239. 新年夜会~晴れ着
はいはいと扉を開けるイーアン。
「ドルドレ」
言いかけて口を開けたまま、イーアンは固まった。普段のドルドレンでも格好良いのに。目の前にいる男は、信じられないくらい格好良かった。思わずそのまま目を丸くして見惚れる。
盛装しているドルドレン。
ベルベットに似た黒の上着にプルシアン・ブルーと金の刺繍が入り、襟に赤い花の飾りが付いている。真っ白いシャツにも銀糸の刺繍。マゼラン・ブルーのズボンも、ベルベット生地に似た柔らかい光沢で出来ていて、騎士の長い革靴の上にレデルセン的なシルクで出来た筒型の履物をつけていた。
ドルドレンも見下ろすイーアンに固まっている。あっという間に顔が赤くなって、何だか奇妙な呻き声を喉の奥から搾り出している。
「あ。イーアン。あの。ええええっと」
ちょっと震えながら、瞬きしないドルドレンが手をそろりそろりと出して、イーアンの腕に触れる。ちょっと触れて、すぐ離して、またちょっと触れて、離して。何をしたいのか分からない動作に、暫く、してる側もされてる側も気がつかなかった。
はっと気が付いたイーアンが『ドル、ドレ、ドルドレン』なんて美しいの、とようやく口にした。ドルドレンも眉をぎゅ―っと寄せて、頭を振りながら『イーアン。君は何て綺麗なんだ』どうしよう、とアワアワしながらうろたえる。
お互いが大好きで、何よりな二人。ギクシャクしながらも、どうにかドルドレンは目的を思い出して告げる。
「一緒に広間へ。俺と一緒に」
当たり前のことなんだけど、言うのが必死。イーアンもひたすら伴侶の姿に潜在意識が没頭するため、必死に健在意識に喝を入れて返事をするが、あんまり言葉になっていない。
とりあえず二人は、鍵を閉め忘れて戻って、鍵をかけて広間へ進み、お互いを見ては見つめ合って立ち止まるという、非効率的な魅力のおかげで、広間に入るのに普段の3倍かかった。
広間の賑やかな雰囲気に、近づくにつれて気がつくイーアン。
肩を抱き寄せながら歩くドルドレンは、イーアンから目が離れなくて赤い顔のまま『どうしよう』を繰り返している。『結婚式みたいだ』はぁはぁ言いながらドルドレンが呟いた。
ドキッとして見上げるイーアン。『結婚式』大切な言葉をもう一度言うドルドレン。イーアンの心臓がどきんどきんして、その場に足を止めてしまう。ドルドレンも立ち止まって、『イーアン。凄く綺麗だ』灰色の宝石がすっと閉じ、屈みこんで。イーアンも赤くなったまま、ドルドレンのキスを――
「ああ、総長。早く」
広間から廊下を覗いた陽気な騎士の声がかかって、キス直前で動きが止まった。『もう皆待ってますよ』はははーと笑って、騎士は引っ込んだ。
舌打ちしてドルドレンがイーアンの肩を引き寄せ、『続きは後で』絶対後でと言い切る。いつもなら笑ってしまうイーアンは、結婚式の言葉にぽ~っとしていた。
すぐそこだった、広間の入り口に立った時。ぽーっとしていたイーアンは、違う場所へ来たのかと慌てた。
いつもの長机と椅子はなく、磨き上げられた床が炎の明かりで煌いている。壁にも天井にもたくさんの明かりが掛けられていて、壁に弛みを美しくした赤い布が、ぐるっと飾られていた。赤い布飾りの下、普段から下がるタペストリーや旗があり、鎧は全てトルソーのような木型に掛けられている。
玄関の側に大きな木が2本あり、緑の枝葉を大きく広げていて、大広間のように変わったそこは、沢山の騎士が集まっていた。皆、ドルドレンと同じように素晴らしく着飾っている。
「イーアン。新年夜会だ。俺たちの」
びっくりしているイーアンに、『驚かせようと思って』ドルドレンは微笑んだ。よく見れば食堂側に寄せられた長机に料理と酒がびっしり置かれている。まだ手を付けられていないが、それはすでに立食パーティー準備済み。
ドルドレンがイーアンの肩を抱いて中へ入ると、手前の騎士たちが湧いた。『うらやましい』とか『きれいだ』とか『一人でずるい』とか聞こえてくる中、総長ドルドレンは鼻高々で中央へ進む。
イーアンはこんな光景を見るのも初めてだが、自分がいることが信じられないまま、嬉しいのと驚くのとでゆっくり見回しながら歩く。
ザッカリアが走ってきて、イーアンに抱きついて見上げる。
『イーアン、お祝いなんだよ』イーアンきれいだ、きれいだ、と喜ぶザッカリアもまた、濃い褐色の肌と焦げ茶混じりの黒い髪によく似合う、瞳と同じレモン色の上下を着ていた。
「なんて可愛いの。よく似合ってる」
可愛いと聞いたザッカリアが少し離れて、ふてる。ドルドレンが笑って『可愛い、では気の毒だ』と小声で教えてイーアンは急いで言い直す。
「ザッカリア、とっても素敵。とっても格好良いです」
子供だから機嫌が直るのは早い。すぐに笑顔を戻して、えへへと笑う。『ギアッチが買ってくれたよ』嬉しそうに後ろを見ると、向こうで微笑むギアッチも、芥子色の上着とアイビー・グリーンのベスト、紺色のズボンで盛装していた。
「信じられない。何て美しいんだろう」
この声はあの人。不要なほどの甘さを、わざとらしく垂れ流すあの人。ドルドレンがいつもよりも段違いの警戒態勢で背後を振り返る。ザッカリアが気配で離れていく。
青灰色の髪をしっかり後ろへ撫で付けて、胡桃色の瞳をキラキラキラキラさせるクローハル。そのまま王城へ行っても大丈夫そうなほどの金ぴか具合の盛装(説明するの面倒臭い)で、イーアンの横へ滑り込む。白と金で飾るクローハルはゴージャス。ただただ、ゴージャスなジゴロ。
イーアンの手を取って、即、キスをする。即、叩かれる。クローハルも新年は負けない。頑丈な図太いジゴロ精神で、叩かれた頭を撫で付けて髪の乱れを正しながら、イーアンにメロメロ微笑む。
「踊ってくれ。俺は今年それで生きていける」
「このまま踊らず死ね」
目出度い席で何を言うんですか・・・イーアンに笑われるドルドレン。
ぎゅーっと抱き寄せてイーアンを両腕に包む総長は『触るな近づくな汚らわしい』と害虫を追い払う。クローハルはハイエナのようにうろつきながら、機会を狙う。
ふと見れば、自分たちに集る害虫の輪が狭まっていることを知る総長。鬱陶しいので、先に挨拶をしてしまうことにする。
イーアンをがっちり両腕に囲み、頭上で大声を出す。イーアンびっくり。
「クリーガン・イアルツア。通称、北西の支部の騎士たち諸君。メーデ神により、新しい年を迎えたこの日を心から祝して、その重い命と魂に新たな力を吹き込め。今日から始まる一年、全員が無事であるように。全員が同じ場所に生き、同じ塒で休み、同じ命の糧を取れるように。
我々の命は一つではない。ここにいる全員の命が、全て一人ひとりに流れている。民を守れ。国を守れ。仲間と歩む互いを守れ。その気高い精神と誇り高き魂を集え」
『新年に祝福あれ』
ドルドレンの声に、騎士たちの声が重なる。『新年に祝福あれ』と数十人の男が叫んだ。
「では祝え。絆を新たに」
ワッと拍手が起こり、一気に場の空気が変わる。どこからともなく演奏が響き、ご馳走ではなくて最初に酒が運ばれた。ご馳走もすぐそこにあるのだが、最初は酒なのか、誰の手にも酒の容器が握られる。
大型のマグカップのような容器で、そこになみなみと薫り高い酒が注がれていた。
「総長。イーアン。どうぞ」
ヘイズと、以前、水を運んでくれたシュネアッタ(←166話の人)が酒を持ってきてくれる。
酒を渡しながら、ヘイズはイーアンを上から下まで見て嬉しそうに頷いた。シュネアッタも頬を掻きながら『いや凄いな』と笑っていた。彼らも盛装しているので、給仕仕事は似合わないのだが、イーアンは彼らの素晴らしい服装を誉めた。
総長は仏頂面。これはいつものことになって、大体の騎士が平常時=仏頂面と認知しているため、あまり恐れられなくなっていた。
「イーアン。今日は気をつけて。君はいつも綺麗だが、今夜はとんでもなく綺麗なんだ」
お化粧と服。それを最初に思う、素直ではない自分に嫌になるイーアン。ちょっと反省。
笑顔で見上げて、誰より最高なドルドレンにニッコリして頷く。『ありがとう。ドルドレンもとても素敵』ドルドレンの胸に頭を寄せると、黒髪の美丈夫は再び頬を染めて、好き過ぎることに悩んだ。
手に持ったお酒で乾杯して、見つめ合って微笑む二人。その横に、微笑む世界を壊す部下が佇む。
「こんなに綺麗で。俺は何て言えばいいのか」
だあれ。振り向けばシャンガマックだった。褐色の肌に最高潮の赤を含ませて、切れ長の漆黒の瞳をきちっとイーアンに注ぐ。
普段、長めの直毛をそのままにしている彼は、今日は後ろで結んで束ね、両耳に銀色の小さな輪を沢山つけている。盛装もちょっと彼らしいというか、明るい赤紫の上下と、金糸のふち飾りをつけた濃い深紫のベストで、白いふんわりしたシャツに細く白い毛皮の縫い取りが付いている。
「シャンガマックも、とっても。何て言えばいいのかしら。独特な美しさです」
この人の場合は雰囲気がちょっと違うからと、イーアンは感心する。その言葉に総長の重力が加わる。『美しいとか言っちゃダメ』背後で呟く声にイーアンは一瞬笑いそうになるが、どうにか堪える。
誉められたシャンガマックは目を閉じて、恥ずかしさで俯いてしまった(←セダンカ一押しの初心)。
背の高いシャンガマックがじーっとしてしまったので、イーアンはドルドレンを振り向く。放っておきなさい、と冷たい視線が帰ってきた。いずれ動く、と。イーアンは、冬眠じゃないんだからと思うものの。固まるシャンガマックに何を言うことも思いつかず、彼をそっとしておく。
「あなたは私の光だ」
白金のふんわりした髪を揺らす妖精の騎士が、どこからともなく現れて頬を染めつつ、イーアンに跪く。
フォラヴはもともと貴公子みたいな人だから、何を着ても似合うのだけど。本日の盛装は王様レベル。
腿まで覆う丈の長い上着は、ペール・ペリドット・イエローの地に、水色と深青色の大柄花模様が全体に刺繍されている。豊かでふんだんに透かし生地を束ねた襟飾りと袖飾りが、しっかりした上着の襟と袖から溢れて飾る。上着の下地の色より少し明るいズボンは厚い温かそうな生地で、アルカーディア・ブルーの長いレデルセン的な覆いが黒い革靴を引き立てていた。
跪かれてしまったイーアンは、膝が汚れますよと慌てるが、伴侶は『放っておきなさい』そのうち立つからと冷たく切り捨てる。
フォラヴは、イーアンの愛の奴隷である喜びを詩で表す。勘違いされるからやめてほしいところ・・・複雑な笑顔で、イーアンは頑張って愛の詩をひたすら聞き入れる。
途中からゴージャスジゴロが食い込んできて、自分もこんな気持ちだよ・・・とフォラヴの詩をお手軽に横取りしながら口説きに入る。ドルドレンの腕をすり抜け、あっさりイーアンの肩を組んで、顔に寄りついたところで、フォラヴと総長に引っ叩かれる。
深緑色の丈の短い上着を羽織って、フォラヴと似たような髪をした騎士が来て、取り込み中の場に潜り込んでイーアンに挨拶をした。
「ディドン」
誰だか分からなかった、とイーアンが微笑むと、ディドンは照れ臭そうに笑って「イーアン。今年も宜しくお願いします」とイーアンの腕に触れた。総長が素早く引っ叩きに入るが、それより早く手を引っ込めて、『あの黒い剣、また貸して下さい』そうニッコリ笑った。
そして『とても綺麗です』少し囁くように鳶色の瞳を覗き込んで言う。すぐさまフォラヴの空色の瞳に睨みつけられて後ずさった。
鬱陶しくなったドルドレンが一喝(←『放っとけ・あっち行け・近づくな』)して追い払い、『料理を取りに行こう』とプンプンしながらイーアンを引き寄せ、ご馳走の並ぶ壁際へそそくさ移動した。
「総長」ご馳走の長机に集まる騎士たちの中から声がした。
ドルドレンがそっちを見ると、盛装の騎士が屯す中、ワイルドな男と目があった。『アティク』どこ行ってたんだ、と近づいてその姿を見る。
アティクは黒が基調の服を着ていて、よく見ると毛皮を縫い取ってあると分かる。黒い毛皮は毛足が短くて密度が高く滑らか。パッと見は派手な光沢のある生地のよう。
上着にもズボンにも靴にも、白と灰色の線や、菱形や渦巻きが色を変えて飾られているが、それらも全部毛皮。大きなフードが背に垂れ下がり、フードの縁は一層豊かな銀色の毛皮を縫いつけてあった。
胸元が胸毛が見えるくらい開いており、アティクの彫りの深い顔と日焼けしたままの茶色っぽい肌が似合い過ぎてしまい、やたら野生的でカッコイイ。
ドルドレンがじっくりアティクを見てから、『アティク。カッコイイな』とぽそっと羨ましげに呟いた。本音で言ってるのが分かるだけに、周囲もアティクを見ず(さっき見た)うんうん頷いている。
「年の終わりは一度向こうへ戻っていた。総長たちが出発する日と同じに。家族と会い、衣装を直してもらって今日の昼に帰った」
イーアン納得。彼の民族衣装で、晴れ着。めちゃくちゃ似合ってる。艶々した黒い髪をぎっちと束ねて、細く編んだ三つ編みの毛でぐるっと巻いてまとめている。
3連で作った真っ赤な石のビーズのチョーカーに、真ん中にある金属のでかい太陽のモチーフが、信じられないくらいにチョイ悪。指輪も腕輪も彫った金属がギラギラどっさり付いている。耳にも金属。胸毛が最高にまとまりつけてる気がした。
赤と黒と銀と毛皮とパーカーと部族感とご本人の胸毛。凄い迫力。なかなか貴重な姿を見ているので、これもいつか絵に描こう・・・イーアンは心の中で決めた。
「イーアン」
チョイ悪親父が自分に目を留める。じっくり見られて何だか緊張するイーアン。自分の方が年上だけど、アティクは時々自分より上に感じることがある。
「お前もずいぶん着飾ったな。魔物を皆殺しにしたとは思えない」
咳き込んで笑うイーアン。複雑そうに、笑いをかみ殺すドルドレン。誉めてるんだろうけれど・・・・・ ありがとう、一応笑いながらもお返事するイーアンに、アティクも頷く。
「これを食べろ」
チョイ悪が自分の好物の魚をくれた。どこから出したの?イーアンは、普通に手渡された、乾いた魚を受け取りながら疑問が浮かぶ。『総長にも』チョイ悪は毛皮の隙間からなぜか魚を出す。
凄く悩んでいる感じの表情で、ドルドレンも、じっと干物を見つめつつ受け取る。どこに入ってたんだろう・・・そうは思うが聞くのも怖い。よくよく焼いて、皮をはいで食べたら大丈夫と信じる。
アティクは親切なおすそ分けをして、去って行った。
「これ。この魚。現地で獲ってきたんでしょうか」
「彼は多くを語らない。恐らくそうだと思うが。彼なりの新年の慣わしかもしれない」
二人は干物を手に、ちょっと臭い嗅いだり、ふやけてないかと触ったりして確認していた。
「あの毛皮の服の下。素肌では」
「暖かそうな服だからその可能性はある」
胸毛も出ていましたからね、とイーアンが呟く。ドルドレンが凝視する。すぐに『こんな綺麗なイーアンが胸毛とか言わない』と注意を受ける。
とりあえず。干物を手に歩き回るわけに行かないので、厨房で紙に包んでもらって持ち歩くことにした。ちょっとツンとした臭いは、きっと熟成の香りだろうと二人は話し合った。
 




