2438. 船時間 ~③『狼』 VS ロゼール・貴族としての告白・戦旗の駒維持
なぜシャンガマックが、と思ったんですよ・・・ イーアンがボソッと本音を漏らし、隣のドルドレンもちょっと頷いたものの。
『シャンガマックは、実に素直で正直な男である。そして、彼は戦うことを楽しむところがある』と、手合わせ失態で拘束中が自身を縛り付けているにしても、前向きな姿勢・・・と褒めた。
人一倍ワクワクしている、シャンガマックをちらっと見れば、衣服も軽快。
この前まで、誰よりモフモフしていた彼は、ある日から急変。
すっきりぴったりしたチュニックのような上着は、大振りの黒い柄が前後も袖も飾り、彼のズボンも筋肉を浮き立たせるような艶を持つ(※いつの間に、と皆が思う着替え)。
引き締まる褐色の皮膚は、海を行く船の甲板で、陽射しを撥ね返し、意気揚々とした表情は、力が漲って・・・ 誰もの目にそう映る、シャンガマックを眺め、イーアンは『あなた、戦うんじゃないのに』と呟いた。
そう。朝食後―――
ロゼール思いつき・シャンガマック後押しにより、『ルオロフ同道への試験(?)』とやらで、皆さんは見物で甲板に上がったところ。
甲板を使う許可は、予め船長に取った。ルオロフが責任を持つが、『破壊はしない』と約束。
船長は『破壊?そうじゃなくて、海に落ちたり、怪我でもされたら』と噛み合わない話に困っていそうだったが、『全部大丈夫です』とルオロフが余裕なので、後は大貴族任せ(※ティヤーの人に、貴族社会はまだ通じる)。
ルオロフは舳先側。ロゼールは船室入り口側に立ち、船室寄りの甲板に観客。すっ飛んできたら、切れのある動きで、皆さんがロープ代わりに受け止める予定。
「(ザ)空中はイーアンがいるしね(※キャッチ)」
「(タ)怪我しても、フォラヴがいるし(※ヒーリング)」
「(ミ)とりあえず、二人とも人間だから。ロゼールは微妙に違うけど、怪我してもシャンガマックの薬があるから、まぁ、大丈夫よ」
「(ド)では、開始!」
総長の号令で、パッと身構えるルオロフ。ロゼールは自前の手袋をつけて、パンパンと両手を打った。その音と癖に、シャンガマックがフフッと笑い、フォラヴも『懐かしい』と微笑む。ドルドレンも然り。彼は攻撃前、必ず合図―― 手袋を打ち鳴らす ――なと、部下を見た一瞬。
正確には、視線が定まった一瞬―――
「うわっ!」
叫んだロゼールが真横に吹っ飛び、皆がギョッとする。吹っ飛んだ右側に、タンクラッド。急いで受け止めようと動きかけたが、タンクラッドの前にひゅっと赤毛が見えた。
まさか、と目を見開くタンクラッドの視界に、次はロゼールを背後から抱えたルオロフが高く飛ぶ姿が映る。
「うそお」
ミレイオが仰天。全員仰天。素早さと跳躍力が半端ない。あのロゼールが、とドルドレンも真っ青。
背中を取られていきなり飛び上がられたロゼールは、びっくりしたものの空中でぐるっと下半身を回し、背のルオロフを足で絡めて目一杯体勢を変える。
「お。さすが」
拍子抜けする誉め言葉が首の後ろで聞こえ、挟んだはずの両足の隙間に風が吹き抜ける。落下している最中、その2~3秒。ロゼールがハッとして真下を見た時、燃えるような赤毛が、陽射しに輝く火矢の如く、突っ込んできた。
「なん・・・?!」
「遅い、かな?」
落下したはず―― ルオロフは、落下も次の跳躍も、ロゼールが落ちている最中でこなし、飛び上がったところで顔が向かい合う。薄い緑色の瞳が、凝視するロゼールにキラッと光る。まるで、獲物を捕らえたような。
その目にロゼールは腕を突き出し、貴族の手首を掴む、が、右手を握られたルオロフは、ひゅるりと骨を抜いたように滑り抜け、落ちるロゼールの腕を足場に、軽く蹴ってさらに高く飛んだ。
なのに。ロゼールは落とされない。蹴り落とされたはずが、空を掴もうとした片手を引っ張られ、また上に放られる。何が何だか。
「なんだあれは」
呆気にとられるオーリンの目が落ちそう。見上げては下を見る、その速度が激しく、タンクラッドは首に手を当てる(※首負担)。イーアンもぼうっとして、頭カクカク(※上見て下見ての連続)。ミレイオも開いた口が塞がらない。
「人間じゃない、じゃないの」
思わずこぼした一言に、上を見つめる横のザッカリアが『言ったでしょ』と・・・ここまでとは思ってなかったように、放心状態で返す。
目を輝かせるのは、シャンガマックで大興奮。『すごい、素晴らしい!』と両拳を握り締めて、連呼。
フォラヴも動体視力が良いため、コロコロ鈴の声で笑って『素晴らしいです』と軽く拍手(※余裕)。唖然とするドルドレンもつられて拍手。あのロゼールを手玉に取り、空中戦・・・ 既に、空中戦である、と認めた。
ロゼールが、下りられない―――
翻弄され続け、彼は飛び上がった最初から、ずっと空中に留められている。針で宙に固定された、蝶のように。
甲板と宙を行き来するのはルオロフで、ガンガン跳ねるその勢い、目にも止まらぬ速さ。ロゼールを下に降ろさないよう、跳ね続ける空中で、蹴鞠のように遊ぶ。
「狼男だ。俺が森で見た、『赤茶の狼男』がいる」
痛い首を押さえた剣職人が呟き、そこから大声で笑い出す。『とんでもないじゃないか!』ハッハッハ・・・と、愉快そうに笑う剣職人に、ミレイオも『武器なくて良かったわよ』と、両手を叩いて一緒に大笑。
ルオロフは、甲板と舷縁を跳躍時の足場に使い、上がれば上がるで、ロゼールをバネにした。帆と綱に触れない高さと角度を保ち、『破壊しない』と船員に伝えた言葉を守る。
「ドルドレン。止めた方が」
上下忙しく見ながら、イーアンが隣の伴侶の腕に触れる。ドルドレンも、そろそろと思っていた。始まってから数分経過しているが、ロゼールは空中で弄ばれて、全く逃げられない。
「こんな男とは」
「狼、ね。危険ですよ」
ドルドレンの驚愕の呟きに、カッカッカと笑うイーアン(※これも余裕)が首を横に振って『ロゼールを下ろしてあげましょう』とドルドレンに合図を頼む。
「そこまで!」
総長の声が青空に響く。ふっと緩んだ赤毛の貴族は、空中のロゼールを抱えて甲板に着地。ロゼールは、疲れて肩で息をしていた。
「すみません。大丈夫でしたか」
ちょっとばつが悪そうに謝る貴族に、甲板に腰を下ろしたロゼールの、恨めしそうな顔が向く。
「早く言って下さいよ。そんだけ動けるなら」
「ロゼールが敵わないとはな。武器なしで良かった」
言おうとした文句を遮ったのは、褐色の騎士。側にすぐ来た彼が影を落とし、手を伸ばしてロゼールを立たせた。ロゼールはシャンガマックも睨んで『安全ではあったでしょ』と嫌味を言った。
「怒るな、ロゼール。お前の提案だぞ」
笑顔の消えないシャンガマックに、ぶすっとするロゼール。ルオロフが『すみません』ともう一度顔を覗き込み、ロゼールも苦笑するしかない。『いや、謝らないで。情けなくなるよ』と返し、ニコッと笑って周りを囲む皆に言った。
「好き放題いたぶられたけど。でもどこも、怪我してないです」
「『いたぶられた』って!」
そんなつもりじゃと慌てるルオロフに、涼しい声でフォラヴが笑い『いたぶっていらしたでしょう?』と追い込みをかけ、困る貴族にイーアンも失笑。
「(イ)あれで『ただの若造』?何を言ってるのやら」
「(ル)イーアン、これでも狼に比べたら不自由です」
「(タ)いや。充分だろう、『赤い狼』。さてドルドレン、どうだ。面接は受かったのか?」
可笑しそうなタンクラッドが背を振り向き、後ろに立つ黒髪の騎士も困惑気味に『受からないわけがない』と答えて、場が笑い声に包まれた。
「確かお前。剣も使えるんだよな」
ルオロフの隣に来たオーリンが尋ね、ルオロフが『称号はあります』と、騎士団の試合に勝って称号を得ていることを教えたら、聞こえているロゼールは、更に嫌そうな顔(※やられ損)。
――だがロゼールは、身を以て体験して良かったとも、実感する。
怪我をしなかった・・・ あれだけの攻撃を受け続けて、手も足も出なかったのに。ルオロフは、俺に痣も作らなかった。
どんな力加減だと首を捻るが、逆を考えると、敵に回ったら空恐ろしい。怪力ではないだろうけれど、力の流れを全て把握している、力の動きを全て掌握した自在な能力。
貴族なのに、野性――― これが『狼男』だと、そんな印象が、刻み込むように残った。
手合わせを見ていた船員数人も、直後にルオロフに握手を求めたり褒め称えたが、ルオロフは失礼のないよう、船員からの質問はさらっとかわし、旅の一行と談話室に移動。
腹ごなしの朝食後、手合わせは数分で終わったが、ここからはルオロフを囲む時間で、午前が過ぎる。
人間離れどころか、狼男の身体能力を維持している恩恵が、専ら話題の軸ではあったが、時間と共に彼の今後の話に及んだ。
『彼自身が何をできるか』から、『彼が知っていることは何か』へ。
ティヤーについて、ルオロフは情報でしか知らない。同行するが、道案内は出来ないのが、皆にはちょっと残念。
ルオロフが狼男だった時は、アイエラダハッドから出られず、現在の人間状態でも国外へ出ていないから、ティヤーの知識は、書物や報告、地図、人の話に限る。
通訳が出来るため、それは助かるところだが・・・ 要は、旅の仲間と変わらないのだ。
ティヤー案内役は、『僧侶クフム』に頼るのみ。そう気づいた皆は、ルオロフが知っていてくれたら良かったのにと、口には出さないが思う(※クフム必須と理解)。
「ティヤーの道。海も陸も。クフムと地図頼みだな」
腕組みして長椅子の背に寄りかかった親方の言葉は、皆が同じ。ルオロフも『そこは役に立てないですね』と頷くが、『そのつもりで動く気でいた』と、先に考えたことを話した。
「船はどこでもあるので、定期航路の表を手に入れましょう。陸の道は運輸局で地図を買うことにして。それと、最初に着く港は、ティヤーで一番アイエラダハッド寄りですから、端っこと思って下さい。
本当は、別の船で奥へ乗り継ぐのが普通ですが、私たちは公的業務で動くので、乗り継ぎはせず・・・船の着く町にいる、知人に連絡を入れて少し滞在したいです。出入国の手続きは済んでいますので、それはもう気にしなくて良いから、これからティヤー巡回に適した順路を、先に知人の手を借りて、粗方組みたいと思います」
「知人とは、貴族か」
ドルドレンが尋ね、ルオロフは少し考えて『貴族ではないが、アイエラダハッド貴族と馴染んだ人柄』と印象を教えた。貴族的な態度を取る、人物。
「私の仕事繋がりです。確か、ハイザンジェルの貴族とも交流がある人だったような。これは、会ったら確認しますね」
「ハイザンジェル貴族?」
「そうです。あ、そうだ。ところで私が付き添いで来たことは、まだ機構に連絡が行っていませんよね?」
徐に思い出し、話を変えたルオロフに、ドルドレンも頷き、ロゼールも『はい』と答える。
ルオロフが付き添いから同行者として動くのを、現地で決定した総長は、『身元の扱いがまた違うから』とロゼールにこれを相談。
「うーん。バイラさんは警護団、ドゥージさんは個人で報告も不要でしたものね。ルオロフは、ゴルダーズ公が推薦して付き添いに入ったから、まるで立場が違うか」
ロゼールも『この場合は、ちょっと特別かな』と首を傾げる、ルオロフは『自分のティヤー同行を機構に伝えてほしい』とお願いした。そして、少し言い難そうに・・・この場で―― 大切な事情を話しておこうと決める。
「ハイザンジェル国王の実弟が、西部のクレイダル卿と懇意な間柄です。アイエラダハッドに、物資の支援を願いたいと思います。私の姓名もお伝え頂けると、話が」
「あんたが来たのは、そういう裏もあったのね」
話の腰を折るミレイオが、前かがみに座っていた背を伸ばし、ぽんと膝を打つ。
嫌味ではないが、ざくっと切り込む口調に慣れないルオロフは、ちらっと見て『そのための、ゴルダーズ公への財産譲渡でした』と、ここに繋げた。
「アイエラダハッドの民を一日も早く救うため、貴族が残った力を振り絞る。ゴルダーズ公と話し合い、私は彼に財産を渡しました。私が、あなた方のティヤー入国時に保証人として間に立つのも、ハイザンジェルの機構に届く話。
ハイザンジェルが魔物被害で経済的に危険だった時、アイエラダハッドも物資供給を続けました。ただ、だからと言って逆の現状、『次はそちらの番だ』といきなり言えるわけもないです。ハイザンジェルは立ち直ったばかりで、まだ復興中でしょうから。
それも理解してのお願いです。アイエラダハッドは広大ですが、全てをお願いするわけではない。
私たちも私財を投げ打ち、民の生きる基盤を取り戻すために動く。この姿勢を見せて、頼もうと臨みました。ハイザンジェルの手を貸してもらえるかどうか。相談するには、貴族の繋がりと、その関係が途絶えていない状態が、最も早く、最も的確と考えて、です」
繋がりが途絶えない――― この場合、国王とハイザンジェル貴族を後ろ盾に持つ、魔物退治の派遣に関わることが、現時点で一番強く繋がった状態。
一気に喋ったルオロフに、ドルドレンは何度か、ゆっくり頷く。じっと見つめる灰色の瞳に気付き、『裏ではないんです』と真っ直ぐ眼差しを向けた。
「分かっている。この話は、しづらい質だろう。だが話してもらえたなら、動くだけだ。助け合うために、俺たちは国を跨いで旅をする。協力は当然だ。ロゼール」
「はい。近い内に。ティヤーに渡ったら、一回戻りますよ」
ドルドレンはすぐにロゼールに命じ、ロゼールも心得て了解する。あっさり通った了承に、ルオロフは頭を下げて礼を言った。ミレイオは『そんなつもりじゃなかったけど、言葉が悪くてごめんね(※裏と言った人)』と謝っていた。
―――そうか、と考えるドルドレンの脳裏に、もう一つ浮かぶことがあった。
俺はクレイダル卿の『戦旗の駒』を持っている・・・東の貴族に通じ、古王宮に関わる証として借りた、戦旗の駒はどうするべきかなと。ただ、これを誰に聞くのが良いか分からず、この話はしなかった。
そして・・・ 昼になり。昼食は、軽い内容ですぐに終わって、午後はそれぞれの時間を過ごす。
夜には、港に入ると聞いた皆は、短く感じた貴重な船旅半日間に浸ったが、こんな時でもゆったりは許されにくい人、一人。
「あら・・・呼ばれた」
やれやれ、と船室でドルドレンと話していたイーアンは、丸窓の表に顔を向ける。
青い海に午後の陽がちらつき、和やかな海原・・・ 『あれは』一緒に後ろを向いたドルドレンの目が険しくなり、イーアンはボソッと『大丈夫。私たちの味方です』と呟いた。
「ちょっと行ってきますね」
「イーアンは忙しいのだ。で、あれ、誰なの」
「あの~・・・えー。オウラと同じ種類というか」
あとで説明しますね~とドルドレンの頬にちゅーっとしてから、イーアンは部屋を出る。
揺れる廊下を歩き、頭をワシワシ掻く女龍は『なんかこう、一日ゆっくりってないのかなぁ』とぼやきながら、部屋から近い反対側の昇降口へ行き、船尾楼甲板へ上がった。
お読み頂き有難うございます。




