2549. ドルドレンの二日間・ティヤー本島西部の聖地、一の家族到着・『お母さんの歌』を
オーリンがルオロフと、コアリーヂニーの工房で少し長居して、『イーアンの戦歴』を話す夕方。
宿では爆睡したクフムが起きて、食事を与えたミレイオが思いつきで『あんたのティヤー僧服を見せて』と自然体を装って頼み、宿預かり(※馬車に置かず、宿保管で)の僧服を触らないよう観察しながら・・・服から全く何も感じない、怪しさゼロ状態を怪訝に思った、その頃。
ドルドレンは、馬車の家族と共に移動して、この日も夕方を迎える。
だが、ドルドレン自体には時間を感じることが殆どないため、『出発から二日目』の意識もない。
犬の霊、精霊ポルトカリフティグ、そして五台の馬車と『太陽の手綱』20人。死者は、ポルトカリフティグが浄化したので、遺体はすでになく、遺品のみ。浄化した後に遺された、それぞれの品。
聖地へ向かう彼らを守り、ドルドレンとトラの精霊は行く道に付き添い、犬の霊も馬車に宿って、自分の家族を見張った。
ポルトカリフティグに、畏怖と遠慮の消えない家族が、いつ断るか分からないから。
―――そう。彼ら家族は、納得していない。
ドルドレンが到着した時に応じたのは、犬の霊が先だった。ドルドレンがトラの精霊と共に現れたことで、犬の霊はドルドレンの身元を確認し、『ハイザンジェル馬車の家族(※勇者とは言わなかった)』と知って、人の言葉で説得を手伝うよう頼んだ。
そのつもりで来たドルドレンは、犬の霊が保護した人々に会い、自己紹介を通して『ウィハニの女から事情を聞いた』ことを前置きに、精霊が再度訪れた大きな意味をそれとなく突き付けた。
優しく思い遣りある精霊の申し出を、抱く罪悪感から一度は断った後でも。
ウィハニの女が馬の命を取り留め、犬の霊が自分たちを守り、精霊に加護を伝えられた結果、再び大きな精霊が人間付き(※ドルドレン)で自分たちを守りに訪れたとなると、罪悪感があれど断るに難しい。
渋々、とはおかしな表現だが、生き残った家族たちは、事の大きさを認めざるを得ず、聖地までの同道をお願いした。
―――『ドルドレン。罪を犯した人間は、罪を認めると恥じる。彼らは後ろめたい。家族が唆しに応じた事情を抱え、私に裁かれることを恐れる(※2531話参照)』
ポルトカリフティグは、彼らの拒否する心理状況もその理由も知っている。
だが、彼らは決して胸襟を開かず(※2536話参照)、また、ポルトカリフティグも言わなかった。無論、ドルドレンも黙っていたし、犬の霊も同じく。
犬の霊は、イーアンから少し事情を聞いたが、自分が現れた『家族を守りたい』気持ちに集中した。
一つでも触れたら、彼らの怯えを引き出しかねない。そのくらい、移動中の声も少なく、表情はおどおどとし続け、本来緊張する必要ない相手に、神経を張り詰めていた。
だから、移動している間。ドルドレンは、ほぼ無言。ポルトカリフティグも無言。
先頭の馬車の横を歩くが、馬車の御者はこちらを見なかった。後続の馬車から、稀に声が聞こえることもあったが、それは空耳に近いもので、会話と呼ぶには足りない短さ。
ポルトカリフティグが来た時点で、馬車も直ったのに。馬は4頭だけが生き延びたので、馬車一台につき一頭とし、五台目の馬車は精霊の力で馬を使わずして、見えない牽引をされながら移動している。
死者と共に死んだ馬たちも浄化されたし、倒れ壊れた馬車も元通りになったし、目的地まで何の邪魔もなく移動しているというのに、馬車の家族は精霊にもドルドレンにも、話しかけることなく終わる。
進みっぱなしの二日間を経て、夜が広がる時刻。ポルトカリフティグは足を止めた。
トラの足が止まったので、馬車も手綱を引く。通り過ぎる風景は、皆、似たり寄ったりの繰り返しだったが、ある地点から荒涼とした雰囲気が増え、遠くに海の水平線を臨む風景が続いた、その終点が『聖地』。
『馬の負担を省いた。お前たちと馬の食べる物、水は』
「あります。大丈夫です」
『・・・足りなかったら、石の根元を掘りなさい。そこに食事を詰めた包みと、水を湛える壺があるだろう。壺の水は、この場所から出さなければ減らない。水を外に撒くと馬の食べる草が生え、水を石の上から注ぐと清水が伝う』
優しいトラの精霊は、即答で拒否した馬車の家族に、必要なことを教えてやる。馬車を降りて前に集まった人たちは、俯いて頭を揺らしているが、お礼を言う態度には見えない。ドルドレンは、トラの背を降りる。
彼らが、真面目過ぎるにしても。
精霊に対して、大きな畏怖を日頃から持つにしても。
すっと息を吸い込み、一言注意をしようとしたドルドレンだが、トラの緑の瞳が自分に向いた。
『ドルドレン。次の家族を迎えに行く』
「はい。その前に」
『良いのだ』
トラはドルドレンに言わせないよう止める。犬の霊がふわりと動き、二人の前に来て、普通の犬の姿に戻った。
おや、と思ったドルドレンに顔を上げた犬は、精霊と彼を交互に見て『有難う』と言った。
犬の霊だけが、心からの礼を・・・ 何とも言えない気持ちで、黒髪の騎士はその頭に手を置いて『お前がいなかったら恐ろしいことになっただろう。よく呼んでくれた。デュフ・カッチェル(※1611話参照)』と微笑んだ。
テイワグナでも導いた犬の霊を思い、その呼び名を伝えると、犬は嬉しそうに黒髪の騎士を見上げた。
犬の姿をとった霊は、導きに感謝を伝え、また霊体に戻る。4頭の馬たちも精霊を見つめており、ドルドレンは生き残った馬たちに手をそっと振った。だが、馬車の家族は一人としてこちらを見ることなく、また、別れの挨拶すらなかった。
乗りなさいと促すトラに、ドルドレンも遣る瀬無い思いを押さえ、背に跨る。
離れたところは暗くてよく分からないけれど、『聖地』は岩がむき出しの硬い地面で、ところどころに草が生え、離れた木々がひっそり囲むように影を作る。遺跡に似た大きな立て岩が地面に突き刺さっていて、サブ・フネララの縮小のように感じた(※1612話参照)。
ここは本島の西。遠くに海が見えるということは、どこかの海岸近くなのだろう、とドルドレンはトラの背から見渡す。本島で、人も来ない手つかずの聖地があるとは・・・ ここもまた、サブ・フネララ同様に、限られた者しか立ち入れないのかもしれない。
そんなことを思う勇者を乗せて、トラはゆったり動く。
後味の悪い別れ。助けることを恩着せがましくしたくはないが―――
トラが数mほど進んだ時、一番端にあった馬車の横を、誰かがすり抜けて近づいた。
歩みを緩めた橙色の精霊と、振り向いた黒髪の男に近寄ったのは、一人の少女。すぐに、その子の動きを咎める声が飛んできたが、ドルドレンが頷くと、トラの背に跨る彼に、少女は組んだ両手伸ばした。
それは小さなお守りのようで・・・ ドルドレンは目を凝らして、少女の開いた両手の上に乗る、不思議な小石に手を伸ばす。
『お母さんの歌が、聴こえるの。歌は勇者にあげる歌』
馬車の言葉で伝えた、驚く一言。ドルドレンは手に取りかけて止まる。『お母さん?大事なものだ。俺は』そう言いかけて、少女の大きな目に涙が浮かび、戸惑う。
『もしや。お前の母は』
『お母さんは、歌を勇者にあげると言った。あなたが勇者でしょ?精霊が許した勇者。闇の住人から離れたら、許される』
ドルドレンの浮いた手に、少女は小石を握らせ、『有難う』と涙を頬に落として戻って行った。ドルドレンは呼び止めたかったが、足早に来た大人たちは、彼女を引き離すように馬車に戻したので、余計なことはやめた。
トラは黙ってまた歩き出す。あっという間に遠ざかる聖地を、一度だけ振り返ったドルドレンは、その後ずっと・・・握りしめた石に籠められた『許された』意味を考えた。
*****
「お母さんの歌、と彼女は言ったのだ」
『母親は死んだ。もし生きていたら、母親がお前に歌を届けた』
「ポルトカリフティグ。この石に、歌が入っているのだろうか」
『よく見なさい。それは石ではなく、骨で出来ている』
骨? ぎょっとして握ったままの手を少し緩める。一瞬、母親の骨かと過ったが、そうではないとすぐに理解した。
トラはほんのり発光しているし、ドルドレンの首元のビルガメスの毛も光る。少し見づらいが、その明りに照らした石は、うっすらと白さを帯びる黄色に近い。そしてドルドレンはこれが何の骨か、形状で思い出す。
「馬・・・の骨では」
馬の膝にある、小さな骨―― 魔物で倒れた馬たちを、支部の近くで火葬した時、最後に残った骨を集めて埋める際に、何度も見た。
ウィアド(※ドルドレンの馬)は無事だったが、自分の馬を失くして生き残った騎士は、馬の遺骨を抱きしめて泣いていた。ドルドレンも側について、骨となった馬たちを見つめながら悲しみを分かち合った。
・・・とはいえ、小さな骨。馬かどうかは断定できないが、あの形に似ていると思った。
落とさないように注意し、手の平の内で角度を変えてよく見ると、一部透けている個所がある。だがそれだけで、何が刻まれているわけでもない。
「次の家族もまた。先の者たちと同じように、ポルトカリフティグを避けるだろうか」
『避けるかもしれない。・・・骨の意味を聞きたいのだな』
「歌として、渡されたのだ。少女はまだ幼いのに、自分の母が託した重大な機会を理解していた。母が亡くなった後、母の声が聴こえるこれを、できれば肌身離さず持っていたかっただろう。それなのに、あの幼さで使命を先に立てた。
与った俺は、一日でも早くその想いに応え、歌を聴かねばならない」
『私はお前が勇者で良かったと、心から常に思う』
大きな頭をゆっくりと後ろに向けた精霊は、悲しそうに微笑んだドルドレンに『次で、歌が響く』と教えた。
意味深な言葉は、励ましだけに思えず。行けば分かるのだと感じたドルドレンは、それ以上を聞き出すことなく、トラにお礼を言った。
「次の家族は、また遠くにいるのか」
『この島にいない。海を跨いで迎えに行く』
地続きでもない、島ばかりのティヤーで。ポルトカリフティグは、穏やかにそう話す。精霊に何も無理はないと、背に乗るドルドレンも思う。
橙色の柔らかい明かりに包まれる大きな精霊のトラは、背中に勇者を乗せて、波が揺れる海面に足を濡らすことなく歩き続けた。
静かな波をきらめかせる月明りを上に、海を歩く精霊の橙色はさながら、海上に揺れるランタンの如く。




