2389. アイエラダハッド決戦 ~③勇者と騎士の霊・『呼び声』と勇者と勇者の秘密
上空に現れた、聖メルデ騎士団。
ドルドレンが感動するも束の間、彼を囲んだ幽鬼が急ぐように腕を伸ばし、振り向いたドルドレンはすぐに剣で、その腕を落とす。これを合図としたか、頭上で雄叫びが上がり一斉に駆け下りた、雲を纏う騎士団。
彼らの片腕は、剣の如く光輝き、駆ける足の見えない馬に乗った騎士たちが、ドルドレンを取り巻いた幽鬼を切りつけ始める。
「あの拳だ。空に突き上げた、誓いの拳。剣は置かれても、心は剣と共にある(※2092、2093話参照)」
霊体同士の戦い。ドルドレンの剣も使えるが、太陽柱は違うのではと技を出すのを控え、ドルドレンも剣のみで敵を切りながら応戦する。
もしやと、過った――― 騎士総会は、先住民を弾圧した罪で・・・と聞いたが。
最初は、古代種の被害を制していたのではないだろうか。先住民の崇拝、信仰する対象の精霊と、古代種の区別が出来ない、普通の人間の目に、どちらも同じと映ったのでは。
過ったドルドレンの思考に、『そうかもしれない』と寂しそうな声が届く。戦いのど真ん中に立つドルドレンの目に、甲冑で顔を隠した騎士が横切り、その目に憐みの光が見えた。
腕を剣に変えた騎士たちが、拳を振り上げて殴るように、剣の腕が幽鬼の亡霊を切り伏せる。金属音こそないが、吹雪の轟音と両者の重なる雑音が混じり合い、この世にいない者の重さなのか、ドルドレンを捻じり潰すような圧迫が増す。
アイエラダハッド語でもない、飛び交う怒鳴り合い。ドゥージが前に教えてくれた、昔の言葉だろうと思う。ドルドレンも、切っては起き上がる亡霊を切り捨て、状況の進みを見つつ、ここに自分が一人で来た意味を考える。
「知りたぁい?」
不意に、あのふざけた口調が右耳に入る。さっと、そちらに視線が動いたそこに、あの死体紛いの女が揺れた。荒れる周囲を背景に、我関せずとばかり静止した女の、ぶら下がる目玉がきょろりとドルドレンを見る。
「大義名分で、人間を裏切った騎士と同じでしょ。この騎士たち、どんだけ人間殺し回ったんだろ・・・あんた。『勇者』か。そうだよねぇ、勇者だから、こんなことしてるんだ。勇者も同じだ、裏切りの」
「やめろ」
思わず、言い返したドルドレンに、左右ズレる女の唇が吊り上がった。吊り上がった唇は土色で、引っ張られて千切れ、ぼとりと下へ落ちる。唇を落とした溶ける顔が、空気の抜けるような音で嗤い、先を続ける。
「裏切りの勇者が、世界を騙したの、知ってるぅ?魔物と肩組むならまだしもねぇ。勇者ったら、裏をかいて」
――次の言葉を聞きたくない。遮るように、ドルドレンの剣が風を切った。だが、剣が刺さるより早く、じりっと妙な音が響き、女は砂に変わり、どしゃっと崩れる。
混乱の戦場は、耳を壊しそうな音の連続。不意に、耳は誰かの歌を拾った。
歌――― そう判別したドルドレンは、この歌をどこかで知っている。
「ベラベラ煩い・・・イヤなやつだな」
歌の向こうから、同情気味な一声が掛かる。多くの音を合わせたような声で、ドルドレンは顔を向けた。騎士ではない。幽鬼でもない。鎧に見えて、鎧でもない。体が鎧じみている。
「気分が良くない。大丈夫か?」
ドルドレンの灰色の瞳に、巨漢の影が映る。周囲は何も変わっておらず、勢いの波が動き続ける。戦場など関係ないように合間をすり抜ける、紺色と白の大きな男が、ゆっくりと歩いて近づく。
不思議なことに、騎士団も幽鬼の名残も、自分と相手の二人を取り残して戦い続けており、誰も気づいていない。
「もう、大丈夫だ・・・俺が倒した」
労う囁き。喧噪の直中で、囁きがはっきりと聞こえる。側へ来た大きな男を見上げるドルドレンは、白目のない紺色の目に、背筋が凍った。俺が知っているわけがないのに。自分の何かが、この男を恐れている。
「お前の名前は」
その体に似つかわしくない、少し弱々しい声で、男はドルドレンに名を尋ねた。ドルドレンは名乗ろうとして、心の奥がそれを恐れ震え、黙る。
「『勇者』。前に見た時より、随分と勇ましい顔だ。芯が強そうに思う。少し、放っておき過ぎたか・・・名前を言え。お前の力になろう」
「お前こそ、名を名乗れ」
大きな爪のある手がドルドレンに伸びるのを、ドルドレンは後ずさって避け、質問を撥ね返す。動きを止めて、二人の間に浮いた手。男の小さな溜息が落ちる。
「ああ。そんなことも忘れたか。俺の名を訊くなど、お前はどれほど変わったんだ」
まるで、名を知る間柄のように聞こえた寂しそうな返事に、『俺はお前を知らない』と黒髪の騎士はすぐに答えるが。
気付くと、肩で息をする自分。恐れている、怖がっている、この相手を嫌がっている。本能か。魂か―――
勇者の戸惑う焦りが伝わる、紺と白の男は背を屈め、ドルドレンの真ん前に顔を寄せる。夜の闇のように紺一色の目が、じっとドルドレンを見つめた。
「違う。俺に名を訊いてはいけないんだ。前も、俺に名を訊かなかった。それは、お前が『俺を大切にしたから』だ。分かるか?訊かなくていい。お前に、俺の名を知る必要はない」
「名乗らぬ相手に、俺が名乗ると思うか」
「思う。『勇者』・・・前より、良いな。お前は精悍。その強い反発。怖れに屈しない抵抗。背負う荷を下ろさない、耐久力。突き進む誠実。『三度目』のお前は、俺たちの期待に」
「・・・知らん」
「名前を言え。お前が、助けを求める時。俺はお前を、すぐに見つける。今だって、助かっただろう?」
―――名に固執する相手と、本能が嫌がる相手は一致する。
ミレイオはいつも言っていた。サブパメントゥは、名乗らないと。そして、名乗ってはいけない、とも。ドルドレンは、確定した。この男はサブパメントゥで、間違いなく以前の勇者と関わっている。
・・・もしかして、この男も幽鬼の幻影かと少し勘繰ったが、これは絶対に違う。
と。ここまで思ったところで、相手は思考を読んだ。
ほぅ、と面白そうに、そして仰々しく頷く。
『ミレイオ』。ドルドレンが思った名前を、丁寧に繰り返した、白い唇。ハッとしたドルドレンはこいつがまさか、と―― ミレイオを殺しかけた者かと気づき、それに反応するように、紺と白の顔がゆらっと左右に振られた。
「そうか・・・じゃ。どうしようか。ミレイオは、お前の仲間。そうかな、とは思ったんだ。やれやれ、俺も疲れているな・・・つい、忘れていた」
鎧の男は微笑みを浮かべ、優しそうに、わざとらしく目元を緩ませる。ドルドレンは、向かい合う危険な微笑みを睨みつける。
「どうする気だ。彼を」
「気になるか・・・お前も一緒に手伝えばいい。ミレイオといられるぞ」
静かに首を横に振り、ドルドレンは否定する。寄せた顔の距離をそのまま、サブパメントゥは一度目を閉じ、ゆったりと低い声で歌い出した。その歌は、この男が現れる前に、聴こえた歌。
ドルドレンの心のずっと深い場所で、痛みと苦しみの諦念が動く。瞼を下ろしたまま歌う相手から、逃げたいのに、何かが逃げようとしない。
操られているわけではないのも分かる。そうではなく、この歌を聴いた自分が『動けない』と感じ取っている・・・・・ まるで、弱味を握られるように。
歌をやめた白い唇がスゥっと息を吸いこみ、瞼を上げる、凝視し怖れる勇者の顔を舐めるように見てから、細い息を吹きかけ尋ねた。
「思い出したか。俺とお前。俺たちの約束を」
「・・・知らん、と言った」
「名も言わず。歌を聴いても頷かない。だが、お前を見つけた以上、お前は俺の手から逃れられないんだぞ・・・『勇者』。よく聞け。双頭の龍が出たんだ。お前が連れて来るんじゃなかったのか?」
「双頭の」
言いかけて、ヒューネリンガの館で耳に挟んだ『銀色の二つ首』を思い出す。そのダルナの名を知らないので、連鎖して思い出した『ザハージャング』の名が代わりに過った。すると、紺色の目が嬉しそうに弧を描く。
「そうだ。覚えているじゃないか。『ザハージャング』だ。お前も見たか」
「そんな。いや、違うはずだ」
サブパメントゥに微笑まれて、否定する。言いかけたが、『二つ首のダルナ』の実態を知らないから、そこで抵抗が止まった。
サブパメントゥの嬉しそうな微笑みは保たれたまま、爪の鋭い大きな手がそっと動き、『覚えているよな』とドルドレンの頭を撫でた。凍り付く、この支配される感覚に、ビクッと体を動かしたドルドレンに、相手もサッと手を退けた。
「おお?そんなものまで付け続けているのか。外せ。使う時だけにしておけ」
白髪のある黒髪の隙間、ドルドレンの額を守る銀色の冠を、けったいなものを見るように眇めて、サブパメントゥは屈めた体を起こす。
「何かおかしい、と思ったが、それもだ。龍の毛か。とんでもない物をくっつけてるな。お前に合わない。今、捨てろ」
ドルドレンの首に巻いた、ビルガメスの毛も正体を見抜き、うんざりした顔を向けたサブパメントゥは、それがよほど気に食わないらしく、一歩離れた。
ドルドレンはこの時、思い出しもしなかったが・・・『呼び声』は、彼の首にある龍の毛が、自分の操りを阻止していたと気づき、それでか!と憎々し気に離れた次第。
向かい合う、大柄なサブパメントゥは黙って見下ろし、ドルドレンの返事を待つ。
息の詰まる沈黙―――
ドルドレンは、この時、ありとあらゆることを、思い出せなくなっていた。
ポルトカリフティグを呼ぶことも。仲間を呼ぶことも。龍を・・・イーアンを呼ぶことも。
自分の中に遮断された空間が、扉を開けている。空間に押し込んでいたものが、向かい合う男にひれ伏そうとしている。何のために?何の理由で?
自分のものではない感覚が、思考に溢れ返って広がる。ドルドレンは項垂れ、危険を察した本能が、手探りで剣を探す。剣は本能で、ドルドレンという騎士に染みついた、身を守り戦う習慣―――
しかし、柄に伸びた片手は、大きな手が上からゆっくりと被さり、ドルドレンの手ごと包んだ。
早まる鼓動と荒さを押さえられない息で、ドルドレンは顔を上げず『放せ』と呻く。鋭い爪の手は、彼の言葉に従うように一度開き、また包み直した。
「『勇者』。今必要な返事は、剣じゃないだろ。俺を見ろ。俺は操っていないのに、なぜお前は俺に従うんだ?お前の心が開いているのが分かる・・・『俺に従いたい』と、お前の声が聞こえる」
少し前まで苛立っていた声は、憐れみを帯び、ドルドレンに再び囁きかける。『呼び声』は、彼が迷い跪きかけているのを感じ、龍の毛については一先ず許してやり、服従の姿勢を促した。
「やめろ。放せ」
「違うだろう・・・返事が。龍の毛をつけていようが、お前は俺に」
ドルドレンの手を包んだサブパメントゥの手は、少し力を籠めたが、言いかけた言葉は途切れる。
ぎゅっと目を瞑ったドルドレンは、この途切れた言葉の間で、負けそうな意識に必死に抗う。絶対に、従わない。絶対に、俺は従わない、と何度も心に連呼する。
有無を言わさぬ、屈服しかねない心が、ドルドレンの膝に両腕を絡め縋るように重い。誰にも助けを求められない、この茫漠の諦め。誰かに押し付けたくても逃げられない、後のない崖のよう。だがこれは、俺の記憶じゃない。
『放せっ』 ―――自分を突き放すためにか。ドルドレンが声を荒げた一瞬。意表を突く言葉が、それと同時に発せられた。
「ミレイオを解こうか」
「何?」
「ミレイオを解く代わりに、お前が俺に名乗る。どうだ」
「・・・信じられると思うか?」
急変した流れに、騙されるわけもないと、目を開けたドルドレンが唾を呑み、信じられないと告げる。相手は掴んでいた手を離し、数歩後ろに下がると、少し頭を振って、片手を角のある額に当てる。
「仕方ない。ミレイオを解いてやる。お前の名前を」
「信じられない」
「サブパメントゥは、嘘を言わない」
「だとしても、お前を信じる理由にならん」
突き放すドルドレンに、紺と白の巨漢はまた頭を数回振る。眠気を覚ますような仕草の続き、大きく溜息を吐いて、ぐらりと頭を傾け、夜空を見上げた。
気付けば、騎士団の霊も、戦っていた幽鬼の死体も、いつの間にかおらず、二人は雪が降り注ぐ森に立つ。
「ああ・・・『勇者』。一度しか言わないぞ」
夜空に顔を向けた鎧の男は続けて『―――――』と、不思議な言葉を呟いた。
ドルドレンはそれを理解する。思わず繰り返すと、全く同じ発音で言えた。自分にギョッとしたのと同時、相手もギョッとした顔で向き直り、目を見開いている。
『お前!』
巨漢が驚きと怒りを吼えるや否や、ざっと片足を後ろに滑らせ、真横を向き、急に身を翻して掻き消えた。
「な。何が」
いきなり取り残されたドルドレンは、ささっと周囲を見て、自分しかいない状況に何事かと慌てて剣を抜きかけ、はた、と手が止まる。
傾けた鞘から半分出た長剣をそのまま、ドルドレンの視界左・・・雪降る森の上、大きな黒い翼を広げた姿が映る。映ったすぐ、それは気楽に話しかけた。
「間に合ったな?」




