243. デラキソス・ダヴァート見参
昼過ぎ。昼食を終えたドルドレンは、イーアンと一緒に出かけようかと考えていた。
工房は静かで、有難いのか何なのか、いつもの訪問者もなく大変寛げる状態だったが、よく晴れているし、ずっと籠もっているのもどうかなと。イーアンは本を見ている。
ちょっと二人で近くの町まで出かけて・・・・・ あの布団買った小さい町。あそこでもいいから、ウィアドでのんびりぽくぽく。そんな散歩も良いかも知れない気がしていた。
イーアンが昼食中に、ダビに鎧工房の話するのを忘れたとか、ザッカリアにお菓子渡してなかったとか、忘れっぱなしのことをぼやいていたので、それらはもう『工房の外に、張り紙でもしておきなさい』と教えて済ませえる。
工房の前に椅子を出して、ダビ宛の書置き、ザッカリア宛の袋を置かせた。工房に来て留守なら、それを見て持って行くだろうからとドルドレンが言うと、こんなの等閑みたいとウジウジ悩んでいた。
普段と変わらないのは良いことだけど、特別な日々なんだから。それは特別っぽく有難く過ごしたほうが良い。ドルドレンはそう思う。
これまではそんな暇もなく、淡々と命のある無事だけを確保する、そんなギスギスした過ごし方だったが、イーアンが来て状況が変わり、自分の中にもゆとりやメリハリが少しずつ出てきた。今となっては、もうそうしたものがない生活は嫌だと思える。
新年は7日間、執務室も稼動しないし、どこかで魔物退治が入っても誰かに行かせるつもり(←クローハル)。今は一年の始まりで、二人でのんびり普通の人たちと同じようにしたい。
「イーアン。ウィアドで少しその辺を回ろうか」
「どこか用事ですか」
そうじゃないよとドルドレンはイーアンを抱き寄せる。平和な時間をのんびり散歩でもして・・・鳶色の瞳を見つめて訊ねると、イーアンは微笑んで頷いた。
「そういうことでしたら。今から行きましょうか」
そうと決まれば、二人は用意し始める。
暖炉の火を一旦消して、空気換えに開けていた窓を閉めて、イーアンは毛皮の上着と青い布を羽織って工房を出た。ドルドレンは広間でクロークを取って羽織り、剣をちょっと触ってやめた。『剣は要らないか』イーアンに振り返ると、彼女はニコッとして『笛持っています』と見せた。
広間にいた何人かの騎士に、ドルドレンはそこまで出かけるからと告げて、行ってらっしゃいと送り出された二人は正面玄関から外に出た。扉を開けて、玄関を出た二人は立ち止まる。
「今。何か見えたか」 「門の外ですよね」
「そうだ。何か動いただろう」 「あの色」
ちらっとイーアンを見るドルドレン。イーアンもちらっとドルドレンを見上げる。門の外から馬の声と大勢の人の声が聞こえる。門のすぐ近くで待機する門番が『総長』手を振りながら慌てている。
黒髪の騎士の表情が硬くなり、イーアンの体が僅かに強張る。門番の呼ぶ、門。本能が危険を告げる。そっちへ行ってはいけないと全身の感覚が『逃げろ』と反応している。しかし――
ドルドレンがぐっと唾を飲み込んで門へ向かう。総長を呼んでいた門番が、誰かの声で門の向こうに振り向き、物凄く驚いて、総長と門の外を何度も交互に見た。 ぬううぅっ。あの反応は一つ・・・・・
「イーアン。迎えに来たぞ」
イーアンの鳥肌が一気に全身に立つ。大声で叫ばれた自分の名前に、イーアンはたじろぐ。声もそっくり。背面の扉の向こう、広間に人の声と走る音が聞こえ始めた。ドルドレンはざっくざっくと大股で、門に立って高笑いする、自分そっくりの男に向かって歩く。
「俺は石の家には入らん。よく迎えに来たな、息子よ」
エラそうに胸を張るパパ。ドルドレンのクロークがはためく。門番は瓜二つの男二人に目が飛び出んばかりに驚いている。
「なぜ来た。ここはお前の来る場所ではない」
「だから。何でお前は親に向かって、そんな口の利き方しか出来ないんだ」
パパ??? この人、パパなの??? 門番が腰を抜かし、地面に尻餅をつくのをイーアンは見た。わたわたしながら、二人の男に背を向けて這いずりながら逃げ出す門番の騎士。
イーアンの後ろの扉が開き、ベルとハイルが慌てて出てきた。『来たか』『ホントに来たよ』なにあれ、みたいな言い方をして兄弟はイーアンを後ろに隠す。
「イーアン。出るな、中にいろ」 「連れてかれるぞ」
兄弟が真剣に言い聞かせて、イーアンを広間へ押し戻し、扉を閉めようとすると向こうから怒鳴られる。
「ベル、ハール! なぜイーアンを連れて来ない。お前らは腰抜けか」
『腰抜けかって、盗賊の人攫いじゃないんだから』・・・ベルが困り顔で呟く。『人攫いみたいなもんだろ。女限定の』ハルテッドが苦虫を噛み潰したような顔で、扉を閉める。
怒りを溜めるドルドレンが重い息を吐き出し、パパを睨む。パパは何ともない。
「イーアンを連れて行こうとは自分勝手な。知ってるが」
「お前と話しててもつまらん。早くよこせ」
これを見ろとパパは一本の牙を見せた。昨日話を聞いているドルドレンは反応しない。パパはニヤッと笑って『イーアンは昨日、俺のために。俺の無事のために龍のこの牙をくれた』俺が好きだからだ、と胸を張る。
「アジーズの件で心配したイーアンの胸中も無視して。お前という男は浅はか以外の何者でもないな」
名前が出て、パパはちょっと顔を真顔に戻す。馬車を振り返り、暫く黙ったと思うと息子に振り返る。
「アジーズとスラヴィカ、ハジャクは一緒だ。次の町で医者に診てもらえと、ウィウブエアハの医者に手紙ももらってある。その礼も言わせない気か。アジーズたちも礼を言いたい」
絶対さっきまで彼らのこと忘れてただろう、と息子が吐き捨てるが、パパは先手を打ったとばかり『どうなんだ。礼は不要とでも言いたいか。薄情なやつめ』となじる。
「彼らは馬車から動けない。足を折ったからだ。お前も分かってるだろう。それなのにイーアンを呼ぶ気もなく、彼らの想いを無視して追い返すのか」
――ぐぬううっ。この親父。家族さえ駒に使う気か。ぬぅうっ許せん。
しかし、ここまで言われて『ああそうだ』とでも答えた日には、今後アジーズたちに合わせる顔もない。くそっ。どうすりゃいいんだ。イーアンは出したくない。でも出てこなかったら、こいつは帰らないだろう・・・・・
悩みに顔をゆがめる息子に、せせら笑うパパ。息子の背後にふと動くものを見つけ、そっちに顔を向けると、ベルが建物から出てきてこっちへ来た。
「デラキソス。アジーズは」
一番気にしていることをベルは口にする。パパは、まあその態度は良いとばかり頷いて、顎で後ろの馬車を示す。
「医者の手当てを受けた。まだ歩けないが、二人は無事だ。ハジャクもまだ、横にはなっているが、もう一週間もすれば遊べるだろう」
ベルは安心したように息をつく。『会いに行ってもいいか』パパの許可を訊ねて、頷かれたのでベルはそそくさと馬車へ向かった。続くようにしてハルテッドが出てきて、同じことを訊いた。
「俺は支部でたまたま二人に会えた。でも今、大丈夫なの?」
「行って見てこい。お前ら兄弟がいなくて寂しがっていた」
ハルテッドが泣きそうになりながら走って馬車へ向かう。パパはその背中を微笑んで見送り、息子に向き直った。ドルドレンの険しい表情はそのまま。
「どうだ。あいつらは真っ先にアジーズたちのもとへ行く。お前ときたら。馬車を出て20年も経つと、そんな薄情者に変わり果てるのか」
ドルドレンもアジーズたちのことは心配だった。容態も見たかった。だがそれをするとイーアンを連れて行くことになりかねない。イーアンが一番大事なドルドレンは、その危険だけは冒したくなかった。
すでに建物の窓という窓に、騎士たちが群がっているのが分かる。背後で騒ぐ声がする。門番が多分、親父の馬車のことを話したのだろう。ベルたちに一旦匿われただろう、イーアンも分かっている・・・・・
「イーアンっ。俺だ。デラキソスだ。お前に礼を言いたい。その姿を見せてくれ」
わーーーーーーーーーーーーーっっっ 強行突破しやがったーーーーーーーーーーーーっっっ!!!
目の前で叫ぶパパに、ドルドレンの目がまん丸に見開かれ、口も開いちゃう。ここまで自分勝手。知ってるけど久しぶり過ぎて、度肝を抜かれる息子。
はっと我に返って、後ろを振り返るドルドレン。扉は動いていない。いや、動いた。見てる側から扉が開き、赤い毛皮と青い布を羽織った、愛妻(※未婚)がそっと出てきた。
「イーアン、来てはいけない!!」
ドルドレンはパパの前に立ちはだかって、愛妻を見せないようにして危険を叫ぶ。でもパパも背が高いからあんまり意味ナシ。パパは余裕綽々、満足満タンの状態で両腕を広げた。
「待っていたぞ。来いイーアン」
明らかに顔が笑っていないイーアンは、すごく困惑しながら近づいてきた。ドルドレンが『ダメだ戻って』と騒ぐ中、どうにか伴侶には微笑みつつイーアンはその後ろに立ち止まった。
「夜間が無事だった様子に安心しました」
イーアンがパパに声をかける。ドルドレンはイーアンを抱き寄せ、しっかり腕の中に収める。パパはそんな息子を鼻で笑う。そして目当ての女に視線を戻した。
「お前が持たせてくれた龍の牙がある。これは俺たちの家族を、これからも代々守る宝だ」
パパの笑顔がすーっと優しく変わった。息子の腕の中にいるイーアンに触りたい。触れないから見つめるだけ。
「アジーズたちはどうでしょうか。まだ大変だと思いますが」
「彼らはイーアンに会いたいと話している。そこのそいつ(※息子)にも。心優しい彼らは旅立つ前に礼を言いたくて、会いたがっている。会ってくれるか」
はい。イーアンは頷く。ドルドレンはすごく困る。パパはニヤッと笑った。『豊かなイーアン。来るが良い』思わせぶりな一言をころんと吐いたパパは、背中を向けて先を歩き始めた。
ドルドレンをひしっと掴んで見上げ、『彼らに挨拶しましょう』それだけでもとイーアンは言う。ドルドレンもそう思っていたから、不安は募るもののイーアンを抱き寄せて、アジーズたちの馬車へ向かった。
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