2332. 旅の三百四十一日目 ~『貢献』と、それぞれ・民の状況・スケーガトロンド出港
初日の朝、以降。続く日々は、魔物に翻弄されるだけではなくなる。
制限を払われた各地の精霊は各々の動きを取り、ダルナたちも威力を増し、魔物・邪の者が、そこかしこを覆い尽くす黒い風景は一変。
黄緑や淡い青、真緑の輝きが現れる傍ら、異界の精霊の物質を伴う魔法も混じり、危険なアイエラダハッド南の大地は、皮肉な鮮やかさで飾り立てられる。
ドルドレンと過ごす精霊ポルトカリフティグは、アシァクと同じ感覚を持ち、ドルドレンが斬った後、人々を癒す率を高めた。
選んだ行為によって、例え、消される側に自分が回るとしても。
統一の日・・・生き残った民の少しでも、ドルドレンと足並みを揃えて、後の世を豊かに生きてほしいと願う。それは、馬車の民を見守り続けた、専任の精霊の願い。
この行動―― 民を多く癒す選択 ――について、特にドルドレンには言わなかったが、途中から精霊の変化を感じたドルドレンは、物静かなトラの精霊を心配そうに見ていた。
同じ頃、ダルナの動きは活発になり、彼らの番人を勤めた精霊たちも、場所を移動。
移動範囲が広がった印象に加え、まだ半分の能力にも魔力が突然満ち、最初こそ半信半疑だった彼らも、可能性を求め始めた。何の可能性かと言えば―――
自分たちが連れて来られた世界で、居場所を得る可能性。
元からいる精霊たちに、力及ばずにいたこれまで。
強い精霊が治める国で、どこへ行けば良いかも解らなかった彼らは、自由な居場所を求めていた。しかしこれを求めることで、先住の精霊に面倒を起こすのは不利に感じて動けなかった。
対等を求めた彼らは、力が漲っている今なら、自分たちが棲み続けやすい所へ移動し、先住精霊と鉢合わせ拒絶されても、主張―― 『押し込まれた立場の権利』を通せると気づく。
戦わずして得られる権利なら良いが、争う流れになるなら応じる。応じるだけの魔力は戻ったと、判断した。
土地の精霊との一悶着を想定して動くが、緊張は他にもある。
番人だった異界の精霊は、取り上げられた力の少なさから、魔物にも強く出られなかった。今であれば大丈夫、と感じるのは、先住の精霊を相手にするのも、魔物を相手にするのも同じ・・・・・
堕天使のように、攻撃向きの能力持ちばかりではない異界の精霊にとって、魔物への対処は考えなければならなかったが、使いようによっては、守り以上の『貢献』も可能と、先住精霊を意識するより、魔物を意識した。その、結果。
先住の地霊が結界を張ったり、魔物を相手にしたりの動きが、あちこちで起きる隙間で。
異界の精霊は、逃げる人間のために力を使う者も現れる。先住精霊の触発が無さそうな場所で、逃げてきた人間を導き、一時的に保護する行動を取った。
地中に建築をする、宝の守護を能力にする精霊は、避難場所を用意してやった。
薬や治療に長けた精霊は、人間の傷と疲れに癒しと励ましを与える。
近い未来を見る精霊は、危険を回避する道を伝え、幻覚に通じる精霊は、人々の恐れを希望に誘導して、災いから逃げる道へ歩かせた。
これらの行為は、スヴァウティヤッシュのところのように複数が組んだものではなく、方々に散らばっている精霊それぞれの選択なので、単体での限度はある。
連携がない行動は、不利も出れば、満足な救助や援護には至らないが、それでも出会った人間側には心強い救いであるし、手を伸べた風変わりな精霊に、感謝こそすれ、恐れや抵抗はなかった。
異界の精霊の『貢献』活動に伴い、彼らが意識していなかった有利が、知らずの内に動きを支える柱になっていたのを、別の者が見ていた。
彼らが『貢献』の動きを取る場合、古代サブパメントゥの呪いは届かない。
言伝の発動付近でも、異界の精霊が貢献を選んでいる場合、精霊アウマンネルの約束により、禍々しい声に煩わされることはない。
先にこれを知ったのは、言伝の仕掛けを期待した、古代サブパメントゥだった。
異界の精霊には効かないと知った、古代サブパメントゥの話は、またにして・・・・・
*****
精霊の動きが大きく変わった後、アイエラダハッド中部以南。
イーアンやダルナ、ドルドレン、フォラヴ、センダラ、ザッカリア、そして魔導士などの大きな戦力以外でも、精霊アシァクによる、民の武器防具が威力を増したことで、隊商軍や民間の自警団も、魔物を相手に怯まず挑んだ。
まるで、火でもついたように。古から魂に受け継いだ、勇猛果敢な血が彼らに甦り、体は人のものであれ、精霊の力を宿し、魔物を材料に使った強化装備が、戦いへの意識を奮い立たせ、前へ前へと突き動かす。
古代サブパメントゥに、操られる事態さえ除けば、異時空の中に呑まれても、襲撃を受けても、痛みも恐れも乗り越えて人々は戦うことを選んだ。一方的に蹂躙される運命を覆す道。それは勇敢だが、死者が減る結果まではいかない。
だが、運が手助けすることもあった。
異界の精霊が現れて守られたり、土地の精霊が結界を張って、サブパメントゥの操りが途絶えたり、壊れた封じ祠に停止や凍結がかかったり、空に姿を見せた偽龍(※ダルナ)が、魔物を倒して消えたり・・・無論、世界の旅人が来て、助け出されることもあった。
その時倒しても、その日を生き延びても、終わらない戦いを続ける日々。
魔物の襲撃は止まることを知らず、一難去ってまた一難を繰り返すが、それでも民の意識は戦うことを後ろに回さなかったし、死ぬ気で戦うことを誰もが選んだ。
民の叫びが日々の音を占め、どこを通っても、煙と争いの光景―――
あの朝、シュンディーンが出て行ってしまったミレイオは、『ドゥージに続けてシュンディーンまで』と取り乱しそうになる気持ちを抱え、任された馬車を急がせ続けた。
シュンディーンの青年状態は、赤ん坊の状態と桁違いとも解っている分、『きっと大丈夫』と自分に言い聞かせるが、心配で苦しく、全く戻ってこない赤ん坊の身を案じた。
もしも、目的の南東に着いてもシュンディーンが戻ってこなかったら、絶対に探しに行くと決め、とにかく無事を祈って、祈って、祈って、祈り続けて、ミレイオは目的地まで毎日我慢するよりなかった。
オーリンも似た心境。ドゥージに馬車の御者を任せれば良かったと、後悔が止まらずに過ごす。
ブルーラを引いて連れてもらい、食糧馬車の御者を頼んでいたなら、彼がはぐれることはなかった。・・・でもどこかで、『はぐれたのではなく』の思いもある。
彼はサブパメントゥに引きずり込まれていない―― 自分から離れたのでは、と。
どちらにせよ、遣る瀬無い。オーリンは、何度も目をきつく瞑っては『生きていてくれ』と願うしか出来ず、シュンディーンが出て行ったのには度肝を抜かれたが、彼が『ドゥージを探す』と一言残した声に、一縷の望みも持った。
ただ、シュンディーンが、形こそ青年になれど、精神的にはどこまで成長しているか疑問で、『頼んだぞ』とは決して言えない相手に、赤ん坊の無事も併せて願いながら、南東への手綱を取った。
そして、旅の馬車とゴルダーズ公の馬車は、船着き場へようやく到着。時間は昼・・・・・
馬車と共に残った仲間は、ミレイオとオーリン、フォラヴとザッカリアの四名だけ。二人の騎士は、朝から晩まで馬車の道周辺を常に退治に出ており、顔を合わせるのは夕方から夜。つまり、この時間は不在。
ザッカリアは人の体なので、毎日戻って来いとミレイオに命じられて、夜は帰ってくるが、フォラヴは野営の夜も出かけ、休む間も惜しんで動き続けていた。
ここまでの馬車状況を振り返る―――
イーアンも、ドルドレンも戻ってこない。ドゥージも行方不明で、彼を探しに出たシュンディーンもそのまま。指輪探しに出た切り、タンクラッドもずっと戻っていなかった。
コルステインは、数夜おきに様子を見に来たが、『何かあれば呼んで』と言い残しては消えた。コルステインはどうも、ロゼールと共に動いているようだったが、ロゼールもまた、音沙汰さえなかった。
通過する道、行く先々、死者を焼く煙が立つ道中を、ひたすら進んだ。
馬車を襲う魔物や、土地の邪の罠にかかりかけたこともあったが、それらはミレイオたちが対処し、どうにか負傷や破損に繋がらず抜け切って・・・この何日間は、何週間にも感じた。
ブージルの次の町、小さなボルルガックで船の状況を確認した時は、殆どの船がやられたと鳥文で知った。ゴルダーズ公は早急に手を打つと言ったが、その話を聞いた時はどうなるかと、ミレイオもオーリンも懸念が消えなかった。
ボルルガック以降、ゴルダーズ公は馬車移動中に何度もやり取りを続け、船着き場の町スケーガトロンドに到着した日―― 今日 ――、南東目的地のヒューネリンガまでの船は、ちゃんと押さえてあった。
「川を・・・下るのね」
港に着いたミレイオは、川自体が大きいことにも目を瞠ったが、浮かぶ船にも正直、かなり驚いた。ゴルダーズ公は急いでいるため、いつものゆとりある返しではなく、丁寧ではあるが行動を急かす。
「そうです。一刻の猶予もない移動で、皆さんも疲れがあるでしょうが、馬車ごと載せます。馬車はこちらの舷梯から上げて下さい」
馬車ごと運ぶと知っていても、川を下るのに馬車を載せるなんて、経験のないミレイオとオーリンは若干躊躇う。船は大きく、港に繋がれた二杯は、普段から多くの荷を運んでいる、とゴルダーズが説明し、不審そうな二人に『大丈夫ですから』と促した。
「馬もでしょ?揺れたら、足はどうなるの。大きい揺れじゃ、馬は」
不安なミレイオは、自分たちの馬は陸しか移動したことがなく、ぐらついたら怯えると気にしたが、ゴルダーズはすぐに首を横に振って安心させる。
「信用して下さい。こうした船で、何度も往復しています。アイエラダハッドやティヤーは、運河の利用は普通ですから、問題ないです。家畜も運びますし、荷箱も何百と積みます。今回押さえた二杯の船は、外観こそ地味ですが、性能も良いです。
魔物の道のため、ここまで想定していた日数より、多く掛かってしまいました。でも、ここからは早いですよ。十日もあれば南東の、ウィンダル家のあるヒューネリンガの町まで出ます」
「ミレイオ。ゴルダーズ公が自分の信用に関わる嘘を言わないだろ。乗るぞ」
オーリンが先に了解し、ミレイオの背中を押すと、ミレイオも複雑な表情のまま御者台に戻る。オーリンの馬車が舷梯を渡り、船に入った後に続く。食糧馬車もゴルダーズ公の従者が誘導して船に上がり、それから大きな船の船倉へ誘導された。
船倉の天窓は、船の甲板にある明り取りで、中は真っ暗ではなかった。
川を進むので、大きい船ではない、とゴルダーズ公は話していたが、ミレイオもオーリンも初めて見る大きさに、『こんなに大きな船が本当に川を進んで安全か』と思わずにいられなかった。
御者台を降りたミレイオたちは、従者の教えてくれるとおりに、馬と馬車の車輪の固定を済ませるが、怖がる馬が可哀相で、離れるのは気が引ける。
「馬が不安そうよ。私もここにいるわ」
「ゴルダーズ公の馬車と馬は、前の船なんだな。そうだな・・・交代で、馬を見ておこう。総長が知ったら、ミレイオと同じことを言いそうだし」
「そうよ。何かあったら、私がどうにか出来る範囲じゃないけど、一緒にいれば『間に合わない』ってことはないでしょ?」
言ってることが矛盾しているミレイオの、不安定な心境を理解して、オーリンは『言っておくよ』と上にいるゴルダーズへ伝えることにし、ミレイオを船倉に残して甲板に上がった。
ゴルダーズ公はミレイオの心配ぶりを聞き、船の移動が初めてだと仕方ないと了承。客人が休む船室へ案内し、オーリン相手に船の大まかな場所を教えると、『フォラヴとザッカリアは今夜大丈夫ですか』と訊ねた。
「俺たちは、連絡の取りようがないんだ。ややこしいんだけれど、彼らと連絡が取れるのは、総長だけで」
「そうでしたか・・・では、私たちが南下するために乗船したと、どう伝えれば良いでしょうか。もうじき出港ですが」
「あ~・・・じゃ、直に俺が知らせに行く。この町の、ここ(※港)は町外れだよな?俺が龍を呼んでも、町民は騒がないと良いんだが」
オーリンが気にした一言に、ゴルダーズ公は頷いて『町の騒ぎは、今に始まったことではないから』と・・・魔物の襲撃後数日経過している町を、ちらっと見た。オーリンもそれは解っているが、町民がこの状況で龍を見たら、また怖れさせそうな心配から口にしたこと。『分かった』と短く返事をしたオーリンを、ゴルダーズ公は送り出す。
「船を出します。戻ってくる時は、川下を見て下さい。オーリン、龍が・・・自分たちを襲った相手と、まるで違うことくらい、アイエラダハッドの民は理解しますよ」
笛を吹いたオーリンの背中に、ゴルダーズ公はささやかな言い訳をし、振り向いたオーリンは『そうだね』とだけ返した。
これほど全体的に、引っ切り無しに襲われていたら・・・魔物とそうではないものの区別がつくかもしれない。でも、つかないかもしれない。怯えとは、緊張が過ぎると日々の責務のように変わる。
呼ばれてきた龍が、空を白く輝かせたすぐ、滑空したその背にオーリンが飛び乗って、空へ舞い上がるのを見つめた貴族は、船着き場近くで人々が驚いている声を・・・聞かないようにした。
驚いたところで――― ゴルダーズがいれば、長くは続かない。騒ぎも、大貴族の立場を前にはすぐ消えるもの。
「とはいえ。その時代も、もう終わったんだな」
空に点となった龍の影から視線を戻し、貴族の使う大型の船を見渡し、ゴルダーズ公は船員に出港準備の声をかけた。
ゴルダーズは感じていた。精霊の動きが顕著になり、これまではっきりと見たことのない偉大な存在が、人々の視界に入り始めた、その意味を。
自分たちの携帯する装備が、聖なる清い光に包まれた、あの夜から―――
お読み頂き有難うございます。




