2353. 死者 ~①男龍の対処・虫の知らせ・魔物の王・船での宣言
あの時――― ソスルコは、ザッカリアが人々に呼ばれて降り、助けを乞われたり、話を聞きたいと言われ、龍の自分を先に帰したこと、その後イーアンが向かったことを・・・アオファに話した。アオファはこれを、近くに来ていた男龍に伝える。
イーアンが向かったなら、それはそれ。 ソスルコは従う性質なので、ザッカリアが戻れと言えば、戻る。
よくあることだし、気にすることもないのだが、ビルガメスの側にいたニヌルタは『ソスルコ。お前は』と、龍の顔を覗き込んだ。
「お前は、ザッカリアと同体に成る。話したということは、危険を感じているのか」
龍が見つめ返す金色の瞳の奥を、ニヌルタは読み込んだ。ザッカリアは未来を見る力を持つ。自らの危険を知っていて動いたのだろうか。
ニヌルタは、横で黙っているビルガメスにそれを話し、『どう思う』と訊ねた。ビルガメスは瞼を半分伏せて、中間の地に繋がる空を見た。
「イーアンの憤りを感じる」
ビルガメスの返答に、ニヌルタがソスルコの首を撫でる。ソスルコの不安気な眼差しに『お前は動くな』と静かに命じ、大きな男龍に対処するかどうかを相談。
ビルガメスは、当然とばかりにゆっくり頷いた。ビルガメスもニヌルタも、ザッカリアが自分にある未来の選択肢の内で、最も辛いものを選んだ理由を感じる。
このすぐ後、イーアンの崩壊寸前の怒りを感じ、ビルガメスはイーアンの代わりに片付けた。
*****
この時。遠く離れた、ハイザンジェル―――
パタン、と扉を閉めて、食堂から戻った騎士は、自室の椅子の背凭れを掴んで引く。頭が一瞬、ぐらりと揺れた気がして、簡素な椅子に腰かけると、額に垂れた金髪を後ろへ撫でつけ、机に置いてある連絡珠を手に取った。
「まだ、早いかな」
何か胸騒ぎを感じて、連絡珠を握る。ザッカリア、忙しいだろうけれど。出ないな。夜中の方が良いか・・・ 連絡珠を置く気になれないギアッチは、握った指を緩めて、手の平の小さな珠を見つめる。
扉を叩く音が聞こえ、はい、とそちらに返事をすると『入ってもいい?』と子供の声が聞こえた。
ギアッチは立ち上がって、ふらつく頭に手を添えながら、もう片手で扉を開ける。廊下には、騎士見習いの少年が二人。テイワグナ・ベデレ神殿から保護された彼らの名は、オビとチディ(※751話後半参照)。
どうしたの、と微笑んで、部屋に二人を入れるギアッチ。栄養不足で細かった二人は、騎士見習いになってから、ぐんぐん背が伸び、しっかりした男の子に成長した。オビの年齢は、ザッカリアと同じくらい・・・・・
「気になったことがあるんだ」
オビが最初にそう言い、チディを見た。チディも躊躇いがちに頷いて、ギアッチの茶色い瞳を見つめる。話してごらんなさい、と促されると『あのね』と言い難そうに口を開いた。
「ザッカリアが」
チディの能力は、人の生死が見える力――― ギアッチは瞬きし、脳の奥に奇妙な冷たさを感じる。連絡珠を握っていた手は、ぐっと籠めた力で白くなり、血管が浮き上がった。
*****
石の玉に散る紙吹雪を、面白そうに・・・普段よりも、長めに前に立った後。
オリチェルザムは踵を返して、古城を離れる。白髪の廃人に用がある時間はそう続かないが、今日は少々、例外だった。
嵐が止まない海上の宙を進む、魔物の王。一歩前に足を出すごとに、石板の踏み板が出て、足が離れると消える。孤島へ帰った魔物の王は、もう一つくらい潰しておきたいところ。
『ミコーザッカリア。龍の目が倒れたか・・・フフン。これまで倒れずにいた方が貴重だな』
弱々しい子供に過ぎない、龍の目。なぜあれがここまで生き残っていたかと思うと、それこそ奇跡だと嗤った。
魔物が人間を襲った後。ザッカリアが龍と来て戦ったが、近場で人間を操作する初期サブパメントゥがいた。人間の負の感情は、土地の邪を引き寄せる。魔物と混成して数が増える輩は都合が良いので、魔物をそっちへ回した。
初期サブパメントゥが人間を操る流れが、あの貧弱な子供をどう巻き込むかと、至近距離の接触を見ていたら、呆気なくやられた。
人間相手の方が、魔物より手強いとな・・・苦笑した魔物の王だが、『旅の仲間が死ぬ理由』なんてどうでも良い。死ねばいいだけのこと。
ただ。『龍族が下りて来たな』ザッカリアが死んだ後で、女龍が来た。女龍の続きに男龍。男龍が出てくると、読めない―――
男龍は人間を消し、女龍とザッカリアの死体を連れて動いたが、何か企んでいる。
『三度目は、龍族が降りてくる。二度目では、殆ど見なかった奴らだ。この国に入ってから見かけなくなったのが、また関わる気かも知れない』
龍族が好き放題動く前に。サブパメントゥの、便利な動きもある内に。
もう一人くらい潰せると決戦が楽そうだと、オリチェルザムは濁った赤い目を外へ向けた。
『二度目では・・・ あの妖精が倒れたな。魔物と人間の合間で』
遠い昔の記憶。可笑しそうに骨ばった顔を左右に振ると、雑音じみた声で『分からんもんだ』と冗談を呟き、曇った大きな鏡に溶けこんで消えた。
*****
船に戻ってきたイーアンは、事故を知らず。
そして、船にいる仲間たちは、ザッカリアの死を知らず。
男龍が降り立った甲板は、それだけで大騒動だった。とはいえ、聖なる存在であることは、誰に言われなくとも乗組員は感じ取っており、『仲間の何人かが消えた後で複雑な心境』ではあれ、畏怖は忘れなかった。
騒がしくはなったが、騒ぎを聞いて出て来たミレイオやタンクラッドたちが驚き、イーアンは頭の中が混乱している状態で、船が足りない状況にのろのろと気づいたが・・・ 会話は、ビルガメスから始まる。
イーアンとザッカリアを抱いた男龍は、背を屈めて『タンクラッド、彼を』と呼び寄せ、腕を緩めてザッカリアと鎧を引き取らせた。
死んだように動かない少年。これは?と眉を寄せたタンクラッドは、さっと顔を上げてイーアンとビルガメスを交互に見た。イーアンの視点が合っていない。こんなイーアンを見たのは初めてで、彼女が口を開きかけたのを、男龍の大きな手がそっと覆い顔ごと隠し、静かに事実を教える。
「ザッカリアは殺された」
「・・・誰に」
タンクラッドの横に来たミレイオが震えている。オーリンもフォラヴも側に来て、赤子姿のシュンディーンは大きな目をもっと大きく開いて涙を浮かべた。
「殺した者は、俺が片付けた。イーアンは心を休ませる必要があるが、このまま連れて行く。龍族が動くことを、お前たちに伝えに来た」
「関与しないんでしょ?龍族って、地上の魔物の、私たちの」
尋ねるミレイオは、戦慄く拳を握ったまま、顔に青白い模様を浮かばせては消し、必死に怒りに耐えている。ビルガメスに最後まで言えなくて、悲しさ噛みしめる唇に涙が伝った。
「ミレイオ。魔物と人間の問題に関与するとは、言っていない。殺されたザッカリアは、空の祝福を受けた存在。彼を殺した者を、空は許すことも逃がすこともない」
それを聞き、深呼吸して、荒ぶる気持ちを抑え込むタンクラッドが次の質問をする。
「俺に手伝うことは?」
「お前はここに居ろ。指輪は集めたのか」
「集めた。精霊の保護・・・ まさか。待てよ、まさかザッカリアを殺した相手は」
ハッと勘付いたタンクラッドは、イーアンではなくビルガメスが倒した意味を理解する。目を見開いた彼を、ビルガメスは止めた。
「思い込みは、お前に似合わんぞ。タンクラッド、これは空の話だ」
顔を隠されたままのイーアンは何も言わないが、体を捻じってビルガメスの大きな胸に顔を押し当てる姿勢に変わる。ビルガメスは、女龍の小さな背中を撫で『お前は、何もしなくて良い』ともう一度伝えた。
「俺は?俺なら、手伝うことあるんじゃないの」
割って入ったオーリンは、顔つきが変わっていた。表情のないオーリンは前に出て、男龍を見上げ『俺は龍の民だ』と自分の胸に手を置き、タンクラッドの腕に抱えられた少年を見た。
「龍の民なんて、端くれだろうけど。ザッカリアは、俺の兄弟だ。俺の同胞。俺の血」
「そうだな。オーリン、お前は来い」
イーアンがよく、自分に掛けてくれた言葉を、オーリンはザッカリアに使う。許せるわけがないだろうと体を震わせるオーリンの表情は、戦慄く体と正反対に、冷え切っている。ビルガメスは彼を許可し、龍を呼べと命じた。
「イーアンには、子供だ。母と子の誓いがある間。オーリン、ザッカリアの仇を取れ」
オーリンの背にかけたタンクラッドの一言に、ビルガメスはちらっと彼を見て『違うぞ』と静かに訂正する。遣り切れない剣職人の心は伝わる。男龍の片手が伸び、剣職人の頭に置かれた。
「仇討ちなどと一緒にするな。侮辱を許すことは、俺たちの判断にない、というだけだ。それは、お前が誰に侮辱されても同じ。俺は、それを許すことはない」
「・・・・・ 」
大きな、種族の存在意義。突き付けられたタンクラッドは、人間的な一言を少し恥じて目を逸らす。龍族を侮辱する者は、存在を消される必要を持つ。それだけのこと、と言い切られ、そうだったと思い出した。
ガルホブラフを呼んだオーリンは、ミレイオたちを振り返る。
「生き残れよ。すること済んだら、俺は戻る」
「誰に言ってるのよ。バカにしないで」
「それと。総長が戻るまで、これは言うな。伏せておけ」
「・・・それは」
言い淀んだミレイオが、男龍に視線を向ける。ドルドレンはこの場にいない。ビルガメスは少し頷いて『いずれ、知る』と自分たちが動き出すことで、否応なしに彼にも届くだろうと答えた。
「タンクラッド。コルステインに伝えろ。愚かな輩を龍が始末することを」
続けた宣告に、タンクラッドは理解した。何が起こるか分からないが、ザッカリアの死に、古代サブパメントゥが関わった。
この一言で、オーリンは思い出した出来事を、剣職人に話しておくことにした。龍が来る前に、さっと剣職人に寄り、小声で急いで教える。
「言っておこう。タンクラッド、この船に一人変な奴がいる。俺たちの話をずっと聞いていた奴だ。多分、前の船に乗っていた船員の一人だと思う。動力の関係かも知れない。人間かどうか分からない。そいつが祠がある方に舵を切った可能性、ないか」
「お前も気づいていたのか。分かった」
最初から船に乗っていたオーリンは、推測で関連付ける気はなかったが、祠が壊れたことや、同時に起きた事故、ゴルダーズ公の遺書とも思える預かり物に、見えない糸が一本通っている気がしていた。タンクラッドに伝えた後、ガルホブラフが来たのでオーリンは龍に飛び乗る。
「頭数が足りないだろうが、踏ん張れ」
「だからっ!誰に言ってんのよ!」
人数が減る一方。一人死者も出たこの状況で、船を離れるオーリンも、残るミレイオも正直懸念はある。それは、後ろで涙を我慢するフォラヴも同じ。だが、これでもまだ、決戦前。
ミレイオの腕の中で、ポロポロ涙を流すシュンディーンは、変わり果てたザッカリアから目を離さなかった。
離れた取り巻きも、毎日見ていた騎士の一人、若い子が死んでしまったと知って、衝撃を受けている。静まり返り、ただ状況を見守るのみ。
龍に跨ったオーリンが上がり、ビルガメスも浮上する。暗い夜空に淡く発光する多頭龍の影があり、甲板で龍族を見送るタンクラッドたち。
腕に抱いたザッカリアの死体は硬く、タンクラッドは重い溜息を吐いた。どんな言葉も、軽すぎて使えない気がした。
「ベッドに寝かせましょう」
涙を堪えるミレイオが、震えながら促す。船員がちらほら近寄り、『ああ、気の毒に』と哀れんだ。従者の彼も、信じられないと言った顔で、口元に手を当て『まだ子供なのに!』と涙ぐんで同情する。
ザッカリアの死を嘆く人々は、心細さも勿論あるが、多くは本当に悲しんでいた。彼は一番若かったし、笑顔で船員にも接していた。
余談だが――― ここに残った船員たちは、夕方前に光に攫われなかった者たちでもある。
この船だけは、タンクラッドという関係者が乗っていたため、他の地域で生じた『被害意識』が薄く済んだ。
タンクラッドはこの現象を先に伝えてあったし、もし残ったとしても『悪人だからではない、死んで良いからではない、残った者が死ぬとは限らない』と断言していた。
俺が守る、と言い切った剣職人がいてくれたから、船員たちはそこまで悲痛に沈むことも、混乱を来たすこともなく済んだ。
そして、オーリンが示唆した『怪しい奴』もまた、この場に残っていた。
この後、ザッカリアは寝室へ運ばれ、次の町で火葬するかどうかの話も出たが。
泣いていたミレイオが、『火葬』の一言でぶるっと体を震わせ、嫌よと呟いたすぐ。
ハッと気づく――― ミレイオの涙に濡れた明るい金色の瞳は、希望を思い出して光を取り戻す。
「ヤロペウク」
お読み頂き有難うございます。




