2339. ドゥージの行方 ~⑤推察・氷の室で
ドゥージが目を覚まし、『凍結』提案をされた時。
魔導士は受け取った狼男の話を、一通り聞き終えて・・・ ルオロフを連れて帰るかどうか悩み、『やめておく』ことにして、それを伝え、焦ったルオロフに縋りつかれた。
仕方なし―― この、ただでさえ忙しくて、気を張っていないとならない時期に ――ルオロフ用の居場所を用意してやった。
「すまない、バニザット。私は普段は見ての通り、ただの人間だ」
「戦禍で、金も言うこと聞かないしな」
大貴族と聞いて、魔導士が嫌味を混ぜるが、ルオロフも他人事のように『使う場所もない』と返す。金が物を言う状況なら、ルオロフだって人の世話にならない。アイエラダハッドが混乱を迎えてしまった今、生き延びるので必死。
ルオロフの要望で、魔物のいない中部から北に、部屋を用意した。何かに襲われる可能性を一つでも減らすため、魔導士もそれは賛成した。そうじゃないと、こいつの安全まで抱え込んでは、動きが狭まるのだ。
「貴族、部屋の質にケチは付けるなよ。それと、お前は腹が減るんだよな。適当に出しとくから、勝手に食べろ。衛生は・・・風呂と手洗いはその辺で済ませろ」
「部屋にケチなんて付けない。貴族と呼ばないでくれ。『ルオロフ』だ。狼男に変わる時間が無制限とは思い難いから、出来るだけ人間で過ごすが、その分、どうしてもかかってしまう、食費や排せつ物の処理代は」
「要らん。狼男姿の融通がつかないのは、仕方ないことだ。一先ず『常識』で過ごしてくれ。後で、ドゥージを探す時、また来る」
「また頼って申し訳ない。有難う」
とりあえず、大人しくしていろ・・・・・ 手をかけさせない配慮を求められ、ルオロフは『勿論だ』と居場所に感謝して頷き、バニザットは彼を残して部屋を出た。
すぐさまドゥージを探したいのは山々だが、魔力消耗が洒落にならない。
『原初の悪』は、どうも直に魔法陣に出ていなかったようだが、魔力消費は半端ではなかった。相手を抑え込めるわけもないが、出てこないくらいの気は遣った。
「厄介、だな。ルオロフも面倒臭い。あいつを俺に回した理由が読めん。『原初の悪』に、気紛れはない。確実に裏がある。ルオロフの話だと、あいつは泳がされているだけだ。
本人は『狼男になれたから、逃げ出した』と言っていたが、あの精霊相手、逃げられると本気で思うのか。
更なる禍の点を、次はどこに落とそうかと目論んで、この状況を楽しんでいるように感じる・・・ ドゥージの行方も、もしかすれば、だ。ドゥージを材料に、次の禍の種を仕掛ける気かもしれん」
魔導士はテイワグナに向かう空の道、聞いたばかりの話を考える。
ルオロフの話では、ルオロフは『知恵の還元』を済ませた後、あの精霊にとっ捕まった。捕まってから、あちこち引き回され・・・この動きも怪訝だが、ルオロフ曰く『蹂躙される母国を見せつけられる』時間を過ごした。
暇潰しとは思い難い、精霊の動き。 だがルオロフは、あの精霊の本質を知らないままで、彼は『原初の悪』が、面白可笑しく、魔物たちを増幅させたり、気紛れに全部消す行為に、母国を弄ばれているようで我慢できず。
「『あの腕を逃げようと振り切ったら、狼男に変わって時空移動出来た』って話だ。時空移動後、『棘』に似た感覚を強く感じ取って、前世の癖・・・だろうな。辿ったら、そこにドゥージがいた、と」
ルオロフも判っていないまま、動いている。全て読まれて仕組まれている、そう思えなくもない。
ドゥージは捨て身で動いたそうで、怨霊集めで体が持つところまで粘ったら、最後は『精霊の礫』で怨霊を閉ざすつもりだった。
それが一時凌ぎだろうが、もしくは見当違いの大外れだろうが、一か八か賭けに出た。
『仲間の側で、敵に回る自分』を選ばなかった、怨霊憑き。彼らに、負担をかけたくないから・・・・・
力尽きたドゥージを、ルオロフが発見し、彼の意志を聞いたルオロフは、あの場所へ連れて行った。大石に違和感を持った狼男は、石を退かす。その下の洞窟から、『精霊遺跡』の匂いを嗅ぎ取った。
「実際は、精霊遺跡じゃない。精霊が居るのと似た、何かしらが残っていた。だからドゥージを、サブパメントゥの奴らは、奪いに来なかった。コルステインたちが近づけなかったのも、単に、対立する残党相手だけが、問題ではなかったからだ。
・・・ドゥージが動き回っている間も、当然、残党共は追い続けただろう。
だが、彼の持つ『精霊の礫』を下手に使われたら、それこそ打撃が大きい。どこかでドゥージが死ねば、怨霊は留まる。それを待っていた、と思うのが自然だな」
魔導士はテイワグナの山に降り、ショショウィと会う。力を受け取ってから、ショショウィに『タンクラッドがずっと呼ばない』の悲しみを聞き、あいつは忙しいからと宥め、とんぼ返りでアイエラダハッドへ。
戻る道すがら、コルステインを呼び出し、海上に現れた青い霧に『二度目の情報・ドゥージ探索難航』を説明。コルステインは納得いかなさそうだが、魔導士が頑張ったのは理解したようで、引き続き探すようと命じた。
サブパメントゥ最強の責任からか、手伝える者は何でも自分で管理しようとするので、魔導士は『出来ることと・出来ないこと』を丁寧に理解させて、『出来る範囲で探す』ことを分からせた。
いいよ、と承知したサブパメントゥは、魔物退治があるからと、早々に帰って行った。魔導士の分も退治しているコルステインなので、力の差を認めるバニザットにとって、それはそれで助かる。が。
「ドゥージの行方か・・・ 行方が掴めたとして、彼が戻るかどうか。ルオロフに手伝わせても、ドゥージを見つけ出せるとは限らない」
魔導士の予測では、ドゥージに残されている可能性は、彼の運命に関与する者の着手。
「生きている望みはある。怨霊が外れているかどうかは、別問題。しかし、あの場所からいなくなったとすれば、俺が思うに」
魔導士の独り言は、北部の森林の上で終わる。ルオロフの部屋前に降りた緑の風は、人の姿に変わって扉を潜り、彼を待っていた貴族の若者に『行くぞ』と外を示した。
*****
「動き出したか」
冷たく笑みを作った青鈍色の顔は、血溜りの一ヶ所に映る外を見下ろす。古木の椅子に掛けて、足を組み、ひじ掛けの枝に凭れ掛かる気怠そうな態度で、赤い床の一部に視線を固定した、混沌の目。
紺色のフードを下ろした頭には、黒く捻じれる二本の角が生え、ざんばらの髪が青鈍色の頬に垂れる。その髪を、黒い鉤爪のある指でゆっくりかき上げ、ふむ、と頷く。
「魔導士、お前は・・・ 面白いやつだ。どうして人間なんかで生まれたんだか。って、死んでるんだったな」
魂だけでよくあんなにきびきび動けるもんだ、と皮肉交じりに褒める『原初の悪』は、バニザットの行動を楽しむ。ちょっと分かりやすかったか、と呟きながら、バニザットがルオロフを連れ―― 不意に消えた空をしばらく見ていた。
「俺への警戒か。慎重過ぎても良いことないぜ。俺が探せないなんてこと、ないだろ?」
カッハッハ・・・面白い、と『原初の悪』は魔導士が消えた空に嗤い、外の風景を血の床から消す。
「まぁ。続きを待つか。好きに動けよ、待っていてやる」
ルオロフに嗅ぎ取らせてどこへ行くのか、魔導士が知っているとは思えないが。しかし魔導士が行き先を、『原初の悪』に知られたくないと考えたのは、なかなか良い。
後でなと声にして、精霊は古木の椅子ごと、赤い床にずぶずぶと沈んで消えた。
*****
顔に模様を描いた人物が覗き込む。凍結・・・ それは何の意味か。
ドゥージは横になっていて、動かない手が触れている、毛皮の感触に気付く。全ての感覚が遠く麻痺しているため、一つずつ理解するのが億劫になる。
毛皮を敷いた台の上に寝ているらしいこと。炎の灯りは部屋の中心辺りで、焚火に似ていること。覗き込んでいる誰かは、毛皮の衣服に包まれて・・・ふと、シャンガマックの衣服を思い出す。彼の着ていた防寒着と似ている。だが、その顔は別の誰かに似ていた。
『イーアン』呟いた名前が正しいのかどうか。ぼんやりと口にしたが、相手は静かに、一度だけ首を横に振った。
ゆっくりと振った顔に、炎の光が当たり、その目がはっきり見えたドゥージは、『違うのか』と続けた。瞳がない。真紫の輝きを持った目は、人間ではないと理解した。
イーアンも人間じゃないが、俺を見ている相手は、まるで。
「あなたの仲間が、私と会ったことがあります。話を聞いたでしょう」
やや驚いた表情が出たのか、ドゥージの思考を遮るように相手は喋った。先ほどまで死にかけていたドゥージは、疲労なんてものではなく、自分が誰と会って何を話したかなど、思い出せない。ぼうっとしていると、相手はドゥージの頭近くに置かれた小さい壺を手に取り、栓を外して壺を傾けた。
避ける動作も思いつかないドゥージの額に、冷たい滴が二滴落ちた。びくっとしたが、その後、瞼とこめかみに伝った滴は皮膚に吸い込まれ、ドゥージの体の熱と痛みが軽減する。すっと体が軽くなり、ドゥージは瞬きをして片手を持ち上げた。
「喋ることは出来そうですか」
「・・・出来ると思う」
手を持ち上げた様子に、話せるかと訊ねられて、ドゥージは頷く。声が出ているのが自分でも分かる。さっきは、声になっていなかったのか。
自分を見つめる毛皮服の者は、手の仕草で『寝たままで』と示し、ドゥージも体を起こさずに話をする。さっき、『凍結』と言っていたが、あれは何のことだろう・・・・・
聞くまでもなく、少しの沈黙を挟み、ドゥージの脇に座る相手が話し出す。
物静かなのに―― 殆ど動かない表情、その唇から、衝撃的な言葉がぽろぽろと零れ、ドゥージの覚束ない意識であっても、氷柱のような言葉に感じた。
「あなたは俺を凍結して、守る気なのか」
「守る表現は、正解ではありません。凍結し、世界から一時的に退場させるのです」
「・・・参ったな。それじゃ、解凍された時にまた」
「そうです。ですが、今よりあなたが怖れる状況ではないでしょう。私が判断します」
「会ったばかりの相手に疑わずに従うか?あなたが誰かも、俺は知らない。俺を知っているようだが」
こうは言っても、ドゥージにある程度の見当もついている。これは精霊で、きっと俺の味方だろう、とそのくらいは。だが凍結までして、自分を維持する理由が何であれ、それは残酷にも思う。
紫の眼球は、どこまでも透き通り、宝石そのもの。美しく、神秘的で、じっと見下ろす紫の穏やかな光に、全て任せたくなるものの―――
「ドゥージ。私の助け舟は、冥助の範囲です。時間がありません。凍結で時を待つか、もしくは」
「どうなるんだ。凍結じゃなかったら」
「あなたが選んだ動きの、逆の結果に続きます。世界の旅人に荷を増やさないために、死地を目指して動いたのでしょう」
ここまで言われて、選択肢などドゥージにあるわけもなかった。死ぬ気でいたのに、死ぬよりキツイ気がした。
――まだ。 終わらないのか。 覚悟は引きずるもんじゃない、潔さは、終わり間近で発揮するもんだろう。
横になったままの体に、体温が残っている。火の明かりからか、じんわり皮膚が温まり始めている。自分が生きている理由と、生き永らえる理由の意味が、生きるに疲れたドゥージにはもう探せなかった。
だが、自分のために『結果、死ぬ』ことを選んで、総長やイーアンたち・・・アイエラダハッドの民に、脅威を与えたくはない。『ある日突然、背負わされた責任』に自分がどこまで付き合うのか、考える余力さえ尽きたなら、答えは。
「凍結してくれ。あなたが誰か知らないが、信じる」
「私の名を聞かない方が良いです。でも私があなたを救おうと動いたことは、決して疑わないで下さい」
「あ、そうだ。これを。もし仲間が俺を探して・・・いや。俺が仲間と思っていただけだが、イーアンたちが来たら」
ふと、思い出し、脇にある弓と袋を託す。毛皮に囲まれた表情は、寂し気に揺らいで『分かりました』とそれを自分の側に引く。
紫の目が、一瞬潤んだ。相手も、何か決断しての行動なのか、とドゥージに過る。『救おうとした』その意味は・・・聞こうとしたドゥージの唇は固まる。瞬きは閉じた瞼で固定され、喉は呼吸を維持したまま、静かに動きを止めた。
身体はひんやりした温度を感じたすぐ、心臓の鼓動が微弱になり、背中の熱も頭痛も体の痛みは全てピタッと終わる。
ドゥージの耳に聞こえる音は、くぐもった薄い振動だけ。瞼の下で仄明るい暖色を見つめ、眠りと目覚めの中間にいる、あの感覚が彼を包んだ。
これが、凍結なら・・・・・ 悪くないかと安堵したのが、ドゥージの意識、その最後だった。
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