2368. 大舞台・前座 ~ドルドレンとフォラヴの行き先・南の治癒場で
瀕死のフォラヴを前に、ドルドレンは一心不乱に祈る。
部下の、土埃と血に汚れた、白い陶器のような肌と、唇の僅かな隙間に乾いた血が、暖かな太陽の光を受けてどれくらい経ったか。
その顔を見つめ祈り続けたドルドレンは、少しずつフォラヴの皮膚に赤味が差しているのを見て、希望が湧く。フォラヴ、フォラヴ、と名を繰り返し呼び、少ししてから目元がひくりと動いたのを見て、『フォラヴ!』と叫んだ。
総長の声に、空色の瞳が薄っすらと瞼の下に光る。真上にあるドルドレンの目から、溢れた涙が落ち、温かな滴が妖精の騎士の瞼を伝って睫をまとめる。
総長・・・ 聞き取れない声で、微動の震わす唇が、名を応じる。ドルドレンは目を瞑って感謝し、フォラヴの額にかかる髪をそっと撫でると『良かった』と泣きながら呟いた。
片目を細く開けたフォラヴは、顔に添えられた総長の手に安堵する。静かに息を吸いこみ、少し止めて緩く吐く。痛みが・・・少ない。私の治癒は効いたのだろうか。
視界は曇り、一度は停止した意識が戻りつつある中、ドルドレンの姿だけは認識するが、側にポルトカリフティグがいることまで気付かない。
ポルトカリフティグの気は、勇者の力に馴染んでフォラヴに注がれていたのと、フォラヴが精霊ポルトカリフティグと接触した機会がほぼないに等しいので、この状態で思い及ぶこともなかった。
だが、フォラヴの意識が少しずつ回復している様子を見ていた精霊は、様子を見て彼に話しかける。
『妖精の子、ドーナル・フォラヴ』
総長の反対側から聞こえてきた声に、フォラヴが瞬きすると、総長は顔を上げて誰かに微笑んだ。ぼんやりと、誰だろう・・・と思ったフォラヴの横、ドルドレンが『ポルトカリフティグ。本当に有難う。感謝する』と礼を述べたので、この時ようやく思い出した。
眼球を動かし反対側を見る・・・すぐ側には、穏やかに輝く、大きな動物。精霊の祭殿で見た・・・総長と共にある精霊。助けて下さったのかと、フォラヴも礼を心に思う。
精霊が、妖精の傷を癒してくれたことは、少しだけ不思議だが、治癒場も精霊の産物で、シーリャもそう・・・ そんなことを思い浮かべる妖精の騎士は、どんどん回復が進んでいる。
次第に意識ははっきりとしてきて、肉体の重さだけが感じられるようになった。自分が横たわっていた間、総長は泣きながら気遣ってくれ、精霊は一度名を呼んだだけで、じっと見守っていた。
「総長」
細い声で、やっと。その声に総長の顔が緩み、涙がまた落ちて笑顔で頷く。頬を撫でる大きな手に微笑み、フォラヴは『有難うございます』と続けた。
「心臓が止まるかと思った。間に合った・・・どうだ。少し良くなったように見えるが」
「ええ・・・何とか。私は、しぶといので」
何を言ってるんだと、泣き笑う総長に覆い被さられて、フォラヴも声を立てずに少し笑う。ちょっとの間そうして、体を起こした総長は泣いた顔を一拭いし、何があったかを・・・聞く前に。
「妖精の国で回復を」
近くの森林へ連れて行くから、妖精の国へ戻って回復するよう、ドルドレンが言う。フォラヴはすぐに答えず、女王との会話を気にし、躊躇しながらも『いいえ』と答えた。
「妖精の国へ行けば、暫くこちらに戻れない・・・ です」
事情でもあるのか、命が掛かっている事態で断るフォラヴ。弱っている彼に問い質すのは控え、ドルドレンは『それなら』と治癒場の使用を提案した。
「治癒場へお前を連れて行こう」
ドルドレンは精霊のトラを見て『彼は全快ではないな?』と確認し、返答に『妖精である以上は』と遠慮の含んだ言葉を受け、頷く。
「どこに治癒場があるかを正確には知らない。魔導士の地図も持っていない。ポルトカリフティグは知っているか」
『何とも』
「うむ。分かった。イーアンに連絡する・・・忙しいかも知れないが、一先ず連絡だ」
濁したポルトカリフティグもまた、何を気にしているのか。だが生返事の精霊に、無理は言えない。急ぎでもあるし、ドルドレンはイーアンに場所を尋ねることにする。イーアン―― 他の仲間 ――にも、フォラヴの身に起きた、深刻な危険を告げておくべきとも思う。
この時、ドルドレンはまだ、ザッカリアの死及び、ミレイオの危険な状態についても知らない。
白い筒が発動したであろう龍気の風、イーアンはもしかすると、対処の真っ最中だが、とりあえず連絡を試みた続きは、意外な相手に繋がった。
『イーアン?俺だ、ドルド』
『イーアンは手が離せないから私だよ、タムズだ』
『タムズ?』
驚くものの、白い筒の発生で男龍が来ているのは当然かと思い、ドルドレンは事情を彼に話す。
フォラヴが死にかけ、回復場所の位置をイーアンに確認したい、と言ったドルドレンに、タムズは別のことを先に訊ねた。
『フォラヴは妖精だから、彼の世界で治す方法は?』
『妖精の国へ戻ると、しばらく帰れないと言う。それで、治癒場を』
『そうか。少し待ちなさい』
タムズは交信を一時止め、数秒後に再び応じた。イーアンに治癒場を教えられたタムズが言うには、探すのではなく迎えを求めた方が良い様子。どうするかを大体ドルドレンが理解した後、タムズは簡単な挨拶で交信を終えた。
男龍はタムズに限らず、『言わないこと』を見極めて物事を伝えるところがあり、どことなく素っ気ない気もするが・・・数回挟まれたささやかな沈黙に、まだタムズが話し足りないような感じを受けた。
イーアンに伝えることも出来ない、タムズの配慮―― 心を壊しかけた女龍にフォラヴの状態は伏せたこと ――をドルドレンが知る由もない。
誰もが、言えないことを持つ。共有し難いことを。
仕方ないことだが、それは時に、救えることも間に合わない事態を招くのに―――
連絡珠を使って数分。腰袋に珠を戻し、自分を見ているトラに『龍を呼ぼうと思う』と、フォラヴを連れての移動のため、少し離れることを伝える。トラは頷いて了承。今はフォラヴを優先してくれて、『また迎えに来る』と言い残すと、トラは姿を消した。
フォラヴは、意識は戻っているものの体が重く、舌も縺れて喋りにくい状態で、ドルドレンが彼を抱えてショレイヤに乗り、二人は南の山岳地帯へ向かった。
行く道では、地上を見下ろす度に気になる、魔物被害が溢れる。
今は降りられないと、ドルドレンは自分に言い聞かせ、垣間見る『精霊と思しき緑色』他、『異界の精霊』らしき姿に、援護してくれる感謝の祈りを捧げるに留めた。
そうして一時間もしない内に、 遠い印象が強かった山脈の手前に来る。出発した地域も南東だったため、そう飛行時間も長引かずに、二人を乗せた龍は南山脈に入った。
奥へ南下を続ければ、ハイザンジェル北部に続く・・・と知っているが、知っているのはそのくらい。
見渡しても霞むほど遠くまである山脈の、どこから手をつければ良いやら、ドルドレンは若干、途方に暮れる。タムズが『探すより迎えを頼め』と助言したのは、実に正しい。とはいえ。
「迎え、か・・・これほどの広さに、呼びかけたとして。どう伝わるのだろう」
「総長」
独り言に、フォラヴが答える。視線を落とすと、目だけ前方に向けた妖精の騎士は『龍の約束です』と囁いた。囁くしか出来ないほど弱っている騎士に、ドルドレンは風で聞き取れない言葉をもう一度尋ね、耳を寄せて『龍の約束』と繰り返した。頷くフォラヴは、次にショレイヤを見る。
「ショレイヤに・・・声を上げてもらったら」
「そうか。イーアンに反応したのだから、龍が来たなら『キトラ』という精霊が反応してくれるかもしれないな」
俺は勇者で信用がないだろうし、と続けた言葉に、藍色の龍が振り向いて気の毒そうに首を横に振った。龍は頼むまでもなく、話を聞いていて理解した様子。金色の瞳は、乗り手の二人から前方を見て、口を大きく開けた。
ショレイヤが、息を吸いこんですぐ、吼える。まず吼えることのない龍の雄叫びは、山脈の吹きすさぶ強風を裂き、空一面に響き渡った。凍る空気を一瞬でまとめてしまうような、鋭く澄んだ龍の声。二人を乗せた龍は、精霊の気配が出てくるまで、長く、何度も吼え続ける。
「すごい」
感動したドルドレンが呟き、腕に抱えられているフォラヴも『聞こえているはず』と期待する。
空を駆け抜ける、龍の咆哮。ショレイヤが十回目の息を吸いこんだ時、ピタッと止まった。龍が頭をさっと向けた左側、淡く波打つ緑と青の光が、山脈の頂を覆う。龍と同時にフォラヴが気付き、光を見てドルドレンも顔が明るくなった。
「合図だ。ショレイヤ、側へ」
ショレイヤは少し考えたようで、ドルドレンに長い首を向け、腰袋を見つめる。フォラヴはすぐに理解して『龍が近寄れないのでは』と、ここからは龍ではない方が良いと教えた。ドルドレンも、イーアンたちの話を思い出して了解する。
近い頂きに降りて、一旦龍を帰し、精霊の面を使って浮上。ムンクウォンの翼で、フォラヴを抱えたドルドレンは、光の波がある場所へ飛んだ。
側まで行くと、あっさり――― 龍頭の着物を着た精霊が浮かび上がり、二人に面と向かって『癒しが必要』と確認。
これがキトラ・・・精霊と聞いていても、どこか人間のような雰囲気のある相手に、尊敬と畏怖を感じるドルドレンは『彼を治癒場へ連れて行きたい』と答える。キトラはフォラヴを見るなり、『妖精でありながら、人の体。かつての妖精に近いが、心は異なる』と不思議な見解を口にし、それ以上は話さず、来客について来るように言った。
二人は、まさか・・・思わぬ展開で、フォラヴがここで足止めされるとは想像もしなかった。
案内された、山脈の隙間を抜けた先。ズィーリーの大きな石像が守る山腹の穴に、フォラヴを抱えたドルドレンは降りる。キトラは浮かんだまま、振り向いた二人に『例え、出る時が一人でも問題はない』と言った。
「それは、どういう意味で」
不穏な一言にドルドレンが止まる。キトラは彼に『言葉のまま。問題ないのだ』と繰り返す。
目を見合わせた二人の騎士は、どちらかが出られなくなる予告に不安を持つが、とにかくフォラヴを治さねばならないし、キトラは誠実と聞いているので、警戒しながら奥へ進んだ。
「リチアリ?」
「総長!」
道、と呼ぶにはあまりにも険しい、穴の道を抜けた空間で、忘れていた人物―― リチアリと出くわした。リチアリが治癒場にいる事情を聞いているのはフォラヴで、フォラヴも彼を見てから思い出した。
どうしてここに、とドルドレンは驚いたが、話しそうになったリチアリが、何やら負傷したらしきフォラヴを心配そうに見たので、ドルドレンもすぐ『治癒場を借りたい』とリチアリの事情は後に回す。
広い空間だが、床は何か粒々としたものが敷き詰められており、ドルドレンは目を凝らした。その粒々は・・・数えきれない量の、親指大の人形。歩ける場所はあるが、床の三分の一を小さな人形が埋め尽くす、奇妙な光景だった。
以前、イーアンが、北の治癒場へ人を連れて行った話を思い出す二人。治癒場で、人々は小人の大きさに縮んだという・・・(※2139話参照)
もしやこれも、と凝視した二人に、リチアリは肩越し少し視線を後ろに向け『この人形は、民です』と教え、後は続けず、二人を奥の青い光に案内した。
「皆、動かないな」
青い光の小部屋までの距離、異様な光景につい、ドルドレンが呟く。リチアリはすぐに答えなかったが、総長に頷いて『まずは治癒を』と促し、ドルドレンもフォラヴも、異様さに払拭できない不安を募らせるものの。今は目的の青い光が先。
中へ入ったフォラヴを光が包み込み、青い煙のような立ち上がる光は彼の傷も衣服も内包する力も全て、回復させる。
共に入ったドルドレンも幾つか負傷していた傷が治り、ホッとした二人は顔を見合わせ、青い光に感謝した。
フォラヴは体に傷の回復以上の変化を感じ、振り返って『妖精の力を戻して下さった?』と、誰もいないそこに訊ねた。青い光は銀粉を煌めかせながらまた静まる。
「どうした。より良くなったか」
一安心したドルドレンが、小部屋を見つめるフォラヴに訊ね、彼は頷く。
「私の話を、今お聞き下さい。矢を受け、鏃で負った傷はしこりを持ちましたが、すっかりなくなりました。あれのせいかどうか・・・私の妖精の力まで、封じられたように感じましたが、今は回復により、全てを取り戻しています」
襲われた詳細を伝えておらず、現状の回復具合をまず話したフォラヴだが、妖精の力まで戻された印象は何か引っかかる。妖精の国へ戻らなくても、ここまで回復するとは。
すっ、と大きな空間の左右を見渡し、動きのない人形たちに止まった空色の目。女王にの助言が頭に過る。まさかここで残るのは―――
「フォラヴさん。総長。あなた方にこの場所で会えたのも、導きでしょう。もし少しでも時間が許すなら、私の抱えた状況をお話させてくれませんか」
この時、リチアリが口を開く。急な来訪者の二人は、すぐに出て行かざるを得ないと分かっていても、誰かに伝えておきたかった『大切なこと』を聞いてほしいと願った。
お読み頂き有難うございます。
2024年以降の物語のことで、少し私の現状連絡を書きました。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1714731/blogkey/3217757/
このリンクは、10月31日の活動報告で、この後半に昨日17日付で追記しました。
たまたまこの日にお客さんコメントがなかったから、この記事の場を借りただけで、10月31日本来の記事に、私に事情は関係ないのですが~
これまで、時々「私の脳の具合が」とここにも書きました事情です。
どうでもいい話かも知れませんが、もしも物語に影響が出た時に、すぐに理由を説明できないと思いました。
いつも、来て下さって本当に有難うございます。
皆さんに支えられて、励まされて、私は物語を続けられます。
例え、私の脳が妨げを起こすことがあったとしても、正気を戻したら続けたいと思います。
ずっと。ずっと、一緒に来て下さって、本当に有難うございます。本当に感謝しています。




