2409. コルステインの魔物予測・ルオロフ、ヒューネリンガ着
広い館を走り下りた割には、玄関に見えたのは、ゴルダーズ公ではなかった。
当たり前か、と駆け下りたフォラヴは階段下で足を止め、この時間で戻れるはずないのに・・・そう気づいて、恥ずかしくなった。従者が『ご主人様の』と伝えたのは、別の何かかも知れないと、過らせもせず。
フォラヴは急いだ行動を取り繕うように、ささっと階段の壁に隠れる。すぐに、上から降りて来た皆がフォラヴの前を通過し、召使数人が群がるホールに入ったが。
ただ、取り巻きの中に立つ人物―― ヴァレンバル公の御者 ――は、拍子抜けされていそうな顔を見渡し『私ですみません』と申し訳なさそうに謝り、手に持った『ゴルダーズ公から』の書簡を、自分を囲む人たちに広げて見せるよりなかった―――
時刻は、遅い午前。
外へ上がることのない時間帯だが、コルステインはロゼールを送った後、岩山が合掌のような角度で重なり合う、濃い影にいた。東西を分ける山脈の東側、昼より前は陽が差さない。
ここへ風が吹き込み、緑の風はくるっくるっと翻って、緋色の魔導士に変わる。
『よう』
コルステインに呼ばれても、魔導士はいつも穏やかに応じる。これは相手による(※コルステインには甘い)。さっさと来て、飄々と挨拶。
夜空色の肌のサブパメントゥは、黒い大きな翼で更に影を作っており、魔導士に『近くへ来い』と翼の内側を示した。
『お前。話す。する。次。馬車。どう?』
『そうだな。だが、話すなら、昼じゃなくても良かったのに』
『大丈夫』
昼近い時間、無理しなくてもと魔導士は側へ行き、大きなサブパメントゥの隣、岩壁に寄りかかる。
コルステインは、本当のところ、本当に大丈夫・・・精霊の祭殿で貰ったモノ(※2213話参照『月相環』)は、コルステインをささやかな光から守る。余談だが決戦中、この贈り物の効果でちょいちょい、光差す時間でも動いた。
ただ、習性で光を避けているのは変わらないので、コルステインのような純粋なサブパメントゥは元々暗がりを選ぶし、さほど意味はなかった(※アイエラダハッド内だけの効果だし)。
こうしたことで、もうすぐ無くなる効果の話をすることもなく・・・魔導士に説明はしない。
魔導士は煙草を宙から出すと、口に銜えて火をつけ、紫煙を口に這わせて、ふむ、と単刀直入に告げる。
『アイエラダハッドから、ティヤーへの移動。・・・今回は放っておいて良いんじゃないか?』
『何で?どう?』
『貴族・・・って分かるか?えーとな。ドルドレンたちと、仲良くなった人間が、船を持っているんだ。船を、使う気がする』
『ふね。ティヤー?行く。する。ふね。馬車。同じ?』
『そうそう、水を進む。馬車の、馬が要らない乗り物だ。お前も見たこと何度もあるだろう』
うん、と頷くコルステインに、魔導士の推測・・・というほどでもないが、船がティヤーへ仲間を運ぶ可能性が高い、と話した。そして、魔導士の質問に変わる。
『魔物はどうだと思う?ティヤーはすぐ出ると思うか』
『うーん・・・まだ。ない。魔物。待つ。する』
『・・・・・ 待つ。何を?魔物が、ドルドレンたちを待ってから出る、のか?』
意味ありげな一言をもう少し詳しくと、バニザットの漆黒の目が見上げ、その視線を見つめたコルステインは、何やら黙り込んだ。考えているようで、沈黙数十秒。魔導士がじーっと見ていると、コルステインの口が開く。話せることを選んだ様子。
『海。動く。する。魔物。出る。する』
『つまり、海が。もしかして、大きい波か?大きく動いたら、魔物も』
『そう。まだ。ない』
ああ、そういうこと。魔導士も納得。自然現象か、人為的(※相手は魔物の王で人ではないにせよ)か、津波に乗じて魔物を出す気だと解釈し、念のために、『コルステイン、これか』と煙草の煙に津波映像を映すと、コルステインは呆気なく頷く。
『そうか。じゃ、俺は先に行くかな』
『お前。もう?一緒。行く。ない?』
『ラファルのこともあるからな。ティヤーで先に準備しておく』
『コルステイン。まだ。行く。ない。リリュー。ラファル。一緒。行く?する?』
自分は行かないが、リリューも連れて行くかとコルステインは訊ね、良ければそうしたいとバニザットが答えると、コルステインは許可。
それと、ラファルから取られた鎖の行方をまだ掴んでおらず、古代サブパメントゥの誰かに渡ったままかもと、コルステインは魔導士に教え、魔導士の胸に下がる鎖をちょっと心配そうに見た。
バニザットは、自分の僧衣から除く鎖をポンと叩いて『俺は誰にも取られない』と安心させる。
この辺で、一先ずお開き。お互い、多くは話さなかったが、『ティヤーは津波と共に開戦』を知り、『旅の馬車の移動は船(※可能性)』の結論が出た。
何かあれば呼べ、と魔導士は挨拶し、コルステインもサブパメントゥに帰る。風に変わった魔導士は『それじゃあいつを』と済ませる用事を思い、灰色の冬空を真っ直ぐ・・・若い赤毛の貴族の部屋へ向かう。
*****
数時間後。夕方前のヒューネリンガの町に、一人の若者が訪れた。
魔物がいなくなった町の門に立つ隊商軍は、ちらほらと見え始めた避難民の受け入れを始めている。
門傍に待機する数人は、そろそろ交代の時間・・・と話していたところへ来た若い男を見て、『歩いて来たのか』と開口一番驚いた。酷い恰好で、千切れた衣服と壊れた靴。だがそのわりに、怪我はしていなさそうな彼は『そうですね』と頭を掻く。自分を『みっともない』と思っているらしき表情は、ボロボロの衣服に似合わない、妙な余裕と品ある面持ち。
軍人は彼に、その場で事情を聞き、更に魂消て・・・どう扱うべきかと、交代前の少ない人数で顔を見合った。彼らの困惑が伝わる若者は『食事と、寝起きできる場所を分けてもらえないか』と自分から切り出す。
「いえ、いや。でも。その、いくら何でもそれは」
「町の人の分でいっぱいいっぱい、かもですが」
「いやいや、そういう意味じゃありませんよ!ちょっと待っていて下さい、避難所以外で宿泊できるところを手配しますから」
「そこまでしないで下さい。貴族の立場なんて、もう何でもありません。『精霊の時代』が始まったんだから、普通に扱って下さい」
『精霊の時代』と、自ら口にする若者に、そこに居た軍人全員が目を丸くする。貴族が、精霊を認めている・・・それだけでも驚くのに。
真っ向から受け入れて、自分の立場は既に意味なし、と手放した言葉に、軍人は若干の同情を持った。
天地の差があるだろう、この現状、境遇。誰もが同じ苦しさの中だが、ちょっとは良くしてやりたい、と優しい隊商軍に哀れみの心が擡げる。
「ちゃんとした所に、とはいきませんが。その格好では冷え切っているし、歩いてここまで来て疲れただろうから、少しあなたが一人で落ち着ける部屋を用意します」
「本当に気にしないで下さい。皆さんと同じ立場です。場所がなければ、寝袋を貸して頂け」
ムリですよ!と半ば怒鳴るように遮った軍人は、赤毛の若者の背中に手を添え『まずは、あなたの着替えを持ちます』と、壊れた壁沿いに張ったテントへ案内した。そこで、隊商軍の着替えを分けてもらった若者は、謝り、礼を言って有難く着替えた。
着替えている間に、テント外が騒がしくなり、自分の話が出ているのが聞こえ、着替えたぼろ服を腕に抱えてテントから顔を出すと、すぐに目が合って隊商軍の一人が側へ来た。
改めて事情を確認され、そうですそうですと答えた後、『馬に乗って下さい』と二人乗りを促され、あれよあれよという間に若者は隊商軍施設まで連れて行かれた。
施設も半壊だが、上半分が崩れて一階はあり、炊事場と医務室、起居用の寓舎は運良く残った。寓舎の玄関ホールへ行き、他の軍人が見守る中、手垢で汚れた分厚い登録名簿に、若者は本名を記名した。
ここヒューネリンガで、避難民として『ルオロフ・ウィンダル』は、これから始まる時代の、最初の夜を迎える―――
配給の食事を受け取ったルオロフは、『言うに言えない本当のこと』に申し訳なさもあるが、有難く配給を食べた。
・・・自分はこれまで。魔導士のおかげで不自由なく、魔物の被害も受けずに過ごせていた。
魔導士がアイエラダハッドを出ると聞いて、自分をこの国のどこかの町へ連れて行ってほしいと頼み、相談してヒューネリンガを選んだ。
魔法で拵えてもらった衣服は、魔導士曰く『外に出たら不自然』で、言われてみればそうかと思った途端、あの時の服に戻された(※2337話参照)。食事は最後と、主食と飲み物を貰ったその足で・・・ヒューネリンガの町の壁の外へ連れて行かれたのが、夕方前。
後ろめたい・・・ すみません、と頭の中で謝りながら、配給を食べ終えて食器を炊事場へ戻し、調理する民間人がチラチラ見る視線を避けて、特別待遇で与えられた部屋に戻った。
「嘘を吐いているみたいでイヤだな。みたい、じゃなくて嘘だけど」
一応、『魔物の被害を逃れながらここまで来た話』にしたが、魔物に会っていないので、必死に戦っていた人々を前にすると本当に罪悪感しかない。
「さて。ここからだ。私の管理するはずだった資産は、皆無。古王宮もない以上、国の復興にどう手を打つか」
ルオロフは、魔導士に守られていた間、いつも考えていた。狼男の特性がいつまで有効かと、それも気にしていたが、夜・・・大きな力に潰されそうな時間を過ごした後、体が人に戻った気がし、狼男になろうとしても変わらなかった。
その時間が境目だったと知ったのは、魔導士に会って告げられた。彼も『俺の推測だ』と決定はしなかったが、ルオロフ自身もそう思った。
ドゥージを助け、一時的に狼男に戻っていた、あの時間(※2338、2340話参照)。精霊の時代に入ったから、持続するのだろうか、と微々たる期待もなかったわけではない。
だが、それはあっさりと取り上げられ、『ただの人間に戻ったな』苦笑して、寝台に腰かけたまま、窓の外の夜を見つめる。
「人間の私だ。もう貴族でもないこの若造が、役に立つかどうか。国の復興のため、大急ぎで考えねば」
ヒューネリンガ自体はまとまっている町だが、川を伝って、古王宮まで地形は伸びる。ヒューネリンガであって、飛地のような、町の繋がりが薄い印象の地、それが古王宮。
古王宮は、敷地以外の周辺の土地も、暗黙の了解で『古王宮のもの』とされていただけ、言ってみれば、至る川も丘も森も、全て含めて『古王宮』で、その面積を思えば、さながら一つの町と例えても大袈裟ではない。
管理するウィンダル家は、ここを財産と・・・法律を合わせれば厳密には違うにしても、『ウィンダル家が古王宮及び周辺を持っている』状態で、何かしようとすれば、それは国にも通じる。これが、アイエラダハッド人の認識だった。
あの場所は、使えるだろう―――
日を置いたら、法制も変わるからどうなるか分からないが、今すぐなら。
混乱を抜けたばかりの苦境を活かして、古王宮敷地と周辺の土地の権利を通し、川や航路の使用交渉・場合によって譲渡で、身動きの幅が広がれば。
「うーん。土地権利書でも持っていたら違ったな。そんなものが残っているはずもないが・・・代用出来る可能性としては、あれがあればな。あれは、リチアリが持っているか(※2330話参照)。まだ持っていると良いが、彼の無事も場所も判らないのに、確かめようもない」
古王宮の『書き換えの書』、あれ。あれの後ろに年月日と署名があり、登記はそれ一つ見せれば済む気がした。顔の下半分、手で覆って眉根を寄せ、暗い夜の向こうを緑の目が見つめる。
ルオロフは、アイエラダハッドの中部の首都、もしくは東部のデネヴォーグで、復興の動きが始まると思うが、どちらも内陸。
早い進みに必要なのは、南東の貿易が利用できると魔導士は言い、この数日間の風景や状況を、魔法陣でルオロフにも見せた。
荒廃具合・被害状況はどこも似たり寄ったりで、ヒューネリンガも何度も攻撃されているため、『復興を軸に考えた時、一番使えそうな土地が良い』とバニザットは、ヒューネリンガ―― 古王宮跡地 ――を妥当と推した。
ルオロフの、受け継ぐべき場所でもあった。ルオロフの実家も、この町にある。
彼の実家は。古王宮から町を挟んで、反対側の丘陵地帯に建ち、海抜もそこそこあり、水平線引く青い海も視界に入る、離れた場所。眺めと敷地の広さは良いが、古王宮まで直線移動がない道のりは、馬と川を使って二日かかる。
実家は既に、破壊されて無い(※2318話参照)。名乗った時、隊商軍も実家の状態を知っていたし、古王宮崩壊も今や誰もが知っている。
この町は、ルオロフが生活した年月は少なくても、ウィンダル家の領地であったに変わりない。それも理由の一つに入っていたが、魔導士は続く何か言いかけて黙り、赤毛の貴族の同意を得て、彼をこの町へ運んだ。
暗い夜の外に、死体を焼く煙が薄く白く上がる。この臭いは・・・死ぬまで、忘れないだろうと思う。人を焼く臭いは、移動中にどこを通過しても、同じように空気に滲んでいた。
「アイエラダハッドを。魔物の苦難を終えたこの国を、一日も早く、民に住みよい国へ」
窓に向けていた顔を戻し、暗い部屋の寝台に横になる。時間はまだ宵の内でも、ルオロフの頭は復興のことを考え続けて疲労しており、腹も満たされたので、目を閉じてしばらくすると眠りに就いた。
魔導士があの時、何を言おうとしたのか。それを、ルオロフは後から知る。
この町に、自分の資産が在ったから。
貿易港の近くでルオロフの名がまだもう少しの期間、物を言うから・・・だけではなく。
まさか、ここに。彼らがいるとは―――
お読み頂き有難うございます。




