2512. 半月間 ~⑮ラィービー島手合わせ・獅子の追跡・荷箱取戻しの続き
二人の距離は5mほど。ゆらっと男の腕が動き、杖が持ち上がった瞬間、ルオロフは跳躍で一階の屋根へ飛び移った。その速さ、人の技ではないように。
「ほぅ・・・ 」
見上げた男は驚いたのか、しかし面白げに表情が歪み、ルオロフは大きく息を吐いて『お前だな』と犯罪を決定した。
「とりあえず。私はお前を押さえることにしよう。容赦しないから暴れるな」
ルオロフの警告と予告。男は、フッと笑って『何を根拠に』と答えかけ、次の言葉の前に飛びのいた。赤毛が目を掠め、杖を奪われた。
ジャッと音を立てた男の足元に、魔物の死骸。前に、杖を奪った赤毛の若者。自分を狙う相手から視線を外さず、男はすとんと魔物に腰を下ろして、後ろ手に何か動かした。
『待たないんだ、私は』赤毛の姿が掻き消えたと同時、男の右耳に聞こえた声。急いで身を翻した男から、ルオロフが素早く離れ、舌打ちする。男の右手に魔物の脚一本・・・ 男は半腰の前傾姿勢で若者を見据えた。
「すさまじい。その動き、人間か?」
呆れて笑った男は、魔物の鋭利な脚をもぎ取り、これをルオロフに当てた、はず。だがルオロフは避け、無傷。しかし赤毛の貴族は、生意気な相手に不満げな目つきを向けて答えた。
「残念ながら、私は人間枠だ」
「そうか。ではあなたの仲間は、さぞ」
「私など、足下に及ばない。お前の動きも、ただの信徒に似合わないな」
ルオロフの手に握られた杖は、その言葉と共に投げられ、杖は二階の窓と窓の間の壁にガツッと刺さった。視線を動かした男は、次の瞬間、赤毛の若者がその杖に飛び乗った姿を見て目を丸くする。
ルオロフが杖の上に乗った数秒、落ちる杖と一緒にルオロフは下に着地し、着地と同時に掻き消え、男の右腕が捻られた。うっ、と呻いた声に『二階に死体が。彼らを殺したな?』抑揚のない質問が重なり、男の腕はがっちり固定される。
「見えた部屋は血の海だ」
「服に、血の一滴もついていない私が、殺したと」
「魔物を倒すその動きなら、可能だ。僧兵」
『僧兵』とルオロフに言われた途端、腕を押さえられていた男が身体を捻り、真横のルオロフに膝を打ち込む。素早いが、膝は相手の服にも当たらず、その膝をルオロフは踏んで押し下げ、男の身体を地面に組伏せた。
『この野郎』悪態が漏れ、男がルオロフの固定を力ずくで抜き、鷲掴みの手を伸ばす。しかし、掴みかけ、すり抜けられ、その間にルオロフはもう片腕を取り、肩の関節を外した。同時に男は、もう片腕を下から突き上げるが、これもルオロフに捻られて肩を抜かれる。
だらっと両腕が揺れるその腹を、ルオロフは蹴った。男の体が館の壁に当たり、膝をつく。ルオロフの片足がひゅっとまた伸び、垂れた手から魔物の脚を蹴り払った。男の目に怒りが浮かぶ。
「くそ。ガキが」
「信徒の割には、口が悪い」
まさかの『やられる状態』に焦る男を、向かいに立ったルオロフが不思議そうに眺める。
「信徒、か。僧兵も確かに、信徒だ。お前の動きは、戦い慣れを隠せない。・・・私は容赦しない。もう一度言おう」
赤毛で、体の細い白い肌の若者は、宣告して―― 睨みながら口を閉じかけた男に、杖頭を突っ込んだ。ガゴッと鈍い音と共に喉を突いた杖。
ぐぅ、の漏れる声の続き、男は白目をむき、壁に頭を滑らせながら倒れた。
「悪くない動きだったが、ロゼールの方がずっと良い動きだな」
男が気を失ったのを確認し、ルオロフは杖を抜く。歯が何本か一緒に落ち、血が垂れ、口が切れているのを見下ろし、『祈ったら治りそうだ』静かに呟いて杖を放る。
それから近くの蔦を引っ張ってきて、男の腕と足をまとめ、魔物の甲羅を一枚、剣ではがしてその上に男を乗せ、ルオロフはこれを引きずりながら、まずは船に戻ることにした。中も調べたいが、人が殺されていると知らされて、うかうか立ち入る気はない。
「剣は・・・やっぱり使わなかったな」
魔物の甲羅を剥がしただけでと呟く、帰り道。
直に触ったら危ないこともあると、イーアンが話していたからな、とか。今の私は人間だから、魔物でかぶれるかもしれない、とか。ルオロフの独り言は、事件と関係ない内容が続く。
ただ、頭の中には『盗まれた荷がどこにあるか』それが消えなかったけれど。
勝者ルオロフ―――
「大丈夫そうか?」
「大丈夫だろう」
心配で見に来たタンクラッドにトゥが答え、振り向いたダルナの目に、タンクラッドは苦笑した。
「あれで人間と、彼は言い切る」
「間違っていないが、いくつか訂正がいるな」
トゥの返事が可笑しくて、タンクラッドは少し声に出して笑う。桟橋に向かって、重い男を引きずりながら進む、若い貴族を見下ろしながら。
*****
朝入った、『ホーミットの情報』は、これと繋がっているだろう。
倒した相手を引きずるルオロフの様子を、空から眺めて考える親方。
―――朝、ルオロフの在室を確認しに行ったタンクラッドが、蛻の殻の部屋と彼の一筆を見て、仲間にすぐ知らせた。
これを知り、シャンガマックが『直接関係しているか分からないが』と前置きし、『父が昨晩』と新たに受け取った情報を話した。
それは、ホーミットが結局、相手を押さえるに至らなかった結果。
逃した相手は、サブパメントゥの道具を持っていたことと、残党サブパメントゥが直に守っていたこと。
最初は『道具』で逃げられ、追跡して再度捕まえかけた時は、残党に邪魔されて終わった話だった。馬車に近づいた者は人間で、特別な能力や変化は持ち合わせていないようだった―――
「タンクラッド。ここの面倒は、あの人間だけだ。ルオロフは問題ない」
考え事に浸っていたが、ダルナに遮られ、タンクラッドも頷く。
この島から聞こえる思考を拾い上げたトゥが『面倒はあれだけ(※倒した僧兵)』と言っている以上、後はルオロフに任せておいて、事は運ぶだろうと分かる。
『放っておいても戻ってくる』と、ルオロフ放置を促すトゥに、親方も了解して、カーンソウリーへ戻った。
*****
ルオロフは片道20分の平地を、男を乗せた板を引きずって歩き、桟橋の近くまで来ると、船員を呼んだ。
その場から離れず、見張りながら呼び続ける若者に気づいた船員は、すぐに来てくれて、ルオロフの話に眉根を寄せる。
貴族の家に入っていないので中の状態を知らないが、この男が恐らく殺したと思われること、魔物も倒されていたと、最初に現場状況を教える。
それから、自分がここに一人で来た理由を、彼らに打ち明ける。
『警備隊に卸すはずの魔物製品が、ここにあると聞いて、一人で確認に来た』。
だが、調べる前に、この男の妨害を受け、先にこの不審者を倒して連れてきたので、魔物製品があるか、館をまだ調べていない、と。
毒々しい板を凝視しながら、船員4名は話し合い、二人がルオロフと残り、二人が貴族の敷地を調べに出た。
・・・気を失っていた男は呻き、少しずつ意識を戻しているため、船員は危険を避けるよう、船に積んである拘束具を男につけ、船に乗せた。
ルオロフはこの間、ずっと思っていたが、案の定の質問をされる。それは『館の住人全員を殺害し、魔物を倒したこの男を、あなたは倒したのか?』。
そうですと答え、ルオロフは『私は誓って、貴族の館の人を殺していません』と続けると、彼らは複雑そうな眼差しを向けた。疑われているとして、ルオロフはこれも当然と少し覚悟したが、船員二人は間を置いて『さすがだ』と褒めた。
何がさすが?とルオロフの面食らった様子に、『貴族の家の殺害なんて、疑っていない』『そんな男(※僧兵)を呆気なく倒したからさすがと思った』と船員は胸中を教えた。
拘束具をつけ、金属の人型入れ物(※物騒)に入れられ、鍵を掛けられた男は、床放置。
現場調査に出た仲間が戻るまで、船員二人はルオロフに『警備隊で書くことになるから』と起った出来事を先に書いてしまうよう促し、ルオロフは予想外の下書きをすることになった。
魔物製品はあるだろうか・・・ルオロフの頭の中は、ぐるぐるとそのことが巡っていた。これで、ここになかったとして。その時は、自分の無駄足と思うだけか、とも考える。総長やイーアンたちを煩わせずに済んだことを、喜べるだろう。
でも。出来れば魔物製品があってほしい―― 報告書なのか供述調書なのか、近い内容を書きながら、ルオロフは発見を願った。
そして、館へ見に行った船員が戻ってきた時、彼らは魔物製品の入っていると思しき木箱を持ち帰り、ルオロフは頭を垂れて感謝する。中の確認はしていないようで、開錠されていない・釘が抜かれていない見た目と、持ち上げた重さで『未開梱』と判断した船員は、船で開けるかを尋ね、ルオロフは断った。
警備隊に運ぶものだから、ここでは調べない。まして自分は、そこまでの権利もない。箱の中身が違うとなったら、それも問題だが。
これと、もう一つ。船員も、持ち出しに慎重になった品があり、相談して持ち帰ることに決めた袋があった。
船員が、私物の粗布に包んだ物を見せる。それは血濡れた袋で、開いた袋口から金属の筒数本と、同じ金属で出来た怪しげな塊が見えた。
「これは」
袋を覗き込んだルオロフが、船員を見上げる。船員も怪訝に首を少し傾け、武器かもしれないから押収したと話した。
「誰の持ち物か知らないが、私たちが島から離れた後に、これが残っているのは危険、と判断して」
「私もそう思います・・・」
船員とルオロフは顔を見合せて頷き、とにかく用事は済んだため、商船はラィービー島を出た。
帰りの海で、カーンソウリー島7時発の船と会い、少し止めて事件が起きたことを伝えると、7時発の船も、乗客に事情を話した後は、今日の運航を止める話になった。
*****
9時過ぎ、カーンソウリー島の埠頭に着いたルオロフと船員四人は、拘束の男を下ろして見張りをつけ、箱を持って港湾事務局に行き、事件を伝えてから馬車を借り、沿岸警備隊施設へ向かった。
男の意識は戻っていたが、彼は大人しかった。猿ぐつわと他拘束具で絡められ、人型の入れ物―― ルオロフはこれを、『体に沿う棺桶』と思った ――に入れられては、どうにもならないのもあっただろう。
ルオロフたちが警備隊施設へ入って間もなく、兵曹長と上等兵曹が来て、彼と木箱を案内した。拘束具の人物は留置所へ置かれ、これも事情聴取と教えられた。
船で下書きを作った紙を出し、ルオロフは状況を事細かに説明。
昨日の出来事から現在まで、この時初めて全部を口にした。仲間には黙っていて、自分一人で取り戻す気であった気持ちも話し、横に置かれた魔物製品の荷箱を見ると『開梱して確認をお願いします』と頼み、自分の話を終える。
質問を受けながら開梱作業が始まり、蓋を開けた内側にしっかりと強い、鎧・鎖帷子を見た警備隊は、『わっ』と驚きの声を漏らし、これはすごいと喜び、無事の戻りを感謝した。
この後。ルオロフの身元確認及び、魔物製品発見の報告の必要から、警備隊は総長を探すことになり、ルオロフは改めて報告書を書いた。のだが・・・・・
「はい?もう一度いいですか?」
素っ頓狂な声を出しかけて押さえたルオロフは、驚きながらも冷静に兵曹長に尋ねる。
報告書は書き上がり、総長を待つだけの時間に入ったその数分後に、兵曹長が持ってきた話は信じられなかった。
「約束は取り付けました」
「約束って・・・そんな、信用したのですか?あの者は」
『ウィンダルさん、ちょっと』兵曹長が、顔を真っ赤にして熱り立ちそうな若者を宥め、周囲の視線を集めているからと声を潜める。ルオロフも本来なら冷静を欠くような声を上げないが、これは訳が違う。
「殺人犯だと言ったでしょう!」
声を潜めながらも、ルオロフは遠慮ない。しーっ、と兵曹長が困って人差し指を口に当てる。『廊下へ』と促し、やりきれない若者を宥めて部屋から出した。扉を閉めるなり、廊下に出たルオロフは『なぜ』と詳細を問う。
「どうすると、拘留してわずか2時間で釈放されるんですか」
「釈放ではなく、一時引渡しです。ウィンダルさんに、判って頂けるか分かりませんが・・・神殿側の申し出は」
「申し出とは『彼が殺害した証拠も証人もない』ですか?だけど武器と見られる物が」
「あの男の武器、と断定が下せないんですよ」
「現場にあったのに?男は私に『皆が殺された』って言ったのです!あの男は館に入っているし」
「落ち着いて。殺害現場を見たかもしれませんが、それだけだと、犯行決定には直結が足りないです」
「容疑者に違いないでしょう?私もかもだけど」
「いや、ウィンダルさんは船員の供述もあるし、船員が確認した、被害者の死後経過状態と来島時刻に差が開きすぎなので、容疑がかかりませんが。でもあの男も、幾つかの状況では犯行決定に足りないんです。神殿は、男の身柄引取を要求しましたが、神殿で管理するということで、逃がしてはいないです」
ルオロフは返答に詰まる。どうやったって、あいつだろう!としか思えないのに・・・確実な証拠だ証人だとなれば、ルオロフは『自分が騒いだだけ』になりかねないのも理解しているが、その手前、いろいろ怪しすぎるし無理がありすぎる相手を、尋問もすっ飛ばし、神殿側が迎えに来たと言ってあっさり引渡しなんて信じられなかった。
「盗みは?あの男は、『箱がラィービー島にある』と知っていました。私はそれを言われて」
「そのようですが、彼が盗んだと決定でもないことで」
「どうして?可能性がある人物ですよ?!こんなことは」
「ウィンダルさん」 「ルオロフ」
怒り出した若者に、困った兵曹長の宥めと被る声が廊下に響き、名を呼ばれたルオロフは振り向く。背の高い黒髪の騎士が廊下の曲がり角から出てきて『どうしたのだ』と眉根を寄せた。
「総長!聞いて下さい」
「聞くけれど。その前に、朝っぱらから、お前は手紙一つで」
「それどころじゃないんですよ!総長、私は荷箱を取り返してきて」
「うむ。有難う(※ゆったり)」
「総長!!」
総長の両腕を掴んで訴える、赤毛の若者の狼狽えぶり。ドルドレンは、彼がこんなに取り乱すのも珍しい、と頷く。ちらと見れば隊の人も非常に困った顔を向けて、助けてとばかりの視線を貰う。
話してみなさい、何があったのだ、と廊下で諭す総長に、ルオロフが溜息を吐いて大きく頭を振り『それが』と言いかけたのを、兵曹長が『こっちで』とまた移動を頼んだ。
睨むルオロフに『他の者も聞いていますので』とお願いし、兵曹長は赤毛の若者と総長を船艇事務室へ通した。




