248. 再会と笛
もうすぐ、舞踏会の準備とか何とかで忙しくなる。うんざりする、毎年。いや、毎年どころか一年中。
フェイドリッドは寝室で迎えを待つ。やれ、湯あみだ、着替えだと急かされる。舞踏会までまだ2時間以上あるのに、なぜか2時間前にはきっちりと支度を行う。
いつもその後の2時間はぼけっと待つだけなのだ。もう少し自分の時間がほしい・・・・・
外は少しずつ暗くなっている。退屈な時間が押し寄せるのを思うと、一度は立ち上がったものの、フェイドリッドはまた椅子に腰を下ろした。
――どこか遠くへ行きたい。しかし魔物がいて安全ではないから、そう簡単にも行かない。何て面倒な生き方だろう。最近は不満が募って、本当に日々が苦しいままだ。どうすれば。
そこに硝子があるようにさえ見えない、磨き上げられた大きな窓の外の夕闇の変化。ぼんやりと外の世界を思いながら、王は椅子に座って、人形のようにじっとしていた。
ふと、向こうから何か風が吹いた。直に窓を打つ風は窓ガラスを震わせ、それが異様な気がした王はすっと立ち上がり窓へ寄った。窓の向こうに見えたものに驚くフェイドリッド。
「なんと。まさか」
慌てて窓の掛け鍵を外して、冷たい冬の夕暮れの中、窓を開け放つ。部屋ぐらいの広さで作られた石造りのバルコニーへ出ると、沈んだ夕日の最後の光を体に受けた青い、龍。龍が自分に向かって飛んでいた。
「あっ。イーアン?イーアン!」
背に人がいるのを見つけ、フェイドリッドは我が目を疑いながらも、はじけんばかりの笑顔で腕を振る。はっとして大声を上げた口を押さえ、すぐに一度、部屋の扉へ戻って鍵を下ろし、またバルコニーへ戻ると、バルコニーに龍がいた。
もちろんそこには。
「フェイドリッド。新年おめでとうございます」
とりあえずは挨拶をと、全く挨拶が浮いている状況でイーアンは龍から降りた。フェイドリッドは夢のようだと駆け寄って、イーアンの手を握った。
「どうした。新年おめでとう!一体、どうして」
「それが申し訳ないのですが、これが突然ここへ連れてきまして。私には行く先も分からず、着いてみたら。まさか、あなたがいる部屋の前とは」
下手すると殺されかねませんねと、不審者の自分を心配して、周囲を落ちつかなげに見回すイーアン。フェイドリッドはイーアンの顔を覗き込む。本当にイーアンだ。本当に、目の前にいる。嬉しくて仕方ないフェイドリッドはつい抱き寄せた。
「殺されるなど。とんでもないことを申すな。そなたに指一本触れさせるものか。さぁ冷えたであろう、中へ入ると良い」
うっかり抱き寄せられたので、丁寧にイーアンは体を離して、再会を喜ぶ言葉をかける。
前々から気がついてはいたが、この世界の人は以前の世界でいう外人さん状態。男女共に、腕触る・顔触る・抱き締めるは、当たり前のような感じなのだ。日本人の中で育っていないイーアンでも、さすがにちょっとその回数が多い気がする時がある。
バルコニーの窓から中へと促すフェイドリッドに、イーアンは躊躇う。
「申し訳ないのですけれど。どうしてここへ来たのかも分からないのです。龍は連れてきてくれましたが、理由もなく中へ入るなど、とても出来ません」
「もしかすると。私が呼んでしまったのか」
イーアンの言葉に立ち止まって、王は龍を見る。龍は何も言わないが、じっと金色の目で王を見ている。何があったのかとイーアンが言葉の続きを待っていると、王が体を寒さに震わせた。
「あの。御用ではないのでしたら、今日は戻りますので。お体が冷えたら大変」
「駄目だ。帰らないでくれ。大丈夫だから。しかしちょっと冷えるな。どうだろう、少しで良いから部屋へ入ってもらえないか」
それどうなのさ、とイーアンは思う。大きな窓越しに見える室内にはベッドがある。明らかに寝室と分かる部屋で、突然窓から入って侵入者そのもの。相手は王様。いやー・・・・・ 無理。
「さすがに無理です。フェイドリッドが良いと仰っても、あなたの立場上、周囲が許しませんでしょう。私もそこまで気楽には出来ません」
イーアンは、自分の羽織っていた毛皮の服を脱いだ。大急ぎで青い布だけを自分の肩にかけ、赤い魔物の毛皮を王の体にかける。
目の前で上着を脱いで、自分の体にかけてくれたイーアンに、王はじんわり感動しつつ頬が赤くなる。
「そなたが。寒いであろう」
「いいえ。私にはこの布があります。頼もしい布なので私は寒くありません。それは魔物の毛皮ですし、私が着た物などで失礼と知ってはいますが、寒さの中です。許して下さい」
「許すなど。そんなことを思うな。嬉しいだけだ、ありがとう。
あの。 ・・・・・さっきの話だが。思い当たることはあるのだ。笛を。宝物庫にある、私が受け取った笛の殻を、先ほど手に持った。そしてそなたに会いたいと思い、龍と共に来てほしいと願った」
ちょっと驚くイーアン。
笛の殻って。最初の日に龍が口に挟んで割った、あの笛の外側。それをフェイドリッドが手に持って願っただけで、自分たちを呼び寄せた。正確には、龍を呼んだから、私はおまけでついて来たのか。
「そうでしたか。それでは・・・あの殻のほうにも、龍を呼ぶ力が宿っているのですね」
「そう捉えて良いだろう。ああ、しかし。なんと嬉しいだろう。これで私はそなたといつでも会えるのだ」
そうよそうよ、それはマズイわよ。イーアンはそこで困った。ド○えもんじゃないんだから、呼ばれて「はいはい」出てくるわけにも行かないわよ。遠征中とか夜とか、冗談じゃない。この人やりそうなのよね・・・・・
パパでも疲れたのに、休憩したら次は王様か、とイーアンは悩む。愛されるのは良いことだが、もうちょっとライトにお願いしますと心から願う。電話もメールもない世界に、ここぞとばかりにその価値を感じる。電話じゃ駄目なの・メールじゃ駄目なの、それが言うに言えない、この世界。
王様はめちゃくちゃ嬉しそう。
「イーアン。そういえば手紙を書いた。読んだだろうか。あの菓子が忘れられず、持ち帰って画家に描かせたが、やはりまた食べたいと思って」
「私はまだ。あの。ここの世界の文字が読めなくて、勉強中なので。それで失礼と思ったのですが、ドルドレンに読んでもらいました(※勝手に先に読んでる)。年末は出向だったので、お菓子はこれから作ります」
今、絵に描かせたとか言っていた気が。イーアンはちらっと部屋の中に目を向ける。小さな額縁があるが。あれだろうか。遠目の利かない年齢なので、イーアンには見えない。
「イーアン。会いたかった」
「え。あ、そうでしたか。それは良かった」
よく分からない返事を返すイーアン。もうパパで思考回路のエネルギーを使いきっているので、この展開の速さに付いていっていない。
「どうしたら良いだろう。そなたを部屋に入れたいし、食事もしたい。食事がまだであろう」
「そうでした。私、これからお風呂も夕食も」
帰らなきゃと我に返るイーアンに、『風呂』で反応する王様。イーアンがお別れの挨拶をしようとすると、『一つ聞きたいのだが』とフェイドリッドは真剣な顔をする。
「風呂は。まだあの」
「そうです。だから早く入らないと」
「ここで入っていけば良い」
何言ってるんですかと素で反応するイーアン。銭湯じゃないんだから、と言いたくなるが、王様が銭湯の存在をご存じない気がして黙る。『大丈夫大丈夫』と宥めて、とにかく龍に寄る。
「またお会いしましょう。今日は急でしたので失礼します」
「イーアン。行かないでほしい、まだ少ししか話していないではないか」
パパも王様も何なの、あなたたち・・・・・大人なのに何でそんなワガママ。出てるところは寒いし、体温高くないし、毛皮も着せちゃったから、私もう帰りたい。電話がほしい、電話。メールでもいい。
イーアンがうーんと唸っていると、部屋の向こうの扉がノックされる。すぐに返事がないからか、またノックが響き、向こうから誰かの声がかかる。フェイドリッドが振り返って、イーアンを見る。不安そうな顔をして、また響くノックの音に否応なしに、バルコニーの窓を開けて大声で返事をした。
「少し待て。もうあと5分くらい待っていてくれ」
それだけ言うと、フェイドリッドはバルコニーの扉を閉めて、イーアンに向き直る。
「今夜は。舞踏会で。もう支度の時間になってしまった。午後は見合いのような茶の時間。会食やら訪問やらで、もう・・・毎日クタクタだ」
苦笑いしながらフェイドリッドがこぼした。イーアンの腕をそっと触り『そなたと出られたら。どれほど自由であろうな』そう囁く。
話を聞いてみれば。イーアンはちょっと気の毒になった。でも今すぐ連れ出したら、不審者どころか犯罪者。それは出来ない。
「私の都合もありますから、いつでもとは言えません。明日はディアンタへ行くし、年始は委託工房にも出かけます。遠征もあるでしょう。でも」
フェイドリッドの呼びかけに、龍は反応するだろうからと独り言を呟く。『ちょっとの時間なら、来ることが出来るでしょう』それで宜しかったら、またお呼び下さい、と伝えた。
「そうしたら。ご一緒に龍で出ましょう」
イーアンがニコッと笑う。王は心が軽くなった。イーアンをちょっとだけ、そっと抱き寄せて(※断りにくいソフトハグ)『ありがとう。すぐ呼ぶ』きっとすぐに、と微笑むフェイドリッド。
そんなにすぐじゃなくて良いとイーアンは思ったが、とりあえず頷いて龍に乗ってお別れの挨拶をした。
「それではまたお会いしましょう」
「あ。イーアン。上着を」
そうだと思い出して上着を受け取る。急いで袖を通して青い布をかけ、フェイドリッドにちゃんと挨拶してからイーアンは龍と一緒に帰って行った。
フェイドリッドは夕闇に消えていく姿を見送る。
議会で通した話は今度、と思いつつ、部屋へ戻る。イーアンの貸してくれた毛皮の上着のおかげで、フェイドリッドはずっと暖かかった。イーアンの体温(※脱ぎ立て)。イーアンの香り(※普通に石鹸)。
廊下で煩い現実の声に気がついて、はーっと溜め息をついてから少し微笑んだ。少しだけ、気持ちが軽くなった。また会える。また来てくれる。
それが本当だと分かることが、フェイドリッドを満たす。
仕方なし部屋の扉を開け、舞踏会の準備をすることにした。あまり気分が良くないから、今日は早く下がると伝えると、様子が違うことに気がついた侍女たちが気遣ってくれた。フェイドリッドの舞踏会の時間は、幻のように現れた龍とイーアンへの思いで一杯だった。
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