2494. 祝一周年の夜 ~②祝いの夜
遠い水平線が、金色の一筆を引く。
太陽が沈んだ直後の空は、上の青が濃く、中ほどで淡く色は混じり、金や橙色や水色を千切れ雲にちりばめた、その下。水平線付近が一日の終わりを、左右に広く帯びた薔薇色の雲で飾る。
綺麗だな、と誰かが言う。海は美しいと、誰かが続け、波の音と気紛れな風の抜ける音を、心地よい沈黙に挟み、また誰かが『遠くまで来たな』と・・・・・
「イーアンが一番、そう思っているわよね」
『遠くまで来たな』と呟いたのは、腕組みしてクロークをはためかせる女龍(※男らしい)。
残照を浴びる女龍の呟きは、どこか物悲しく、低めの声。何となく笑ってしまうミレイオやオーリンが、理解しながら『異世界だもんね』と添え、タンクラッドや騎士たちも笑った。
「笑ってますけれどね。私、異世界出身ですから。遠すぎるくらい、遠いって」
「それ言ったら、俺もだ」
側に居る銀色の双頭が、『自分も同じ』と口を出す。イーアン、頷く。
私たちの世界は、ここからどれくらい距離あるのかしらねと首を傾げたが、トゥは『思い出すほどの記憶でもない』と女龍の疑問を切った(※会話が終わる)。
「無論、イーアンたちの方が遠い。ただね、俺もハイザンジェルから出たことがない36年、出発してから一年で、4つの国を回ったとは感慨深く思う」
トゥとの会話が続かないイーアンに、ドルドレンが話を戻す。振り向いたイーアンの手に、容器を渡して、酒を注いでやった。
「そうですね・・・ドルドレンは、支部にいたから」
「うむ。支部だし、その前は馬車だ。ハイザンジェルを出るなんて、考えもしなかった。ハイザンジェル国内であれば、秘境にも行ったと思うが、それも魔物退治で遠征である。遠くへ行った・旅をした印象ではない」
お酒を注いでもらったイーアンは、揺れる酒を見つめる。ドルドレンは自分の酒の容器をちょっと前に出し、微笑んで『乾杯だ』と言った。ニコーッとしたイーアンも容器を前に出し、カツンと合わせる。
「乾杯も、君が教えてくれた(※16話参照)。遠い世界に学ぶことが、いかに増えたか」
そう言って、黒髪の騎士は一口飲む。
皆での乾杯はなく、好き好き飲み始めていたため、ドルドレンとイーアンの乾杯をまったり見守っていたミレイオたちも側に来て、カツンカツンと容器を合わせて小気味よい音を立て、無事と祝福を乾杯に捧げた。
「好きなだけ飲んで大丈夫よ。お酒はいっぱいあるし、食事も」
「供給するやつがいるからな」
ミレイオがイーアンに勧めた横で、親方がダルナの顔を見る(※供給するお方)。トゥは何てことなさそうで、顔を背けた。
穏やかな波に揺れる船、その甲板に並べた料理の中に汁物はない。
揺れをダルナが考慮したかは分からないが、料理はどれも、食器やカトラリーを使わない前提で揃えたかに見える。
大皿に、切り分け用の大きめのナイフと突き匙が、2~3セットあるだけ。
丸焼きにしたあばら肉や腿肉の塊。鱗を引いて腸も抜いた塩焼きの魚。細長いパンのような主食。揚げて香草を添えた根菜。コマ肉の詰まったパイ風の物。茹でた玉子。葉身部に辛みがあるアサツキみたいな生野菜の束。小振りな野菜を丸ごと漬けた酢漬け。
肉も魚も大きく、骨も大きいので身を外しやすい。ナイフで欲しい分を切ったら、手づかみでつまみ上げる。
ソースはないが、塩の結晶壺と油脂の壺はあるので、肉・魚・野菜を好きに付けて食べる具合。油脂はバターに似て、透き通る金色の下、壺の底にニンニクっぽいのが沈む。ガーリックバターの解釈で良いと思う。
このパンはどこのだろう・・・つい、地域を知りたくなる細長い形状の主食。これまでも色んな主食を出してくれたが、これは外のクラストがパリッパリで薄く、中は気泡が多い透明感あるクラム。ちょっとバゲットを思い出させるが、全体的に白っぽくてクラストはもっと薄かった。
揚げ芋や揚げカボチャっぽいものは拳大で、齧って食べる。コマ肉をカップの生地に詰めた、生地で蓋をした具合のパイ風は、冷めても味が良い。
殻付き茹で玉子も、鉢にどっさり。アサツキに似た生野菜は、そのまま食べても、ほろ苦さと少々の辛みが美味しかった。
ちっこい玉葱、ちっこい茄子、ちっこいトマト、ちっこい唐辛子(※ペコロス・小茄子・プチトマト・青南蛮的)の酢漬けも、一口サイズでポイポイ食べられる。
ここに、酒あり――― 瓶が普通じゃない。3リットル容量ありそうな、陶器のでっぷりした瓶は、一つの空き樽に、幾つも入っており、陶器の色で中身が違うようだった。一々重いので、少量を入れるデキャンタ的片口瓶を使う。
トゥの知っている時代は・・・ 余計な詮索だから、聞けないのだが。
イーアンは興味を持つ。彼は、どんな時代・どんな国にいたのかなと思いつつ、有難く料理とお酒をもらった。お酒は醸造酒で、葡萄だけではない気がした。
頼もしい・・・有難う、と銀のダルナに会釈し、イーアンもお酒を飲み、料理を頂く時間。皆も『一周年』を各自楽しむ。
出発前に引き留めていたわりに、シャンガマックは、戻ってきたイーアンへ最初だけ笑顔を向けたものの、後はずっとフォラヴと話しっぱなし。
フォラヴも、涼しい微笑みを挨拶代わりにしたが、それきり。シャンガマックと真剣な会話の様子で、二人は甲板の真ん中からやや離れた壁際。
クフムは、さりげなくドルドレンの側にいる。ドルドレンが『自分から離れないように』と命じておいたので、クフムは忠実に従う(※総長信頼)。
普段、彼の側にいるオーリンは、ここでは総長に任せて、料理を食べる方に力を注いでいた。
*****
転がらないよう、固定して並べた樽の上に、トゥが出してくれた料理を並べ、皆は甲板で、日暮れの祝宴を楽しむ。
日が沈んでしまうと、どんどん暗くなるのだが、イーアンの角は発光するし・・・珍しいが、もう一人参加していたので―――
「ホーミットはいつから」
「シャンガマックが、甲板に出た時にはいたわね」
ひそひそっとイーアンは昇降口付近の横、船縁に佇む獅子を横目に訊ね、ミレイオも小声で教える。彼がいるので、青白い火の玉がそこかしこに浮かんでいるという、微妙な灯り。
「離れていると、寂しいからでしょうか」
「最近、置いてかれてたからじゃないの」
「黙れよ」
ひそひそ話していたのに、地獄耳(※脳内活用)の獅子がグサッと断ち切り、イーアンたちは黙った。
それに気付いたシャンガマックが苦笑して『気にすることではない』とお父さんに声をかけたが、お父さんの耳は伏せられていた(※聞きたくないアピール)。
暗くなってきた辺りで、もう一つ、カンテラのようにマストから注ぐ静かな清い光に気付いた。
イーアンが見上げると、先ほどまでいなかったシュンディーンが・・・『なぜあんな場所に』不思議に思って呟いたら、ミレイオがちらっと上を見て教えてくれた。
シュンディーンは、青年の姿。クフムがいるからだが、皆の輪に加わらないのは、彼が祝いに参加しないためではなく、親のファニバスクワンのことで。
「親御さんのために?彼は、あそこで」
「来たわけじゃないのよ。ただ、今日はさ。ね。シャンガマックたちも、今日連れて帰られたら寂しいじゃないの。それで、シュンディーンが見張りというかね」
ミレイオの話を聞いたシュンディーンは、自分から役目を買って出てくれた。名付け親のシャンガマックに、義理立てしているのもある。
気を利かせたシュンディーン。船の一箇所に留まらず、マストに腰かけていたと思うと緩やかに飛び、後ろに行ったと思うと、舳先へ移り・・・満遍なく見張り番をしてくれていた。
祝いの挨拶・音頭もなく、立食パーティ―状態は続く。
こんな感じでも良いのかな、とイーアンは思った。たらーんとした感じで、メリハリのないパーティ・・・だけど、大声で『かんぱーい』ってのも、ちょっと微妙かと思えば、このくらいが丁度良い気もする。
銘々、話が弾んでおり、タンクラッドはオーリンと、ミレイオはイーアンやドルドレン、クフムはちょくちょく総長に話しかけられ、シャンガマックはフォラヴやお父さんと、気付けば、話し相手の塊が出来ている。
ティヤーに来た日、海賊の皆さんにお祝いしてもらったとイーアンは思い出す。でも、もう随分と前の出来事に感じる。
自分たちは旅に出てから、ずっと神経を張っているのが日常。慣れてしまったが、今夜の光景を眺めると、こうした時間がいかに心に大切だろうと改めて思った。
これとはまた別で、イーアンは、ルオロフの姿が見えないことも気になっていた。
誰もルオロフの話をしないし、皆も気にしていない。イーアンが戻ってから、早一時間経過、話題は『一年のまとめ。振り返り』が主題で、まだまだ話は尽きず、食べ物も飲み物もあるため、あっという間に二時間三時間経ちそうな印象だが・・・ルオロフがいない場を、どうして気にしていないのか。
ルオロフは? 船内かしらと、じっと昇降口の扉を見つめ、行ってみようとイーアンがそちらへ歩きかけた時、昇降口横の船縁にいた獅子が振り向いた。
「放っておけ」
一言、行くなとばかり止める獅子。眉根を寄せ、イーアンは獅子の近くまで行き、ルオロフに会いに行こうとしているのを分かっていそうな獅子に『なんであなたが』と反発しかけた。側にはシャンガマックたちがいるが、彼らはちょっと見ただけで、割って入らない。
獅子は、近づきすぎない女龍の、止まった足元に視線を投げ『それ以上、俺に近づくな』と命じた。
「はぁ?私が距離に気遣ってここで止まったのに、その言い方」
「俺は今、お前の龍気には困るんだ」
遮った獅子の言葉に、引っかかるも一秒。ハッと思い出したイーアンの視線が、獅子の前足に留まる。エサイの面がない・・・ 女龍が気付いた顔に、獅子は『そういうことだ』と話を終わらせた。
「ルオロフは、では今」
「そうだって言ったろ」
皆まで喋らない獅子に、イーアンも黙る。エサイとルオロフが、中で話しているのかも知れない。こういうこともあるんだ、と了解し、イーアンは踵を返す。目で追うシャンガマックと視線が合い、彼がちょっと微笑んだので、イーアンも少し笑って頷いた。
それぞれの立場で、積もる話もある。
狼男で知り合った、数奇な運命の二人―― エサイとビーファライ、現・ルオロフ。
エサイは、『ファンタジー世界の狼男で』と、自分の行く末を決めた(※2215話参照)。
ビーファライは、人間として生まれ変わることを望み、その通りに生き、アイエラダハッドが魔物騒動に襲われた渦中で、私たちと再び繋がった。
自分も『女龍何代目』の自覚により、輪廻を意識するが、他人に起きた輪廻を身近にすると、肌が粟立つ畏れを、今も抱く。
イーアンは、二人の狼男が話す内容をぼんやり想像しながら、ミレイオたちの場所へ戻った。
*****
それから、二時間経過。ルオロフは出てこなかったし、シャンガマックもフォラヴの側を離れず。
ドルドレンとミレイオが『ティヤーの地形』について情報交換し、タンクラッドはトゥに気遣いながら、コルステインが来ないことをこの夜も気にし、オーリンはタンクラッドと話しながら、クフムにも『今の内に食いたいだけ食え』と勧める・・・後半、祝いの席。
夜風は温度を落としていたが、ハイザンジェル育ち・アイエラダハッドを経由した面々には、心地良いくらいで済む夜。
イーアンは少し前から、会話に参加しなくなって、夜空を見つめていた。4本ある大きなマストを、シュンディーンはずっと点々と移動する様子、それを眺めながら―――
『そろそろ。行こうかな』 何となく、口に上った一言。この場の誰が知るわけもない、意味。
気付いたとしても、トゥと獅子くらいだった、女龍の小さなほんの呟きを。
「行くか」
ハッとしたイーアンの鳶色の目に、青紫色の男が映る。同時に高貴な花の香りが立ちこめ、驚くイーアンが返事をするより早く、ダルナは腕を伸ばして女龍を抱え・・・ 気づいた甲板の仲間に『二次会だ』と冗談めかし―――
次の瞬間、イーアンとイングは夜空に消えた。 あの、誇り高い香りを残して。
お読み頂き有難うございます。




