2498. ある『僧兵』・旅の三百六十六日目~半月間①クフム覚悟の朝
☆少し長めです。お時間のある時にでも、読んで頂けたら有難いです。
イーアンが、異界の精霊と退治を終わらせて船に戻り、夜中の甲板でまだ祝いを楽しむドルドレンたちに、『実は』と二次会の内容を話し・・・ 祝いも終えた夜更け。その、翌日―――
*****
海に揺られるアネィヨーハンから、ずっと遠くに場面は映って・・・
朝の祈りが終わり、修道院の早い朝は、一旦、自由時間に入る。
ティヤーの南部―――
小さな修道院であるここに、他の僧侶と付き合いが薄い僧侶、一人。
朝食までの自由時間は裏庭へ出て、池へ続く石畳をゆっくりと歩き、周囲を南国の木々に囲まれた池で過ごす。裏庭に出た時から、彼の考えごとは始まっている。
池に棲む生き物に、小さく千切った食事を与え、物思いに耽る短い一時。
「昔のこと過ぎて・・・全部、明快に思い出せたらいいのに」
たまに、この言葉を呟く。いつも決まって同じで、『昔のこと過ぎる。思い出したい』その意味は、声に続かない。彼は、普段から静か。話しかけられれば会話はするが、寡黙と言って間違いない。
僧侶は、おしゃべりな人間の方が少ないので、珍しくないのだが。ただ彼の場合、もう一つの理由『兵』だから、それも無口の事情に足されていた。
―――僧兵は、若い僧侶なら誰でもなるわけではなく、実戦向きの試験後、向いている者が抜擢され、一定期間訓練へ出される。訓練を修了すると修道院か神殿へ戻され、呼ばれた時だけ姿を消す。
僧兵は、いつも同じ場所にいないもので、布教職扱いで地域を移動する。
その為、顔見知りが増えそうなものだが、行った先で長く滞在することは滅多になく、また、僧兵に聞き出すなどを禁止行為とされている他の僧侶たちは、必要以外の会話を持ちかけないので・・・ 各地に移動し、少しばかりの滞在をするにも拘らず、現地の僧たちが、『顔さえ見ていない』など希薄な状態も、よくあることだった―――
そして、この朝。小さな修道院の静かな裏庭で、池の生き物を眺めながら考え事をする『僧兵』もまた、他に素性を知られることもなく、関りも薄く、を貫いている一人で。
寡黙なのは、職業柄一線を引いているからと、暗黙の了解。
彼が何を考えているかなんて、接触も控える他人が知ろうとするわけもなかった。僧兵が、民を殺す姿を見た噂も止まない最近・・・地域から動かない神職者は、同志とは言え『僧兵』に対し、無関係を通す。
―――ぽちゃ。 水面に小さい音と共に沈んだ乾燥豆を、僧兵は見送る。
すぐに魚が底から上がって、ぱくっと豆を食べた。他の魚も来る様子を眺め、ぱらぱらぽちゃぽちゃ、池の水面に乾燥豆を撒いてやると、魚はせっせと食べる。
「お前たちは、真っ直ぐだ」
人間と違って・・・ 僧兵が、人を殺す噂が増えた。噂で済んでいるのは、サブパメントゥが技を使っているから・・・殺したい放題だなと皮肉に思う。
俺の『前世の記憶』がもっと確かなら、もう少し手っ取り早い。噂を立てる人間も、まとめて片付く。
朝食を告げる鐘が鳴り、池の端に立つ僧兵は、顔を上げる。魚がもっと欲しいように水面に頭を出して引き留めるので、帯から垂らした腰袋に手を突っ込み、残っていた二粒を放った―― が。
「おっと」
放った二粒に、口を一斉に開けた魚より、早く。僧兵の体が跳び、伸ばした片手に二粒を掴んで、反対側へ着地。魚は、池を飛び越えた人間を目で追い、くれくれと、ぱちゃぱちゃ鰭で叩くが、男は腰袋にそれを戻した。
「間違えた。これは、食べたら死んでしまう・・・豆は、昼だ」
鰭で水を打つ訴えに、少しだけ口端を上げ、僧兵は修道院へ戻る。銃の弾なんか旨くないだろと頭で呟き、元気で欲しがりな魚用に、昼の豆は少し多めに残してやろうと思った。
質素な朝食は、全部食べる。熱い茶と、ティヤーの主食の揚げ生地のみ。昼はこれに、豆と芋が付き、夜は主食なしで、汁もの。
配膳されるのは、どこへ行っても同じような内容で、無論これで足りる男所帯でもないし、これは形の上での食事であるのも、一般常識。食事の戒律は緩いため、腹が満ちない者は、自分で買いに出て食べる。
僧兵は、一箇所に留まっている間は、院内でもらう食事のみ。
決められているわけではなく、肉体の維持が理由。動ける体、空腹に耐えられる体、意識は『僧侶』よりも『兵士』である。
朝食を食べ終え、他の僧侶が午前の仕事に行く中、この僧兵は借りている自室へ戻る。司祭から手紙が届いており、朝食時に受け取った。部屋で開封し、短い内容に目を通す。
なんでこの程度の内容に、こんな高い紙を使うのか。手紙の角を摘まみ、祈祷用の蝋燭で燃やした。
「北部行きか。南に、龍が来たらしいからな」
手紙の内容は、移動を急かすものだった。この前、南の群島で『ウィハニの女』が現れ、僧兵が数人殺された。
だが、殺されたのは数人ではなく、一人のはず。サブパメントゥの通路を使って、僧兵の動ける範囲が広がったのを・・・司祭たちは知っていて、他の僧兵に隠しているのか。
サブパメントゥと結束して、ここまで進んだが、通路の話題は出されたことがない。
動きが派手になった今、いつ僧兵が手の平返すかと、警戒していそうにも感じる。
―――そうか。北へ。ウィハニの女が上陸したのは、アイエラダハッドから最短の島、北部。
「本物とは聞いている。ウィハニの女が、龍に変わる姿も確認されている。神殿は未接触。海賊に先を越されただけだが・・・接触の機会と状態を考えているなら、俺が接触してもいいな。
神殿の製造も、彼女らが上陸した頃から、不具合や消失が増えた。火薬実験場も稼働休止に入ったし、偶然か、ウィハニの女の仕業か」
勘が告げる。邪魔されている気が。 俺の計画。俺の行動を。
南から逃げろと仄めかす意味もあるが、北の神官が進捗を聞きたがっている・・・とも窺える手紙。
北へ移動したら移動したで、余計な人間を減らす活動はまた行うわけで、その合間にでも来てくれと言うのか。民を片付ける活動中、『正義の味方の龍』に見つかったら。神出鬼没の龍相手、どこへ行っても、鉢合わせる可能性はあるだろう。で、あれば。
僧兵は、昼の祈りまで部屋にこもり、手紙を書く。北部の武器調達先を指定し、経費の受け渡し場所と日時、他、報告可能な時期も記入した。神殿の言葉でしか書かない手紙は、封筒の宛先に使う文字だけが、ティヤー共通語。
それから地図を見直し、航路を定めた。移動中に立ち寄る場所で、新しい情報を得る。海賊連中が屯す港が良い。国境警備隊の施設がある町も、使える。
「本物のウィハニ相手。止めるなら、餌と信頼」
側に付けるくらい、信頼されれば。首から吊るす、奇妙な骨片に指先を乗せる。『この思考遮断、龍に効くといいが』これはサブパメントゥの色が塗られた、焦げた骨片。思考遮断用に貰った、異種族の道具――
「行く道がてら、龍にも有効か聞いてみるか」
あのサブパメントゥを呼ぶ道具でもある・・・ 『どこかで、馬車の民とも会っておこう』何度も接触しているような自然な呟きも混じる。
僧兵は、インクの乾いた手紙を背負い袋にしまい、部屋を出ると、昼の食事の鐘に合わせて厨房へ行き、出発すると伝えて、乾燥豆だけ受け取った。
誰も、彼に無事を祈ることはない。修道院の僧侶たちであっても、僧兵に別れの言葉はかけない。
それも普通のことなので、僧兵はさっさと裏庭の池へ行き、豆を撒いた。
「約束だ。だが、これから出る。これだけだ」
それじゃと、魚に挨拶を済ませた男は、港へ向かった。
―――この男が、神官や司祭に『秘宝の知恵に傾倒している(※2461話参照)』と一歩引かれた人物であり、また、何年も前にクフムと会った人物であり、ザッカリアが予言した男でもある。
*****
祝い明け。クフムの朝は重かった。酒は飲まない僧侶でも、今朝の状態は二日酔いに近い。頭痛、吐き気、気持ち悪さ。寝台に横になっていても、体を起こしても、苦しさは変わらなかった。
今日、まさかの『初仕事』を伝えられた、昨夜から―――
神殿への侵入、会話を求められた。今更、自分が行く意味あるだろうかと、最初に過った。だが、あると答えられては・・・
これを言い出したのが、自分を『拘束の奴隷』と見做したイーアンなら、酷いと思っても、まだ耐える。あの人なら、世間話をしながら、私を崖下へ突き落とすだろう(※そういう印象)。
だが伝えたのは総長で、信頼を寄せていただけに、心への衝撃は激しかった。
ガンガンする頭を両手で掴み、おえっとなりそうな喉元に、急いで片手を当てる。
円い窓から差し込む朝陽は水平線より離れて、もうじき朝食が運ばれるだろうと、眉間に深い皺を刻み、クフムは唸った。呻いたというべきか。気持ち悪い、腹も痛い。頭痛は酷すぎて、片目を瞑っていないと耐えきれない。
精神的に非常に打たれ弱いクフムは、総長を恨む。なぜですか。私をこれまで守って来てくれたのは、残酷な仕打ちのためですか。私はあなたに従いました(※神に訴えるのと同じ)。そしてまた、おえっと口を押さえる。
「ザッカリア・・・私は、君の予言まで持ちそうにないよ」
天に帰った(※生きてる)彼の予告を、哀しく思い出す。『交代する相手が来る』こと。今すぐ交代したい、逃げたい怯えを抱え、それが何度も脳裏を掠めては、もう後がない今日の試練を嘆いた。
コン、とノック一回。
扉へ顔を向け、頭痛のズキンと走る痛みで『うっ』と体を前に折る。鍵はかけていなかったので、ノックの後に扉は開いた。クフムは痛みで、すぐそちらを見ることは出来なかったが、誰かが部屋に入って立ち止まる。
「辛そうだな。薬を使った方が良い」
良く通る声。この声は、と息切れしながらゆっくり、苦痛の顔を傾けると、褐色の騎士が眉根を寄せて見下ろしていた。彼の片手に食事の盆がある。
褐色の騎士は、僧侶と盆を交互に見て『食べられそうにないか』と一先ず、盆を小卓へ置いた。
「どこが痛いんだ。汗をかいている。お前、飲酒はしなかったのに」
「・・・はい。あの、仮病でもないです」
疑われている前提で、絞り出す呻きの訴え。寝台に座り前屈みに体を折るクフムの側に、跪いたシャンガマックは彼を覗き込み、小さく首を横に振った。
「仮病かどうか、見て分かる。余計な心配はするな。ちょっと待っていろ。俺が薬を作ってやろう」
「あなたが」
「俺は部族出身だ。薬草も馬車に置いてある。頭痛がするのか?息が濃いから、胃も辛いだろう。熱は・・・ないな。震えが出ている。昨日、食べた物は吐いたのか」
医者のようにすぐに診た騎士を、意外に思うものの。クフムは僅かな頷きと首横振りで、返事を合わせ、喋らなくても通じてくれたシャンガマックに感謝する。彼は立ち上がり『すぐ戻るから、水が飲めたら水を飲んでおけ』と盆を指差し、出て行った。
あの人、薬師だったのか・・・部族と言っていたから、民間療法? 効いてくれ、と顔を苦悶に歪めながら、薬に助けを求めつつ。しかし、治ったらそれは行かねばいけないので、想像して不安が増した。
褐色の騎士は十分ほどで戻り、幾つかの乾燥植物を入れた擂鉢と擂粉木を床に置き、クフムの前でそれを粉にして、薄紙に匙半分量を乗せた。
「微粉ではないから、少し喉に引っかかる。水を先に口に含んで流しこめ」
汗をこめかみに流すクフムに、ゆっくりとはっきりそう教え、頷いたクフムに水の容器を渡し、教えたように水を含んでから薬を口に入れた彼が呑み込むのを見守った。
「すぐではないが、1時間もすれば楽になるはずだ」
「あ、ありがとう」
「・・・怖いのか?」
礼を言って口を手で拭った僧侶に、見透かすシャンガマックの質問が続く。クフムは大きく息を吐いて『だって。私が行く理由なんて』と言いかけ、頭痛でまた目を閉じた。
「昨日・・・俺も聞いたが。クフムは完全に一人でもないだろう?」
「はい」
「『返却』を口実に、『アイエラダハッドから資料を届けるために来た』と。魔物が出ている理由で、国境警備隊が、クフムに付き添う話だが」
「口実も付き添いも、意味ないです。昨日も総長に、そう話したのに」
「警備隊は、神殿内に入れないから?それなら、神殿の外で短い立ち話にすれば」
「無理ですよ。他人がいるところで、神殿の動きを見られるようなことは、絶対にしないから」
まして私が持参する資料は動力のことですよ、と俯いたクフムを、シャンガマックは少し哀れに感じた。分からないでもないが、怖がり過ぎている。
彼が神殿へ辿り着き、面会をする・・・そこまでは、多分、訝しく思われながらも、『あること』と捉えられる可能性は高い。
国境警備隊は警備体制強化に伴い、諸外国の訪問者が、神殿・修道院訪問目的の場合、見張りも兼ねて現地へ連れて行くよう、決めたそうだから・・・クフムの動きは、怪しくないはず。
海運局に通い、様々な状況と事情を聞いた総長は、相談してそれを手に、クフムを内側へ向かわせる流れにしたのだ。
クフムが極力、危なくない形で。神殿の何らかの返答を受け取って戻るように。
神殿側の微々たる動きを、直に情報として入手する必要を考えた総長は、神殿が『表向き』何を強調しているか、クフムに探るよう求めたのだが―――
「無理だと思いませんか?私が入国したのを、知らないわけがないんですよ」
薬を飲んだ安心からか、誰かに聞いてもらいたい心境で、クフムは話し出した。
『衣服は替えたが、私の情報は入っただろう』とか、『入国証明を、何かの手段で見られている可能性』とか・・・シャンガマックは、腕組みして話を聞き、終わったところで聞き返す。
「恐れは、『俺たちと一緒にいるから狙われる』ことだな?」
「その・・・海賊側と組むあなた方の、差し金と見做されて当然でしょう?」
この船に乗っているのも、クフムは心配する。首を傾け、彼をじっと見下ろすシャンガマックは、『アネィヨーハン乗船の、確認はしていないだろう』と・・・彼の足取りを追う気配がない、と教えた。
船にいる自分たちの誰も気づかないなんて、人間相手にあり得ない。開戦時、クフムが宿に一人でいた時、何者かが来たらしいが(※2463話参照)、あんな状況はそれ以来、ないのだし。
「お前の言いたいことだが。俺たちが、海賊と接触したことより、『神殿側を攻撃している』方が意味合い強く思う。そうか?」
クフムはシャンガマックを見上げ、返事に詰まる。困り顔は、シャンガマックも同じ。
「よく考えてみろ。『神殿の目論見を破壊・もしくは攻撃した事実』は、どんな状況だったか。開戦時と、魔物が始まってからだぞ?その前に、地下室の危険物を処理し始めていたが、神殿側に気付かれていない」
「分からないですよ、痕跡とか」
「ないんだ、クフム。俺たちが意図的に、神殿側を潰しに掛かっている姿勢を、決定する根拠は。証拠がないから疑わない、とは思わないが、地下室には俺たちの痕跡一つなく、確かめようもない上・・・・・
表立って人目に付く場所では、『魔物並びに同時で攻撃された』程度の印象くらいだろう。魔物が同時勃発している状況で、人民殺戮現場に来た俺たちが『僧兵を狙って殺した』とは思い難いものだ」
シャンガマックは、自分が地下室を壊して回ったことを言わずに置いたが、ヨーマイテスとエサイがいて、人間に自分たちの足跡が一つでも、見つかるわけはないと断言できる。
サブパメントゥの何者かが見ていたとしたって、ヨーマイテスだってサブパメントゥなのだ。それも、屈指の(※父を褒める)。そんじょそこらの雑魚と訳が違う、サブパメントゥの知恵の宝庫(※自慢の父)。
あり得ないよ・・・やんわり、シャンガマックは穏やかに。
泳ぐ視線が定まらずに、不安で口を噤む僧侶に、気休めではないと言ってやり、『もしも、俺たちと共にいることを、問われたら』当たり障りない助言をしてやった。
「こう言えばいい。『度々、接触し、幾つか情報を知っている』と」
その一言で、目を合わせないクフムの、うろうろ落ち着かない視線がピタリと止まった。
お読み頂き有難うございます。




