2464. イーアンとイングの再現巡り②・魔物の王と『あの客』・魔導士の小屋・リリューの懸念『呼び声』
ルガルバンダに頼んでいた龍気送りを、イーアンが『もう大丈夫』と伝えたのは、引き上げ時―― 全体的に魔物が散って紛れたのを見計らった時だった。
地上からルガルバンダの名を呼び、龍気を通じ届いてと願うように『もう大丈夫。ありがとう』を頭の中で何度か唱えた後、すーっと・・・分かる変化で龍気が少し消えた。
グィードの龍気は、空中に広がっているので、イーアンの状態は楽である。
以前、テイワグナ開戦の日に、ビルガメスが『グィードの龍気』のおかげで地上に長くいた(※752話参照)話を思い出した。
とは言え・・・鈍いイーアンでも、違いが分かるくらい、ルガルバンダ経由のイヌァエル・テレンの龍気、その供給がなくなったのは、気になった。
グィードの残した龍気だけで動ける時間は、もう少しなのだろうか。イーアンは、移動しながら考える。
夜空を並んで飛ぶイングは、途中からドラゴンの姿に変わり、落ち着かなげな表情のイーアンをちょっと摘まむと、大きな片腕に抱えてやった。
「イング」
「前と、龍気が違うな。異界の精霊と退治巡りをしていたから、それほど使わないかと思ったが」
イングは、呼び出されなくても、イーアンがどう退治していたかを知っており、龍気を気にかけてくれていた。
はい、と答え難そうな女龍に『乗ってろ』とだけ言い、イングは話を変える。
『全土を回復させるのか』と訊ねると、女龍は『出来るだけそうしたい』との願望をまず伝えてから、大きなダルナの目を見つめた。口にしたくないことを、分かってほしそう。
「ふむ。修道院やら宗教関連の建物は、外したいわけか」
一緒に行った、あの植物園を思い出すイングの問いに、女龍は『全体を再現すると、あんな場所まで』と目を伏せた。
「そうだな。外すことは出来なくないが、紛れている場合もあるだろう」
「ですよね。だとすれば、一つ一つ見て行かないと分からないし。そんなこと、とてもじゃないけれど無理です。どうしよう」
「イーアン。いつもお前は、丸ごと抱える癖が」
俯いた女龍を気遣うイングに、イーアンは額をちょっと掻く。そうだなと、自分の癖を思うが。
「俺が選ぶ。それでどうだ。俺には人間の重視軽視は分からない。どうでもいいことだ」
「・・・その、意味は?」
「お前は俺に、再現を頼む。俺は引き受ける。だが俺の判断で、実行する。お前の意見は聞かない。お前の気遣いも不要だ」
突き放している言い方をしても―― イングが思い遣ってくれるのが伝わる。
私に責任を感じさせないようにしているのかと、イーアンはすまなく思い、イングは『そうしよう』とやんわり促した。
こうして、イングはイーアンを連れ、僻地から始まって、大きな町を抜きにした、言ってみれば『村落・孤島』を再現対象の中心にし、魔物に酷くやられたと思しき景観も、たまに再現を行うに留めた。
イーアンは口を出さない。イングは、人間の生活を知る。彼は『どうでも良い』と言ったが、彼が先に再現するところは全て・・・助けがなかなか来ない、大変な地域ばかり。
イングの優しさと聡明さに感謝し、イーアンはじっと、彼の再現を見守る。
ティヤーの細々ある、無数の島の上空を巡りながら過ぎ、気付けば夜明けも近くまで、イング曰く、『どうでも良い人間たちの、生活再現』が続いた。
*****
魔物の王の前に、僧服の姿が浮かぶ。
時折使う、あの城の内ではなく、嵐の止まないヨライデの孤島、その空中。渦巻く分厚い雲に巻かれ、紫電走る、豪風と狂った波の領域で、骨ばった魔物の王の足が、浮遊する石畳で止まり『来るとはな』と塵が飛ぶ雑音に似た声で、おかしそうに呟いた。
呟きが聞き取れる静かな環境ではないが、相手も普通ではなし。
ふんと鼻で笑って腕を組み、浮かぶ椅子でもあるかのように腰を下ろし、一人掛けに腰かける姿勢で、魔物の王を見下ろす。
『何の用かくらいは、聞いてやろう。俺は気紛れだ』
『呼んでみるもんだ。無視も考えたが』
『気が短いのも教えておいてやる。用を言え。聞くだけ聞く』
紺色の僧服が、風にはためく。バッと背に吹き飛ばされたフード。青鈍色の顔が薄ら笑いを浮かべて、ゆっくり頭を傾げた。『言えよ』その顔、その仕草、その捩じれ角。女龍に似て、イラっとした魔物の王だが、まずは用事。
『物は相談だ。アイエラダハッドでは世話になったからな』
『そう言うなら、俺に礼をするべきだろ』
『受け取り方だ。礼とするなら、そう間違えでもないと思うぞ・・・ 』
骨に皮膚が張っただけの奇妙な顔を向け、赤く濁る二つの目が、僧服の精霊に目を凝らす。
『俺の判断だ』
思いつきで、邪を増やす精霊―― 『原初の悪』――は、嵐の宙に浮いた、姿なき椅子にふんぞり返り、そう言うと相手に顎をしゃくった。
*****
これを。遠く離れた砂浜で、深夜に見ていた者、一人。
「また、面倒な」
バサバサと、風を受けて踊る黒髪を片手で束ね、強い風の中、もう片手に酒の容器を持つ魔導士は、小屋を背に、海に向けて出した緑色の火円輪にぼやいた。
「何かと思えば。どうなるやらだ」
酒を煽り、緋色の魔導士は眉根を寄せる。火円輪に映る魔物の王。対面するのは、あの精霊。
アイエラダハッドを出たのかと、面白くなさそうにぼやく魔導士は、最後まで聞き取れるだけ会話を覚えたが、ふと―――
「ちっ。だろうと思った」
ひゅっと火の輪を消し、踵を返す。一瞬、あの精霊と目が合った。気付いていそうだなとは思ったが、目が合った瞬間、口を吊り上げた相手に、こっちが見ているのを知っていて聞かせたと・・・・・
「嫌なやつだ」
小屋に入る手前で呪文を唱え、結界を強め、魔導士は扉を潜る。廊下を進み、暗い部屋の窓の外、小屋裏に青白い炎があるのを確認。側へ行き、『リリュー』と話しかける。
『結界は大丈夫か?お前に問題ないようにしているが』
『大丈夫。ラファル、大丈夫?寝るするでしょ』
炎の姿で来てくれたリリューは、今日はラファルに会っていない。魔導士はずっと小屋にいたので、炎に頷いて『お前は?魔物を倒してきたんだろ?今夜はいいぞ、俺がいるから』と労う。
炎はゆらゆら。会いたいのかと察した魔導士が、ラファルの部屋に誘導してやると、炎の中にリリューの顔がスッと浮かび、部屋越し―― ラファルの寝室は窓がないので ――透過した魔法で見えた、大事なラファルの寝顔を見つめた。
『大丈夫。良かった』
『俺と結界付きだ。まぁ、ほとんど問題ない』
リリューが微笑み、魔導士も笑みを浮かべる。リリューが心配する理由は、分かっている。魔導士の魔法が、時々・・・抜けがあるから。自覚あることだけに『ほとんど』と若干、濁した。
『バニザット。出かけるする?リリューここにいるから。行っても良い』
『うーん・・・そうか。だがお前も疲れていないか。疲れる、って分かるかな』
大丈夫、と繰り返す青白い炎。留守を買って出てくれるリリューの好意に、魔導士は礼を言い、すぐ戻ると挨拶して外へ出た。
リリューだけには問題ないよう、結界を張り直し、小屋裏でゆらゆらしている青白い炎に手をちょっと振る。
緋色の布は、緑の風に変わり、テイワグナ・ショショウィのいる森へ。
この―― 『リリューだけには』の配慮は、大切。
*****
リリューの気配は、決して薄くない。それでも、近づいてくるのは、なぜなのか。
――今日、この国で魔物が始まった。
リリューはコルステインに呼ばれ、海へ出て、海の奥(※海底)の魔物を倒し続けた。グィードが来た後は、魔物が消え始めた。
コルステインは『ホーミットが、魔物の出口を壊した』と言い、これから陸を動く魔物は、全部出た。
それから、コルステインは家族に帰って良いと合図し、リリューも戻る。すぐにラファルに会いに行った。ラファルの場所も、バニザットがいるけれど、魔物は出たと思ったから。
だが、会いに行く手前でリリューは、別の危険を感じ取り、それを探し続けて―――
・・・ここへ来たのが、先ほど。ラファルが眠る夜。魔導士は部屋(※小屋のこと)に居なかった。だが魔導士が外にいると分かり、リリューは少し待った。
結界がある。魔導士は、リリューが結界の側まで来れるよう、気にしてくれる。でもリリューは、『サブパメントゥが入れる』ことに、少し不安があった。
探していた危険もまた、同じサブパメントゥ。あいつだろうと、見当をつけている相手。
コルステインが注意していた、あのサブパメントゥ・・・ ミレイオを捕まえ、ドルドレンを追った、あいつ。ラファルのことも、何度も見に来ていた。
そして、今も近くにいる。
リリューがいるのに。なぜ来るのだろう、と不思議。リリューより弱いあいつが。
ラファルを探して、この側まで来たのは分かる。暫くあいつの動きがなかったから、忘れていたけれど、またラファルを捕まえようとしているのか。
透かした壁向こうで、眠るラファル。リリューは紺色の瞳で見つめた。
何があっても。自分が守ってあげる、と決めている。
魔導士の結界の端っこで、リリューは動かず、近づいて離れない『あいつ』に敵意を向け続けた。
*****
その、『あいつ』はと言えば。
気怠そうに、大きな角のある頭を傾げた姿勢で、砂浜にポツンとある小屋の影・・・真下の地中で、根競べのように佇む。
『リリュー。小さなトカゲ。そいつは、お前の親じゃないだろうに』
そんなに慕うなよと呟く『呼び声』は、青白い炎の守り以上に、自分を締め出す厄介な結界にうんざりしていた。
『サブパメントゥ一匹だけ、許可?器用な亡霊野郎だ』
魔導士の張った結界に、一定距離から近づけない。だから、リリューが動く時に入れ替わりで滑り込む。そのつもりで、半透明に透けた体を待機させていた。
そしてこの・・・飢えた獣に似た―― 危なっかしい行動の、サブパメントゥを。
離れた空から見ていた瞳が、キョロッと動く。水色と赤の混じる独特の瞳は、別の空を見つめて『あっちもか』と呟いた。
「どこもかしこも、サブパメントゥだらけ。手が足りない」
まぁ、こいつは魔導士が倒しそうだから送り込んだんだけど・・・黒土の香りを宙に残し、忙しいスヴァウティヤッシュは次の用へ飛んだ。




