2355. ヤロペウクへの相談・放火犯
※12月5日(火)の投稿をお休みします。どうぞよろしくお願いいたします。
船員の減った船は、降りるタンクラッドに余計な気を遣わせずに済んだ。
人が見ていても、飛ぶなり何なりは理解されているだろうが、それではなく。『放火犯』が、見ているかは気になる。そういう意味で、誰の気配も感じない内に、すっと船を離れられたのは、気が楽。
龍気は白く光るので、船の他に明かりのない夜は目立つものだが、『こっちだ』と聞こえた声に従い、タンクラッドが下りたのは、船の灯が視界に入る距離の草むらで、そこに、人間と思えない大きさの男が影を落としていた。
自分も背はある方だと自覚していても、精霊の神殿以降、この男を目にする機会がなかったのもあり、改めて巨大な男と認める。毛皮の上着は彼を余計に大きく見せ、白い長い髪が冬の風になびくと、人間と思えない迫力があった。
彼は暗い影を作りながら、タンクラッドを見下ろし、太い声で用件を確認する。
「ザッカリアを蘇らせるのか」
「状態は、先ほど伝えたとおりだ。船に乗せているが、死後どれくらいかは正確じゃない」
甲板でやり取りした時、ヤロペウクの名を念じ続けて応答が取れた際、『誰が死んだか』と『いつ死んだか』『何で死んだか』の短い情報を求められたが、最初の質問しか返事は出来なかった。今も、同じ。
ヤロペウクは頷いて『ザッカリアを見てから、引き取る』と言った。その場で処置かと思ったが、そうではない様子に、タンクラッドは『引き取る』とおうむ返しに口にする。
「ザッカリアが、自らの死を予測しないわけがない。何かある」
「・・・それじゃ、ザッカリアがまるで、自分から死のうとしたような」
「そうは言っていない。龍の目にこそある使命を見た方が良い、と俺は言った」
一瞬、翻弄されかけたが、タンクラッドはすぐに持ち直す。言われたことを頭で反芻し、つまり、と確認した。
「ザッカリアを蘇らせるかどうかは、ザッカリアの行為の目的次第、と」
剣職人の理解に、ヤロペウクの白い髭が揺れる。向き直った大男は、見下ろす相手を探るように暫く黙っていたが、不意に顔を川へ向けた。
「お前たちも知らない・・・未来を独りで知る立場は、自分の裁量を試されるものだ」
低く太い声は、タンクラッドの胸にずしんと沈む。ザッカリアが独断で決めなければならない、自分の使命が向く先。誰も彼と同じものを見ることは出来ないが故に、少年でありながら、彼は一人で挑んだのだと察した。
「彼を船から引き取る。お前も戻れ。船はお前を必要としている」
ヤロペウクの次の一言は、急に現実味を帯びた。
*****
ミレイオが船倉へ足を速める間。ザッカリアが、『ミレイオと魔導士の未来を変えたい』と、空で毎日調べていた話を思い出していた。
あの子は、まだ死ぬ運命じゃないはずよ―――
感傷的なのも感情的なのも、呑まれないように気を付けていたミレイオだが、ザッカリアの死で動転した。この子が死ぬなんてあり得ない、と最初に本心で感じたから、余計に受け入れ難かった。
何か、絶対に違う。何か、あるはず。あの子はまだ、やるべきことがある。絶対・・・・・
死ぬはずのない時期に、命を落とした印象しかないザッカリアに、ミレイオは自分が動転続きで、まともに現実を直視できないのか、それともこの直感が正解なのか、翻弄される感情を目一杯抑えつけて考えた。
「違う。違うわ。あの子は精霊の祭殿でも、お面を受け取っていたのよ。こんなにすぐに死んでしまう運命なら、あの子に渡されるわけない。祭殿で精霊の礫を貰ったドゥージは・・・ぬぅ、解らないけれど。でも、旅の仲間のザッカリアは、あっさり死ぬはずがない。それも、決戦前よ、絶対続きがあるのよ」
一個でも二個でも、『ザッカリアが死んだ理由』の続きを握りたい。ミレイオはその続きこそ、彼の復活に繋がると考えた。
「状況がどんどん、複雑に変わっていく。渦を描く水のように。想像していない方向から、戦意を削ぐどころか、心を壊す出来事が降りかかってくる。これが・・・ 試されているのね。この全部、謂われない仕打ちの全て、私たちも篩に掛けられている最中なのよ」
自分に言い聞かせるように、独り言が零れる。早足で下りた、船倉間近の廊下の角を曲がり、数m先の扉が視界に入った時、ミレイオは足を止めた。影伝いに違和感を感じた。これは、人間ではない気配。
サブパメントゥかも、と緊張が走る。精霊地霊の類ではなく、邪の気も違う。
急いで馬車のある部屋の扉を開け、広く暗い船倉を見渡すミレイオの目に、暗闇に動く全てが映る。相手はいる様子で、ざっと見た限り、馬は無事そう。馬は少し神経質そうに鼻を鳴らしている。馬車は・・・とそちらに視線を向けた時、自分たちの馬車の影に動いた者がいた。
「誰」
出来るだけ、人間っぽく。こちらが人間だと思わせる。普通ならこうする、とした態度で一声、大きめに声を出すと、ミレイオはすぐ馬車へ駆けた。寝台馬車側面に回り込んですぐ、扉が片方開いているのが見え、嫌な予感が膨らむ。
動いた何かはそこにいないが、気配は残っている。少し濃く感じるその気配から、やっぱりサブパメントゥが一番近く思うが、なぜか曖昧。
「誰だ。出てこい」
荷台の中をちらっと見て、何も動かされていない印象はある。だが、ここで何をしていたのか・・・寝台馬車の両脇は、荷馬車と食糧馬車で、どちらも扉は閉じていた。馬は騒がず、ミレイオの慌ただしさが気になる様子で、ミレイオは部屋奥にいる馬たちに『大丈夫』と、また分かりやすい人間らしさを繕って声をかけた。
その数秒後。すっと、開いたままの出入り口に人影が動き、ハッとしたミレイオは駆け出して、それを押さえた。影は『人間の形』と確認しただけに、取り押さえてしまえば呆気ない相手。ぐわっと呻き、後ろ手を取られて背を逸らせたのは船員で、ミレイオより頭一つ分小さい男だった。
「ここで何してた」
「点検を」
「それで通じると思うか?」
矢継ぎ早の続きは、男の悲鳴に変わる。背中に両腕を回され、後で捻じり上げるミレイオに『やめてくれ』と顔を向けるが、ミレイオはその顔をじっと見ているだけで答えない。折れる、やめてくれ、助けて、と痛みで途切れがちに懇願する男をミレイオは潰しにかかる。
ぐぅ、と男の喉から妙な音が漏れ、犬のような速い息に変わった。目をむいて『やめろ』と声にならない音を絞り出す男は、眼球が充血し、顔に脈が浮かび上がる。唇は紫に、こめかみから汗が垂れ、がくがく震える膝と対象的に、固定された胴体は内側から膨れ始める。
「破裂したいか。潰されたいか」
低い声で脅すミレイオ。相手は喉が潰れかけて気道が窄み、息が出来ない。腹は膨張する痛みで、皮膚に毛細血管が浮き出す寸前、男はいきなり飴のようにぐにゃっと溶け、足元の影に流れる。だが、影の中。逃がすわけもなく、ミレイオも影に入り、逃げた相手の体を縛り留めた。
船の中の影、その裏側と言うべきか。サブパメントゥが移動する、別の隙間にミレイオと男が入る。ついてきたミレイオに驚いた男は、動く頭だけを振り向かせた。暗闇に映える顔に、ミレイオは納得。
「ああ~・・・そういうことか。サブパメントゥの『何か』、受け取ったな?」
大きく頷いて、これは厄介もの、と判断。
こいつはサブパメントゥの種族ではなく、別の何者か。肉体を変質させられるようだが、サブパメントゥの影に入り込む力は後付けと気づいた。
存在自体が、サブパメントゥの気配と違う。しかし纏っているものは、『サブパメントゥ産』と表現すると早いか、どこから借りたか・・・・・
「お前はどこの誰だ。今すぐ殺されるのと、答えるのと」
質問しながら、喉の絞りを緩めてやったミレイオに、相手はすぐに呼吸を急ぎ、げぇげぇ言いながら、瞼のない眼球をぎょろッと向けると、しわがれた声で『答え』た。
「時代は、精霊に流れた。裁かれる道具を片付ける時だ」
「あぁ?『道具』だ?」
ミレイオの黒目が針孔程度まで縮み、顔に青白い隈が浮かぶ。本物のサブパメントゥに慄いた相手の体がびくびくと波打つ。ミレイオが潰そうと力を籠めるや、もがいた体が、一枚、ベロっと剥ける。剥けると同時、冗談みたいに相手の中身がびょんと伸びて、影の上―― 外 ――に飛び出た。
すぐさまミレイオも影を上がり、這い逃げる相手を捕らえた時、どんっ、と相手の頭横の床に剣が突き刺さった。そこに、剣職人。ハッとしたミレイオが影から顔を出す。
「タンクラッド」
「こいつは何だ、ミレイオ」
剣を突き立てたのはタンクラッドで、たった今戻ったばかり。
ザッカリアのために戻ったが、異様な気配に船倉へ先に来たところ、戸口付近に異質な化け物が見え、出会い頭で止めた瞬間。その後ろに現れたミレイオが、こいつを追っていたと知る。
―――蜥蜴よりも不格好。甲羅のない亀のような、どこか人間の要素が残っている薄気味悪さを持つ者が、ミレイオに体を固定され、顔の真横に突き立てられた金色の剣に怯える。
「馬車を開けられたわ」
顔から隈が引いたミレイオに頷き、タンクラッドは剣の柄に手を乗せたまましゃがみ、甲羅のない亀の、凝視する顔を見下ろす。
「船を放火したのは、お前」
剣職人の一言で、ミレイオは合点がいく。『道具を片付ける』は、放火の意味だったのか。その目をちらっと見たタンクラッドは、ミレイオが理解したと察し『そういうことだ』と呟くと、逃げられない相手の顔に、剣の刃を傾ける。
「この質感、切れそうだな。おい、『肉体付き』。どうする?」
「やめろ」
「・・・やめてもらえるわけないだろう」
タンクラッドが溜息を吐きながら、剣の刃をぐいっと押し付けた。びちっと食い込んだ皮膚が切れ、うがぁ、と声を上げた相手は体液を流して体を逸らす。それを見て、首を少し傾けたタンクラッドは『痛みはあるんだな』と他人事。
「俺は容赦を知らん。すぐ話せ」
剣の刃を傾けながら、相手の顔の皮膚も中身もじわじわ切る。体液は少ないが、生きていそうな肉体は痛点を持つのか、顔を歪めて嫌がるそれは、『話す』と呻いた。
「裁かれる道具を片付けるべきだ」
「要は、船を破壊か。大勢殺してでも」
「この道具が、人間を殺すんだ。俺ではない」
「どうだか。お前のだろう?これは」
この場面で言い逃れとは、と惨めな相手に、タンクラッドは剣の角度をそのまま、もう片手で腰袋に入れた『証拠』を出して、ぎょろ目の前に置いた。目だけが異様に大きい相手は、それを見つめて黙る。ミレイオもちょっと覗き込み『何?』と訊ねた。
タンクラッドが探し、トゥが持ってきた証拠―― 出来の悪い代物で、全体が壊れず、一部が残ったまま燻っていた。
着火物と引火性のガスを一緒くたにした、薄い金属の筒に入ったそれは、タンクラッドがイーアンといろいろ試行錯誤した経験で『発火原因』と見抜けた。『ガス』の言葉も、イーアンに教わったのだ。彼女の道具作りを側で見ていなかったら、『これがそう』とすぐに思わなかったかもしれない。
ミレイオにちょっと説明すると、ミレイオは一二秒、焦げた証拠品を見つめ、『ねぇ』とタンクラッドに視線を移す。
言いたいことが分かるので、頷いたタンクラッドは『犯人と、この証拠の出所は、お前の考えているところかもな』と呟いた。
頭上でかわされる会話。固定が解けない体。顔にめり込む刃。『証拠』。 奇妙な姿の犯人は、これまでと思ったか―――
「ここで最後だと思うな。アーエイカッダの知恵は海を越える。精霊の縛りの先へ」
急に宣告めいた声で叫び、しかし最後まで喋る前に、ボウッと体が発火する。タンクラッドが急いで剣を引き、ミレイオが仕留めようと力んだのも束の間、発火した体はブシュウと窄み、呆気なく縮んで消し炭に変わってしまった。
「自殺・・・?」
消し炭の残る床を食い入るように見つめ、ミレイオはタンクラッドに訊ねた。タンクラッドは剣を一振りして、刃の汚れを見定め、その辺の壁にこすりつけて刃を拭いながら『違うんじゃないのか』と呟く。
「消された、って感じだろ」
「消したのは・・・ 『僧院』かしら」
「多分な」
消し炭は手の平ほども残っておらず、それもじりじりと火の粉を立てながら、床に焦げ目を作って消える。横には、物的証拠が転がる。タンクラッドの手が証拠品を拾い、腰袋にそれはまた収まった。
「また、使える場面がありそうだからな」
そう言うと、タンクラッドはミレイオを見て『黒い鞄だ。ゴルダーズの鞄は無事か』と訊ねた。ミレイオは肌身離さず、側に置いているから無事だと答え、犯人はそれも奪おうとしたのではと結論が出た。鞄を奪った後は、この船も壊す気だったのかもしれない。
「事態がややこしすぎる。船の一件は、とりあえずこれで一段落だろうが、次の燃料を積む町で何かあるかもな」
タンクラッドの言葉に、ミレイオも同意。黒い鞄の中身のことを、午後に少しだけ話していたので、タンクラッドも動力の設計図と知っている。船をつける町が、『隠された僧院』との対面に引き寄せる。
この後、戸を開けられた馬車を調べ、他の馬車も見た。荷馬車は一度開けられていたようで、丁番が歪んでいた。取られていたものはなく、荒らした跡だけ。一先ず、鍵代わりに、つっかえ棒で扉を閉じた二人は、顔を見合わせる。
「ヤロペウクが待っている。ザッカリアだ」
タンクラッドの一言に、ミレイオは彼の肩に手を置き『ありがとう』と顔を俯かせた。そう、ザッカリアが。でも、と顔を一旦、影へ向けたミレイオは、ちょっと待つようにタンクラッドに言い、するっと黒い影に入る。何かと思えばすぐに戻り、手に持ったものを見せた。
「それは」
「さっきのやつが使ったのよ。サブパメントゥのシロモンだと思う。誰が渡したか分からないけど、これでサブパメントゥに入ったのよ」
意外そうな目を向けたタンクラッド。ミレイオも小首を傾げて『胡散臭い』と頷いた。手に垂れ下がる、脱皮後の千切れた皮は、土に汚れた襤褸切れにも見える。
「それは管理しておけよ。今はザッカリアを」
「そうね」
襤褸切れ紛いの物品を粗布に巻き、ミレイオはこれを馬車に入れる。二人はその後、ザッカリアの部屋へ急いだ。
気が抜けない夜は続く―――
お読み頂き有難うございます。
12月5日の投稿をお休みします。どうぞよろしくお願いいたします。
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