2482. アンディン島滞在七日間 ~⑩路地一悶着
びゅっと槍の穂先が突き出され、ロゼールは反射的に跳んでかわす。
「は、はい?ちょっと」
『魔物か。魔物だ!』怒鳴る槍の相手。共通語分かります?と叫ぶが、穂先の勢いが上がっただけ。ロゼールは細い迷路のような路地の空中、生々しい襲撃後の瓦礫跡をぴょんぴょん飛んで逃げる。
「あの!俺、人間ですからっ!ちょっと待って!」
こんくらい通じてるでしょ、と大声で言いながら、狭い場所を活かし、ロゼールは両隣の壁を蹴り、突き出る木材を足場にくるっと回って二階の高さで宙ぶらりん。
『うわ』それも束の間、槍を突き上げた相手も、なかなかの運動能力。ロゼールほどではないにしろ、二三回駆け上がった垂直の壁で攻撃し、ロゼールは身を捻って槍を避け、『屋根行っちゃうなぁ』と思いつつ、わずかな爪先の蹴りを使って、仕方ないので屋根に上がる。
「俺は人間ですよ!動きは良いけどっ」
分かるんじゃないのかと、攻撃止まない相手を不審に思いつつ、もう一度、大きい声で屋根から叫んだ。その瞬間、槍が飛ぶ。
「ぬわっ!よせよ」
飛ぶ槍くらい、動体視力の良いロゼールは、ひょひょっとかわすが・・・その続きは、マズかった。相手にとって。
「ぐわぁ!」「あっ」「ぎゃあ!」
下にいた槍を投げた数人が、いきなり身を折って苦しみ出し、ロゼールは目を丸くする。俺、何かしたのかと、口を押さえたすぐ、耳に懐かしい、でも怒鳴り声で―――
「人間って、言ってるじゃねえかっ」
青白い隈を浮かべた、金属ギラギラのオカマが怒り心頭で、瓦礫の向こうに現れた。
「ミレイオ!」
「ロゼール。大丈夫かよ」
男らしい低い声の、いつもは優しいオカマの変貌ぶりに、ロゼールは屋根の上で一生懸命頷く。瓦礫の角に倒れた数人は、ぎゃあぎゃあ言いながらもんどりうつが、ミレイオは彼らの側まで来て、ごつい靴で一人の顔を踏んだ。
凝視するロゼールが見下ろす屋根の下、ミレイオは踏みつけた相手に、信じられない一言を放つ。
「お前らは『見間違い』で、人間を堂々と殺すまで狂ったか?」
*****
この後、路地に人がどんどん集まり、騒ぎになり、ロゼールは降りるに降りれず。
ミレイオの放った言葉通りだとすると、言い訳をつけて『人を殺す』連中・・・それらが、苦痛で返事も出来ない間に、オーリン、クフムも来た。
だが、クフムは。彼の動きも、思いがけないもので。現場を見るなり、焦ってオーリンの後ろに隠れ、オーリンが彼に何かを言い、クフムはなんと、逃げるように現場から走り去ってしまった。
一人の顔を踏みつけたままのミレイオと、群がる町民。ティヤー語で騒ぐので、何を言っているかロゼールにはちんぷんかんぷん。
ここへ割って入ったオーリンが、ミレイオと短くやり取りし、屋根の上のロゼールに気付いた。『大丈夫か』と彼は叫び、ロゼールは片手をあげる。
「ロゼール、怪我してないなら、降りて来れるか」
「はい。俺が行っても、大丈夫ですか」
「当たり前だ。こっちへ」
はい、ともう一度答え、ロゼールはポンと屋根を軽く蹴り、身を縮め一回転し、どこにもぶつからないように着地。わっ、と群衆の声が上がったが、それより早くミレイオが来て(※頭踏みつけてきた)『ロゼール!』と赤毛の騎士の両肩を掴んだ。
「あんたが戻ったって、分かったのよ」
「有難うございます。ミレイオ、その、その人たちは」
「こいつらぁ?・・・これから問い質す。それよりあんた、手ぶらじゃないでしょ?荷物とか」
「そっちは大丈夫です。後で運ぶので」
短い返事に、分かったと了解したミレイオは、騎士の両肩に手を乗せたまま、視線だけ後ろへ向けるような目つきで、『ちょっと面倒なの』と呟く。その顔は、青白い隈が消えて、いつものミレイオだった。
そして、詰めかける人々の向こうから走ってくる―― 倒れている者たちと同じ服の ――何人かが見えた。
*****
悪いんだけど、離れて待ってて―――
ミレイオにそう言われて、『逃がされた』形になったロゼールは、事情も複雑そうだし、素直に言うことを聞いた。オーリンが彼と一緒に路地を出て、残ったミレイオは町民の詰めかけた中で、襲った連中に話があるようだった。
「なんですか、あの人たち」
「一から話すと長い」
「なんか・・・クフムが逃げませんでした?」
「そこで見当つけられるか?さっきの連中の『恰好』と」
「・・・え」
並んで歩くオーリンは、ロゼールを見ている人たちを無視して、急ぎ足で路地から離れる間、小さな声の質問に、『想像を働かせてくれ』的な含みを持ち、ロゼールは気付いた。
先ほどのクフムの恰好が、以前と違うことに。
確か、こっちに向かう船で、クフムは僧服を着用していたのだ。・・・その特徴と、槍の集団の衣服が重なる。
じゃあ、と確認しかけた赤毛の騎士に、オーリンは小さく首を横に振り、喋るなと無言で止めた。口を噤んだロゼールの紺色の瞳は泳ぎ、眉根が寄る。
さっきの連中は、僧侶ってことか?オーリンの反応は肯定に思うが、ミレイオは彼らを『人殺し』と言った。僧侶が・・・なぜ。
足早に進む弓職人に歩調を合わせ、ロゼールも、その質問を最後に、無言で歩く。
オーリンはどこへ向かっているのか。行き先も告げられていないが、そこかしこ、魔物の被害でやられた町をしばらく進み、二人は一軒の宿に入った。
宿の壁は部分的に崩壊していたが、庭木はそのままで、崩れた壁代わりの樹木の向こう、自分たちの馬車が見えてロゼールはホッとする。
「ここに泊まっているんですか」
「もう数日で出発だけどな」
敷地に入って口を開いた騎士に、オーリンも緊張が解けたように返し、それから彼は二階を見上げる。すぐ上の窓越し、誰かの影が見えて『クフムだ』とオーリンは言った。
「部屋で話すよ」
ロゼールの背に手を当て、宿屋に入る弓職人は、日中の宿にいる従業員に声をかけ『一部屋増やしてほしい』と頼み、空室をあてがってもらう。
料金は普通、その場で支払うのだが、オーリンはお金を持っておらず、従業員は『後でも』と流してくれたため、礼を言って二階へ上がった。
「信用ありますね」
「数日、泊まっているしね」
階段を上がって、他の宿泊客がいない廊下を歩き、オーリンは一つの部屋の前に立ち、扉をコンと叩く。中から扉を開けられ、そこにクフムがいた。
「宿へ戻ってしまいましたが。良かったですか」
不安そうな僧侶に、オーリンは『ここで良かったんだ』と頷く。
・・・ちょっと見ない内に、オーリンがクフムと、親しくなった印象を受けたロゼールは、先ほどのことと言い、この様子と言い、何か決定的な『敵味方』の境界でも起きたかと過る。船にいた時、クフムは『敵』の扱いだったのだ。
その印象は遠からず。理由を知る―――
ロゼールが船を出発した夜。皆は、ティヤーの国が『神殿』と『海賊』に、二分している話を、クフムから聞いていた(※2441話参照)。
とはいえ、仲違いや対立ではないと、その時クフムは話したのだが、上陸して事情が変わったことを知り、今は、『海賊』の管轄する『国境警備隊』に魔物製品を卸す話が進んでいた。
大体のところを教えてもらい、ロゼールも難しい顔で相槌を打ちながら理解する。
「ってことは、ティヤーの僧侶・・・神官とか司祭とかも、超危険という」
「間違ってない。開戦に紛れて民を殺したのは事実だ。民が気付いているかどうかは別だ」
説明を聞いて、ロゼールが『思っているより危険』と感じたことを伝えると、オーリンは頷き、殺す現場を見たし、自分も攻撃されたと続けた。ロゼールを先ほど追い掛け回した連中も、そうした理由で襲ったのだろう、と。
「その・・・サブパメントゥですかね?武器とかの話で、関わっているわけですし、古代サブパメントゥが神殿の凶行を、民に分からないようにしているとか」
「うーん。お前相手に、それを言うのもな」
「いや、大丈夫です。古代サブパメントゥとは一線引いているので」
別物と言い切る騎士に、オーリンは髪を両手でかき上げて『はっきりしないことも多い』と言った。
話の最中、クフムは側で聞いているだけで、話に加わらなかったが、彼がティヤーの僧侶たちとこの件について無関係だと、ロゼールも感じる。
彼が、『残存の知恵』という、排除対象の大舞台には乗ってしまっていても・・・クフムも、ティヤーの僧侶が、これほど極端な方向に進んでいるとは、考えもしなかっただろう。
「あなたのやってきたことは、まずかったと思うけど」
徐に、ロゼールが話しかける。オーリンはこれを止めず、クフムは自分に話しているのかと、視線を向けた。ロゼールの紺色の瞳は大きく、腰かけた椅子に前かがみの姿勢のまま、真っ直ぐ僧侶を見つめる。
「あなたも、狙われるかもしれないし、危ないんだな」
「・・・・・ 」
「さっき、逃げたのは、そういうことだったのか。衣服が違っても、誰が『彼も僧侶だ』と言うか、分からないから」
「いや。はぁ。まぁ」
気の抜けた返事しか返せないクフムだが、僅かな理解を示そうとしているらしき相手から、何となく哀れまれているのを感じて目を逸らす。ロゼールもそこで止めて、弓職人に向き直った。
「じゃ。急ぎますか。もう荷物は、こっちに持って来ています。ええと、国境警備隊ですっけ?まずはそっちに、魔物製品を分けましょう」
「今回も運んだのか?コルステインたちは」
「いないんですよ。なんか忙しいのかも。とりあえず、俺だけでも運べる量で・・・夜が来たら、どこか人の目につかない、広さがある場所へ出します」
ドゥージだけは、知っているのだが。
『ロゼールの使う、スフレトゥリ・クラトリの姿』を知らない者が見たら、魔物と間違われそう。体に荷物を背負わせているため、地上に出てもらう必要がある。それには、人目につかないことが大事・暗い方が良い・広い場所、と三拍子そろった条件必須。
運ぶのも事情がありそうだと察したオーリンは『それなら、これから船に行くか?』と、港の方を指差した。
「夜を待たなくても、船の中は暗いだろ?船倉で良けりゃ・・・結構広いし」
「船ですか。出発する前に、乗せてもらえるんですか?」
ピンとこない赤毛の騎士は、借り船かと思って確認するが、オーリンはちょっと笑って首を横に振った。
「献上されたんだ。デカい海賊船でさ」
*****
そうして、クフムも連れて、オーリンとロゼールは港へ向かう。
クフムの移動は、一々、借り馬だが、滞在中の宿で馬を安く貸し出してもらえるので、オーリンとロゼールは馬車の馬に乗り、クフムは宿の馬を使う。
「クフム、出かけてから聞くのも何だけど。問題ないのかな」
少し気にしたロゼールの質問に、クフムが答えるより早く、オーリンが『あの現場が危なっかしい、ってだけだよ』と教えた。二人乗りの後ろ、ロゼールは肩越し振り向いた弓職人に『それって』と、眉根を寄せる。
「あの人たちに、彼の顔が割れているんですか」
「うーん、こいつ自身、ティヤーと行き来はあったからな」
あ、そうか、と納得し、ちらっと並んで進むクフムを見ると、僧侶は首元に巻いた薄布に、顔の下半分を沈めていた。フード付きの上着は、僧侶関係を連想させるからか、クフムは顔を隠したくてもフードは避けている様子。
ビクビクしている彼の雰囲気・・・大変だなと同情し、戸外でこうした話をするのも気をつけようと、ロゼールも思った。
港まで距離は遠くない。瓦礫も多いので馬車だと時間が掛かるが、馬なら問題もない。
船は、海運局を見上げる丘の下の波止場にあり、係留する他の船と並んでも、一際目立ち、威圧的な存在感を佇ませる。
「もしかして、あれですか」
「そう」
「なんか、イーアンっぽいですね」
ハハハ、と笑ったオーリンは振り向いて『そのとおりだ』と笑いながら頷く。
彼女が貰い、断っても、献上と押し付けられた・・・経緯はそんなかとロゼールは苦笑いするが、イーアンは龍だから、どこへ行ってもこうした事があるのも分かる。
「冗談かと思いましたが。本当に献上」
「うん。龍信仰っていうかさ。ティヤーはまた、テイワグナとは違う感じの、精霊や龍への信仰があるみたいだ。海賊は特にその傾向が強い。龍に護られてきた意識が、彼らに染みこんでいる」
黒い船の前まで来て、静かな波にゆったり揺れている、大きな船体を見上げる。
「こんなすごい船!ザッカリアが喜んだでしょう?」
うわ~と、感心しながら笑顔でそう言ったロゼールに、クフムは目を伏せ、オーリンは笑顔を少し引っ込めて首を横に振った。
「これを見る前に、彼は抜けた」
「え。もう」
「開戦時だ」
唖然としたのも二秒くらい。ロゼールは瞬きして『そうでしたか』と返事をすると、大きく息を吸い込む。気持ちを切り替え、別れに間に合わなかった想いを、今は胸にしまう。
「さ。では、船に入らせて下さい。舷梯をかける感じじゃないなら、俺は跳躍です。オーリンとクフムは?」
「いや、水夫があっちにいたし・・・舷梯をかけてもらおう。ちょっと待ってろ」
人が少ない港だが、働いている数人の影は見えた。ロゼールを馬から下ろすと、オーリンは波止場で作業している彼らに頼みに行った。
クフムとロゼールは、待っている数分で口を利くことも出来たが、どちらも馴染みはないので、だんまりだった。
オーリンは、間もなく人を連れて戻ってきて、水夫は梯子を運んでくれた。背の高い船だけに、梯子と支える台も用意され、礼を言って三人は船へ上がる。馬を預かるため、水夫の一人が下に残ってくれた。
「残ってくれているから、荷物だけ出して。分けて運ぶのは後にするか」
甲板を歩くオーリンがロゼールにそう言い、昇降口の扉を開けた。
中へ通され、面白そうに暗い中を見渡すロゼールが『明かりがない場所は、俺が先頭に立ちます』と、クフムとオーリンの前を進む。
「お前、そういや、暗闇でも見えるんだっけな」
「はい。恩恵ですよ」
軽く笑った、ロゼール。サブパメントゥの家族となった後、闇の中でも視界に困ることはなくなった。真っ暗に等しい通路を降り、船倉の中へ入る。『ランタンつけるぞ』とオーリンに言われ、ロゼールが戸口近くのランタンと火打石を渡して、仄かな炎の光が辺りを照らした。
「この程度の明かりなら、あってもいいだろ?」
「はい。暗い場所が良い、と言ったのは、オーリンたちのためでした」
不思議そうな顔を向けた弓職人に微笑み、『呼びますけれど、恐れないで下さい』と前置きし、ロゼールは自分の足を呼ぶ。
広い船倉が、いきなり小さく見えた―――
お読み頂き有難うございます。




