2434. 僧院『知恵時代』②・出国前夜の晩餐
魔導士が現れたのは、別荘の建物から、少し奥まった雑木林。
夕方より早い時間でも、斜めに差し込んだ陽射しの作る影は深く、光と言えば、林を通る細い小川に、僅かな光を撥ねる程度。
ロットカンドの敷地で、生き物のいない飼育小屋と柵が残っており、周りに木々が並び、物陰としては丁度良かった。
南南東の暖かい潮風が抜けるとはいえ、まだアイエラダハッドは冬。下草の短い飼育小屋の壁、柵に寄りかかり、影の濃い場所に魔導士と獅子、少し夕陽が当たる暖かい柵側に、シャンガマックが落ち着く。
冷えないかと獅子に聞かれ、このくらい問題ないと微笑んだ騎士に、『話は何だ』と魔導士が割り込んだ。
じろっと見た碧の目を無視し、黒い長髪を片手でかき上げた魔導士は、子孫に髭の顎をしゃくって『話せ』と態度で命じ、シャンガマックは若干、緊張しつつ用件を伝えた。
「来てくれたことに感謝する。聞きたいことがあった。あなたの時代に、僧院で作られていた知恵が、もしも今も通用しているなら、見抜く方法・・・何か土台になるものを見分ける方法がないだろうか、と思って」
魔導士は、言葉を切ってじっと見つめる若い子孫に、『それを知ってどうする』と嗄れ声で聞き返す。獅子が何かを言おうとしたが、シャンガマックは手の仕草で獅子を止め、魔導士に理由も話した。
暫し、沈黙。魔導士の漆黒の目が、別荘の大きな影にちらっと向き、あの中に居るイーアンが過った様子。
シャンガマックは、彼にも父と同じ指摘を―― イーアンに聞けよと ――言われるだろうかと思ったが、意外にも魔導士は腕を組んで『ふむ』と子孫に視線を戻し『お前なりに気にしたか』と、シャンガマックの配慮に気付いた。
あ・・・と、分かってもらえた嬉しさが顔に出た騎士。獅子は面白くなさそうに顔を背け、魔導士は隣で機嫌を損ねた獅子を鼻で笑う(※見抜く)。
「例え、イーアン越しに俺に聞いたとしても。お前に話すのがイーアンじゃ、な。あいつも何でも気にするから、話さないことが多いのは目に見えてる」
「そ、そうなんだ!イーアンはきっと、どこまで教えていいか考えてしまうだろう。だから」
配慮を汲んでもらえたシャンガマックが大きく頷くと(※ぶすーっとする獅子)、魔導士も『まぁな』と余裕気に笑みを浮かべて頷いた。
「で?お前はどこまで、小僧(※シャンガマック)に話したんだ」
話を獅子に振る魔導士は、横の獅子を腕組みしたまま見下ろし、獅子は『お前が前にやって見せたことだけだ(※1844話参照)』とぶっきらぼうに答えたが、魔導士に突っ込まれた。
「それじゃ分らんだろうが。内容を言え」
「面倒臭い奴め。自分がやったことさえ、思い出せないとは」
「ヨーマイテス!教えてくれるんだから、怒らないで」
サクッと息子に止められて、獅子はうんざりしたまま、『石や、水で爆発する』『冷たい箱』『部品の組み合わせで、蒸気を籠らせて物を動かす』『雷を発生させる・引き込んで』・・・まで話し、『もういい』と遮る声が降ってくる。
じろりと見た碧の瞳に、橙色の斜光が差し込む。宝石のように光った獅子の瞳は、以前―― 遥か昔に、その場面を教えた時 ――と同じ。
だが今、獅子は自分の友ではない・・・ふと掠めた気持ちに、魔導士は物寂し気に『よく覚えてたな』と呟いた。
「それだけ言えば、十分だ。おい、小僧。ティヤーで主に重視しているのは、今『雷を引き込んだ』と獅子が言った続きだ」
「・・・それと。『部品の組み合わせ』も?」
「そうだな。雷は、ティヤーくらいよく落ちると、使いたくもなるだろう。が、それを使う術を知る者はいなかった。俺たちの時代は、魔法に長けた連中が現在よりずっと多かった分、わざわざ『面倒臭い雷誘導』なんて、当てにしない。
ただ、学問の流れで、それは起こった。同じ結果に繋がる方法だ」
同じ結果とは。シャンガマックが獅子を見て、獅子は小さく首を横に振った。父は知らないのかと頷き、続きを魔導士に頼むと、魔導士も教えて良い範囲のためか言葉を考え、ゆっくり話し出す。
―――落ちる雷を、誘導までは出来ても、溜めることも使うことも出来なかった。
『雷発生』に、とヨーマイテスが言ったが、魔導士が当時、彼に見せた方法に、実は魔法が使われていた。だがこれは、魔導士が『手間を省いた』から、魔法を挟んだだけで、魔法抜きでも出来ないことはないそうだった。
とは言え、『一定しないし、安定もしていない』と魔導士はこれを駄作と言い切り、雷と似た現象を屋内で出せても、『これだけでは何の使い道もない』と教える。
では、この『雷を発生』自体が、なぜ求められたかと言うと、ここから拡がる先のためで、これが『排除される問題の起点』にあったのではないか、と呟いたが、彼が思うところは喋らなかった。
魔導士が最初に伝えた『ティヤーで力を入れていると思われるもの』。
それに続く話は、大体がヨーマイテスにも見せたことのお浚いで、シャンガマックは、聞いても想像が付かず、ちんぷんかんぷんだった。
それを分かっているだろうに、魔導士は説明を掘り下げることもなく、獅子はそんな老バニを胡乱な目で見ていたが、魔導士は淡々と『適当』に、僧院でかつて試されていた実験や成果を端的に、つらつら話し、ピタリと止まる。
「あの。俺が分かっていないだけなのだが、少し説明をもらうことは出来ないだろうか」
言い難いが、シャンガマックは頼んでみる。自分が知りたい要点とは離れた、現象だけの説明。
おずおず、魔導士の言葉が終わったところで頼む褐色の騎士に、獅子も魔導士を睨んで『お前に聞いた意味があるかどうか』と嫌味。
シャンガマックの質問には反応しなかったが、獅子の嫌味には反応し、バニザットは腕組みしたまま獅子を横目に『黙ってろ』と流した。
「せっかちな。ヨーマイテスと似てきたな。まずは何をしたか、それを教えてやったんだ。これを踏まえて、大元の見分け方やら探り方がある。
いきなり答えだけ話したって、お前自体、あの手の知恵を知らないんだから、もっと分からんだろうが・・・ちゃんと聞けよ。
でな、とどのつまりは、どうしたってイーアンだ。実際に『その世界』にいた分、経験が日常にも及んでいる。あいつに、この世界でも通じるやり方を頼め」
最終的には、イーアンに丸投げ? 面食らった騎士に、魔導士は続けて、当時の知恵の際に使った、試験の方法と見分け方を教えた。
聞いて、シャンガマックが思ったことは―――
魔法と違い、かなりはっきりした対応に分かれている、印象。
言われてみれば、自分たちも似た日常の一端はあったが。その先が分からない。その広がりは考えもしなかったこと。これらはずっと、共通する特徴や条件と共に存在しているのか、と感じた。
・・・雷に似た特性は、近くへ行けば耳鳴りに似た音がする。それは水を避けろと言う。凄まじい速度で水を伝う、そして空中にも散る。乾いた空気だと摩擦でも生じる。大地に落とすか、雷を通さない物質で弾くしかない。
逆に、一見して炎と関係しない鉱物や無害に感じる粉の類は、一瞬で熱と炎に繋がるため、水は効く。石炭のような燃える石が相手だと、大量の水で包み込めないなら、逆効果を生む。
冷たい箱に関しても、現代にどのような形で現れているかまだ分からないが、もしもそれがあれば、その場合は、下手に熱を入れてはいけない。
周囲に比べ、妙に温度が低い場合、雷の属性ともう一つ、空気に似た別の気体を使っている可能性がある、など・・・
最後まで聞いて、シャンガマックは何度か過った―― 以前、支部にいた時にイーアンが皆に教えた、退治の方法。魔物の体の使い方を選んだ、あれらの話。
それだけではなく、イーアンが魔物を加工するために、使っていた手順。
イーアンが旅路の初めの方で、まだ龍の力が覚束ない時に見せた技・・・ それらが、パシンパシンと火花のように、シャンガマックの脳裏に弾け、あれはこの関連だったと感じた。
何か思い当たった顔つきの騎士。魔導士は声を落とし、目を上げた彼と視線が合うと、『な?後は、イーアンだ』と話はここまでにする。
「有難う。言われていることが分かる」
「そうだろ。あいつも・・・イーアンも、お前と同じように俺に質問した。過去の僧院で、何をしていたか。
当時の印象(※2200話参照)を少し話してやったが、俺の答えを聞くたびに、獲物の正体を見抜く目に変わってゆく。あいつは、体験と応用が豊富だ。そして、挑戦と失敗を恐れずに進む力を持つ。
対策を、臨機応変、その場で考え付くだろう。俺の話せることは以上だ」
ぽかんとしたシャンガマックと。面倒気に視線を外した獅子。 イーアンを褒めている認め方に、意外。
「・・・俺は、先にティヤーにいる。じゃあな。せいぜい」
ひゅうっと緑の風に変わった声に、面白くない獅子が『もう行けよ』と遮り、風は軽く笑い声を残して消えた。
*****
ザッカリアは、魔導士にも別れを伝えたが。
「悩ませないでよ」
誰にも聞き取れない、溜め息混じり。
夕方を少し過ぎた辺りで呼ばれた食堂には、アイエラダハッド南料理に、菓子まで並んだ食卓が待っていた。
良い匂いがするな、と思っていたら。ザッカリアは眉値を寄せて真剣に、この想像していなかった引き留め(※引き留めてない)に苦しんでいる真っ最中。
着席した前には、南特有なのか、見たことのない美しい輝きや滑らかな艶を放つ、不思議で魅惑溢れる菓子が並ぶ。
正確には、菓子は食卓の中央ら辺に寄せて並べてあり、各人の前には、食事となるご馳走があるのだが、ザッカリアは菓子に目を奪われた。これは絶対に俺か好きな菓子だと、食べる前から直感が告げて目が釘付け・・・
―――出国前だからと、気を遣った貴族の想い。
朝方、ロットカンドは、総長とタンクラッドに『無理なら良いが、良かったら今日は食材を願えないか』と相談し、理由が『活躍して守ってくれたあなた方を送り出したい。せめて、我が家で料理した晩餐を最後に』だった。
食材だけ求めた貴族に、タンクラッドからトゥに頼み、頼みは難なく叶えられ、貴族は料理人に出来る限りの食事を作らせた今日は、アイエラダハッド最後の滞在と、別れと感謝のおもてなし。その結果が、ザッカリアの苦難。
苦難ほどでもないはずだが、ザッカリアは『菓子』にまで頭が回らない日々で、いきなり目の前に並ばれて困惑した。デネヴォーグでは、ゴルダーズ公の屋敷で世話になった毎日、一日に一回は確実に菓子をもらっていたのに。
あちらを出発する前にも、執事サヌフや召使さんたちが、菓子の好きな少年にたくさん食べさせてくれた。
が。 南東に出かけてすぐ、不穏な出だしと共に決戦へ急かされ、船に乗り換えてから、死と蘇生を経たザッカリア。
決戦後のヒューネリンガは、物資も食料も満足ではなかったし、それはここアズタータルも同じだったので、菓子のことなど、疾うに頭からすっぽ抜けたまま、『俺はティヤーでサヨナラなんだ(※毎日思うこと)』一色。のところへ、『最後の晩餐』と貴族らしい慮りが見せた、それは。
「ああ・・・・・・・」
「どうしたの?」
隣で机に突っ伏した少年に、ミレイオが驚いて背中を摩る。具合悪いのか、部屋で休むか、と慌てるミレイオやイーアンに、急いで『そうじゃない』と止め(※部屋帰るの嫌)、ちょっと気持ちがと言い訳して、大人を落ち着かせた。
ロットカンドさんも心配そうな視線を向けるが、ザッカリアは力なく微笑んで『最高のおもてなしだ』と、辛くなった本心を絞り出して、礼を伝えた。そして、全部食べたいから部屋には帰らない、とはっきり最初に念を押す。
ムリしないでとミレイオは気にしたが、少年は目を合わせなかった(※絶対食べるつもり)。
なぜか苦し気な少年を気にする大人ちらほらいる中、ロットカンドはこの晩だけは、ちゃんと挨拶から始まり、常に戦い守り抜いた戦士全員に祝福を祈り、部屋の奥に並ぶ召使たちと共に拍手で〆ると、『大したおもてなしではないけれど、存分に食べて下さい』と夕食を促した。
言われた側から、『アイエラダハッド南部料理』が堂々披露された夕食に、がっつき始めるタンクラッドやオーリン、シャンガマック。他に目もくれず、目の前にある料理を抱え込んで食べる姿を、フォラヴは微笑みで静かに見守り、彼らに取られる前に好きな料理を皿によそう。
シャンガマックは、お父さんを部屋に待たせているが、持ち帰る様子はない。普段、こうしたものを食べないから、今晩は食い溜め状態で、出来るだけ味わっておく(※部屋にも後で少し持ってく予定)。
ドルドレンもタンクラッドたちと同じような具合で、頬に詰め込んで食べる手は止まらないけれど、こちらは横にイーアンがいるので、話しながらの食事。若干、速度緩め。
ミレイオは、黙々と食べる隣のザッカリアを気にしては、『これも食べるか・あれも食べるか』と男共に取られる前に、少年が頷く皿を引っ張ってやり、ルオロフはこんな皆の様子を楽しそうに眺めながら、ロットカンドと明日の打ち合わせ込みで食事を進めた。
この席に、クフムはいない。シュンディーンも、ロゼールもいない。ロゼールはシュンディーンに『肉をあげたい』と先に頼んであったので、部屋でシュンディーンと一緒に夕食。これはロットカンドも『精霊の子だから』と事情を了承した。
・・・クフムは、自ら遠慮した。誰も声をかけには来なかったが、自分も部屋から出なかった。距離を持つことを受け入れた夜、朝に買った明日用の一食を、少し食べてからそのまま横になった。
―――頭の中で、悔しい問答は続く。あの女龍が、嫌いで仕方ない自分がいる。
お読み頂き有難うございます。
ここからちょっと、お菓子写真。同じようなのがたくさん並びますけれど、この日のためにせっせと作りました~
柑橘類、ベリー系、冷菓、チョコレート。
アイエラダハッドの冷え方と、でも日中は暖かい南南東の港町だから、のお菓子。
生クリームのムースと、赤い実のゼリー。
シナモンとはちみつのアイスクリーム。
チョコケーキ。
ピーナッツクリームのムースとオレンジ。
ブラマンジェとクッキーと、オレンジとチョコレートソースの冷菓。
ムースと生クリームとベリーの冷菓。
クリームの入ったお菓子のパン。
他にもあるのだけど、ここでおしまいにします。ザッカリアが好きそうなものを選びました。




