2452. 旅の三百五十六日目 ~『魔物の門』警戒継続・出入国管理局行き・海の伝説
騒ぎが増える宿での、数分間――
『シュンディーンのところに行くわ』魔物が始まったらすぐ戻ってくるから、と言い残したミレイオは、サブパメントゥの自宅へ一旦帰った。
オーリンはクフムの部屋に戻り、僧侶に、自分と居るよう命じる。
『ミレイオが結界を解いた』これが理由らしく・・・でも、結界があろうがなかろうが、オーリンはとりあえず、クフムの側にいる感じだった。
ルオロフは、ドルドレンたちの部屋に来て、フォラヴに事情を聞いた後、『微力ですが一緒にいさせて下さい』とその場に留まる。
そして、廊下では―――
『魔物が始まる』 総長の最初の一言で、宿の主人他、集まってきた彼の仲間は騒然とし、今度は宿を飛び出しそうになったのを、ドルドレンは止め『イーアンが行動済み』から始めて、自分たちはどう動くか、話した。
これを聞いても彼らの内、何十人かが夜の外へ走ったが、主人が言うに『船の用意』らしかった。イーアンの連絡を待ってほしい、と頼んだ総長に、宿の主人は暫し考え、『難しいよ』と唸るような声で答えた。
反抗ではなく、『押さえられない』の意味。そうだろうなと、フォラヴもドルドレンも感じるが。
「ウィハニの女が、誰より先にすっ飛んでったんだ。こっちが動かないわけないな?」
太い腕を、胸の前で組んだ主人は、分かりやすいようにそう告げると、話していた客人から視線を外し、窓の向こうに顔を向ける。暗い海の近く、ぽつぽつと篝火が灯りを増えてゆく。
この時、風は強いが、まだ星が出ており、雲もない――― けれど。
「午後。船着き場の水位が、下がってたんだよな。数日中に津波が来る」
窓の外、夜の海に、後ろの何人かが呟いた。ドルドレンとフォラヴは、不安気に視線を交わした。
*****
真夜中の荒波を見下ろす、双頭の首。その首に跨る剣職人。それと、視界にぎりぎり入る遠さに他二人。この二人のことは、少し置いておいて。
まずは、タンクラッドから。彼はこの時点で一通り、見て回った後。
アイエラダハッド東海から南へ伸びる、火山帯まで出かけ、そこから戻ってきてティヤー海域―― 北辺 ――の海の状況を知った。
タンクラッドが若い頃に訪れたあの場所。遠目からでも、『中に立ち入れない』と感じた、火山。あの風景は、ティヤーの一部にもかかり、そこの脇も通る波はティヤーの北を西から東まで、大きく影響すると知った。
これはトゥが教えてくれて、人魚の予言以外を知らない親方は、現地でこの被害の予測を立てる。
「かなり、遠くまでやられる気がするな。火山帯自体はティヤーの北西部沿岸と連なるが、斜めに東へ波が下りる。いきなり火山が噴火しているなんて、何があったんだ・・・もう、魔物が海底にでもいるのか」
周囲の空気も熱を含む。黒い夜に、赤い火口が浮き上がるのを、離れた場所から見つめ、タンクラッドはこれがいつ始まるのかを悩む。
「ここに魔物が見える」
ダルナは、見下ろしていた首の一本を荒れる海から持ち上げ、背の主に向けて教えた。見えていると言えば、見えている。『魔物が見える?』タンクラッドは、大きなダルナに首を傾げた。
「近くか?それとも、もうじきの話か?」
「既に、ここに。だが、動かない。そして、今は倒せない」
「んん?どういう意味だ。お前は、火山帯の噴火と波の悪化を俺に見せたさっき、何も言わなかった」
「タンクラッド。何でもお前に言うわけじゃない。確定しているなら、話すが」
逆を言えば、『確定ではない』と聞こえる言葉に、タンクラッドはトゥの水色と赤の混じる瞳を見つめ『確かでないとして。お前の意見は』と続けるよう促した。
二人の周囲は豪風。真下は荒波の連続。真っ暗闇に、銀色に仄白く光る体が、雨の高さまで飛び散る波飛沫に僅かな反射を当てる。
このダルナといて、タンクラッドは自分が負ける気もしない。自分一人では限界だった境界線を、トゥが跨がせた。そう感じているタンクラッドは、魔物を退治するなら、ここに来た時点でやれるところまでやっておこうと思うが。
胸中を読み取るダルナは、向かい合う剣職人に、『今。これに手を出すと、違反するかもな』と控えめに―― 自分を頼りにしている主を立てて ――教えた。
「違反」
思わぬ言葉に、タンクラッドが訝しむ。夜の海はますます熱気を含んで、波頭は高さを増す中、『違反』の不穏が逸る勢いを削いだ。
不穏な響きではあるが。表現を言い換えれば、タンクラッドも聞き慣れたあれだと、分かったはず。ただトゥは、主を止める、単刀直入の単語を選んだ。
聞き慣れた表現で言うなら、『魔物の門』が海に控えていて、開くまでまだ時間がある――
*****
「なるほどな」
「どういう意味だ?」
「あれと同じだ。魔物の王が、テイワグナでやり過ぎただろ」
獅子の答えに、褐色の騎士の顔に不可解が浮かぶ・・・それは、俺たちの違反と同じ?と嫌そうであれ、受け入れようと考える息子に、『そっちじゃない』と獅子は止めた。
「でも。違反、というなら、禁忌のことだろう?俺の行いの」
「バニザット。禁忌の質が違うんだ、って(素)。トゥが感じ取ったのは、『手出し無用の開始に、手を付けかねない危険』だ。お前と俺の禁忌破りは、超・個人的だ(?)。だが、トゥがタンクラッドを止めたのは、三度目の旅路を」
「混乱させる?そうした意味か?」
そうだ、と息子を肯定した獅子は、強い風に鬣をなびかせ、銀色の双頭が浮かぶ黒い空を見た。
「もうちょっと、だな。魔物は準備済み、魔物の王が開始するまで、こっちも動かない方が良い」
信じられなさそうな困惑の眼差しを、荒れ狂う海に向けるシャンガマックは、『そんな・・・ 』ともどかしいが、獅子は息子にそれ以上の説明は与えなかった。
だが『帰る』動きも促さない。魔物の門が開くのを、淡々と現場で待つ。獅子は、開く手前の門のこちら側で待機することを選んだ。
そして同じように。ずっと離れた、風のやや強い程度の空で―――
「まだなのね」
盲目の妖精は、淡い水色に輝く魔法陣を通して、様子見を続ける。アイエラダハッド北東沖にある幻の大陸、その影響で地盤が揺すられた火山の噴火、海底の動きで生じた波の変化。
「津波か。ティヤー北部沿岸の、東側・・・ 私が受け持つと、言っておこうかしら」
余計な誰かに来られても動きにくい。フォラヴとは、距離がないといけない。センダラもまた、ティヤー魔物戦開幕に備え、もう数時間、射干玉の空に佇む。
*****
宿から現場へ出たイーアンは、タンクラッドたちが手をこまねいている状況を、向かう道すがらで知った。
どこにいるかと連絡をつけたタンクラッドが、先に現地入りしていたのも驚きだったが、トゥの忠告から警戒態勢維持であるのも『なぜ?』とびっくり。詳しい話を、到着後に聞いたところ―――
合流した暴風の空中。トゥの首元に跨るタンクラッドが、『違反と言われたら』面倒そうに呟いたすぐ、イーアンはトゥに『魔物の門、の意味は分かります?』と質問。トゥはすんなり頷いて、イーアンもそれで理解した。
タンクラッドが、自分とトゥに不審げな視線なので、イーアンから説明する。説明途中で、親方も『それか』と合点がいって波の奥―― 水中 ――を睨んだ。
「大それた聞こえだが、『違反』に違いないな。魔物の門があれば潰す、と俺もお前も思っているが」
「その通りです。私たちは常に開いている門を見つけ、その都度、対処しました。ここに在ると知れば、過去同様に行動に移したでしょう。
でも、トゥは『まだ』と言います。私も魔物の気配は、滲んでいるの感じますが。門が開く前に潰すことは・・・ 考えてみたら」
「なかったかもな」
タンクラッドは女龍の話に相槌を打ち、『違反なんて聞いたら、別の危険でもあるのかと思った』とぼやいたが、よくよく考えると、確かに魔物戦が開始するのを止めることは出来ない自分たち。
開始前に手を付けては、危険で違反行為、と受け取られかねない。
「でも。いつ始まるか分かりません。向こうにはシャンガマックとホーミットがいました。挨拶していませんが、気配は彼らでしょう。彼らも待機しているし、私たちもここで」
「祝宴は終わったか?」
「終わっていませんが、切り上げた夜中に大きい地震があり、私はすぐにこちらへ来ました。思うに、宿に来たサネーティさんのお仲間も、浜で待機していると思いますよ」
お仲間=海賊。ふむ、と頷く親方に、イーアンはちょっとだけ・・・『海の伝説を聞いた』その話もした。緊迫の現場で話すことでもないが、タンクラッドの鳶色の目はすぐに食いつく。
「彼ら。私とグィードが同一と思っているようでした。グィードが現れる時、それはティヤーを守る戦いの報せ、と」
「お前が別個の存在としては、伝説に残っていないのか。人の姿の女龍は、龍の化身みたいな感じだな」
「理由もあるのです。一人の人間が頼むと、私たちを呼び出せるというか。女龍とグィードを」
「その手の伝説は多いな。呼び出し役に応じて、化身が来るか、本来の姿が来るか」
波が大荒れで、話すのも普通の声量では聞きとれない会話の難しさから、親方の返事に頷いたイーアンは『また続きを話します』と、話最初でこれを終える。了解したタンクラッドも、面白そうに少し口端を吊り上げ『楽しみだ』と、前に向き直った。
グィードと始祖の龍、そして時の剣を持つ男グンギュルズが、絶妙に伝説に絡んでいること―――
けたたましい風の唸りと、波の叩く音に声を消されるのを、イーアンは歯痒く思った。これは早めに伝えておきたい。
女龍が、海龍と同一と思われているのは、さておき。
グィードが現れ、その場に『金色の剣で竜巻を起こす男』を海賊が見たら、彼は海賊に引き留められるから。
*****
結局。この夜はイーアン、タンクラッド、シャンガマック親子も、コルステインも・・・そして、離れた空にいたセンダラも、動くことなく終わった。
自然の猛威は時間と共に増していて、だが手は出せない。これに魔物が乗ると知っている以上、『待機と準備』は必要であっても、『フライング行為』に繋がる、波の阻止や、魔物の門を壊すことは叶わず。
警戒が取れないまま、夜明けにイーアンとタンクラッドは宿に戻ったが、シャンガマック親子は、海岸の一つに残った。
妖精は、仲間に察知される場所にはいなかったため、魔物が出るまでもう少し時間が空くと解釈し、ティヤーの小さな森林―― ミルトバンを待たせた場所 ――へ帰る。
地震は一回目以降、忘れた頃にティヤーの島々を揺すり、宿で待つドルドレンたちを緊張させ続けた。しかしやはり、地震による被害はあっても、魔物がどう、と連絡が来ることもなく、空は白む。
祝宴の片付けをしつつ、宿の主人と従業員は、いつ襲うか知れない、どの状況にも対応するつもりで、あれこれ準備を進めていたようで、夜明けが来る頃、彼は総長たちに食事を促した。
主人の淡々とした様子から、ドルドレンは少し意外で『疲れはないのか。休んでいないのか』と控えめに気遣ったが、主人は『待機ってのは、状況が変わるまで尖ってるもんだよ』と往なした。
彼の返事にドルドレンは、海賊らしい神経の太さを感じ、同時に『これは頼もしい味方かもしれない』と、海版の戦士たちと親睦を深めた始まりに、期待が持てた。
主人によると、船の準備をしていた連中も、あまりの波の荒さで、湾の影に船を移動した話だが、これも『どうしようもない嵐でもなければ、魔物が出次第、船を操るだろう』と覚悟は疾うにある状態で、本番に備え、時機を見ているらしかった。
他の客も含め、片付いた食堂に入った一行は、緊張の消えない朝食を摂る。ミレイオは戻っており、クフムは部屋。オーリン、ルオロフ、フォラヴと、ドルドレン。ザッカリアは空、イーアンとタンクラッドはまだ戻る手前の時間。
「タニーガヌウィーイー。覚えていますか?昨日、イーアンに話しかけた」
食べているドルドレンたちの席に、宿の主人が来て徐に訊ねる。目立つ人物だっただけに、勿論覚えていると答えると、『ンウィーサネーティが、お客さんの書類を受け取ったみたいだけど、タニーガヌウィーイーが筆を加えるらしくて、本人の許可がほしいと』・・・微妙な内容だが、ドルドレンは頷いて、ルオロフは目を伏せた。
「それは、つまり。出入国管理局へ、俺たちが出向くことだろうか?」
「はい。手っ取り早いです。許可なんて言っても、質問もあれば確認もあるわけで。伝言往復じゃ、終わるもんも終わらない」
遠回しに、宿の主人は管理局へ行くことを促し、ドルドレンたちも本来はそうするはずだったので、素直に応じる。主人は『もし魔物が出たら、それはそっち優先で』と、まるで組んだことのある戦友のような一言を残して、厨房へ下がった。
「彼らは、良い味方かも知れない」
切り身魚と貝の煮つけ、細く切られた揚げ生地を食べ切ったドルドレンがそう言うと、ルオロフは済まなそうな上目遣いで『総長の許容に感謝します』と謝った。
フォラヴが少し笑って『気にされないで』と慰め、可笑しそうなオーリンも『お前も知らなかったんだし』と続けた。
「イーアンたちはどうなの?連絡していいか、ちょっと分からなくて、私連絡とってないんだけど」
ミレイオが豆の前菜を分けて尋ねた時、そうだなと答えかけたドルドレンは、窓の外の空がキラッと光ったのを見た。
「一緒に行くか、状況を聞いてからだ」




