2333. 船 ~動力の秘密
船は、スケーガトロンドの港をゆっくりと離れる。広い川を南下する昼下がり、ゴルダーズ公はミレイオのいる船倉へ降りて、『一緒に食事を』と誘った。
顔を向けたミレイオは、戸口に立つ貴族を見て『ああ、そうね』と力なく答えると、よっこらせと腰かけていた椅子から立つ。
・・・ミレイオは、ブージルを出てから、精神的な疲れが溜まっている。ゴルダーズから見ても気になるほど。
何度も彼が、彼の赤ん坊の話や、一緒にいた仲間ドゥージの心配するのを聞いた。特に赤ん坊は、本当に親のように心配していて、彼の話す内容には、もらい泣きしそうになった。
ミレイオは胸の内をよく喋るので、どれほど気負って疲労しているかを理解するゴルダーズ公は、少しでも休んで下さいと促した。
「食後、またここへ戻るのでしたら、それはそれで」
「気にしてくれて、ありがとう。そうするわ」
ちょっとだけ、船室へ。ふーっと大きく息を吐いて、馬たちに『後で来るからね』と挨拶し鼻を撫でたミレイオは、貴族の後に続いて船室へ向かった。体力的には大丈夫、心が不安に軋み続けているだけで・・・・・
船の進み方は穏やかで、揺れも思ったより少ないが、窓の外の景色が異様に早く進んでいることまで、疲れたミレイオは気付かなかった。
「少し、気晴らしに、と言ったら不謹慎かもしれませんが・・・ミレイオ。船の動力についてお話したいと思います。食事中で構いませんか?」
「え?ああ・・・いいわよ。あんまり食欲ないから、早く食べ終わるかもだけど」
それは気にしませんと微笑み、ゴルダーズ公は、屋敷に比べれば狭いものの、美しい船室の食堂へ案内し、ミレイオを椅子に掛けさせる。
ミレイオは、普段なら反応するはずの一言―― 動力 ――に注意が向かない。綿のたくさん入った椅子に腰を下ろすと、大きく溜息を吐いて『水、貰っていい?』が最初の言葉だった。
『動力』の話を、真っ先に聞ける立場にありながら、全く無反応。その様子に、ゴルダーズは苦笑する。
「何?」
クスッと顔を伏せて笑った貴族に、向かい合う席のミレイオはだるそうに尋ねる。従者が水を運び、二人の容器に水を注ぐのを待ってから、ゴルダーズは『ミレイオは疲れすぎています』と答えた。まぁ、そうかもねと水を一口飲んで、ぼーっとしているミレイオに、ゴルダーズ公はすぐ話しかけず、料理をまずは提供する。
食卓に簡素な食事が、トントンと並ぶ。南部の伝統工芸の籠が美しいが、その中に納まるのは、可愛らしい大きさ(※要は小さい)の主食が数個。添えられた瓶に、乳製品の脂と、果物を煮詰めた保存食。
「船旅は贅沢が出来ませんが」
「あら。いいのよ。私、こういう食事好きだし。あんたの生活でこうした食事を見るのは、珍しいとは思うけれど」
「ハハハ、船旅は食品の保存が難しいので、無理はしません。陸に上がるまでの・・・いえ。何でもないです。どうぞ食べて下さい。お口に合えばいいけれど」
何かを言いかけて引っ込めた貴族を、ちらっと見てから。ミレイオは丸っこい主食を一つ手で取って、半分に割ると、油脂と煮詰めた果物を塗った。口にすぐ入れて『美味しい』と笑顔を見せると、貴族も微笑み、彼も同じようにして食べ始める。
「今後。陸に上がっても、こうした食事が増えるかもしれませんね」
口を動かしながら控え目に呟くのは、あのことだなと、ミレイオも察した。あの夜、精霊の風が吹いた。思うに、知恵の還元が行われたような。ただ、証明するものも、入ってくる情報もないので、そう感じているだけ。
自分たちの移動目的は、『知恵の還元を滞りなく進めるために、貴族ウィンダルを訪問し、それから古王宮へ向かう』ものだったが、とっくに終わった後であれば、行ったところで肩透かしかも知れない・・・・・
それに。貴族にはこれからの時代が気になるはず。もしかすると、ゴルダーズ公は毎日それを考えているのか。
今までのように肩で風切る生き方が廃止され、見下し差別当然としてきた民族に、権利が取って代わった後の、貴族の在り方。大金を抱え込んでいても、それがいつまで続くのか。政治はどうなるのか。そうしたことが、魔物の襲撃と重なって、重荷になっているのかなと、ミレイオは考える。
「さて。動力の話をしますね。これが昼食ですから、すぐ終わってしまう」
どうぞ、ともう二つ、ミレイオの皿に主食を載せて、ゴルダーズ公は自分の分も皿に取ってから、きれいな刺繍の布巾で手を拭った。
また『動力』の言葉を聞いたのに、ミレイオは軽く頷いただけに終わる。今は、目の前の貴族の心境を考えていたので、なかなか気が付けない。この様子を見て、今話すべきかと、少し首を傾げる貴族。
「ミレイオはもっと関心を寄せると思いましたが・・・食後に、見た方が良いのかな」
「ん?何を?食事中に話すんじゃなかったの」
どうやってもピンと来ていないのか、もはや興味が失せたのかと思えるほど、引っかからない態度のミレイオに、貴族は失笑する。
「ミレイオ・・・すみません、ちょっと笑ってしまったけれど。あなたは本当に疲れ切っていますよ」
鈍い反応にさすがに笑ってしまった貴族は謝り、怪訝そうに眉を寄せて、主食を齧るミレイオは『どういう意味よ』と解らなそうに聞き返す。
「だってあなたは、館でこの話を聞いた日。目つきが変わったんですよ?私はちゃんと覚えています」
「この話って。船の動力のことでしょ?それが・・・あ。あ!動力?」
やっと意識が向いたらしき反応に、ゴルダーズは苦笑の顔を押さえて『そのとおり』と答える。ミレイオは額に手を当てて背凭れに体を倒すと、『そっか、動力のこと!ごめん、全然私、解ってなかったかも』と情けなさそうに言う。
「良いんですよ。気負うことが多過ぎる道でしたし。では話します。・・・いや、どうかな、見ますか?」
「動力って・・・見えるの?」
見えますよとゴルダーズは笑顔のまま頷くと、『まずは食べてから』そう言って主食を全部取り出し、お互いの皿に分け、籠を空にした。
食事中に話す予定が、一先ず食べることだけ集中し、ボーッとしたままミレイオはむしゃむしゃ食べ切る。ゴルダーズもしっかり腹に収めてから、茶をそれぞれ飲み干し、席を立った。
食堂を出てそこそこ長い廊下を通り、船倉へ降りる二人。天井は低いが、装飾はさすが貴族の持ち物だけあって、ミレイオには船が貴族の別邸のように感じた。馬車と馬を入れた船倉より先へ行き、『ここは船の後部』と教え、ゴルダーズは扉の前にいる船員に挨拶する。
「中を紹介するんだけれど、今は大丈夫かね」
「勿論です。どうぞ」
船員が横に退き、木製のすっきりした扉を開ける。中は明りが四か所に灯り、横に広かった。見晴らし台の水中版と言おうか、想像していない部屋の造りに驚き、ミレイオはゆっくりと薄暗いそこを見渡す。
人が四人ほど立てる台には、腰の位置までの柵と手すり。その柵から腕を伸ばせば届く距離に、透明な板が張られていた。板の向こうの水飛沫が強烈だが、板はかなり厚さがあり、耐久性が高いようで、水飛沫は別の風景のように遠く感じる。
その水飛沫の理由こそ、『動力』なのだが・・・見たこともないものだった。見たままの言い方をすると、大きな生き物が二頭いて、それらが船を押している。鰭のようなものが先で動いているので、あれが羽根の役目なのだろうが・・・・・
「動力はここ・・・っていうか。これ、っていうか」
「そうです。生き物のように見えると思いますが」
「生きてないわよね?」
「はい。大型の仕掛け細工、そんな表現で通じますか?」
「仕掛け細工なの?ちょっと待って。何で動かしているの、これ」
「水の流れの利用と、『燃える石』です」
ミレイオ、この説明でハッとする。『燃える石』・・・私が作った雪かきだわ、と過った(※479話参照)。多分、仕組みは違うけれど、燃料扱いの石が一緒なら、そう遠からずな仕掛けでは。
顔に出さないよう、ゴルダーズの簡潔な説明に頷いて『燃える石が燃料、という意味か』と確認すると、今度は貴族がちょっと眉を上げて楽しそうに驚いた顔をした。
「さすが職人です、すぐにそう来ましたか」
「何言ってるのよ。『燃えると言われたら、燃料』ってなるでしょうが。この動きなんだし」
「ミレイオは当たり前なのですね!でもこれを知らない人たちが聞いても、燃える石がどうしてなぜ、船を動かすのかなんて、すぐ気づかないですよ」
ふーんと素っ気なく返したが、ミレイオは薄々感じとる。これ、私やタンクラッドはピンとくるかもしれないけれど、多分イーアンならもっとだわね、と。
仕掛け細工なんて、アイエラダハッドで見た覚えがない。もしかしたら、過去に封じられた知恵の知識じゃないかしら、と目の前の巨体を眺める。水飛沫の壁ではっきり判別効かないが、何かの動物っぽい印象。
「イーアンにも見せてあげたかったわ」
「そうですね。彼女は『下りだけは早い』と船の速度を指摘しましたが、これを理由に私は『上りも』と答えました(※2312話参照)。見たら、きっと納得して下さるでしょう」
納得以上の種明かしもしそう、とは言わなかったが、ミレイオは頷く。あの子に見せたら、何て言うかしら。これを良しとするのかどうか。そっちの方が気になるが。
ただ、続く話を聞いていると、どうも本当にえらい金のかかる代物らしいため、大貴族でも有数の者しか、この動力を管理していない。なので、大型船に備え付けられたこの『動力』の存在や仕組みを知る者は、アイエラダハッドでも限られているようだった。
ふと、ミレイオは思い出す・・・ボルルガックから連絡を取っていた時、『やられた』と、沈められたり壊されたりあった船は、この動力がついていたのか?と聞くと、貴族は首を横に振る。
「動力は取り外せます。港の倉庫に普段はあり、私たちが火急の用で出す船に取り付けますから、動力自体は無事でした」
「あ・・・そうだったの。そうよね。全部についていたら、誰もが知っているような」
「そうです。この存在を使用するようになってから、もう十年以上経ちますが、実際にちゃんと知っている者は、管理する貴族と、取り扱う一般人も含め、一握りと思いますよ」
そんな数しか知らないのね、と意外そうに呟いたミレイオに、ゴルダーズ公は『水中ですし』と、陸で見られない状態が大きい、とも添えた。
「手入れは?途中で動かなくなったりとか」
「『動かなくなること』が、ないんですよ。手入れはします」
壊れないものを造るなんて、可能なのか。大きかろうが道具は道具、と思うミレイオは、この際だから話の流れで質問。答えが戻るとは思えなかったが、試してみる。
「一握りの人間しか知らないことを、教えてもらっているのね。でも気になるわ。動かなくなるなんて、道具が劣化しない、と言っているのと同じよ。
私は職人だから、あり得ないと感じてしまう。そんな完璧なものを造れる人間は、存在しないと思うから。どこで造ったのか知らないけれど、十年も経過して平気なんて、いきなりガタがくるかも」
一気に捲し立てたミレイオが心配している、とゴルダーズ公は受け止める。ミレイオとしては、本音半分探り半分。本当のことは話しているが、『どこで誰が造ったか』を聞き出したい。
動力の音が激しく籠る中、貴族は隣に立つ派手な男をじっと見つめ、言おうかどうか考えた。それから、自分で納得したのか、ちょっと目を伏せて頷く。
「そうですね・・・普通に聞いたら、心配してしまう内容を話したかもしれません。十年以上、私が動力を軽んじているような」
「そうは言っていないわよ。あんたが造ったわけじゃないでしょ?造った人がそれでいい、って言ったんだろうし。だけどやっぱり」
言葉を切って、言い難そうなゴルダーズ公を待つミレイオに、貴族は腹を決めたように顔を向けた。
「ミレイオ。これももしかすると、必要なことかもしれませんよね。貴族の時代は、既に過去のもの・・・私はもう、そうなった気がして。
あなたに話しても良いのかも。機密事項だったけれど、今なら言うべきか。この動力を造ったのは、僧院です。知恵のアーエイカッダ時代の名残で」
お読み頂き有難うございます。
船上でミレイオが食べた主食、パン。イメージで作ったパンがあります。ご紹介です。
ココアのパンや、デニッシュみたいなパンで、小さいサイズ。
今日は、物語の記念日です。
2019年の夏に始まって、2020年前半で非開示にし、この年の11月11日に、1195話で開示しました。
今年もまた、この日を迎えることが出来て、とても感謝しています。とっても嬉しいです。
皆さんが来て下さって、読んで下さって、一緒に馬車で旅して下さることを、本当に心から感謝しています。
皆さん、ありがとうございます。本当に本当に、有難うございます!
どうぞこれからも、良かったら一緒に旅してやって下さい。皆さんに、神様の祝福がたくさんありますように。
Ichen.




