246. また会う日まで
イーアンは広間を通ってから、馬車へ向かった。広間を通過する時、何人かに先ほどの話を聞かれたが、あやふやに返事をして誤魔化した。
外へ出ると、前庭の向こう。門の向こうに人影があった。もしかしてと思って近づくと、門の壁に寄りかかって、地べたに座っているパパがいた。
本当に待っていたんだと驚くイーアン。
「そんなところで座って」
「イーアン。来てくれたのか」
馬車の皆はこっちをちょっと見たが、あまり気にしないでいてくれている。パパは嬉しそうに立ち上がって、手を伸ばす。イーアンはきちんと構えて『お話がありますから、一緒に来て下さい』と伝え、すぐに裏門の壁に向かって歩き出した。この場で了承を得ようとしても、パパが騒ぐと思った。
2~3歩進んでから振り返ると、パパは何かを理解したように立ち上がって歩き始めた。
そのままパパがついてくる足音を聞きながら、壁を伝って裏へ回り、工房の近く辺りで立ち止まる。壁の向こうには裏庭があり、工房の窓も向いている方向。
イーアンはパパに微笑んで『同席するものを呼びます』そう断ってから笛を吹いた。見る見るうちに空が光り輝き、1頭の龍が飛んできた。
パパは初めて見る、龍が来る瞬間に感動しているようだった。イーアンがお願いして、龍はイーアンの真横に着地する。『今日はね。飛ばないの。でもここで私といて頂戴』龍はつまらなさそうにしながら、大人しく座った。
「はい。ではお話します」
パパはその場に座る。枯れ草があるところを適当に足で器用に均して、座った。イーアンも龍の顔の近くに座る。龍がイーアンを摘んで引きずり、手の甲の上に乗せる。イーアンが振り向いて『摘まないで』とちょっと叱った。そんなイーアンを見て、可愛いなとパパは少し笑った。
「イーアン。話とは何だ」
「一緒に行かない理由です。お父さんの想いを自分なりに考えました」
「やだと言っただろう。どうして一緒に行かないなんて意地悪なことを言う」
「意地悪ではないです。大事なことですもの」
「イーアン。俺はお前が好きだ。お前も俺が好きだと思う。『好きではない』と厳しい言葉をさっき聞いたような気がするが(←忘れにかかっている)なぜそんなに俺を拒むのだ」
「お父さんの言う『好き』は、好きではないからです」
「お前は難しい。もうちょっと簡単に言え」
えーっとね。イーアンは考える。ドルドレンが『容量が少ない男』と言っていたけれど、説明具合もどのくらい少ないのか(脳の容量)による。
イーアンはさっきドルドレンに話したことを、すごく簡単に質問形式で話す。パパは一応、真剣に考えては答えてくれている。時々首を捻っているが、質問を解説すると理解する。
思うに、7~8歳くらいの子に話す感じだと解釈するイーアン。小学1年生くらい(※52歳だけど)。最近の小学生はもっと理解が早い気もする。
「いろいろ訊かれると、俺はお前が好きではないのだろうかと思い始める」
「最初の感覚と違うでしょう?」
「そうだな。好き。好きじゃない。好き?好きじゃない・・・?」
花占いみたいになってるパパ。頭に?が沢山出ているのが分かる。あまり考えない人生だったことは伝わってくる。
「今の。シャーノザさん。お好きでしょう?どんなところが好きですか」
「シャーノザか。好きだ。可愛いし美人だ。胸もでかいし尻も良い。気持ち良いし、あれは自由だ」
「何とも分かりやすい魅力で何よりです。最後の部分は特に良いですね」
「気持ち良いところか」
「いいえ。彼女が自由な性質であることです。交わりの感想は伺っていません」
「イーアンは真面目だ。真面目にいやらしいことを言う」
「横道に逸れてはいけません。さて、私はどうですか。どんなところが好きだと思いましたか」
「え。イーアン。そんなの、まだやってないから分からない」
「間違えています。性生活についてではないのです。もしそう言うなら、私を好きではないことになります」
「違う、違う。イーアンが好きだ。待ってくれ。考える」
「考えないと分からない好きなんてありません。人の人生を連れて行こうとする人が何を言いますか」
「そんなに焦らせるな。イーアンの好きなところ。難しい。上手く言えない。でも好きだ」
「何が」
「お前、怖いぞ。怖くするな。ちょっと待て。イーアンの好きなところ・・・・・ 」
パパは必死に考える。こんな質問時間を持つなんて、生きてて初めて。いちゃついたら全てが手に入っていた男に、言葉は不要。イーアンは何でこんなまどろっこしいんだろう、と不安定になるパパ。ちらっとイーアンを見ると、顔が笑ってない。龍の手に、どんと座ってこっちを見ている。うう、威圧感がすごい。難しいことを考えないパパは、とうとう頭痛が始まる。
「イーアン。お前が好きなのだ。でも言葉には出来ない気がする」
「私が言いましょうか」
「何? 俺の気持ちをお前が?言葉に出来ないのにどうして分かるんだ」
「お父さんは。龍が好き?」
「好き」
「で、私も好き」
「そうだ。分かってるじゃないか」
「理由は。龍は強いからでしょう。大きくて、強くて、空が飛べて、誰も持っていない」
「そうそう」
「うん。では私の場合。私があなたを受け入れなくて、最初ムキになっちゃった」
「そうかもしれない。お前は俺とそっくりの息子の方が良いと言うから」
「ムキになるだけなら好きではないです。続きがありますよ。私は変わってると仰ったでしょう。顔つきや体つき、男でもなく女でもない。珍しいから誰も持っていない」
「そう。それもある。誰もお前みたいな女を連れていない」
パパは気がつく。目の前の女がイラッとしてるのを。目つきが怖い。ちょっと言い過ぎたのかもと怯むパパ。イーアンは咳払いして続ける。
「ここからです。ちょっと怒らないで聞いて下さい。お父さん、アジーズのことで私のしたことをどう感じましたか」
「なぜ怒るんだ。お前に感謝してる。お前はアジーズの家族も、失った二人も連れてきた。そして魔物も倒した。そうだろ?」
「そうです。魔物を倒したのは龍ですが。私は跳ね飛ばされただけで」
パパが驚いて腰を浮かす。『怪我したのか』顔が必死。イーアンは小さく首を振って、手で制し、パパを座らせる。『問題ありません。怪我はありませんでした』それはそうと、と淡々と話す。
「お父さん。あなたは馬車の家族の無事を守ることが努めです。いつもその責任は一人で持っていました。合っていますか?」
「 ・・・・・そうだ。なぜだ」
「でも責任を取りきれないと感じることもありますね。どうやっても不可抗力の時。そんな時もご自身を責めませんでしたか」
「やめろ。そんなことは当然だ」
「だから怒らないでと頼んだのです。お父さんは、一人でいつも、どれくらいの長さか分からないけれど、ずっと。どんな時も全てをその体一つで背負って守っています。今も。楽しい時間も、悲しい時間も。自分の手に余るほどの大きなことも」
「イーアン、何が言いたい。もうやめろ」
「やめて良いのですか。ではやめましょう」
パパは溜め息をつく。イーアンにかき乱される。頭痛もする(※容量越え)。イーアンが自分の知りたくない何かに近づいている気がする。話し始めて30分くらいなのに、何時間も経っているように感じた。
「 ・・・・・それが。何でお前を好きかどうかと関係あるんだ」
「私が。龍が。解決したと思っていませんか」
「思うよ。だから感謝したんだ」
「お父さんは、一人で背負い過ぎて疲れていることも、大変な時も、誰にもそれを見せることが出来ないでいたのではないかと思いました。出来ないことがあって当たり前なのです。一人の人間ですもの。
でも全部を背負い込むのが当然、と仰るでしょ。もし、そんなにしなくても、一緒に立ち向かってくれる誰かがいたら。そんな大きな重さを一緒に分かってくれる人がいたら。もし、解決してくれる力を貸してくれたら。それも、何も訊かず、何も理由も要らず分かってくれていたら」
パパは気がつく。鳶色に輝く瞳が、自分を知っていることに。
「お前は。どうしてそんな。それは」
「そうかなと思ったのです。もしそうなら、私にそれを見たのではないかと考えて。だけどその気持ちは『好き』ではなくて、お父さんの中に『安心したい』愛情を求めている部分です。それは私では出来ません」
イーアンの言葉に驚くパパは、急いで首を振る。理解してると分かった途端、引き離される言葉に、慌てる自分がいる。こんなに自分を考えてくれた女がいただろうか――
「イーアン。お前だ。お前なら俺を知ってる。そうだ、お前は俺を助けてくれて」
「お父さん。違う。助けたのは偶然です。それに色んなことが重なったから、龍も一緒だったし、それで私を好きになったと思ったのです。だって私の何が好きか、お父さん気がつかなかったでしょう?」
「だけど。だけど、お前が」
特別だからと言いかけて、その特別の意味を誤解される言い方を、最初にした自分を恨むパパ。どうしたら良いのか分からない。パパは苦しかった。苦しくて、切なくて、どうしたらこの僅かな距離を近づけるのか分からなくなる。
「イーアン」
「はい」
「駄目だ。離れないでくれ。大事にする。大事にするから」
「だから。違うのです。お父さん、焦ってはいけない。そうではありません。その気持ちをシャーノザさんに話して。私は単にそれを気がついただけです。シャーノザさんはあなたの奥さん。奥さんだもの、話したら分かってくれます」
「シャーノザは分からない。彼女はそうした性格じゃないんだ。良いヤツだし自由で可愛いし」
「それ以上の何がいるのです。充分ではありませんか。彼女は愛情深く優しい人です。話して支えてもらって下さい。私ではない」
「イーアン。無理だ。お前の声が良い。お前の言葉が聞きたい。お前のその賢い瞳が俺には必要だ。お前が好きなんだ。どうしたら分かってくれる。ドルドレンか?ドルドレンがお前を」
「違いますよ。私がドルドレンを愛しているのです。彼も私を愛しています。私は彼以外、この魂で愛することはないでしょう。あなたに他のふさわしい人がいるように」
「何でそんなこと言うんだ。どうして?俺がお前をこんなに求めてるのに。なぜ駄目なんだ。俺が嫌いか、イーアン」
「デラキソス。あなたを嫌いではないです。安心して下さい」
自分の名前を呼んだ目の前の、目当ての女。パパは心臓が掴まれた気がした。彼女の低い声で、全てを見通す目で、自分を包む思慮で、背後に龍を従える女。
「俺は。イーアン、お前のためなら馬車も降りれ」
「いけません。それ以上言ったら、もうお会いしません」
パパは黙る。イーアンは立ち上がって龍に顔をつけてから、デラキソスに近寄った。地べたに座るパパに跪いて、頬に手を当てて言う。『馬車の民の王です。あなたはその自由を生きて下さい』力強く微笑むイーアンの手が温かい。パパはその手に自分の手をそっと重ねる。
「俺は。どうしたらお前と生きれるんだろう」
「一緒に生きることは出来なくても。またお会いしましょう。私と一緒に食事をしてくれますか」
思わずパパはイーアンに抱きついた。イーアンも避けることが出来ずに慌てた。龍はなぜか黙って見ていた。
「当たり前だろう。お前は家族だ。いつだって、俺の家族だ。いつだってお前は」
嫌だ、一緒じゃなきゃ嫌だ、パパは泣いた。イーアンは分かっていた。パパはとても泣き虫で、とても温かい人だと。ドルドレンと同じ。優しくて、温かくて、人情に厚くて。イーアンはパパの背中を撫でながら、『また会いましょう』と優しく慰めた。
裏庭の向こうに歩いて行った二人を見ていたハイルが、ベルと一緒に覗き見していた数十分間。ちゃーんと聞こえる位置で、向こうから見えない場所で、二人は全部を聞いていた。
最後の最後で、デラキソスがやられた瞬間、もらい泣きをする観客2人。
懸命に声を立てないように我慢しながら涙をこぼす。ボロボロこぼす。馬車の民の心は熱い。許されるなら飛び出して行って抱きついて慰め合いたい。
「俺。イーアンに同じこと言われたことある」
「何つったの」
「俺がこのまま男のカッコでも、って言いかけた時」
「あ。そりゃ言うな。どっちでも良いってんだから」
「デラキソスが馬車を降りるって言いそうになる、そんなことって」
「あったんだね~・・・・・」
馬車しか知らない人生で、それを満喫する男が。それを口にすることの重さ。
クズネツォワ兄弟は、仕事で稼げなくなったことと、いい加減、飽きたことで別の生き方を選んだから、騎士修道会の旧友ドルドレンを頼った。
デラキソスは違う。イーアンを知って、どうしても一緒にいたくて、馬車を降りることがどれほど大きいかを知っていて、それと引き換えと告げるくらいに。自分の人生を差し出す気持ちで、伝えた。
そんな重さをイーアンは分かっただろうか。
分かっているから止めたのだろう、とハルテッドは思った。ベルも同じように思った。弟にもその生き方を通せと言った人だから。
「大きいよ。器でかいんだよ、あの人。『ありのままで良いのよ系』だよ」
「もらい泣きが止まらないんだけど。どうしよ。絶対隠れて聞いてたってバレる」
「だいじょぶ。あの人なら、目ぇ腫らしててもバレたとしても、笑ってくれると俺は信じてる」
「うううっ。デラキソス。泣ける」
「イーアン優しいな。ナデナデしてるよ。ちょっと子守唄歌ってる」
「羨ましい。俺もあの時、泣けば良かった」
「今泣いてるんだから、あそこ行けば良いんじゃないの」
「デラキソスに殺されるだろ、バカ」
ふんふんすすり泣く兄弟。ハルテッドと涙を拭きながらも目頭熱くなるベル。ハルテッドはもう鼻も真っ赤。
イーアンの子守唄。子守唄ではなくて、イーアンが好きだった曲。ドルドレンにも歌った、ハレルヤ。
パパはイーアンに抱きついて泣いて、いい加減泣き止んでから、イーアンに涙を拭いてもらい。お別れ。
「今立てば、暗くなるちょっと前に次の放牧地につけるようです。ここから少し北へ行った村の」
「知っている。 ・・・・・でも。もう会えない」
「会えるでしょう。また巡って下さい。お待ちしています。遠征もあれば、別の国へ行く日も・・・もしかすると来るでしょうけれど。でも私は必ずまたお会いすると思います」
「どうしても一緒には来ないのか」
「はい。ドルドレンと私は一緒です。決して離れはしません」
パパは溜め息をついた。泣き顔を手で拭いながら、諦められない表情で立ち上がる。イーアンも立って、龍の横へ動く。
「あなたも。馬車の皆さんも。私の家族です。決して忘れないで下さい。私もあなたたちを思っていることを」
「イーアン。俺はお前を探す。いつでも、空に、風に、水に、お前の姿を探すだろう」
パパはもう一度だけ、イーアンを抱き締めた。離れたくない気持ちを目一杯こめて抱き締め、辛そうに腕を解いた。その顔が本当に苦しそうで、もらい泣きしそうなイーアンは涙を堪える。
「お前の歌を忘れない。お前の瞳を忘れない。俺はお前を探し続けるだろう。またな、イーアン。龍よ」
パパはそっとイーアンを離して、その頭にキスをした。そして振り返らずに、馬車へゆっくりと歩いて行った。
日は夕方のオレンジ色に変わり始める頃だった。




