238. 新年夜会~イーアンの準備
夜が来る頃。
支部の中が騒がしかった。夕方前まで正月の、のんびりした午後だったのが、急に何かばたばたし始めた。
ギアッチがザッカリアを連れて戻る時。『ほらもう行かないと』なぜかギアッチは、約束事でもあるようにザッカリアを急かした。イーアンはその言葉に、用でもあったのかなと思う。
ギアッチがこっちを見て笑顔で首を振り『いえいえ、こっちのことなんで』じゃあ、と退散したため、それきりになった。
ベルはイーアンたちが空から戻った後、すぐに弟の所に行くと言って出て行った。それは気にならなかった。次で気になる。ドルドレンがちらっと時計を見てから『ああ、そろそろか』よいしょとベッドから立ち上がって、うーん、と背伸びをした。
こうなると何か様子が変だと思うイーアンは、伴侶の説明を待って見つめる。ドルドレンが何てことなさそうに振り向いて微笑む。
「夜に祝いで、ちょっと恒例のことがあるから。準備が済んだら迎えに来る」
それまで騎士は皆、慌しいし。だから工房で待っていて・・・イーアンにキスをするドルドレン。新年会でご馳走やら作っていたから、何か飾りつけとかするのだろうか、とイーアンは手伝えることを訊ねる。
「ないよ。ないから、イーアンはそのままで。あっ」
断られたすぐ、ドルドレンが何かを思い出すようにイーアンを見つめる。何?と視線で返すと、ちょっと考えて『イーアン。その服は最高に綺麗だが』ふむ、と前置きするドルドレン。
「今だったら良いかな。一緒に寝室へ行って、ちょっと服を変えても」
なぁにそれ?イーアンは、なぜ風呂前に着替えるのか分からない。
今なら良い、その意味も思いつかない。でもドルドレンは扉を開けて、さっと廊下を見てからイーアンを廊下に出す。鍵は閉めないでいいからと急かして、寝室へ小走りに連れて行った。廊下も階段も二階も、そこかしこに支部に残った騎士たちが出ている。何か手に持っていたり、剣や服を集めた箱を出したり。
イーアンがちらちら様子を見ていると、ドルドレンはさっと肩を引き寄せて加速する。何で走るの?と聞く暇もなく寝室へ着き、扉を閉めたドルドレンはイーアンに向き直る。
「急ですまないが。イーアンの着替えで一番華やかで、一番女性らしい服を選んで欲しい」
美丈夫の目も眩む極上微笑に、イーアンは抵抗できず(麻酔効果有)言われるままに着替えを選んだ。初めて袖を通す服。は、まだたくさんあるけれど。その中でも、『これいつ着るのかしら』と思い悩むほど華やかなのがあったので、それを手にした。
『着替えなくて良い』
ドルドレンが自室のほうから声をかけて、とにかく着替えを持って工房へ・・・と言う。
何だか急ぎなのね、それだけは分かるので。イーアンは服を手にぐるっと丸めて抱え込み、後でザッカリアにあげる砂糖菓子と、絵の具とカードの袋も一緒に持って、再び階段と廊下を走って工房へ戻った。
工房へ入ると、ドルドレンはイーアンに着替えて待つようにとだけ伝えた。
「恐らく。誰も来ないとは思うが。でも着替えたら、俺が来るまでは扉を開けないで工房で待っていてくれ」
「もしザッカリアとか、断りにくい人が来たらどうしましょう」
「一切、誰も。なぜなら、必ず後1時間くらいで全員と会うのだ。新年会だし」
あ、そうか。分かりましたとイーアンは頷いて、ドルドレンはイーアンにキスしてから『待ってるんだよ』と工房を出て行った。
鍵をしっかり下ろして、とりあえず着替えようと思う。窓・・・工房は1階なので窓から見えると嫌。だから窓にも一応毛皮を下げておく。それからイーアンは着替え始めた。
1時間後にもう新年会か。
服を脱いで、新しい服を手に取りながらイーアンは思う。時計を見ると、まだ4時すぎ。5時にもなれば暗くはなるけれど早い気がした。
「でもそんなもんか」
前の世界は朝から飲んでるのが正月。それに比べれば、この世界は・・・いや騎士修道会は健全。夕方5時からとなれば、せいぜい飲んだって5~6時間。飲みたい人以外は、10時11時の、日付が変わる前に部屋に下がれるわけで。
皆もいろいろと準備していたみたいだから、きっと新年会に挨拶で一度着替えたりするのだろうと見当を付けた。晴れ着とか、騎士だからあるのかもしれない。
イーアンは着物や振袖系は一切ノータッチの人生だった。一度だけ浴衣を着せられて、あまりに似合わないからすぐ脱いだのを覚えている。肩幅があって、顔が何となく女性らしくないため、全然和服は合わないのだ。
スーツも持たない生活だった。大きな会社に縁もなかったし、スーツでどこかに呼ばれるような付き合いもなかった。まして、結婚式なんかないからドレスも何も写真で見るだけ。――だから。
「この服は、私の人生で初の華やかさね」
カメオ・ベージュの、ほぼ白に近いようなドレス。
この世界でも蚕や絹を使うのか分からないが、よく似た綺麗な光沢生地(※別シルクとでも命名しておく)。手織りで横に細く線が入っている生地に、白銀色の細い糸で蔓草と花々を鏤めるように刺繍してあるドレスである。
タフタに似た、シルクより光沢の強いヴォルカン・レッドの生地でパイピング仕立ての縦ラインがあり、両脇に4本ずつ裾に広がって、白い本体生地を分けてアクセントをつけてある。
このヴォルカン・レッドの生地で、ドレスの襟ぐりも裾も全て細く縁取られ、うんと手首が広く取られた付け袖の先幅10cmくらいもまた、強烈に目立つアクセントで作られている。
肩までの本体ドレスと、腕を覆う袖が分かれていて、2mmほどの太さの別シルク糸で大きな網目になって繋がっている。ここから肩の部分の肌が見え、首もとの襟ぐりも上品に開いていて肌が見える。
別の色の刺繍糸で、襟と背中と付け袖の先に、小さな蕾と葉っぱの刺繍がぐるっと施された、大変手の込んだ(そういう意味でゴージャスな)ドレスだった。
これで化粧ナシか。化粧品を持たないから、普段も化粧がない日々を送るイーアンでも、これはちょっと気にはなる。
ふと絵の具を買ったことを思い出す。ここの世界の絵の具は、粉末。化学物質は多分それほどないだろうからと思って、部屋から持ってきた袋の中の絵の具を取り出した。木箱に入った粉末絵の具で赤を見つける。
自分に赤が似合うのか分からない。ほぼ付けたことがない化粧。
「ハルテッドに聞いておけばよかった」
ぼそっとこぼしつつ。急いで、赤と・・・茶色を見つけて、この2色を混ぜる。蝋燭は木の樹脂から作っていると知っているので、部屋の蝋燭を一つ取って削る。料理に使う獣脂も、魔物皮用に容器に入れてある。この3つを混ぜる。色は全体の5%程度に留め、残りの95%を蝋と脂に分けて湯煎にかけて溶かした。
絵の具の原料は思うに石などのような気がする。害がないか、練り上げてから手の甲にちょっとだけ付ける。痛みも腫れもない。唇の粘膜に問題ないか、少しだけ内側に塗る。5分そのままにしても大丈夫。むしろ乾燥が防げる(思わぬラッキー)。
蝋を少しにして獣脂を多くした比率で、2ml程度の液を用意して、そこに黒と緑の絵の具を少しずつ混ぜる。ほんのちょっとで凄くやりにくいが、使うのはこれより僅か。絵の具が勿体無いので、量はとりあえずこれで良い。
剣工房で買った金属の鏡を見ながら、唇にうすーくうすーく口紅を引く。黒系のパウダーは細く切った綿につけて瞼の上に引く。押さえて、余計な粒子を取ってから。綿を小さく丸めて眉にも同じ色を少し入れる。
「こんなでも良いわ」
痣はまだ黄色いのがあるし、瘡蓋は少し取れてきているけれど痕がまだピンクだし、まぁちょっと化粧してあれば、少しは気遣いも見えるというもの。
こんな形で使うとは思っていなかったが、絵の具に感謝する。髪の毛は・・・これはどうにもならない。くるくるしてるし、毛の長さも違うし、長いわけでもないから、これはこのまま。
良い良い、と自分を納得させるイーアン。服が綺麗なのが一番大事。とっても嬉しい(靴は革のいつものだけど)。
出したものを片付けて、椅子に掛けると同時に、扉がノックされた。『ドルドレンだ』低い声が響いた。
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