2338. ドゥージの行方 ~④怨霊収集
―――レーカディが、俺に『サブパメントゥ』の言葉を教えた相手、では・・・と。あの日、なぜかそう考えた(※2178話参照)。
レーカディの顔を知らなくて思い込んだ俺は、何を求めていたのだろう。
サブパメントゥの手引きを担う人間は、実際はゴロゴロしているかもしれないし・・・ そもそも、俺が何年も前に話した男は、人間らしくなかったというのに(※1623話後半参照)。
仰向けに倒れたドゥージは、重い息を吐き出す。背中が焼けた後のようで、激痛と熱で意識が持たない。
ブージルの宿を出た時――
出発前に総長が、駐在の隊商軍に、夜明けの危険を知らせた。ゴルダーズもいたから、十分もしない内に緊急警報が出て、狼煙が上がり、中継地は騒めき立った。
馬に跨り、出発の合図を待っていた時、ドゥージの耳に『レッカルテ』の名が聞こえた。
何?と振り向いた道の先、数人の男が集まって大声で騒いでいる。街灯の落とす灯りの下、目を凝らすと、黒い顎髭を生やした商人と、金髪、茶髪のアイエラダハッド人の団体が見え、商人は裕福そうな姿。
あれがレーカディか?と意識が向く。訛りのあるアイエラダハッド語で怒鳴る商人は苛立っていた。
耳に拾えた言葉から状況を解釈するに、商人と護衛たちは緊急事態で馬車をすぐ出したいが、彼らの商品には対応がされていない様子だった。
ここで、総長が戻ってきて出発する。ドゥージは、この機会が特別なのではと引っかかったが、この時は馬車について行った。
急ぐ馬車の後ろに並び、夜道へ出た後。暫くして斜め後方から聞こえた、馬車の音に振り向いた。
旅の馬車と同様、避難目的で多くの馬車が中継地から離れ始めたが、後にいたのはレーカディの馬車と気づいた。馬車の窓から顔を出し、御者に怒鳴っている声は、先ほど聞いた商人の声。
・・・道は、目的地付近で、分かれ道に変わる。それを一瞬考え、気が焦ったドゥージは覚悟を決めた。
きっと今が、動く時だと。そこからは、運命の輪が回り出したかのように、あっという間だった。
ドゥージは馬を返して、後方の馬車へ向かい、驚く相手に『レーカディか』と窓の横で名を呼んだ。御者が追い払おうと鞭を向けたが、ドゥージは商人の反応を確認するため、窓からちらっと見た相手に『サブパメントゥから逃れたのか』と続けて叫んだ。すると相手の表情は、窓越しでも分かるほど強張った。
――サブパメントゥから逃れたのか?――
この一言は、通じる相手とタイミングを選ぶ。商人はドゥージを警戒するどころか、窓をさっと開け、走る馬車に止まるよう怒鳴った。
ドゥージが、『サブパメントゥの絵柄をつけた、商品や剣を売っているな?』と訊ねると、レーカディは肯定も否定もせず、呼び止めた男をじっと見て『何者か』と訊いた。ドゥージも急いで答える。
因縁あるサブパメントゥを倒す旅の途中で、やつらの絵柄付き商品を見たこと。出所を調べ、レーカディの店まで行ったこと――
この返答に対し、レーカディは胡散臭げに首を傾げ、『この男は、俺とサブパメントゥの関わりから追ってきた=事情を聞き、サブパメントゥの居場所を知りたい』そういうことか?と要約して聞き返した。
突発的に動いたドゥージは、何を聞くべきかまとまっておらず、頷くのもぎこちなかったが、レーカディは違った。
商人だから、頭の回転は速いのだろう。サブパメントゥの危険を知る、素性も解らない相手でも、用件以外の情報を引っ張り出す。気づけばドゥージが質問を受ける側で、次々に喋らされていた。
そして、短いやりとりから、利害の一致に先に気付いたのは、レーカディだった。
レーカディはドゥージなど、記憶の端にもなさそうだったが『厄介払いに一役買う男』とは理解したのだ。彼は、サブパメントゥの遺跡で、この場から一番近い所を教え、鞄から平たい箱を出すとドゥージに差し出した。
箱に手を伸ばしかけ、ふと躊躇って止まったドゥージに、商人は押しやる。
まるで、手放す時を狙っていたみたいに・・・長年の秘密の記録を、赤の他人に丸ごと渡した。
『アイエラダハッド東部。サブパメントゥの遺跡と、そこにあった絵模様の記録だ。お前さんにこれをやる。俺が自分で回って、数年かけて集めたが、もう無用。剣も品も、無害となれば意味もない。お前さんの方が使いそうだ』
――剣と品は無害、の意味に、ドゥージは気付いたが。それは一秒も相手にされずに流される。
レーカディは『俺がそれを渡したことは口外するな。すればお前はこの国で生きていけない』と、脅し文句も忘れずに付け、窓越しの話を終わらせると、馬車を出すよう御者に命じ、馬車はその場を離れた。
商人の馬車が見えなくなる前に、ドゥージも馬を出す。
方角はブージルとも、旅の馬車とも、商人の馬車とも異なる方向へ。
記録の真贋を疑わなかった理由は、あの商人の目つきに、『真実』とありありと出ていた、恐怖の色。
『サブパメントゥ』の名称を聞いた彼が、これをどれほど重荷にしているか、同じ荷を背負うドゥージには伝わった。彼の目には、怖れと不安が映っていた。
遺跡にいるとは限らないが、居ることもあると、レーカディは言った。
お前さんも長旅で知っているだろうが、几帳面じゃなさそうだから位置の記録をやろうと、記録書を出した。
要は、『片っ端から退治したくて、追いかけて来た男』とドゥージは思われたからこそ、曰く付き資料を受け取った話。
レーカディに会った後、ドゥージの背中は熱を帯びていた。
怨霊が反応する時、必ず行く先に怨霊が待つ。 ・・・まだまだ、いるんだろうと、馬を走らせながらドゥージはぼんやり思う。
どこかで怨霊を引き離す。
山脈東に向かう前も、ずっと『おかしい』と思っていたこと。いつか、旅の仲間の側で、いきなり攻撃するのではないかと心配だった。
東へ来て、どんどん古代サブパメントゥの動きが目につくようになり、耳に聞こえる頻度が高まり、魔物を誘導しているのもサブパメントゥと知ってから、俺がいつ・・・皆の敵に回るか、秒読みに感じた。
背負い続けた怨霊が、自分から離れる・もしくは、限界が来て自分が倒れた時、『精霊の礫』で、こいつらを一括りにしようと決めた。精霊の祭殿で、怨霊憑きの俺に精霊が与えた恩恵・・・・・
首に巻いた精霊の礫のおかげで、背中の熱が上がっていても、ドゥージの首から上には熱が届かなかった。
どう使うかは聞いていなかったが、恐らくこの精霊の礫でまとめれば、怨霊は動けないと、どこかで感じる。それを過らせる度、『自分の役割』は、旅の仲間の足枷を遠ざけ続けた、狼男たちと似ている気がした。
旅の仲間の邪魔を、一つでも減らすこと。一つでも妨げを遠ざけること。
怨霊一抱え程度、この時代に於いて、焼け石に水・・・ それでも、躓き石を退ける役目ではある。
そう思えた時、ドゥージは『自分に課せられた仕事』と捉えた。彼らと会うまでの苦しい長き道のりを経て、彼らと行動した日々を重ね、自分が『ただのアイエラダハッド一国民』で終わらなかったことを、感謝する気にもなった。
そして、ドゥージは教えられた場所、林を抜け、サブパメントゥの遺跡を見つけた。
既に背中は、燃えるように熱くなり、馬を下りずに遺跡に入った弓引きは、ここが『移動遺跡』と気づいて、腰の剣を抜く。背中の怨霊は騒がしかったが激しくはなく、先への移動を求めている。
剣鍵をどこに使うかは・・・ドゥージに分からなかったが、石台の窪みの一つへ突き立てた、その瞬間。
台の縁を刻む溝から風が吹き出し、室内を風が駆け巡る。バッと色が弾けたと思いきや、景色が一変し、ドゥージの立つ風景が半分変わった。向かい合う風景は別の場所で、背中の怨霊が途端に騒ぐ。
馬を下りて外へ出るや、怨霊がいる洞を見つけ、背の痛みを食いしばって中へ入り、怨霊を新たに背負った。もつれる足で戻ってブルーラを外に出し・・・ レーカディの資料の詳細を見ながら次を探した。
以降、ドゥージはこれを繰り返す―――
何日過ぎたかも、覚えていない。集められるだけ集める気で、ドゥージは気絶しかねない痛みの時間を耐え、動けなくなると馬の背に這い上って、執念で移動した。
たった一つだけ救いがあったと言えば、肉体的な痛みはどうにもならないにせよ、『精霊の礫』のおかげで意識だけは濁らず、常に自分の目的が見えていた。
怨霊収集後、どうなるのか・・・死ぬ覚悟もして臨んだ、この単独行動。
一つ所に押さえるとして何処がいいかと、それも考えた。
死ぬ、なら。死なない、なら。 ――どちらにしても、答えで浮かんだのは、自分の工房があった、最後に暮らした町だった。
家族はとっくにいないだろうし、誰が残っていても顔を見せようとは毛頭思わないが、課せられた荷を片付けた後、どこに居たいかは、自分で決めても良いはずだ、と。
どこで倒れたって、そこに怨霊を持ち込むことになる。
ドゥージは怨霊を背負ったあの場所で、また封じても良いかもしれないと考えた。
だが皮肉なことに、途中で肉体の限界を迎えた。
自ら怨霊を集め抱えて、自爆を覚悟した男は、選んだ地へ辿り着く前に心臓が止まりかける。ここまでか、と首にかけた精霊の礫に手を伸ばし、馬に『お前は逃げろ』と途切れる声で命じ、馬の背を滑り落ちた時。
精霊の礫の首飾りを、引き千切る力も残っていない腕が、地面につく手前――
誰かが、ドゥージを抱え上げた。
充血と熱で、涙にぼやける眼が捉えたのは動物じみた顔。耳から血が出そうなくらい耳鳴りが酷く、頭痛は頭を割る勢いで、血管が体中に浮き出るドゥージの意識は、最後に『あの町へ』と呟くしか余力がなかった。
その、『町』を示すものは、ドゥージが教えられる声にならなかったが、彼を抱えた者は、死にかけの男の額に額を合わせ、『分かった』と答えた。
*****
ドゥージの意識が戻った時、最初に目にしたものは、幻だと思った。
赤毛の狼男が横にいて、自分はどこかの森の岩棚に寝かされていた。 空は暗く、岩棚の端に馬の影が見えて、あれがブルーラだと気づいたドゥージは、小さく息を吸いこんだ。その音で、狼男が顔を向けた。
「ドゥージ。どうする気なんだ」
牙の並ぶ口が少し開き、人間の言葉を話す。以前聞いた声と違うが、暗い中にあっても、赤茶色の毛は同じ。
「・・・お前は。ビーファライ・・・どうして」
「ちょっと、事情だ。俺も長居できないだろう。手伝えることは手伝ってやる。死ぬぞ、そんな身体じゃ」
赤毛の狼男の知り合い――― 変なもので。こんな時にまともな意識が動く。
狼男の知り合いに助けられたのか、と思ったら少し笑えた。ハハ、と力なく声に出ない笑いが零れ、ドゥージは目を閉じて、自分は何をする気だったかを短く話した。
これが幻だろうと夢だろうと、もし、現実だろうと。 どうでも良かった。
まだ死んでいなさそうだ、とは知ったが、狼男に言われなくても、自分が死にかけているのは解る。話し終えてから、黙って聞いていた狼男に訊ねる。
「俺の首に、『精霊の礫』はあるか」
声が出ているのかも怪しいが、肝心なことを聞くと、狼男の瞳に僅かな光が当たり、緑の目が煌めく。瀕死の男をじっと見つめた狼男は『ある』と教えた。
「ここは・・・ドゥージ、お前の望んだ場所だろう。お前の記憶と合わせて、移動した。すぐ下には」
町が、と言いかけて、狼男は一方に顔を向けたまま黙った。寝た状態で、ドゥージもそちらへ顔を向ける。暗い夜空に、薄い白い煙が何本も滲んでいた。狼男の黙った理由と重ねたら、町は破壊されたのだと繋がった。
「そうか。町はないんだな」
「らしいな。直後じゃなさそうだ。ドゥージの故郷か」
「いや。最後に暮らした町ってだけだ」
ドゥージは目を瞑る。自分の子供も、魔物に殺されて死んだのだろう。涙は出なかったが、自分が死ぬ時間に立っているとして、ふさわしい場所に来たと感じた。体中の痛みも終わる頃、と思えば。息を吸いこみ、弓引きは狼男に頼む。
「悪いな、ビーファライ。俺を連れて来てくれて感謝だ。ブルーラも」
「大したことじゃない」
「もう一つ、頼まれてくれ。俺を、この森の中にある、サブパメントゥの絵がついた大石に運んでくれ。俺はそこで」
「死ぬのか」
「放っときゃ、死ぬ。馬はどうにか、オーリンに・・・イーアンの仲間の元へ」
「間に合えば、な。そこまで約束できない」
仕方ないと頷き、付き合ってくれたブルーラに謝罪と感謝を祈り、ドゥージは自分を抱え上げる狼男に託した。
そして、求められた現場を見つけた狼男が、ドゥージと馬を側に待たせ、大石の秘密に気づいて石を退かした時、ザワッ・・・と周りの空気が変わった。
「ドゥージ、入れ!」
何かに気付いて叫んだ狼男が、石の下に続く洞穴を示し、ハッとしたドゥージが体を起こしたすぐ上、妙に威圧感を放つ紺色の影が浮かび上がった。
『ダメだろうが、逃げやがって・・・ だが、ふむ。面白い』
「やめろ」
『来い、狼』
狼男と紺色の影のやり取りは短く、ひゅっと伸びた風のような腕で、ビーファライは呆気なく抱え込まれる。ドゥージは精霊の礫を引き千切って、急いで周囲にぐるっと投げたが、ふらついた体はそのまま穴へ転がった。
―――ここまでが、ドゥージの記憶にある。
今はどこに居るのか。ドゥージの意識は、転がり込んだ穴の底で途絶えていた。目を覚まし、激痛に苛まれる痛みが戻り『俺はまだ生きてるのか』と呆れた。
ビーファライは。ブルーラはどこに。 俺は、どこに居る?
「起きたのですね」
ドゥージの耳に、聞き覚えない声が届いた。暗闇と思っていた場所に、ぼうっと仄暗い灯りが生まれる。声の主は見えないが、声は再び話しかけた。
「あなたを凍結してもいいです。時間はさほどありません。どうしますか」
お読み頂き有難うございます。




