2426. 城のような宿へ・町状況・リチアリ、別れ際の言葉
城でも改築したかと思う。宿泊施設にこの見た目は必要だったのかと、大きな敷地前に到着したドルドレンたちは、暫し佇んだ。
ルオロフがすぐに横に来て、ドルドレンの複雑そうな顔を見ると『ここから入って良いんですよ』と教える。
ここ、と示されたのは、折りたたまれて大きく開いた門で、確かに閉ざされてはいないが、どう言ったら良いのか。貴族の館何個分だと疑問が先に浮かぶ広さに、車輪を進めるとなると(※近くにも他にも誰もいないし)。
気後れしているのだと気づいたルオロフは、『ヴァレンバル公の手紙もある』と安心するよう念を押し、総長は戸惑いつつも若い貴族の言葉に頷いて、馬を中に進める。
門番も、従業員もいないのは、戦後すぐだけに、町でもそうだからと思えなくもないが、これほどの贅沢な場所に一人の影もないのは、こちらが侵入者のようで、ドルドレン的に微妙。
そんな総長の横顔を、御者台側を歩くルオロフは見上げ、少し笑ってしまう。目が合って『すみません』と謝り、前に広がる庭園をさっと腕で示した。
「総長たちは、貴族の援助もあると、報告書では書いてありましたし、実際に、王城や貴族の館で過ごされているけれど、こうした雰囲気は馴染めないのですね」
「そうだな。場所自体は『またか』程度だが。どこから入れば良いのかは、毎度悩む」
素直な総長に笑うルオロフは、『道があるんですから、道を普通に』と、建物まで直線で敷かれた、全ての石に紋章が彫られた石畳に指を向けた。
「そうは言うが。お前は生まれも高位貴族である。これが当たり前の風景で、付き合いも貴族ばかりだから」
「でも、総長。『俺は狼男』・・・で過ごしましたから、家屋の大小は、見た目だけとしか思っていませんよ」
『俺は狼男』――― そう言った若い貴族に、灰色の瞳がふっと向く。
燃えるような赤い髪。薄い緑色の瞳に、塗ったような白い肌の若者は、可笑しそうに目を合わせて肩をすくめる。
「ルオロフ。お前は貴重な男だ。今や人間というが、人生を短い時間で駆け抜けて、三回も」
「はい。三回も別の人生を叩き込まれると、見える全てが虚実と等しく、真に据えられる価値は、常に見えないところに在るとしか、思えなくなりました」
「すごいことだ。ルオロフ」
「いいえ・・・愚かさをやり直しただけですから」
「そんなことはない。で、到着したが、馬車をどうする」
話ながら進めた、人っ子一人いない大庭園の道は終わり、城の正面階段前で馬を止めたドルドレンが話を変えると、笑って首を振った若者は『ここから、私が先の方が良いですね』と、片手を振って引き受けた。
馬車を誘導する従業員を連れて来る、と彼は言い、ドルドレンたちを大きなお城の前に残して、若い貴族は左右に旗がなびく、重厚且つ、美しい彫刻の階段を上がり、城の奥へ消える。若者らしい、線の細い背をじっと見送る総長。
「見た目は若いな・・・若いのだ。まだ25前くらいだろうか。だが彼は、30近くで一度、事故として殺され、誰にも悲しまれずに終わった(※ビーファライ時代)。
そしてすぐ、生きてもなく・死にもしない狼男として繋ぎ、それをまた、一からやり直すことを選択した。誰かの赤ん坊として生を授かり、数十年も過去の記憶を抱え、再び俺たちの前に現れた。
あまりにも大きな輪廻、鳥肌が立つ、運命と精霊の導きよ。彼はもう、何十年も生きた男のように、人生と宿命を見越している」
ドルドレンはこの旅で、多くの不可思議と、数奇な運命を見たが、ルオロフとなった狼男も間違いなく、その一人であり、彼と別れても、一生忘れることはないだろうと思う。
間もなくして、入り口からまた出てきたルオロフが、軽い足取りでトントンと階段を降りて来て、さっと左に手の平を向けた。
「今、馬車を・・・代わりに馬房へ入れてくれますから。皆さんは、部屋に運ぶ荷物を出して、玄関で待って下さい」
「ん?御者が来ると言うのか」
はい、と返されたすぐ、左側の塔から三人来て、ドルドレンは御者台を降りた。後ろの馬車とロゼールにも声をかけ、従業員を待たせる横で、急いで手荷物を出し、玄関へわらわらと移動。
従業員の男性二人はアイエラダハッド人ではなく、ティヤー人の風貌で、一人はアイエラダハッド人だった。彼らは三台の馬車の御者台に乗り、ブルーラの手綱を一人が片手で引き、塔へと戻る。
玄関の大型の扉は、二人分くらいの隙間だけ開けてあり、玄関から奥へ進むと、舞踏会が可能な広いホールだった。豪華豪奢と呼ぶにふさわしい、重々しい石造りと、絢爛な装飾がふんだん。
壁の主材は石か木か、分かり難い、温もりある色を持ち、これを組んで黒い目地材を使った装飾模様を描いている。壁も柱も、それ自体が大型の絵画のよう。
デネヴォーグの隊商軍もこうした建築だった、とフォラヴは思い出す(※2233話参照)。
高い吹き抜けの天井からは、色鮮やかな布が垂れ、表の風を受けて軽やかに翻り、長い布飾りの縁を飾る、金糸刺繡は光を撥ねて、空中に輝きを与えた。
たくさんの丸窓から降り注ぐ光。窓枠の彫刻を透かし、複雑な模様を床に落とす影、全てが計算された美術と分かる。
ミレイオもイーアンも感動したが、もっぱら『すごい技術』。
これでもかと持った装飾は、好みではないにしろ。『技術』『技巧』を褒め称える声は大きく、奥の受付へ進む間で、木霊する二人の賛美にルオロフは笑っていた。
「分かりやすいですね。飾り方や合わせ自体は、お好みではないと」
呟くルオロフに頷くドルドレンが後ろの二人(※大声で煩い)をちらっと見て、『あの二人は、独特な感覚で判断する』だから、悪く取らないようにと・・・飾り付けを一切無視する誉め言葉の連発に、他意はないと教えた。
ミレイオは派手だが、センスの悪いのは嫌い。イーアンも、こってこての盛り過ぎ金持ち丸出し、つまりセンスが悪いのは嫌い。
二人は『やり過ぎ』と装飾を見ていた。一つずつは美しく見事でも、バランスが悪く感じる。
ホールも、案内されて歩く廊下や階段、談話室なども、二人は思うことを喋りながら進み、案内する従業員の表情は硬かった(※ここのセンス悪いと気づく)。
そして、各自の部屋を振り分けられる。本館の三階が、旅の一行の部屋。
左右に両翼を持つ本館は、奥の塔と別館より、表へ出るに都合良い、とした理由だった。とりあえず、皆は部屋の一つに入ってみる。
曇り一つない窓は、壁一面に並び、部屋の真正面は、先ほど通過した大きな庭園が広がり、風景の奥には水平線が見えた。
部屋は、人間一人に対して不要な広さを持つため、ザッカリアは『落ち着かない』と言ったが、これも思い出に・・・とイーアンに言われて我慢する(※少年=次で抜ける立場)。
イーアンも落ち着かないけれど。
何重にも天井から垂れる、寝台のカーテンは要らないし、ベッド一つで四畳半くらい(※日本人感覚目安)あるのも、どうかとは疑問だが。
「お城の印象が、アイエラダハッドと違いますね」
横に来たフォラヴが、背の高い窓から外をひょいと見て、イーアンに振り向く。言われてみるとそうかな、とイーアンも、表の塔や本館の石造りを見渡した。
「ハイザンジェル貴族を、迎えるためもあったようですよ」
側にいたルオロフが、城の外観や造りに『ハイザンジェル風』を教える。従業員の初老の男性は、若い貴族の言葉に続けて、少しこの建造物の由来も話してくれた。聞く限りだと、本当に・・・ハイザンジェル貴族というより。
「王族じゃないのか?ハイザンジェルの王族が、ここまで来ているのか」
呟いたタンクラッドに、従業員は『一昔前、王族の訪問はたまにあった』と答え、皆は現在の王の父か、と見当をつけた。
さて、こんな具合で宿泊施設(※お城)の部屋へ案内されたので、一旦落ち着く。
馬房の場所を聞き、馬車の用は受付で鍵を貸してもらうこと、風呂や手洗い、使用時間帯、滞在中の食事その他、従業員から説明を受けて、皆はそれぞれの部屋へ入ったが、休むわけではなく仕事―――
食事は、ない。配給はあるが、町の人数分がやっと。
だから『すまないけれど、どこかで調達(※飛べるって聞いてるから)してもらえたら』と願われ、深刻な食糧問題に、ドルドレンたちも了解する。
水も現時点、難しい状態。これについては『ノクワボの水対処』をすぐ提案した。
風呂・手洗いに水は必須だが、川の水を引き上げるに人手がなく、下水のろ過も人手不足から、まだ稼働していない。だから、使っても少しの間、そのまま。
町で小規模対象に対策は始まったそうだが、それも今日から。ドルドレンたちは相談し合って、力を貸すことになった。
ダルナの復興手伝いで、建物や通りが戻っても、人は戻らない。
食べ物も、水も。水を引く仕組みは戻せても、動かす人間がいない以上は使えないに等しい。
それでも生きている人がいれば、食べ物も飲み水も日々の必要であり、排せつ物も、毎日生じるものだから・・・・・
「すみません。着いた側から」
「これが仕事だから」
謝るルオロフも参加するが、出来るところからドルドレンたちが手伝うと決まり、従業員は驚きながらも、頼もしいお客に期待し、今日は昼から、アズタータルの町で復興支援活動となった。
*****
町の環境―――
想像はしていたが、すぐにどうにかなるばかりでもない。旅の一行は、どこもこうだろうと話し合い、アズタータルで使用水の目処が立ったら、近くの町や村も、時間が許す限りで回る話も出る。活動、暇なし。
これを聞いた後、イーアンは出発する。皆に任せてしまうけれど、大丈夫かなと思いながら。
行ってきますの挨拶をして、見送られた女龍は、ヒューネリンガ最後の用事へ飛んだ。
飛びながら、雲越しに下方の人里が視界に入る度、イーアンも考える。
どこも同じとは言え、悩みは同じではない。一つずつ対処しないと難しいから、こういう時、まだ自分の感覚が人間的で、良い対策案が出ないことに溜息を吐く。
考えつつも、ヒューネリンガへ到着し、イーアンは館の外で『リチアリー』と普通に呼んだ(※小学生のお友達状態)。
女龍の声に、大きな荷物を背負ったリチアリがすぐに出てきて、彼の後ろには、ゴルダーズ公とヴァレンバル公も続く。
戻った女龍に、『アズタータルはどうでしたか』と貴族は状態を訊ね、イーアンは、先ほどまでの話を伝える。
少し表情の曇る貴族二人は、小さく頷きながら『そうですよね。全体がそうだから』と顔を見合わせ、自分たちも早く行動に移そうと思うと言った。皆さんが行った先のアズタータルで、水の活動をするのも本当に助けられていると、心から感謝した。
『それが仕事です』とイーアンは答えるが、少し寂しさもある。生活の自由まで戻せなくてごめんなさい、と目を伏せるイーアンの言葉に、ゴルダーズは顔を覗き込んで『そんなことを思わないで』と止めた。
「充分ですよ。充分、力を貸してくれました。私たちが頑張るのです。どうぞ、何を気負うことなく、ティヤーへ出発して下さい。応援しています」
報告と挨拶はここまで。イーアンは改めて彼らに、宿泊と世話のお礼を言い、リチアリを背中から抱えて、いざ出発・・・のつもりだったが。
「荷物。デカいですよ」
「そうかもしれません。ご主人様が気にして下さって(※ささやかなお土産)」
バックパックがデカすぎて腕が回りませんよと、苦笑したイーアンはミンティンを呼ぶことにした。
そしてミンティン登場。空からゆったり、発光しながら降りてきた青い龍に、貴族は素晴らしいと拍手し『アイエラダハッドの空神の龍に永遠の誉れあれ』と、イーアンとリチアリを送り出す。
「また会いましょう!縁が紡がれますように!」
「お元気で!無事をお祈りしています!」
手を振りながら、小さくなる館が遠くなり、地上を離れて暫し、青い龍と空の道。
リチアリは帰り道で、ミンティンに乗った感動も話しつつ、館でルオロフと交わした会話、ゴルダーズ公との約束など、イーアンに話す。
個人的な話も度々混ざるので、全部を話さなくても・・・とイーアンは気遣ったが、リチアリは微笑んで『知っておいてほしいです』と続けた。
話し終えたリチアリに、聞き返したいことは幾つかあったが。
「ルオロフは、ドゥージがいないことを気にして」
「はい。私はドゥージさんをデネヴォーグでしか知りませんが、南の治癒場に総長とフォラヴさんが来た時に、ドゥージさんが行方不明と話していたのを聞いたので・・・ 余計だったでしょうか」
「いいえ。話して下さって有難うございます。ルオロフは、直に私たちに質問しなかったので、こちらはこちらで、ロゼールという・・・あの橙色の髪の、子供っぽい顔の男性です。彼がドゥージと仲が良かったため、ルオロフに聞きたかったようです(※2421話参照)」
「ロゼールさんも。そうか。一緒にいればその内、ルオロフからも、質問があるかも知れません」
その時は話します、と答えたイーアンは、ルオロフが一言もドゥージの話を出さなかったけれど、彼が最初に部屋に入った朝、私たちを確認する視線を見せたのは、そういうことだったのかと理解した。
この話・・・ ルオロフが『狼男状態で、ドゥージの最後を手伝った』までは、リチアリも聞かされておらず、なので、イーアンも知ることなく。
単に『ルオロフが気にした』『ドゥージの行方不明を伝えた』のみ。
イーアンは次の質問に移り、『リチアリは、ルオロフが狼男だったと知っても、驚かないのですね』と訊ねる。
リチアリは少し微笑み、首を傾げ『最初は驚きました。意味も分からず』と、古王宮での自己紹介に、戸惑ったことを話し、でもと、女龍を真っ直ぐ見つめる。
「『知恵の還元』で・・・先ほども少し触れましたが、畏怖というか。恐ろしさだけの精霊が現れて、彼がルオロフを『狼』と呼んだので、本当にそうだと受け入れました。まさか、非常に短い年月で、生まれ変わっていたとは想像しませんでしたが」
うん、と頷くイーアンに、リチアリはまだ何か言おうとしており、イーアンが視線で促すと、リチアリは『怒らないで下さい』と前置きした。何かと思えば。
「あ・・・その精霊の顔ですか。見たのですね」
「すみません、その時は『そっくり』に感じて」
どうやら『原初の悪』がその場にいたと、話から推測していたが、本当にそうだった様子。
リチアリは、『つい、イーアンだと思った』ことを打ち明け、でもルオロフは即否定し、自分もこの前『よく考えれば違う』と感じた気持ちも続けた(※2414話参照)。
「同じ人種、と精霊や龍に言うのも変ですね。ただ、骨格や顔つきが近い気がして」
「・・・私も、あの精霊を数回見ましたが、嫌がらせのように私に似せる印象があります。人種とは関係なくても、何かしら意味はあるのだと思います」
心苦しくて告白したリチアリに、イーアンは少し笑って『気にしないで』と、この話を終わらせた。
こうして、ドゥージのこと、ルオロフのこと、古王宮の精霊のことなど、他もゴルダーズ公との『いずれまた会おう』と約束したことを話しながら、眼下に草原が見えて来て、イーアンは龍を下ろす。
着地点から目と鼻の先にテント群があり、リチアリは龍をポンと飛び降りると、胸に手を当て、ミンティンにまずお礼を言い、それからイーアンを見上げて感謝した。
手を振るリチアリから、青い龍と女龍は高く遠ざかる。元気でね、さようなら、と地上の草原に立つ男へ別れの言葉を叫ぶイーアン。
ふと、耳のすぐ近くでリチアリの声が届く。
「心から、世界の旅人に祈りを!渡した龍境船が、空と海の落ちる渦を示しますように!」
え、と振っていた手が止まったが、草原のリチアリは見えなくなった龍に、背を向けてテントの方へ歩き出しており、イーアンは振り返ったまま、点になる彼の言葉を考えていた。
お読み頂き有難うございます。




