2337. ドゥージの行方 ~③『原初の悪』と赤毛の男
なぜか―― 魔法陣に、呼び出した相手ではない者が現れる。
夜の森に浮かび上がる金色の魔法陣、その中心に紺色の僧衣の誰かが立つ。それは余裕そうに、魔導士を見下ろし『呼んだだろ?』と自分の胸に親指を向けた。
「いいや。悪いが間違いだ」
すかさず答える。間違いもいいところで、大間違いの相手とバニザットは突き放す。が、魔法陣の中の者はハハッと軽く笑った。
『さすが、一回死んでるだけあるな。肝の座り方が違う・・・俺に用事じゃない、と言うがなぁ』
「そうだな。用事は違うやつだった。帰ってくれ」
『うーん?そうかぁ?そいつに用事、だから俺が対応している、とは思わないか?
ええっと、お前、名前何だっけな。人間のくせに、やけに精霊の魔法を使いこなしてたよな』
これも、と足元の魔法陣を指で示す、紺色の僧衣。白い顔が徐々に青鈍色に変わり出し、魔導士の前で、見慣れた顔―― イーアン ――に変わる。だが、女龍のどことなく子供っぽく、正直な表情は、目の前の相手に微塵もない。
魔導士は感付いていた。この精霊が、イーアンを蝕もうとし、彼女の過去を抉り出した、あの・・・・・
『そうだそうそう、バニザット!お前は大したもんだ。精霊にも名を知らしめる人間なんて、指折り数人だぜ?
俺に会うのは、初めてだったか?俺はお前を知って』
「帰ってくれ。俺は知らない。でな、俺が呼んだのは、別のやつだ」
よく喋る相手の言葉を、魔導士はザクっと遮る。この手のやつは長引かせるとマズい、と経験上、知っている。帰ってくれと睨んだ顔のまま片手をちょっと振ると、相手は肩を竦めてお道化た。
『警戒が似合わん男だ。俺はそんなに怖いか?お前の呼んだ奴ってのは、こいつだろ?』
女龍によく似た顔は、嫌味を含んでにたーっと笑い、拒む魔導士の睨みつける目に、『こいつ』を見せつけた。
片腕が宙に上がったや否や、その腕に抱えられた男が一人。その赤毛を見てバニザットは、どうやら面倒臭いことが起きたと理解する。
抱えられた男は年若く、高価そうな衣服は千切れたばかりか、汚くはないがボロボロだった。彼は瀕死の息に似てぜいぜい荒く呼吸するが、目には力が籠っている。真っ白な肌は青褪め、自分を片腕に軽く抱える相手へ、恐怖と悲しみの顔を向ける。
彼はバニザットが見えていないようで、魔導士には一切、目もくれない。その頬を、紺色の僧衣の男はもう片手で掴み、『生意気な顔してるだろ?』と魔導士に言う。面白がる相手から視線を外さず、バニザットも静かに返答。
「彼が、俺の呼んだ相手だというのか」
『バニザットォ、白々しいだろ!お前くらい無駄に頭が良けりゃ、分かってるだろう。狼男じゃなくて残念か?』
やはりそうだと知ったバニザットは、『そちらの用事は何か』と聞き直した。相手は俺の用事に、応えるつもりがない。あっちが、俺に用事あっての出来事と判断。
魔導士の言葉に、笑みをやや控えめにした相手は『そう、そう』とからかい、魔導士と腕の内にいる青年を交互に見た。
『こいつ、狼男に・・・まだ、なれるらしくってな』
「・・・・・」
『いや。違うな。言い間違いだ。俺のおかげで、こいつの存在に遺されていた精霊養分が反応したってところだな。おい、バニザット。お前もか?お前は?』
「何の話だ」
『また、しらばっくれる!つれないやつめ、お前は食えない男だ。まぁいい、それでな。俺がこの犬を捕まえておいても、別に悪かないんだが。一つ、お前にこいつをくれてやってもいいかと思う』
「用事はそれか。俺に彼を押し付けてどうする」
『おいおい。そうじゃないだろ?お前が呼び出したかったんだから、お前が受け手。俺はお前に応じてやってるんだぜ。さて、じれったいのは嫌そうだから、単刀直入に言おう。
俺が許可してやる。バニザット。狼を飼えよ。鼻が利いて、使い道はある。お前の探し物を見つけるくらいには、役に立つぜ?』
「ほーう。面白い。俺の探し物用に、狼一頭よこしてくれるのか。だが、釣り合うもんが俺にはない。こっちは、魂なもんでな」
『原初の悪』と、老魔導士の会話が一旦止まる。
紺色の袖の内でもがく若者は、何か叫んでいるようだが声は全くしない。『原初の悪』の虚空のような目から、老魔導士の向こう側を探る視線が注がれる。意味ありげな含み笑いのまま、ゆっくりと、フードを被った首は頷く。
『釣り合うもの、とはね。精霊相手に、取引でも要ると思ったか。俺は寛容で、そんなしみったれた釣り合いなんざ、求めやしない・・・ バニザット、それじゃ、俺とお前が会った記念だ。狼擬きを進呈しよう』
「タダより高い物はない、ってな。人間は言うんだ」
『そりゃ、人間だから、だろ。じゃあな。ほら、くれてやろう、せいぜい適度に使い回せ』
ほら、と動いた片腕は、ゴミか何かのように若者を放った。驚いた若者が、魔法陣の外へ出るや否や、『わ!』と声が響き、魔導士は彼を魔法に引っ掛けて受け止める。
魔法陣からあの姿は消え、残った金の粒子の円陣だけが浮かぶ。若者の怯える視線は魔法陣を見つけてから、横に立つ魔導士へ。
「あ・・・ あなたは」
ボロボロの服の、はだけた前を急いで合わせた若者は、あの緋色の魔導士を思い出す。バニザットも彼を少し見て、『よう』と、再会の挨拶をすると、魔法陣を消した。
*****
―――魔法陣を介して、大型の精霊が現れる時。
魔導士は細心の注意を払って、魔法陣を用意している。そうしないと、魔法陣が壊れるからなのだが、今回、あの相手になぜ壊れなかったのか、疑問。
バニザット的には、『ドゥージを手助けした者=狼男』と仮定したことで、まだどこかに名残があるのかと、それで『狼男の力に因むもの』を魔法陣で呼び出したのに・・・現れたのは、イーアンを揺すった精霊―― 原初の悪 ――だった。そして、連れられたのが、面影を残した青年であり、『前・狼男』。
裏がないわけもない話、また面倒が増えたとしか思えないが、精霊は『狼男はまだ使える』と押し付けた。
あの精霊はもしかすると、魔法陣に直通ではなく、離れた場所で繋がったのか。『狼男』を俺に放り投げるために? 頭の中でざーっと考えてから、バニザットは一先ず、当事者に質問する。
「お前。ビーファライだろう。以前の名前を憶えているか」
何であれ・・・ある程度の事情はこいつが知っているだろうと、横に立ったまま、そわそわしている若者に話しかけた。だが彼は、両腕を抱いて擦る手が忙しなく、すぐ答えない。怪我でもしたのかと思ったが、答えるためにこっちを見た若者の顔で気づいた。
「寒いのか?」
ガチガチ歯を鳴らすのを一生懸命堪えており、破けた衣服はかろうじて、彼の肩と腰骨辺りで引っかかっている状態。
狼男は人間味もなかった印象だったが、目の前の男は反応が人間そのもの。指を一度鳴らし、震える青年に毛皮の上着を被せた。靴は・・・と、視線を落とせば履いていないので、これも冬靴を出してやった。
赤毛の青年は小刻みに頭を動かし、礼だか震えだか分からない仕草で『有難う』を呟き、大急ぎで着用する。
「すまない。助かった」
「おい、俺の質問に答えられるか」
「・・・勿論だ。私は覚えている。ビーファライ・ブロダッシュの記憶も、狼男だった記憶も、ここまでの人生、しっかり頭の中で生きていた」
「そうか。今は、名前が違うんだろ。なんて呼ぶ」
「ルオロフで」
「ルオロフ、話せ。何があった。なぜあの精霊と一緒にいた。お前は確か、『狼男脱却』したと聞いていたが、なぜまた狼男に変化出来るんだ」
『一つずつ、話すよ』と赤毛の青年は、毛皮の留め具をかけてから、靴を履いて大きく息を吐いた。
「それより。魔導士バニザット。ドゥージを」
自分の説明より先に、ルオロフは頼むように弓引きの名を口にした。漆黒の目が鋭く彼を見据え『知っていることは何だ』と促す。周囲を一回見渡した若者は、暗がりの地面にあいた穴に目を留め、そこへ近寄った。
「いないか」
嘆息と一緒に漏れた一言で、『狼男がドゥージを連れて来た』推測は当たりと、魔導士は頷く。しかしまさか、丸ごとビーファライとは。生まれ変わったはずが、姿と能力が違うだけで、記憶は引き継いだ様子から、あっさりビーファライが帰ったのと変わらん状態。
何が何やら・・・・・ 若者が喋るのを待っていると、穴を覗き込んだ彼は体を起こして振り返る。
「事情が見えないと、複雑かも知れないが。ドゥージについてだけ、先に伝える。経緯は後で話そう。ドゥージは、サブパメントゥの遺跡、移動する仕掛けの遺跡を巡っていた」
「ふむ・・・それで」
魔導士は小さな火を出して、若者に暖を取らせながら、ドゥージと彼の短い接触について聞いた。それは、意外と言えば、意外。しかし、ドゥージの胸懐を思えば無理からぬ、悲しい行動の話だった。
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