2394. アイエラダハッド決戦閉幕 ~浄と祓いの空①北の治癒場・大地の願い
〇今日は三回投稿です。この回で三回目です。明日から少しお休みします。どうぞよろしくお願い致します。
想像を、遥かに凌ぐ巨大な影。
空一面と表現しても足りない、赤みを帯びた肉体を見せるそれは、頭に太く大きな角を生やし、牙が並ぶ笑ったままの顔、筋肉がむき出しの両腕を左右に広げ、アイエラダハッドの空を渡る。
ゴォォォと唸らせる空気を巻き込み、赤黒い煙を纏う。悪魔到来の如き光景だが、しかし全く反対の、淡い緑や紫に輝く粒子を、運河のように後に引き、現れた巨大はゆっくりと夜空を移動する。
「あれは」
「なんて言うか。一応、精霊かね、ちょっと違うけど」
「精霊ではない?」
「厳密には違うの。あんた、ぽかんとしてないで急がないと!そっちよ、そこ曲がって」
あ、はい、と従う妖精の騎士。途中まで少し飛んで移動したものの、『ここから歩き』とまた降りて、今は氷窟へ向かうところ。
―――呼びかけられて、凍る岩に降りたフォラヴは、不思議な民族衣装に身を包んだ老婦人に『あんた、妖精でしょ?』といきなり質問された。
そうですと答えたすぐ、『イジャックが迎えに行って、って言うから』と驚く返事。老婦人を信用して、その後をついて行った。
信用・・・この老婦人は、精霊の目を持っていたから。以前、勇者と赤ちゃんとミレイオを世話した、と聞いて、フォラヴは更に驚き、そしてこの導きに感謝した。
名を教えない老婦人だが、自分のことを『精霊』と呼べと言い、『イジャックの占いで、フォラヴの訪問が示された』と彼が先を読んだ話―――
精霊の老婦人は、イジャックが治癒場に来た日に挨拶し、続くイジャックの悩みも知った。
「さっきの大きいの・・・あれが、アイエラダハッドを『均す』でしょう。そうしたら、イジャックも民を戻すことになる。あんたが、その前に手伝ってあげないと」
「そのつもりでした。お役に立てるとい」
「『お役に立つ』から急ぎなさい」
ほらほら、と精霊のおばちゃんは、氷窟の暗い入り口に立ち、先を譲ってフォラヴに前を歩かせる。精霊というには、妙に人間的で庶民的なおばちゃんに、フォラヴも張りつめていた気が緩む。知り合いのおばさんのような態度に微笑み、『助かりました』とお礼を言って、大きな空間に足を踏み入れた。
「イジャック。連れて来たわよ」
「ああ、すみません。あなたが妖精?私はイジャックです」
フォラヴが入ったそこは、南の治癒場と同じ・・・やはり、親指大の人形がぎっしりと床を埋めており、リチアリと同じ人種の浅黒い肌を持つ、誠実そうな男が澄んだ目を向けて迎えた。フォラヴも名乗り、リチアリの話を短く伝え、イジャックは頷くと『では、急ぎましょう』と背後の人形を振り返った。
「大いなる力が動きました。もう少し早く動いていたら、『檻』もあなたが全部回らずとも、済んだでしょうが」
「え?檻ですか」
「はい。『古代檻』は、大いなる力が介入すると、その効力を失くします。正確に表現するなら、なくても問題なくなるので、檻は消えるのです。でも・・・大いなる力が動いてしまったら、あの力が収束次第、治癒場の人々も大地に帰るでしょうし、やっぱり今が良かったのかな」
説明しながら、一人納得するイジャックは、キョトンとする妖精の騎士に微笑み、『全部の檻を対処したんですよね?』と訊ねる。頷いたフォラヴは、あれだけ頑張ったことが・・・ 別に無駄ではないが。大いなる力の介在であっさり終わると聞き、何だか拍子抜けした。
それはさておき――― 妖精の騎士とイジャックは急ぎで仕事に取りかかる。人々を少しずつ、奥の青い光に入れては、姿を戻すなり、いきり立つ彼らの怒りと向き合う時間が始まった。
ここでフォラヴは全く気付かなかったことだが、妖精だからか。それとも、彼の存在によるものか。もしくは、精霊の保護下だったからか。理由は謎だが。
『大いなる力』の影響に、彼は全く晒されていない状態にあり、これは後で他の者の話によって、知らされる一つ。
*****
氷を伝って黒い岩場を進み、低木の丘を抜け、疎らな木々の間を歩き、森林の端に着く、大きな動物の足。見送った空を行く巨大な背中は、今、北から南へ、東から西へ両腕を広げて大地を浚っている。
アガンガルネの視界に、空覆うあの姿はもうなく、遠くへ行ったのを感じる。
―――『その手』が落とした、謂われなき痛みを取るのは、誰が出来ると思う?
大地の精霊は、氷の祈祷師にそれを問いかけた。『その手』とは、精霊の間で呼ばれる『原初の悪』のこと。氷の祈祷師は、『その手』の子であり、彼の対で存在する。
責任こそ、氷の祈祷師にないが、アイエラダハッドを後にした『その手』の置いて行った痛みは、あまりにも多く、アガンガルネは復興する国に、妨げ以外の何ものでもないと判断し、対の繋がりを持つ祈祷師に判断を求めた。
氷の祈祷師は、生じた状況を知っており、訪れた大地の精霊に敬意を払い、『私も同じく思う』と答えた。だが、すぐに立ち上がりはせず、アガンガルネは『その手』の落とした痛みを拾えるのは、他ならぬお前ではないか、ともう少し食い込んで問を投げた。
真紫の瞳を見つめた、大きな輝くトラに、ソドは頷き『私が動くことで』と懸念を話し、アガンガルネは『その憂いは杞憂』と、理由を告げて取り払ってやった。
ソドは、自分がこれに対応すると、父『原初の悪』の怒りを、煽る行為ではないか、と考えたが。
アガンガルネは、『大地の願いを聞き届けたと言えば良い』と返した。
アイエラダハッドの大地は、アガンガルネの守る場所。これを、民が住めないほど汚れたまま、終わらせることを望まない。
だが、『その手』に許された範囲に、アガンガルネが直接手を出すことも難しい。
『その手』と同じ範囲にいて、対に当たるソドだけが、それを出来ると教え、『その手』の行いを咎めたわけではなく、大地を守る願いに応じた協力は、それぞれの精霊の持ち場を侵しはしないと説得した。
アガンガルネも古い精霊。ソドは、この大精霊の願いを理解し、そうであればと庵を出た。
ソドが動くということは・・・ 凶悪な姿をこの国の空に見せるだけでなく、落とされた『弾かれる者』を、確実に浚うことを意味する。
アガンガルネは、自分がここまで関わるかどうかを考えたが、結論は、これは私が動くべきであり、私が気付いたということは私の仕事と認め、行動に移した。
『龍は、どうにもならないが』
ボソッと呟いたトラの精霊。目を閉じて、大きな太い首を横に振る。あれはもう、どうも出来ない(※龍)。ああいうもの、と受け身に立つのみ。
始祖の龍の、昔に比べれば―― 『まだまだ、マシ』とアガンガルネは自己納得する。あの時は、地上の全てが消えたのだ。水に埋もれて・・・ 思い出してまた首を横に振ると、嫌なことを忘れるように、トラは森林の奥へ再び歩き出した。
こうして。静かに、アイエラダハッド決戦は、閉幕を告げる―――
そしてこの閉幕を、ずっと離れた嵐の孤島で魔物の王が知り・・・また、『先に』とアイエラダハッドを後にした『原初の悪』も、虚空の眼差しで眺めていた。




