2360. 旅の三百四十三日目 ~船への伝言②・ミレイオから魔導士へ・ヤロペウクの朝
男龍の伝言は、大量殺戮に拍車が掛かる内容―――
さーっと血の気の引いたミレイオを、ちらちらと黄色い瞳が気にしながらの説明で、それまで黙っていた不安そうなフォラヴが口を開く。
「オーリン、センダラを止めない理由は?その話では、危険は増大し、加速しているのでは」
「そうだ。お前の言うとおり、危険が増している。人間も殺される率は上がる。だが、センダラを止めるな。センダラにはもう了承済みだ」
さっくりと、『気にするな』と言わんばかりの一言で、フォラヴは青褪める。どうして、と小さく尋ねるが、オーリンは彼を見つめ『世界のことだから』とだけ答えた。その返事にミレイオが慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃ、何?発動が始まるまで、人がどんどん殺されるのは仕方ないって言うの」
「いや。そうじゃない。だから、伝えに来たんだ。龍族が動くまで、人間を守るなと止めるわけじゃない。被害は増えるだろうし、結果、被害に繋がって行くセンダラの攻撃も放置だが、それと『民を守る』のは別の話だ」
「それは、男龍が言ったのか?」
タンクラッドが横から質問。そう、と頷くオーリンは『イーアンも承知だ』と添えた。
実のところ、この時点ではオーリンはイーアンと接触もしていないし、男龍とイーアンが話す前なのだが、ニヌルタはオーリンに伝言を持たせた際、『イーアンは必ず受け入れる』と言った。それはまるで決定している印象で、男龍がそこまで言い切った以上、オーリンは疑わない。
ミレイオとフォラヴの目が合う。その視線は不安気に剣職人に向き、タンクラッドは二人の視線を受け止めて、少し黙ってから『イーアンが』と呟いた。オーリンの返事は頷くのみ。
「・・・あの状態のイーアン。そうだな、あれほどイーアンが変わったのは、初めて見た。彼女が承知したなら」
タンクラッドは大きく、ゆっくりと頭を上下に揺らし、『従う意志』を示す。
「いいだろう。龍族が動いたら何が起きるか、推測しかないが。穏やかに済むはずないのは、解り切ったことだ。発動で龍族が降りてくるまで、加速する殺戮から民を守ろう。それが『俺たちへの伝言』だな」
理解したタンクラッドは、了解する。フォラヴは心配が消えなさそうだが、小刻みに頷き『私も、出来るだけ守ります』と続けた。
溜息を落とすミレイオの返事はすぐではなかったが、自分を見ている赤ん坊の青い目に悲しそうに微笑み、『頑張ろう』と彼にかけた言葉を、返事とする。
「長くて、二日。の理解で良いか?」
粘る期間を確認するタンクラッド。オーリンは『多分な』と、可能性であることを強調。溜息を吐くミレイオには、自分たちの人数も気になる。
「オーリンはどうするの。また空へ上がるの?」
「いや。俺は呼ばれるまで、船だ」
オーリンが残ると聞き、ミレイオは『今なら動ける』と考えた。ザッカリアのことも、サブパメントゥの出方も、龍族の動きも・・・彼に伝えておきたい。
「・・・私。バニザットに会ってくる」
「魔導士に?」
「彼はどこかで必ず、手伝っているわ。知らせておいた方が良いと思う。センダラの攻撃は龍族の承認済みで、止めてはいけないことや、龍のいない時間に増えるサブパメントゥのこととか」
知らなければ、魔導士は何か止めに入るかも知れない、とミレイオが言うと、他の者も諒する。この船に魔物が来ないのは、精霊の結界のおかげで、外では状況が悪化する一方。今の内に魔導士に伝えに行き、早く戻ると続けたミレイオに、タンクラッドが視線を外へ向けた。
「分かった。急げ」
「うん。見張り、ごめん。頼む。シュンディーン、出来るだけすぐ戻るからね」
送り出されたミレイオは、忙しく挨拶してすぐさま影に消えた。残ったタンクラッドたちは、目的を再確認し合う。この船は、次の町まで無事に届けること。その次の、ゴルダーズの別荘がある町へ行けるなら、それも目的に含む。この間、常に交代で『人間を守りに』出ることも。
ここまで話して、タンクラッドは大きく息を吸い込むと、『甲板に出る』と、話を強制的に終わらせて上がった。
「トゥ。聴こえるか。ダルナに手伝いを頼みたい」
唇から僅かに漏れる独り言。呼吸と同じくらい囁きに近い音を、彼のダルナは当然のように拾う。
『手伝いか。俺だけじゃないとは、情けない』
甲板に出た剣職人の上に、銀色の翼を広げる双頭が現れ、見下ろす。気付いた船員が悲鳴を上げかけた時、タンクラッドが『俺のだ』と大声で制し、それと同時に滑空した銀の輝きは、剣職人を一瞬で空に連れ去った。
*****
地下へ入ったミレイオだが、コルステインに『入るな』と注意をされているので、すぐに地上へ移動した。移動自体、自宅へは許可されているものの、それも最近咎められるようになっていた。
出てきた地上は、アイエラダハッドのどこか、あんまりピンと来ない。この国はどこも寒さがキツイ。夜は特に。日々、雪が降っていなければ、北部じゃない・・・その程度の判断。ここは雪がちらついていた。
「バニザット・・・バニザット、話があるのよ」
口にしなくても、呼んでいれば届く――― いつもそう、と思いながらも、どこか気弱になっている。ここにも残党のサブパメントゥはうろついているだろう。余計なことも思う。私にとって、残党の輩が消えるのは都合が良い、それが頭から離れない。あいつらがいなくなれば、常にどことなく肩身の狭かった思いは終わるのだ。
だが、『サブパメントゥ』の種族である自分を、同時に否定している。
聞いたばかりの『男龍の伝言』に、心がさざ波立つ。ザッカリアの死、ヤロペウクの意向。放火犯の臭わせた『知恵』の行方、ゴルダーズ公の爆死。あまりにも濃い連続で、ミレイオの感覚は、続く『龍族の下す残党排除策』にも翻弄される。
「正直。よく、気持ちを保っていられるわよね」
ふぅ、と落ちる吐息に疲れた一言が乗る。バニザット、どこなのだろう。バニザットが四六時中いた時は、困ることもあったけれど救われていたのを、今ひしひしと痛切に―― その時、追い風が吹く。瞬きの次に、緑色が掠め、ハッとして顔を向けたそこに、緋色の布が翻った。
「バニザット」
思わず縋りつきそうな声で名を呼んだ。布はもう一度翻って黒髪をなびかせる緋色の魔導士に変わった。
「バニザット、良かった」
「どうした」
いきなり力が抜けて、はーっと息を吐いたミレイオに、魔導士は怪訝な顔で尋ねる。いつだって『どうした』と、この嗄れた声が尋ねた時は、抱えていた問題が軽くなった。しみじみ、私はこの人に頼っていたと認める。
「呼んだ用事は何だ。忙しいんだ、俺は」
「分かってるわよ。こっちも大忙し・・・って。そんなもんじゃないのよ」
普段の口調が出かけて、引っ込める。ミレイオはザッカリアの死を思い、言葉を詰まらせたが、苦しい気持ちを呑み込んで『聞いておいてほしい』と頼んでから、じっと見つめる漆黒の目に、昨日起こった様々な出来事を話した。
話を聞いていた魔導士は冷静ではあったが、何度か少し顔を傾け、幾らかの言葉が気になるようだった。
「それで全部か」
ミレイオが『・・・こういうことなの』と結んだすぐ、魔導士は確認する。頷いたミレイオは、彼の目つきが突き刺すように鋭くなったので、少し怖れを持つ。ザッカリアの死で怒っていると思い、『ザッカリアはどうなるか分からないけれど』と続けようとした。
「ザッカリアは、一先ずヤロペウク次第だ。ヤロペウクが今日も来るなら、結果を俺にも言え。
残党の処分が始まるのは、承知した。それまでの『人間が襲われる勢い』については、あちこちで異界の精霊が、敵を倒して回っている。あれらはサブパメントゥ相手でも、関係なしに倒せるから、任せるに都合が良い。
発生元は手付かずだが、出て来た奴らは叩きのめしている分、今日明日で残党の数が増えようが、お前たちは必要以上に気にするな。
一時期、人間が減った理由は、精霊の指輪だろうと踏んでいたが当たったな。残った人間は、そこそこ生き延びている。元からいる精霊も、人間を守るため力を解放したものは多い。そうした地域に運悪くいない人間が、死ぬ羽目になる具合だ。これはどの時代でも、変わらないだろ」
ざっと、現状を教える魔導士に、一気に情報が増えてミレイオはホッとする。
知らない、ということはどれほど不安を駆り立てるだろう、と改めて実感する。魔導士に教えられる事実は、決して安心を促すものではないが、それでも際限なく広がる不安は消える。
「ありがとう、教えてくれて」
「いい。ドルドレンは知らないんだな?」
「知らないわ。彼は戻っていないのよ」
「イーアン・・・龍族は二日間、地上にいない、というのも」
「可能性よ、絶対じゃないと思うけれど。オーリンはそう言っていた。センダラの動きは止めないで」
「さっき聞いた。センダラはどうしたもんか、と様子を見ていた。龍族があれに手伝わせる気なら、俺は手を出さん」
会話が無駄なく進む。勿体なく感じるほど、ポンポンと先へ行くようにさえ思う。バニザットがいるこの時間を失いたくないと、ミレイオの疲れた気持ちが訴える。
だが、それはこの時叶うものではなく、呆気なく終わってしまう。
「話は分かった。じゃあな」
「え」
「ヤロペウクがどう対処したか、分かり次第また呼べ。手が離せない状況でもなけりゃ、すぐ行く」
「あ。いや、そうだけど、待」
待って、と言う間もなく―― さっと翻った魔導士の影は緑の風に変わり、夜空に吹き抜けて消えた。伸ばした片腕は宙を掴む。緋色の袖を掴もうとして、空振りした手を下ろし、ミレイオも踵を返す。
小さな溜息を落とし、地面にあいた黒い溜りへ滑り込み、地下を抜ける。曖昧なサブパメントゥの移動は、行き先を限定する場合は不向きだが・・・とりあえず、コルステインの注意を受けないよう、少し進んで上がろうとした矢先。
『その目は、龍のようだ』
サブパメントゥで。まさか、移動する範囲で出くわすなんて。聴こえた声に振り返るミレイオ。そこに、紺と白の鎧の大男が立っていた。
*****
ミレイオが戻らぬまま、朝は来る。
魔導士との話が長引いているのかと、オーリンが窓の外の明るさを気にし始めた時、タンクラッドが戻り、『少しは守れそうだ』と報告。ダルナに呼び掛けたとかで、これまでも味方に付いていたダルナの他、また頭数を増やしたそうだった。
室内にミレイオがいないことを気にした剣職人は、オーリンに訊ねる。
「ミレイオは」
「まだだね」
「ロゼールは戻ってないのか」
「彼もまだだ」
オーリンは欠伸を押し殺し、水差しから一杯、水を汲んで飲み干すと、もう一度注いでタンクラッドに差し出す。受け取ったタンクラッドも水を飲み、眠るシュンディーンとフォラヴを見た。
「彼らは起こさないでおこう」
「そうだな。散々、泣いたから」
「泣くと疲れるよな」
「泣いた分だけね」
泣くより、怒りを殺す方が疲れるが。それは職人二人、口に出さず。ザッカリアの死に終止符はまだ打っていない、と信じるだけ。その終止符は、十人目の仲間によって齎される。
ヤロペウクは、とタンクラッドが窓辺に寄って、話し出そうとしたのを止める。窓枠から外を見たまま、何も言わなくなった剣職人に、オーリンが近寄って『どうした』と訊ね、彼の視線を辿り・・・オーリンも絶句した。
窓の外に、少しずつ現れた靄は、淡く曇る朝日を受けて、人の形になっていた。ヤロペウクだ、とそこまでは、まだ―――
「ミレイオ」
タンクラッドが、詰まらせた声でその名を呼んだ。ヤロペウクの片腕にミレイオが抱えられており、オーリンも目を丸くして何事が起きたか、ヤロペウクの言葉を待つ。
「タンクラッド。開けろ」
ヤロペウクはぐったりしたミレイオを抱えたまま、静かにそう命じた。朝の川に浮かぶ靄は、他の船員の目には映らず、怖れと緊張を抑え込むタンクラッドがゆっくりと開けた窓を、ヤロペウクの靄は滑り抜ける。
ミレイオまで―――
タンクラッドとオーリンの心を掠める、最悪の状況。部屋の中に入ったヤロペウクの腕に、だらんと垂れたミレイオは、唇も瞼も薄っすらと開いたままだった。
お読み頂き有難うございます。




