置いた。
ドルドレンは袋の中から、『宝』とイーアンが呼んだ棒と、借りてきた数冊の本を出した。それらを机の上に置いて眺める。ベッドに腰掛けて、イーアンに質問した。
「イーアン。なぜあの板を見て、あの場所を知ったのだ」
「板の木目が。水のようではありませんでしたか」
そう思う、とドルドレンが答えると、イーアンはあれは川だと教えた。
「上から見た時の川の形状と、とても似ていました。だから間違いなく川だと思いました。板は、一枚ずつ、書庫の東から西に並んでいた本棚のものを取って並べたので、その順番と方角を合わせたら、あの前を流れる川の形と一致しました。
あの板の西のほう4枚目。その木目の右側に、なぜか穴が開いていました。人為的な穴です。場所は川の形から見て、覚えました。丘の上なのか、それとも洞窟のようなものか、そこまでは分かりませんでしたが、近くへ行けば分かると思って」
「そうだったのか。とんでもないことを思いつくものだ。さすが俺の奥さんだ」
イーアンは笑って、ドルドレンに寄りかかる。『宝物がある、とそれを直感で感じたときの方が面白かったです』これ、と白い棒を手に取る。ドルドレンもその棒の片方を触って、不思議な棒だと呟く。
「これ。どうやって使うのだろう。本と言ったな」
多分ね、と言うと、イーアンは一冊の本を引っ張った。ドルドレンが借りてきた本の中に、文字の本があるのを見ていたので、イーアンはそれを開く。
「そんなの読めるのか?」
「いいえ、まさか」
でも。イーアンがちょっと呟いてから、暫くページをめくり続け、ぴたっと止まったページには。
「この表は」
「ドルドレンの出番はここからです。表の示す文字は、ここの文字です。でも分けられている法則・・・それを指示している数字があります。これ。この数字と、この欄の文字は同じものを示しています」
イーアンが言うには、この暗号化されているように見える文字は、実は暗号ではないという。自分の腰につけたナイフを取り出し、握りにびっしり刻まれた模様を見せて、棒と同じであることを教えた。
「前。何だかこの配列が気になったのです。何か情報が入っているのではないかと思いました。
ただナイフの方が、少し古いのか。それとも作った者が人ではないのか。並び方が複雑で韻律と言いましょうか、その共通する繰り返しの規則が分からないのです。
でも今回、この棒を見た時に、やはりこれが何かの情報であると分かりました。こちらの方が分かりやすいです。線が入っています。この縦線の中にある数字を拾います。それと、数字が横線のどこにあるかを記録します。そうすると思うに」
「文が出てくると?こんな僅かな短い文字で作られる文?」
「短いかどうかは、やってみてのお楽しみです。ディアンタは相当な知恵者の集まりでしたから、すごいことを考える人がいたものです」
これを読むのは退屈しなさそう、とイーアンはカラカラ笑った。『ゆっくり、時々、読みましょう。絶対に導いてくれます』賢そうに光る鳶色の瞳。ドルドレンはイーアンをぎゅっと抱き締めて頬ずりした。
「イーアンは本当に。イーアンが俺の宝だ」
イーアンといるほうが退屈しないとドルドレンが笑う。二人は抱き合って、いろんな出来事を思い出す。毎日いろんなことがあって、すごく時間が早く感じる。
「明日はイオライセオダ。ドルドレン、お疲れではない?」
「どんなに疲れていても、一人では行かせたくない」
あまり無理させてはとイーアンは微笑む。ドルドレンは心配が尽きないで待ってるより、一緒のほうがいいと言う。『だけど』ドルドレンも言い淀む。
「俺に仕事が始まると、イーアンが一人で行くこともあるかも。イヤだな」
「出来るだけ、龍と一緒にいます。事情を説明して、ほら。昨日のお父さんみたいに、龍に同席を頼むの」
そんなことを話していると、寝室の扉をノックされる。ドルドレンはイーアンにキスしてから立ち上がり、扉を開ける。
ブラスケッドが立っていて『戻ったな。ちょっといいか』と笑顔で言う。ドルドレンは仏頂面で温度も低く『また今度な』とすげなく断る。笑い出すブラスケッドにつられて、イーアンも笑ってしまった。
「お。イーアン。昨日は随分魅力全開だったが。今日は厚着だな」
ドルドレンが立ちはだかり、その場で用を言えと要求した。ドルドレンを無視したブラスケッドは、クローハル並みにすり抜け、部屋へ入る。
「どうだった。剣工房は」
「有難うございました。手紙に2名と指示があったので、申し訳ないと思いましたがドルドレンと二人で伺いました。タンクラッドさんにお会いして、明日も行きます」
「そうか。無事に会えたなら良かった。あいつに宜しく言っておいてくれ。俺を外すとは。分かっているが嫌なヤツだ」
「・・・・・ブラスケッドの友達ですか」
そういうことだ、とブラスケッドは口角を吊り上げた。イオライセオダで2軒目の剣工房なんて、あいつしかいないだろうと思ったとブラスケッドは言う。
言われて見れば。歳が。たぶんブラスケッドと同じか、一つ違うくらい。それに気がつくイーアン。ドルドレンも気がついたらしく、扉を開けたまま、椅子に掛けた。
「昔な。あいつも騎士修道会にいた。入って早々、鍛冶屋になると言って結局いまもそれだ。イオライが気に入ってるんだろうな。その後、結婚したがタンクラッドはあんな具合だから。分かるだろ?金属と剣しか興味がないからな。10年もした頃。愛想尽かされちまって奥さん子供が出てって」
終わり、と片手を払うブラスケッド。
「そっからは、ずっと剣ばっかりだ。剣とひたすら生きて・・・多分、結婚生活より剣との方が長いだろうな」
ハハハと笑う片目の騎士に、イーアンはぜんぜん関係ないことだけどと思い出しつつ質問する。
「タンクラッドさんは、どうも耳が。右の耳に支障があるようなのですが。ご存知ですか」
「ああ。耳?大したことじゃない。単に2年前かな。何か採石した時に岩の轟音か何かでやられて、って。最近だろ。岩が当たったわけではないと思うが、あいつは一人で鉱石を採るから」
それを聞いたイーアンはちょっと心配が過ぎる。2年前。魔物が相手だったのではないかと思うが、確かめる術もないし、聴力が戻らないならそれも仕方ない。
ついさっき、自分の痣が治った場所へ連れて行くことも出来るだろうが、それが必ずタメになると言いきれないから、軽率な動きも出来ない。
「そうでしたか。今後もお話しする機会があるので、それで注意しようと思いました」
イーアンがそう答えると、ブラスケッドは頷いた。それからイーアンをじっと見て、フフンと笑う。
「明日。また行くんだな」 「そうです。今日持ち込んだ素材に、彼は関心を持ってくれました」
「そう。それは何よりだ。俺も一緒に行けなくて残念だが、あいつの剣を鍛えてくれ」
ブラスケッドはそれだけ言うと、『明日またな』と言い残して出て行った。終始黙っていたドルドレンは、扉を閉めてからイーアンを見る。
「今のは何だったんだろう」
『剣を鍛えて』そんな意味は分からないので、イーアンも肩をすくめる。あれだけの職人歴のある人に、どうしてそんなことをと思ったが。ブラスケッドは友達だから、もしかしたらいろいろ思うのかもなと。そういうことで片付ける。
この後、午後はまだ夕方くらいだが、風呂に行って見てみるともう入れそうだと分かったので、早めの風呂をイーアンは済ませた。
着替えはきちんと無害なものにした。体の線にぴったりだけど、少し硬めの生地で仕立ててあるドレスタイプの服。全体は深いココア・ブラウンなのに、金色の縁取りと随所にある金糸と赤い石の刺繍で、とても上品な華やかさがある。昨日の服に、立ち襟と、腿まで切り込みの深く入った横部分があるだけで、非常に綺麗なラインを出す服だった。
無害だけど。ドルドレンには刺激があるようで、毎日恋に堕ちてくれては、抱き締めて誉めてくれる。とても良い旦那さんにイーアンは感謝する。
ドルドレンがお風呂の間に、明日の用意をすることにして。イーアンは工房へ行った。暖炉がついていないので部屋は冷えているが、とりあえず明日運ぶものを用意する。
工房で明日の準備をしていると、扉が叩かれた。声をかけるより早く、『スウィーニーです』と聞こえて、すぐに扉を開けるイーアン。
「あ。イーアン。あの・・・・・ これ」
風呂上りのイーアンに、暫く見つめて少し緊張気味のスウィーニー。
鎧を付けたままのスウィーニーは、中へ入っていいかと言う。この人は工房初めてかなと思ったイーアンは『今日は寒いですが』と中へ通した。
「私も今ここへ来たので。暖炉の火を熾しましょう」
イーアンが暖炉に屈もうとすると、スウィーニーは急いで断った。『あ、いや良い。ちょっと中を見たかっただけだから』少し恥ずかしそうにしているので、スウィーニーは真面目なんだなと思うイーアン。
すぐですよと笑って、とりあえず熾きから火を立たせる。
「鎧。外されてから、もう一度いらしたら。水を少しにすれば、沸くのも早いでしょう。お茶を淹れてお待ちできます」
大柄なスウィーニーが、目も合わせずに子供のようにうろたえているので、イーアンは促すが。スウィーニーは木箱を作業机に置いて、なにやらぶつぶつ言い、態度は慌てているようだった。
「そう。そうですね。では鎧を外してきます。お邪魔でなければ」
「ええ。どうぞ。お疲れでしょうから、鎧を外していらして下さい」
スウィーニーはほとんどイーアンと目を合わせずに出て行った。イーアンは、早めにお茶をと思い、表の水を鍋に入れて暖炉の中の棒にかけた。
机に置かれた木箱。名前が。ドルドレンが教えてくれたその文字で、自分の名前が綴られているのを見る。しっかりと大きく書かれていて、横の赤い文字は分からなかった(※呪い)。
火が盛んになってきて、湯の音が聞こえる頃、スウィーニーが戻ってきた。中へ通して、寒かったら暖炉の側へと勧めたが、彼は出入り口付近の椅子で充分と答えた。
お茶を淹れて渡し、新年の挨拶をすると、思い出した様子でスウィーニーも挨拶した。
「いろいろとあって。礼儀がなってなくてすまない。この箱は、叔母さんがイーアンへと持たせたものです。受け取って下さい」
「あら。そうでしたか」
そんなこと聞かなかったなと思いつつ、ドルドレンが来てから今日の話をするかどうか決めることにして。イーアンは釘を打たれた木箱に工具を使う。
「あ。危ないから。私がやりましょう」
「大丈夫ですよ。このくらい私も出来ますもの」
釘抜きの工具をスウィーニーが取ろうとして、イーアンの手を掴んだ。イーアンは、大丈夫大丈夫と掴まれたまま(気にしない)作業する。『これで危なかったら、魔物触っていませんから』ハハハと笑うイーアンに、スウィーニーはちょっと微笑んだ。
なぜかスウィーニーに拳を掴まれたまま、イーアンは釘を抜いた。釘を抜くと、スウィーニーも手を離した。相乗効果で早く釘が抜けた気もしないが、とりあえずは蓋を開ける。
中にはお菓子と食材が入っていて、一通の手紙があった。
「わぁ」
嬉しくなったイーアンはお菓子や食べ物を取り出して、手紙をそっと手に持って胸につけた。『嬉しいです。ドルドレンにも見せなきゃ』ニコニコしながらイーアンが言うと、スウィーニーはちょっと寂しそうに頷いて、そうですねと答えた。
「イーアンは良いですね。総長がいて」
「はい。彼が大切にしてくれるので、私もこうして生きていられるのです」
「私も。イーアンと総長を見ていると、とても羨ましくなります。だから」
スウィーニーが最後まで言い切る前に、扉が開いて総長が入ってきた。『ぬ。なぜスウィーニーがここに』眉根を寄せるドルドレンに、イーアンが駆け寄る。
「もう。すぐそうやって威嚇して。違うでしょう、これを持って来て下さいました」
ドルドレンの腕にくっ付いたイーアンが、ほら見て、と木箱を指差す。ドルドレンもそれを見て、一発で叔母さんのものと見抜く(横の呪い)。とりあえずくっ付くイーアンの頭を撫でながら、ちゅーっと頭にキスをする。スウィーニーが目をかっぴろげて凝視するのは気にしない(パパ似)。
「そうだ。今日な。お前の叔母さんのところにイーアンと行った」
「えっ!今日?叔母さんに会ったんですか」
驚くスウィーニーにドルドレンは淡々と。かいつまんで。あまり刺激を受けさせない程度に、毛布に包む言い方で分かりにくく伝えた。
スウィーニーの表情が暗くなる。理由を知っているだけに、二人は慰めるわけにも行かず、とにかくイーアンの菓子を届けて喜ばれたことだけは強調しておいた。
スウィーニーは疲労が一気に襲ったらしく、肩を落として自室へ戻ると言い、帰って行った。
「悪いことしただろうか」
「そんなことありません。だって私たち、知らなかったのですもの」
二人は工房でお茶を飲んで、明日の支度を終わらせた後は夕食をとって、寝室へ行った。イオライセオダが20分くらいで着くとわかったので、ドルドレンは夜が長く出来ると大喜びだった。
イーアンに指導を受けながら、できるだけ燃え上がらないように制御されながらの励みだったが、これはこれでドルドレンには楽しい夜だった。いろんな意味で燃えるものだな、と様々な扉をくぐる発見を喜んでいた。
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