2390. アイエラダハッド決戦 ~勇者とスヴァウティヤッシュ・ミレイオを巡る裏方
「間に合ったな?」
「誰だ」
「イーアンの友達、って言ったら・・・信じるか?」
バサッと鳥の翼を動かし、黒いダルナがドルドレンから離れた雪の上に降りた。
「ヤバいかと思ったんだよ。お前、あいつの前で剣を鞘に入れたから。でもまた抜こうとしたし、お前の本能が・・・・・ 」
喋り続ける、鳥の翼をもつ黒いダルナ。荒い息が少しずつ静まるのを感じながら、戸惑うドルドレンは自分の手を見る。鞘から抜きかけた剣・・・ 俺が一度、剣を戻した?
幽鬼相手に剣を抜いた後で、覚えもない内に剣を鞘に戻していたと聞き、全く思い出せないドルドレンの手が、握っていた柄から離れる。かちゃんと小さな音を立て、金属の鞘口と鍔が当たり、ドルドレンは大きく息を吐く。
操れない、と言っていた相手に、俺は自ら――― 従おうとしたいうことか。
「おい・・・おい、って!聞いてるか?」
大きな声を掛けられて、ハッとしたドルドレンを、ダルナは不審気に見つめ首を傾げる。『どこかやられたか?平気だと思うけど』少しなれなれしい口調でダルナはそう呟くと、黒髪の騎士の側に来た。
黒土の豊かな香りが、ふぅっと雪の合間を抜けて鼻に届く。大きなダルナに瞬きするドルドレンは、このダルナが最初に言った、『間に合った』意味は何か・・・俺の命のことだろうかと、すぐ見当が付かず。
そして、イーアンの友達と言われても、軽い放心状態で、そこはすっぽり抜け落ちた。
ダルナは長い首をちょっと手で掻く。『聞いてたか?イーアン、だよ。イーアン。お前の仲間だろ?』ともう一回、重要そうに女龍の名を伝えながら、向かい合う男を近くで見て、少し面食らう。
「あれ? ・・・俺、お前と会ったことあるよな(※2286話)。お前が『ドルドレン』か」
ダルナが自分を知っていて、名も呼ばれたが、ドルドレンはそこまで意識が回らないまま、『会ったことある』だけに反応。
「もしかして。あの赤い水の時の、黒いダルナ?そうか?」
はた、と思い出したお互い。ちゃんと顔を見たわけでもなく、紹介し合ってはいない―― 名前と顔が、互いに一致していない ――が、スヴァウティヤッシュは、同じような背格好の男を見た記憶から、これがそうかと頷いた。
ドルドレンも、彼は味方のダルナで、イーアンと一緒にいたと思い出し、そして・・・『イーアン』の名に、はた、と意識が立ち止まり、現実に引き戻される。その途端、安堵が沸き上がり、ドルドレンは大きく息を吐いた。
「イーアンは・・・俺の奥さんだ」
口にした、一番大事な人の名に、温もりが心に溢れた。なぜか涙が出て、『奥さん?』とダルナに尋ね返されるも、ドルドレンはイーアンの名で感じた喜びに、咽び泣いた。
いきなり泣き出した男だが、スヴァウティヤッシュは、伝わってくる涙の理由が、言葉にならない感情で溢れているのを理解する。
少し泣かせてやってから、『おい』と声をかける。雪が両肩と頭に積もる男は、顔をぐっと拭ったので、ダルナは頷いて後ろの空を指差す。
「泣くのも分からないでもないが、逃げるぞ」
「え」
黒いダルナの言葉『逃げる』に、止まるドルドレン。もたつくドルドレンに、溜息を吐くダルナ。
『お前、飛んで移動できるか』と聞き、困惑しつつも『出来る』と答えた男は、特に自分を疑っていないと分かって、スヴァウティヤッシュは手短に、逃げる理由を教えた。
「『檻』が出てくる。地上から離れる」
「そうか、もう檻を出すのか。だが、ここ特定ではないだろう」
「近所、って言ったら動くのか?間抜けに採っ捕まっても嫌だろうが。グズグズするな」
「だが、まだ・・・俺は、魔物を探して倒さねば」
「お前。ホントにイーアンの旦那か?」
「分かった(※即)」
イーアンの名であっさり従うドルドレンは、サッと足元にムンクウォンの翼を出して乗る。なんだこいつは、と半目のスヴァウティヤッシュだが、とりあえず、後ろについてくるよう手招きして、自分も翼を広げ浮上。
少し高く上がったすぐ、ドルドレンは見下ろす風景に驚き、辺りを見渡した。『・・・こういうことだ』と、ダルナは教える。
「お前がいたところだけ、『夜』だったな」
「そうした現象が多いのは、分かっているが、しかし」
「これは『龍の破壊』だ。イーアンたちが壊した跡。これが終わったら、次は『檻』が出るんだ。龍の破壊、なんでだか、お前のいた森は被害が通過しなかった」
俺も森にいたから問題なかったけどね、と黒い翼のダルナは後ろを指差し、目を丸くしている男に『魔物も、もう終わってる』と付け加えて教える。
「魔物も終わっている・・・?」
「だから、お前が『魔物を探す』理由はない」
「だが、あの向こうに見える黒い影や、動く灰色の靄は」
「あれは魔物じゃない。遠過ぎて気配が掴めないのか?この国の、土着の怪だろう」
「土着の。古代種か」
繰り返して呟いたドルドレンは、景色も違えば、魔物もいないと言われ、何が何だか。しかし、目を奪うのは、視界一色、変わり果てた地上の姿で、意識はそちらに連れて行かれる。
ドルドレンが戦っていた森だけが――― 『夜』を維持し、更には異時空の質をしっかり抱えていたようで、東西を掻き切った破壊から、ポツンと取り残されていた。
周辺は、全く、何にもない。川や崖や連山は、影も形も失せ、見える範囲の地平線まで、広い幅を抉られた大地が敷かれる。
聖メルデの森は・・・背後に遠のく。その小ささ、黄褐色の大地を照らす朝陽に、緑の島にも似た形で、小さなキノコでも生えているようだった。
「こんなことが起きていたとは・・・イーアンたちが」
驚きが収まらない男を横目に、少し放っておいてやったが。まだ急ぎの用があるスヴァウティヤッシュは、『話を続けるぞ』と、声をかける。
「いいか。旦那。お前の居場所をイーアンは知らないが、イーアンは俺に、お前の無事を頼んだ。だから俺の言葉は聞け。詳しくは後だが、とりあえず、『妖精の檻』に邪魔されない所で、ミレイオの用事を急ぐ」
「・・・お前は。名を知らないから、お前と呼ぶしかないが。なぜミレイオの」
「どうでも良いから急げ。俺は信用しないと名乗らない」
「俺は、ドルドレンだ。ドルドレン・ダヴァート。イーアンの夫である」
真横を飛ぶ男は、急に名乗り、信用してくれとばかりの眼差しを向ける。
名前は知っていたから、別に言わなくてもいいのに、苗字も立場も告げた男に、スヴァウティヤッシュは仕方なし『俺はスヴァウティヤッシュ』と名乗ってやった。こうして、二人は名を互いに知る。
何となくやりにくい生真面目な男相手、はーっと溜息を吐いたダルナは、『ミレイオだが』と始め、ドルドレンは朝の地上に、少しずつ妖精の気が渡るのを感じ取りながら、先を促す。
ダルナの話は、ミレイオの呪縛について。
イーアンから頼まれた『ミレイオ探し』で、ミレイオの体は安全な場所(※ヤロペウクの元)と知ったものの。
意識は牛耳られたままであるから、スヴァウティヤッシュはそれを解くため、機会を狙っていたことを、ドルドレンに掻い摘んで教えた。
それで、あのサブパメントゥを辿り、ドルドレンのいる森へ入った。
なんと、あのサブパメントゥの意識を操ったのは、このスヴァウティヤッシュ、と言われ、信じられなかった。そんなことできるのか、と思わず口を衝いたのを、ダルナは嫌そうに睨む。
「あいつは弱っていたんだ。イーアンにやられてから、回復していない。イーアンと何があったかも、後で教える。とりあえず、あのサブパメントゥは弱っていて、俺はあいつの隙をついた具合だ。お前を取り込もうとしたけど、無理っぽかったろ?」
「ドルドレン、だ。名前を」
「細かいこと気にするな。ドルドレン。お前の意識を操るのも、その、首のやつ。龍みたいな気配がするそれ(※ビルガメスの毛)で、あいつはお前を操らなかった。
能力を発揮していない状態は、隙があるのと変わらない。俺が入り込んでも分かっていなかったし、ミレイオを縛った『答』を、お前に教えるように促した」
「あれは、俺に交渉したのだ。ミレイオを解く代わりに、俺の名前を言えと」
「だよな。その辺は、あいつが『自発的に言う意思』を使った。だからあいつ自身も、なぜ自分がそう思ったか、多分、未だに理解していないだろう」
ケロッと話しているが・・・段々、言われている意味が分かってきて、ドルドレンは目の前のダルナが、とんでもない力の持ち主だと驚いた。豆鉄砲を食らった何とやら、凝視する男にダルナは呟く。
「・・・そういう顔になるんだよ。イーアンも最初、俺の力を知った時、同じような顔を見せた(※2082話参照)」
「なるだろう、そりゃ!そんなとんでもない力!こ、この龍族の破壊も強烈だが、スヴァウティヤッシュの能力は」
「や、どうだろかな。俺は、こんなおっかない状態は作らないしな」
遮りながら、鉤爪を下に向けるダルナは『イーアンたちの方が恐怖』と困ったように言うが。ドルドレンは、次々に肝を潰されるような出来事や話で頭が壊れそう。そして、余計だが、ハッとする。もしや俺の意識も?と慌てて相手を見たらまた睨まれた。
「『操ってほしければ』な。操ってやってもいい」
「いや、いや。そうではない、すまない。想像しない能力だから、うっかり」
嫌味で返した相手に、この思考も読まれていると気づき、ドルドレンは委縮する。何を考えても読まれているのか。目を逸らしたものの、すぐにちらっと見ると、水色と炎の赤が揺れる瞳は、面倒臭そうに歪められる。
「あのな。そこまでビクビクするのか?イーアンはもっと堂々としているぞ・・・ 『お前が歩いた土の記憶。お前が吸って吐いた息の数。俺に伝わる、土を踏んだお前の思いと、空気に乗せたお前の心』。分かるか?同じ言葉をイーアンにも最初に言った。俺は、土の記憶を読む。お前が目の前にいる以上、知ろうと思えば、お前の生まれた時から知る」
「すさまじい(※棒読み)」
「どうも。だから、今回の敵は、俺相手に何も出来なかった。俺がいることさえ、知らなかっただろう。この力は、『サブパメントゥ向き』だ」
頷くドルドレンは、ガッチリ理解。そうか。彼は、サブパメントゥさえ・・・生まれながらに操る種族さえ、彼の前には赤子の手をひねるほど、大したことがないのだと。そうそう、と横で頷くダルナに、ドルドレンは畏怖を覚える。
「では。畏敬と畏怖を籠めて、スヴァウティヤッシュに、まずは礼を言う。助けてくれて有難う。俺はあなたがいなかったら、穢れた勇者の歴史を繰り返すところだった。救ってくれたことを、一生忘れない」
「ん?」
大真面目なドルドレンの感謝に、ダルナは拍子抜けするが、これか、とも思った。素直さ、この誠実な態度、なるほどイーアンの旦那と言われてみれば、と分かる気がした。続けて、頭を整理したドルドレンは、質問した。
「それと、訊ねたい。状況を教えてくれないか。俺の話は、後でも話せる。これから何が起きて、俺は何をするべきかを知りたい」
「ふぅん。じゃ、ミレイオの話の続きだ。座れないから、ここで」
座れないから、と下を示すダルナの手につられ、ドルドレンも地上に顔を向けた。
朝陽が斜めに差した大地の所々に、半球の水色の光が立ち始める。水色の光は鳥籠のように編まれ、あっという間に、頂点に円形の穴を残して形を作った。これと同時、近くの地面に染みのように広がっていた古代種の影も、水色の光に呑まれるように薄れる。
「檻が出たな」




