2495. 祝 ~①遥かな歳月の果て
船に残してきた仲間に、何の説明もしないまま―――
イングに連れて行かれたイーアンは、数秒と待たず瞬き二回で『同じ故郷の仲間』に会う。
「皆さんが」
女龍と行きたいと希望した、多くの異界の精霊(※2428話参照)が揃っていた。イーアンから零れた最初の一声、人間相手ならザワザワしそうだが、この場では反応も全く静か。
離れたところでバサッと何かが動き、鱗粉を塗した如く、煌めく青を撒いて大きな青い翼が近寄る。その顔、目の開かない微笑みをイーアンの前に止まって見せた。
「まそら」
「イーアン」
優しい、まそらの声。イーアンは嬉しくなって、笑顔も深まる。
「久しぶりです。会えて嬉しいです」
挨拶すると、まそらは片腕を伸ばし、長い指先が女龍の頬に触れた。『時も界も超えて、重なる星に喜びを』と静かに伝える。いつもの囁きのはずなのに、この場では祈りに似て、神々しく感じた。
ここには、伝説の存在が集う・・・・・ イーアンは夜目が効かないが、何の問題もない。
彼らの内、半分近くは発光し、ランタンを吊ったロープが張られているみたいに明るい。まるで小さな町の、祝いの夜である。
きれいですと見渡して呟いたイーアンに、次は大きなダルナが近寄った。イーアンの後ろにイングがいて、側に来たダルナはスヴァドだった。
「あなたも、来て下さったのですか」
「俺がいた方が、都合が良い」
「都合なんて。そうではなく」
「喜んでいる。俺は、暁の剣。暁の光。未来に栄えを約束するなら、俺は時を跨ぎ、明けの空を照らす」
まそらと言い、スヴァドと言い。
彼らとは何度も会話して、これまでも多くの会話を聞いているが、なんて運命的な挨拶をするのか。なんて、荘厳な重みと広がりだろう。返事をしたくても、自分の発言が単調に聞こえそうで、戸惑ってしまう。
はいと小さい声で返す女龍を、スヴァドは鼻で笑う。胸中を見透かして、揶揄うように、楽しむように。ダルナは大きな顔を寄せ、女龍の目の高さに合わせると『最初の龍を越え、お前を知った導きを祝う』と言った。言葉通りなら、イーアンを受け入れているけれど。
またも・・・重い言葉を―― どう受け取るのが真実か、イーアンは目を逸らした。
始祖の龍への、恨みつらみは通過していそうだが、彼女の次に自分を並べられては、当時の『謂れなき束縛』を我が行為として、受け止めなければいけない気がした。
でも、それは忘れてはいけないんだ、とも思う。
イーアンは困惑がちにまた頷くしか出来なかったが、スヴァドにも、この場にいる全員にも、『始祖の龍の決定による続き』を引き継いだ女龍として、私が責任を持たねばいけないと気を引き締める。
この場所は、不思議な天然の地形。人の気配がないから、無人島なのか。距離にして2㎞ほどの細長い島から突き出る岬、その少し先に、岩礁を挟んでポツンと海から頭を出している、平らな岩がここ。
誰かが造ったと言われても信じそうな、数百m幅の八角形の大岩である。
植物は殆どなく、背の低い木々が外側に疎らに生える。海面からの高さ5mほど。この高さでは、満潮時に沈む気がする。
明るい紺の空を見上げれば、知らぬ間に、白い月が空の一方に掛かっていた。雲は青白く、柔らかで暖かい風が波の上を滑り、イーアンと異界の精霊は同じ舞台に立つ。
「さて、祝うか」
イングが背後で呟き、イーアンの肩に大きな彼の手が乗った。イーアンは、レイカルシが見えないので、どうしたかなと思っていたが、イングの呟きが合図だとは。祝うかと、言うや否や。
パパパパパ、と突如、足元に白い花が咲き出す。
あ、と目を奪われた光景。雑草さえ岩の隙間にある程度だった、黒い夜の固い岩に、瞬く間に白い花畑が出来上がり、芳香はどこか切なく悲しく、でも愁いの続きに、受け入れと穏やかな微笑みを湛えるような、甘く柔らかい香りが立ち込めた。
「レイカルシですか」
これは彼だ、と名を呼んだイーアンの横。ゆらりと赤いリボンが垂れ、クルクル螺旋を描いて空から落ちてきたリボンは、大きなドラゴンの姿に変わる。
「この花も、イーアン」
最後まで言わない、花の正体。イーアンは微笑んで頷く。知っていますよと無言で伝え、レイカルシの歓迎―― 白い花畑を見渡した。
南の海のどこかで、八角形の舞台に白い花が咲き乱れ、白い月の明かりの下に、私たち様々な姿の影が落ちる。影を持たない者もいるし、姿が透けている者もいる。海から現れる者も、気付けば舞台を囲み、イーアンは笑顔で両手をパンと合わせた。
「お祝いですよ。私たちがこの世界で会えたことを!」
女龍の言葉に乗るように、風が吹き上がる。足元から白い花びらが舞い、イングの香気が絡まり、明るい赤の礫が槍のように空へ突き抜け、花火に似た輝きが空中にはじけて彩る。
素敵!と思わず叫んだイーアンの声に続き、海にいた精霊が動き出す。
人魚や風変わりな魚が、静かな海面を飛び出て高く旋回し、何度も跳ねる。彼らが跳ね上げる水飛沫は、虹色の泡に変わり、空中に散布される。月明かりに吹いたシャボン玉の如く、幻想的な光景にイーアンは口を開けて見惚れた。
中に、何度も手を振ってくれる気の好い人魚が見え、あれはオウラ!と分かったイーアンも手をぶんぶん振り返す。軽やかな笑い声が聞こえ、イーアンも笑って拍手。オウラが生き生きしているのは、幸せな気持ち。
じゃぶんじゃぶんと、岩を囲むそこかしこで、海の精霊が祝いを体現する光景。うわ~と感動しながら楽しんでいると、視界上方をサッと何かが飛び去り、目は動くものを追った。そこに、一斉に絵が並ぶ。
「『絵』ですって?」
長方形の絵。ずらっと一列に宙に並び、かくっと向きを変えて、またザーッと走るように現れる。
それは勢いを増して、四方を囲む列になり、何の絵かまで判別できないそれは、距離を縮めて接近し、ドミノ倒しのようにイーアンの間近に。
イーアンは刮目。ぐっと擦った目を再び開けて、『おお』と感動に言葉を失った。
「もしや、キーニティ」
「そうだ」
解除されることもなく、元々の力を携えていたダルナのキーニティ。子供ダルナと共に、シャンガマックについた彼だが、この場へ来てくれて能力を披露した。
絵は、ずっと昔の・・・イーアンたちがいた世界の、あらゆる風景を連ねていた。
それは、キーニティたちダルナが、こちらへ来る前の時間。
イーアンは、歴史の本で知っているだけの遠い時代だが、歴代の画家が遺した絵により、現代でも遥か昔の風景を眺め、想像に浸ることが出来た。
風景や自然自体は、ドルドレンたちの世界と、そう変わらないけれど、各々の特徴と雰囲気がどことなくあるもので、感受性豊かなイーアンは、それをちゃんと見分けた。
―――昔々の本物の風景を見ていた、ダルナが。 この異世界に於いて、彼の抽象的な絵で、以前の世界の風景を描き出している。
誰かの絵と比べるなんて無粋だが、キーニティの抽象画は人間の感覚とはまた違い、実際に感じ取れる、色彩の諧調を豊かに含み、空気の色まで描かれているよう。
「皆が、時間を越えて、同じ夜の下にいる」
「その通りですね・・・とても感動します」
胸に手を当て、こみ上げる熱く濃い感情に、女龍は目を閉じて浸る。同じ世界から来た自分たちが繋がったことに、神様へ、大きな精霊の意志へ、心からの感謝を捧げた。
祝うとは、彼らにとっての意味は何かなと、この集まりを見て少し思う。
皆さんは、イーアンほど喜んだりはしゃいだりがない。そういうものかもしれないが、彼らも『祝う』その意味を、個々に持っているのではないだろうか―――
「私は、皆さんの素晴らしい存在と力に圧倒されます。見せて頂いて、大変嬉しい。でも私ひとりが喜んでいるような・・・皆さんにとって、祝いとは違う意味もありますか」
すると、彼らは、イーアンに力を見せると言い始めた。解除後、全員が解除したことで、力の幅が広がった。それは喜びであり、『存在を許される自分たちを認める』決意と近いものだと、女龍に意味を伝えた。
「ああ・・・分かりますよ。分かります。許される、その意味さえ受け入れ難かった思いを抱え、自分を認めること。力強いです。それはお祝いの大きな軸」
ゆっくりと大振りに頷いて、真剣な眼差しを皆に向けたイーアンはそれを理解する。
「新しい力もある。それを見せよう」
姿も変わった解除の方が多いので、解除前に会っていた精霊は、変化後に存在感が強まった印象も。是非お願いしますと、イーアンは微笑み、彼らは順番を簡単に決める。
・・・まそらは、そう言えば、変わっていないような。
それと、先ほどから気になっていたブラフス。彼はどこ?解除後から会っていない。
スヴァウティヤッシュもいない。忙しくしている可能性もあるので、呼びたくても遠慮するべきか悩むが、彼ら抜きの祝いは、若干後ろめたさもあった。
イーアンがそう考えている間に、順番が決まったか。暫し互いを見合っていた精霊たちの様子が変わる。それに気付いたところで、耳の近くに響く声。
「魔物だった者たちは」
不意に話しかけられて、イーアンは振り向く。大岩の縁、その向こうの海面に、肩から上を出した人魚が何人かいて、濡れた体は月光に煌めいている。
距離があるが、すぐ側で話しかけられるような聞こえ方、イーアンは後ろのイングをちょっと見てから『近くで聞いてきますね』と海へ飛んだ。
パタパタ飛んできた女龍に、片腕を挙げて挨拶したのはメリスムだった。メリスム、と名を呼ぶと、彼も頷く。
「さっきの、海から飛び出して弧を描くあの勢い、素晴らしかったですよ!」
「あれはただの芸だ(※自覚ある)。魔物だった者たちは、どうする。近くにいるが、お前が良ければ呼ぶ」
「え、いますか?それは勿論、来て下さい!どこ?」
どこどこ、と首を左右に回すイーアンに、メリスムと他の人魚は微笑み、水面を尾鰭でパンッと叩いた。水飛沫がスローモーションのようにゆっくりと上がってゆき、その不思議な美しさを見つめる女龍・・・飛沫が、月を囲んで輪を成した時。
「あれですか?」
月に輪が掛かり重なる。輪の向こうに見える沖一列に、横一線を分ける影が立った。
黒と藍色を透かした波、その内側に何百と馬がいる。開戦時に見た海馬だ! 目を真ん丸にした女龍は、まさかとメリスムに視線を戻すと、彼は『彼らは姿形を変える』と沖の影を指差した。
月明かりに透ける大波の中で、海馬の群れが走り、皆のいる大岩へ打ち寄せる波と共に、海馬の群れは到着。人魚が停止の合図を出すと、不思議な色の馬が何百頭と、白い泡立つ波間に留まり、イーアンを見上げた。
「す、・・・素晴らしい!あなたたちに会えて、嬉しいですよっ」
拍手して喜ぶイーアンは、馬の側へ飛び、彼ら一頭ずつにはちきれんばかりの笑顔で『良かった』と言い続けた。感激で涙が浮かぶ、考えもしなかった素晴らしい再会。
「彼らが姿を変えると言いますと、『固定の姿』は、ないのでしょうか」
近くに来た人魚の一人に訊ねると、彼はメリスムの頷きを見てから、少し詳しく女龍に内容を教え、それを聞いてイーアンは笑顔が一瞬止まる。
「ブラフスが?そう・・・では、彼もどこかにいるのですね。今はここに見えないけど・・・この、海馬になった皆さんは、呼び名はありますか」
ブラフスの行方を訊こうとしたが、今は現れた海馬の総称を尋ねる。『魔物』の文字を、含まない名がついているかどうか――
「まだ、ない」
即答で、無い。イーアンも頷く。言われてみれば、そうか。彼らの呼び名は、彼らが付けていない。人間が勝手につけて定着した名が多い。
メリスムは『イーアンが付けてくれたら』と(※重荷)名づけを振り、イーアンは『次に会う時までに用意する』と答えた(※宿題)。
そして夜は、盛大な祝いと・・・ レイカルシの『約束の続き』へ。
お読み頂き有難うございます。




