2331. 精霊、取り払われた制限・アシァクの率いる道・シュンディーンの決意
魔導士の懸念。イーアンの嘆きの開幕。冷徹なセンダラの孤高。タンクラッドの指輪探し。ドルドレンとポルトカリフティグの、人斬り巡り。南東へ馬車を走らせる、ミレイオたち。そして、リチアリとビーファライ―― ルオロフを攫った『原初の悪』古王宮一幕を経て。
―――突風が、灰色の空を翔け抜けたあの時から、アイエラダハッドにいる精霊の制限が消える。
異界の精霊については解除と異なり、封印されている分はそのままで、手持ちの能力の幅が増える。『異界から引き込む魔力』の通路が広がった。
持ち前の力を使う際、それまでの限度が5だとしたら、『書き換え完了後』の今、彼らの限度は8まで上がった状態。
元からアイエラダハッドにいる精霊の『制限解放』は、これまでの縛りが不要。精霊が対応する際、判断を広げて良いということ。何が相手でも・・・・・
これが、何の話に繋がっているのか。
―――判断の制限にほぼ垣根がなくなったことで、『存在の要不要を量られる対象枠入り』。選択する行為によっては、不要と見做され、消される。
この時代の三ヵ国目で求められる同じ篩に精霊も乗った。
これは、精霊アウマンネルがダルナに対し『自己判断による、同種の消去を許可』した意味と同義。動きの幅が増えることで、各自が選ぶものを見極められる。別種だがここに『妖精』も含まれる。
自分たちの地を徹底的に守ろうが、人間を助けようが突き放そうが、攻撃しようが逃げようが、傍観しようが、いずれ来る、世界の統一に向けた動きを取れるなら、確実に残る。この前提あって、『好きに動け』と制限を取り払われた。
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「精霊無差別、そんな具合だな」
アイエラダハッドの空気が変わったことに気づき、朝の空で止まった魔導士。『無差別』の言葉は、使い方が違う気もするが、差別区別もなく・・・に感じる。
精霊の気の量が急に満ちた。異界の精霊たちも含めて。
ダルナたちも例外ではないらしき、アイエラダハッド混乱開始。待ったなしの変化の波に、自分の動きを見直すが・・・ 『まぁ、俺の行動の内容は、精霊の邪魔にはならんだろう』と見当をつける。
「俺は出し入れの調整で良いにせよ。しかしな。ややこしいかも知れない。精霊の動きが顕著になると、旅の仲間の足を引っ張りかねん。精霊が複雑に絡んで、大精霊以下の精霊が、消えるなんてこともありそうだ」
下を見た漆黒の瞳に映るものは、染みの広がる大地。夜明け前から魔物とサブパメントゥがわんさか出始め、時間が経過するにつれて、増えている。
サブパメントゥは日中、表を動けないが、影の内から指示が届く場を狙う者もいるので、人里は無論、『昔、人が住んでいた場所』の井戸付近も使われる。サブパメントゥも魔物も、目的は『人間』だから、サブパメントゥと魔物の組み合わせが同時に同じ場所に出ると、人間の生き残れる可能性がほぼなくなる。
大地の染みには、襲われた後・襲われたばかり・襲われている最中、のどれかしらが当てはまる。人間を守ろうとする魔導士は『退治と救助に問題ない』と判断した現場に、片っ端から対処していたのだが。
「・・・こっちが何かする前に、精霊が自分の守りの範囲で、先に動くかもな。人間の扱いに、人間寄りの意識で善悪を持ち込まない相手だけに、どう出るやら。そこに手出しをして、状況によっては怒らせかねないことも念頭に置いておくべきだな」
長い黒髪をかき上げ、ふーっと息を吐く。面倒を感じるが、しかし『見誤りそうな場合は手を出さない』が、問題を増やさない第一条件と思えば。
精霊の感覚は、自分たちとかなりズレる。下手に刺激するくらいなら、手を引く方が正しいだろう。
とにかく、行き過ぎないよう、分を弁えて動くだけ・・・ 魔導士は、旅の仲間がこの事態に気づいているか、それも気がかりだった。
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アシァクは、夜中に飛ばした援護―― 民の装備強化 ――に、一際強さが宿ったのを感じ取りながら、朝の風が枯草を波打たせる原野を歩いていた。アシァクがいる付近には、魔物も邪のものも来ない。
自分の力の少しでも、民の勇気に繋がるよう願った、混合種の雄々しいアシァクは、原野を走る風から情勢を聴く。多くの人間が既に、邪に囚われ殺されたと知り、小さな溜息が落ちた。
この日が来ればこうなるとは解っていたが、この先、更に何十倍もの民が地に還るだろう。
『原初の悪』が、アイエラダハッドを拠点にしてから、あれが動くと『因』が起こり、その度、民は揺すられ犠牲を出してきた。『原初の悪』は、人間と生物の存在自体に手を下すことはないが、あれが送り出す者は、人間と場所を狂わす。
「知恵の・・・交代したか。『原初の悪』に仕掛けられた箱が開いた。精霊の部族に知恵が移ったのを封切りに、アイエラダハッドにいる全ての精霊は、制限を解いた。
小さき精霊の類いは、時に魔物に不甲斐なくもやられることがある。閉ざす決まりを放られた彼らは、それをどう、かわすのか」
地霊、水霊の小さな者の行方が気になる。大精霊たちは裁きの秤に乗ることはないが、そこに届かない精霊はこれを境に位置が変わるだろう。
アシァクの輝く緑色の目が自分の剣と盾を見る。私も、動きを変えれば秤の皿に立つ・・・ 行き過ぎた行為をどこまで許可されているか、見失うことがあれば。
「しかし。私が見守り続けた民を、見過ごすことはない。私を慕い続けた民の涙を、私の蹄が通り過ぎることもない」
人々の守りが行き過ぎてもいけなかった、精霊の立場。それが解かれたこの時を、アシァクは機会と捉える。永く民に寄り添った武神は、範囲の制限を取り下げられたと知って、動かない判断はない。
例え、大いなる目から見て、消される対象に入る行為を取る、その場所へ上がろうとも・・・ 『私は民と共にある』武神とされてきた混合種の精霊は、馬の前肢を高く上げ、原野に大きな蹄を打ちつけた。
地鳴りが轟き、アシァクの蹄から金色の光が前方に走る。光は枯草を青く甦らせ、原野の風は追い風に変わる。
「助けよう。民よ。お前たちの心の傍に」
半人半馬の精霊が、金色の道を走り出す。駆ける足を迎える輝く扉が、南の原野の中間に現れ、アシァクの四肢が扉の内へ飛び込むと、続きは人里の平地へ出る。
アシァクの前に、空間の歪みと魔物。輝く剣を振るった精霊の一閃で、魔物が粉砕し、空間の歪みが霧散した。襲われた人々がアシァクを遠目に見て、自分たちの剣が光を増した反応に、『武神が来た』と叫んだ。
「民よ。私の剣と盾の元に戦え。私はアシァク。お前たちと共にある。
動ける者は、私と来るが良い。動けぬ者は、私の庇護を与える。ここで待て」
一緒に来いと励ました、武神の剣が高く掲げられ、天を示す。
倒れ疲れ傷ついた人々に、癒す風が吹き、削れた肉はふさがり、血は止まり、骨は壊れる前に戻った民が、地についた体を起こし立ち上がる。本物の武神が現れ、鼓舞された人々の体に、一度は恐怖で抜けた力が新たに沸き上がり、彼らの雄叫びが響いた。
*****
アシァクの祝福と援護を宿した、アイエラダハッド中の武器防具が、この朝、輝きを増した時。
馬車の荷台にいたシュンディーンも、積まれた剣などが一斉に精霊の力が増えたのを見ていた。夜中の祝福に続き、二回も!と驚いたが、これと別に、シュンディーンも勿論、『精霊の制限』を取り払う恩恵を受け、赤ん坊は何があったかとびっくり続き。
ただ、理解できるのは、これが使命の一端であること。『何をすべきか』はすぐ分からなくても、『何かをするべきだ』とは感じる。
シュンディーンは、自分が動く日はまだ、と思っていたし、親―― ファニバスクワン ――にもそう聞いていたが、自分を家族にしてくれた皆の力になりたい、と強く思う。
身体を包む精霊の気が、瑞々しく溢れて満ちる。近くに水辺もない、荒野と平原の境目を走る道で、こんなに自分の存在が満たされているなんて。
きっと。こう思う気持ちを伝えたら、親は『行きなさい』と言う―――
大精霊ファニバスクワンは、シュンディーンの成長を望む。この状態を親がどう捉えているか、何も連絡が来ないということは、自分がどう動くにせよ、きっと信じてくれているはず。
赤ちゃんなりに、親の意向を察しつつ、あまり勝手なことをしないように気を付ければ大丈夫・・・と自分を励まし、シュンディーンはベッドから出る。
オーリンが丸太を彫ってくれた、赤ん坊用のベッドを振り向く。揺れる荷台で、ガチャガチャと音を立てる、皆の作った武器や防具を見た。ドルドレンとイーアンの眠るベッド、皆の道具、皆の馬車。大好きなミレイオの香りがする、きれいな布の装飾。
「僕が。育った場所だ。僕を育ててくれる皆の家。僕は精霊の子。光と闇のミレイオに愛されて、いつも守ってもらっていた」
はっきりと、自分の居場所を言葉にした、赤ん坊の体が変化し始める。
サブパメントゥのように個体が変形しながら、精霊のように粒子を伴う。体は成人の若者に変わり、畳んだ翼は淡い青の水面の色。馬車の天井と床に、翼の先がつく。垂れていた茶色いフサフサの耳は、ヨーマイテスの獅子の耳に似て立ち、茜と山吹色の髪は、額も首も覆う長さに変わった。
足は、コルステインの猛禽の足。腕は獅子の手を付けた。初回は手も猛禽の足だったが、今回は獅子の腕。成長に伴い、姿が安定しつつある。
ドルドレンが『野の花のよう』と微笑み、シャンガマックが『お前は光』とその名を付けた、黄色い肌は内側から輝く。真っ青な海を映す瞳に力が籠り、シュンディーンは伸びた背を左右から見て『大丈夫だね』と頷いた。
「皆、前も一回、見ているから驚かないかも(※1990話参照)」
荷台の扉に手をかけ、シュンディーンは最初の仕事を考えた。少し前から・・・いなかったドゥージの行方。
「ドゥージ。一人でどこへ」
背に怨霊を背負った男の行方を案じる。この朝が来る前に、ドゥージはどこかではぐれた―――
宿を出発した時は、一緒だった。
いつも馬のブルーラと、馬車の並びにいた彼は、知らぬ間に消えていた。オーリンとミレイオが気付き、フォラヴとザッカリアのどちらかを呼び戻して探そうか、と意見は出たが実行する時間もなく、馬車をひたすら目的地に向ける方を選んだ。
「ドゥージを探そう。探しながら・・・魔物を倒そう」
自分には触らなかった、弓引きの微笑を思う。いつも遠慮して触ろうとしなかった。でもその薄い青い目は、懐かしそうに赤ん坊の顔を見つめて、優しかった。
孤独なドゥージを助けたいと、シュンディーンは思う。彼は、精霊の礫を持ったが、何かあればサブパメントゥに殺される。それは嫌だった。
獅子の手をした腕を扉に当てて、シュンディーンは揺れる馬車の扉を開ける。
後を走る馬車のオーリンが、扉の開いた隙間から零れる、淡い黄緑と青い光に凝視した顔が見え、シュンディーンはニコッと笑った。
「僕も行く。オーリン」
「シュンディーンか・・・・・ 」
「ドゥージを探しに行く。それで魔物も倒す」
唖然とする弓職人が瞬きしている間に、シュンディーンは水面の泡を含んだ煌めく翼を大きく広げ、走る馬車の荷台から飛び立った。
シュンディーン!と名を叫んだオーリンの声に、ミレイオがハッとして顔を上げる。
旋回した精霊の子はミレイオのいる御者台へ行き、目を丸くするミレイオに『ドゥージを探してくる』と断ると、待ちなさい!と止めるミレイオを振り切って、朝の空へ舞い上がった。
お読み頂き有難うございます。




