2340. ドゥージの行方 ~⑥撤退・氷の祈祷師『原初の悪』への計らい
☆前回までの流れ
馬車から離れ、背負った怨霊を道連れに死を覚悟したドゥージは、狼男に匿われた後、氷の祈祷師ソドの手に渡り、凍結を受け入れました。ドゥージが再び、解凍される日はいつになるのか。
今回は、氷河と群島の場面から始まります。
ちょっと分かり難い内容かもですが、とても大切な場面なのでご了承ください。
赤毛の狼男に姿を変えたルオロフは、魔導士のように空を移動することはないが、時空移動の能力は備わっていた。
紺僧服の精霊から逃げた時は必死で考えなかったが、魔導士に『何度か使って、止められるかもしれない』可能性を聞いてから、了解し慎重に使うことを心掛ける。
なぜ、急に狼男に変化出来たのか―――
ルオロフには謎でしかないが、『知恵の還元』で、リチアリが宣言したことも関わっているのかも、とは解釈していた。
何であれ・・・身動きの幅が増えた、この力。一時的でも、ルオロフには嬉しかった。
狼男になんか二度となりたくない、と思っていたのが。たかが大貴族の立場から見たら、この時代に於いて、自分は奇跡的な恩恵を受けている気がする。大貴族じゃ、動けない。生まれ変わったのは、自分の役目を貫きたかったからだ。
氷河と群島の北東部に出たルオロフは、魔導士に合図して彼を待つ。間もなくして緑色の風がひゅおっと抜け、黒い磯に立つ狼男の横に、緋色の魔導士が並んだ。
「ここか」
「最も臭いが強い」
「良い予感はしないな」
「・・・ドゥージは死んでいないよ。彼の怨霊の放つものは、私の鼻に反応しているが、減っても増えてもいない。ドゥージも」
「ふむ、マズいか。俺の想像の利かん範囲に居るかもしれん」
何を察したか、魔導士はここまで来て探すのを止めるような濁し方。え?と振り返った狼の顔を、漆黒の瞳は突き刺すように見る。
「お前もマズそうだな。仕方ない、ルオロフ帰るぞ」
「何?ドゥージはどうするんだ。サブパメントゥが彼を使ったら、アイエラダハッドの混乱は更に」
「いや、俺が思うにそっちは塞がれたはずだ。『ドゥージは生きていて』・『怨霊は減っても増えてもいない』んだろ?一つ、確認だ。お前、ここにサブパメントゥの気配は感じているか?」
「怨霊以外の気配はない」
俺もそう思う、と頷いた魔導士は、黒い顎髭に片手を添えて少し考え、『マズい』と呟いた。
ドゥージを放置する気の発言に、ルオロフは疑う眼差しを向ける。魔導士は吹き荒れる風の氷河を見渡し、氷河と群島以外何もない寒々した光景に、見えないものでも見抜いたか。一点に視線を注ぐ。
じっと見つめた数秒後、バニザットは小さな溜息を落とし『帰るぞ』ともう一度言った。
「入り過ぎると、俺もお前も事態をややこしくする。ドゥージは俺たちの手を一旦離れた、と捉えた方が良い」
「入り過ぎる・・・何に?」
戸惑う狼男の質問にはバニザットは答えず、赤茶の毛をポンと叩く。視線が重なったが、魔導士は余計なことを口にしない。姿はさっさと風に変わって空に消え、困惑と不安を抱えたルオロフも・・・状況を把握したらしき魔導士に従うよりなく、群島を後にした。
部屋に戻ったルオロフは、一緒に部屋に入った魔導士に『なぜ』と短く、説明を求めた。彼に振り向いたバニザットは、話していいか若干考える。狼男姿の薄明るい緑の目は、人間の姿の時より、ずっと澄んで見えた。
その目を見ていると、こいつは運命の柵からまだまだ解放されそうにない、とも分かる。
「話してやろう。何か食べるか」
「要らない。先ほど頂いた分で間に合っている」
「喋り方が・・・俺に合わせているとは言え、貴族が抜けんな」
「茶化さないでくれ。砕けているつもりだ」
時代に翻弄されている狼男。ビーファライとして生き、死に収まることなく狼男で数年過ごし、再び人間に生まれ変わってここに居るが、再会するまでの期間の何と短かったことよ。魔導士は彼の身も、気の毒と思える。
「俺とお前は、精霊じゃない」
「はぁ?そんなこと解っている。バニザットは魂だけど」
「精霊なら、ドゥージの所在に手を出せるかもな。俺が引き上げた理由は、『精霊の領域にあいつが入った』と知ったからだ」
「それだけ?ドゥージが無事かどうかも、確認せずに。あなたなら、精霊に交渉も出来そうだが」
「しちゃいけない時も見極めるんだ、ルオロフ」
『話す』と言った割に―― 多くの答えを望んだわけではなかったが、貰った答えは漠然としていて、そして判断が偏向的ではと、ルオロフは否定したくなった。
狼の毛深い顔でもそれは浮かび上がったか、薄っすら開いた狼の口に緋色の魔導士は手を伸ばし、下顎を押して口を閉じさせる。カツッと牙が当たる音がして、狼の目が嫌そうに歪んだ。
「そんなツラするな。質問はそれだけか」
「・・・ドゥージは、どうなると思う」
「俺が知るかよ。さて、俺は忙しい。お前はここに居ろ。勝手に出るな。出たとしても、俺に責任は取れない。取る気もない」
「そこまで言わなくていい。私も慎んで動くつもりだ」
ふーっと息を大きく吐いて、ルオロフは顔を背けた。じゃあなと魔導士の挨拶が聞こえ、彼が扉を開け、それが閉まる音と共に、ルオロフは部屋に一人になる。
狼男の姿を変えず、その格好で長椅子に座ると、古びた装飾の天井を見上げ『ドゥージ、すまない』と呟いた。
こんなに宙ぶらりんで中途半端な終わり方・・・ 『すまない』大きく溜息を吐くルオロフの声が、一人きりの部屋に吸い込まれて消えた。
*****
魔導士たちが去った後。群島を包む氷の世界の一画に、穏やかな火の色を灯す半球が浮かんだ。水面に上がった泡に似た、薄っすら白い半透明の庵。
「御用は何ですか」
『俺がお前に、聞きたいところだ』
小振りな机の脇に立ち、祈祷師は来客を振り向かずに用を訊き、自前の椅子ごと現れた来客は、椅子にふんぞり返ったまま、質問を質問で返す。
『俺に隠すか』
「いいえ。何を隠すのです。私の一挙一動に、関心がありますか」
『氷の世界に閉じこもって、指一つ動かしていない、とでも思ってもらいたいか?お前の親は、何でも知っているのに』
「知っているなら、聞く必要もないでしょう」
『ソド・・・ 俺はあんまり我慢しないだろ?』
紫色の目を向けた祈祷師は、古木の椅子に足を組んで座る『原初の悪』に溜息を吐き、彼の指が机を示したので、机を挟んで向かい合う椅子に腰かけた。
『何をした』
「私の思うことです」
『それは?細かく聞かせろ。一つでも引っかかったら、お前は俺の敵』
「違います。今も私は、あなたの敵です」
静かに言い切る祈祷師。ほぉ、と意外そうに頬を歪めた精霊。『そうでしょう?私の覚えている限り、あなたにとって、私が敵ではなかった時は無いはず』続けた言葉に、精霊は何度か頷き『そうか』と呟くや否や、さっと周囲を見渡す。視線の動きを、炎が追い、氷の半球が爆発音と共に吹っ飛んだ。
『こういう意味か?』
「これほど派手ではなかったです」
『じゃ。こうか』
群島を背景にした、むき出しの二人。机と椅子だけの状態で、『原初の悪』の片手がひょいと振られると、祈祷師の頭上に夥しい数の霊体がひしめく。祈祷師はそれを見上げず『父よ』と語りかけた。
『なんだ。またはぐらかすと、お前が降らせた奴らが襲い掛かるかもな』
「私が降らせたのではありません。私は『降る者を選ぶ』だけ」
『お前の許可ありき、だ。お前が選んだ結果、やりたくもない使命で散々な目に遭って倒れる。あの男も』
「これほどの数は、許可していませんよ」
やり取りに疲れた祈祷師が目を伏せて、人差し指を上へ向けると、ひしめいた霊体が消える。じっと見ている精霊は、祈祷師が話すのを待っており、話を聞かない内は帰ってくれそうにない。
こうなるだろうとは解っていたが、この精霊を相手にすると祈祷師も疲れるので、出来れば会わずに済ませたかった。
「私が許可するのは、せいぜい、『その時代で数人』。ご存じでいるでしょうに」
『その数人が巻き込んだ、不特定多数は気にならないんだな。そこは実に、俺の子らしい・・・ 話せ』
「怨霊を背負った者の、動きを止めました」
さらっと言ってのけた祈祷師に、原初の悪は指を少し動かし、無言で続けるように合図する。祈祷師の紫色の目が精霊を見据え、必要最小限の言葉を用意して伝える。
「旅は早く進行していますが、あの者がこの時期に怨霊を放つと、旅の意味が狂うでしょう。私はそれを止めました。関与は、『制限解放』を経たからです」
『俺に責任をなすりつけやがって』
制限解放=知恵の還元による、精霊への自由を『関与の理由』にした祈祷師に、精霊は眇めた目を向ける。
「なすりつけていません。あなたが制限解放を組んだ。私はその条件で、自分にふさわしい動きを」
『ソド。俺の敵、の意味は解ってるのか』
一瞬の沈黙。祈祷師は静かに下を向き、またゆっくりと顔を上げると『無論です』と答えた。原初の悪の表情は微動だにせず、『子』と呼ぶ相手を見つめたまま、数分過ぎた。
『俺はお前を消さない。だが、お前の行為が、世界の均衡をバカにしていることは、教えてやろう』
「なぜですか」
『その、なぜは、どっちに対してだ?消さないことか?バカにしていることか?』
「どちらもです」
『バカにしている、と言ったのは、精霊の世界の取り決めに、お前が余計な感情を差し挟んだことだ。そんな立場じゃないだろうが。
あの人間が崩壊して、サブパメントゥの怨霊が拍車をかける。それの何がおかしい。中間の地の生き死には、お前も俺も無関係。お前は接点を持つが、生き死に担当でもない。
精霊の制限解放が理由で動いた・・・・・ 当てつけだな。中間の地に、みすみす手を出して、秤から払われる方を望むとは。それも、時期を狂わせると、御大層な言い訳付きだ』
「・・・では。消さないのは、なぜですか」
『消されたいか?消すと、お前が止めた男も、永久にそのままじゃないのか』
祈祷師は黙って、相手を見つめる。『原初の悪』は段々・・・苛立ってきたようで、そうだろうと見越していたことを、祈祷師が本当に選んでいたと認め、舌打ちした。
『ああ、愚かだ。本当に俺の敵になろうとして、下がったのか。中間の地に同情しただけでなく、空と地下のいざこざにまで手を付けやがって!』
「手を付けていません。私が消えたら、その時は『手を付けた』ことになるでしょう。でも私が消えなければ」
『ソド、俺の子よ。お前は精霊半分、混じり物半分。俺が抱えてやってる。俺が契約したから、ここに居る、と』
「承知しています。でも私の立場と私の心は、私自身です」
『お前は言ったな。同情は衝撃に似、積もれば違いも生む。俺の仕事を減らす気でやったとでも、この期に及んで言うか(※2104話後半参照)』
「あなたが、親だから。私は私の存在の有無を賭けて、対抗します。あなたという、大きな相手の一呼吸で、直接ではなくても生きる時間を閉ざす者たちが山のようにいます。その息吹をかけずに済むよう・・・私の親が統一の続きで、今よりも」
『黙れ』
畳みかける勢いで続いた会話を、精霊は遮る。口を噤んだ祈祷師から視線を外し、何か言おうとしてやめ、『原初の悪』は最後に一瞥してから姿を消した。
*****
『原初の悪』は黒い泉の下に戻る―――
狼男を放して、アイエラダハッドにまだ残る『サブパメントゥの棘』でも見つけ出せば、その辺りに古代種を集めて魔物と増幅するのも、火勢がついて決戦の時まで早まるかと・・・ちょっと放っておいてやったら。
見つけ出したのは、忘れていた怨霊背負いの男、ときた。
三度目の魔物が始まる頃に、ソドが選んだあの男。
今にも死にそうな状態で狼男に匿われるところだった。精霊の祭殿にも居たこいつを棘代わりにするか、と気が変わった。
だが、狼男を引き離した後に、面白くないものを感じた。
ソドの気を帯びた、あの場所は・・・ ソドに気紛れなどあった試しがない。もしや、ソドは、俺に楯突くつもりかと過った後、魔導士が狼男を呼び出し、狼男をくれてやった。
もう一度、狼を動き回らせたら、ソドを辿ることになるだろう、と。
何をするつもりかソドに確かめるに、面倒な遠回りを省くことは造作でもないが、ソドを篩にかけるかどうか・・・ あれは、俺に口を閉ざす。あれが言いやすいよう、狼男と魔導士を回したものが。
魔導士は感付いて狼男と共に、極北を離れた。ソドと接触は生じなかったが、ソドはドゥージを追いかけた二人に、当然気付いていた。にも拘らず、しらばっくれて話の先に触れもしなかった。
「ソドめ。『怨霊背負いを止めた』とは。出過ぎだ行為は贖罪程度で済むと思うか。お前はなぜ、そんな無意味なことを選んだ」
黒い泉の下、血の床の上で、紺色の僧服を着た精霊が、首を傾げて緩慢に歩く。
自分の『子』の消滅行為を、どうしてやるもんかと・・・ 『子』の意味
は、人のそれとは全く異なる。
この精霊にとっての祈祷師の存在について、今はここ止まりで―――
ドゥージは凍結され、凍結した祈祷師は、『原初の悪』と混乱の助長を防いだ。
お読み頂き有難うございます。




