2329. 古王宮夜 ~屋根裏の窓
考えてみればそうかと、目的の部屋を探しに、少し狭くなった階段を、屋根裏の階まで上がったリチアリは思う。
ルオロフの一族は、古王宮の管理者なのだ。
彼は子供の頃に来たことがあるようだし、全ての階の隅々、両親に教わっただろう。五階を探索もせずに飛ばし、屋根裏へ行くなんて信じていいか、いや、疑っているのではなく、決めつけのようで短絡的に感じたから、従うのも抵抗があったが。
滅多に使われることはない建物だとしても、鍵を持って、今はなき王族の代わり、自由に出入り可能な立場だし・・・
屋根裏階の廊下に上がってから、リチアリは馬を下り、手綱を引いて歩く。これが屋根裏ね、と思いながら、広さは階下と変わらない豪華な屋根裏を、ルオロフの後についていく。
暗くても、ささやかな光を反射する素材が、どこもふんだんに使われている。
壁も柱も扉も天井も窓も、彫刻の上から金属色の塗料を塗られているし、飾り金具、光沢の布ばかり。屋根裏と言われて、『なるほど』と思える部分は、他に比べ天井が若干低く、屋根の傾斜の影響を受けた角度の壁くらい。
古王宮の屋根は平らだったと思ったが、中庭側は雨水を落とす傾斜がついているから、ここはその向きなのだろう。
とはいえ、天井傾斜は、人の背より上で角度がつくため、廊下の中央を通る分には、馬を連れて歩くに不自由もなかった。
左から右へ進み続け、何度か途中で角を折れて、内廊下に入り、幅の狭くなった内廊下を一棟分歩いたくらいで、目的の部屋の前に着いた。
内廊下は馬連れで通れる幅はあったが、目的の部屋の扉は不釣り合いなほど小さく、ルオロフは手探りで鞄から鍵を出すと、背の低い扉に背を屈めて錠を外し、錠と鍵を鞄に入れた。
その行為は、まるで罪をばらすように見え、隣にいたリチアリは、彼が本当に貴族の土台も執着なく、譲るつもりなんだと感じる。差別の記録室を、開けっ放しにするということは、この部屋を曝け出して隠さない、その意味なのだろう。
横で観察するリチアリの視線を気にせず、若い貴族は彼の馬を見て『馬は、置いていかないといけない』と言った。
「心配しなくていい。部屋の外だし」
「・・・分かった。馬が向きを変える広さは、この先あるよね?」
「それは大丈夫だ。ここを抜けると、丁字に分かれて横切る廊下に出る。そこは内廊下ではないから、馬も向きを変えられる」
ルオロフは、気にしていそうなリチアリに教えながら、リチアリが万が一を考えているのは伝わった。万が一、逃げなければいけない事態に備えて、馬のことを先に聞いたのだろう。扉に屈めていた背を起こし、ルオロフは廊下の先を指差した。
「もし。もしもだけど、私たちに危険が振りかかったら。君は馬に乗って、先ほど教えた丁字の突き当たりまで行け。そこを右、まっすぐ行くと左側に、回廊へ続く下りの緩い坂がある。中央通路へ続くから、一階まで出るんだ。
階の高さで踊り場があるから、馬を走らせないように気を付けて。一階の降り口は中庭で、塀の向こうに森があるだろう。塀沿いを動いて、壁の切れ目を探せば、管理小屋の横から」
「待ってくれ、ルオロフさん。まるで、私だけ逃げるような言い方だ。そんなことになったら、一緒に」
いきなり早口で逃げ道を教える若者に、不安が募ったリチアリは彼の説明を聞き終わる前に止めた。ルオロフの緑の目がちらっとリチアリを見上げ、彼は首に巻いていた艶のある布を引っ張り、襟から抜くと、リチアリに差し出す。
「『私に貰った』と言ってくれ。君が、不運な侵入者で終わらないように」
「ルオロフさん。一緒に行こう。なぜ急に」
受け取れないと戸惑うリチアリの遠慮に、ルオロフは布を一旦引っ込める。それから部屋の中へ視線を移し、小さく息を吐いた。
「さっき、私は『一筋縄で行かない気がする』と言った。私の勘は、良く当たるんだ」
何と返事をして良いか困惑するリチアリにそう言い、ルオロフは真っ暗な部屋に足を入れる。窓にも布が掛かっている部屋は、通路よりずっと暗い。
彼が先に入ってしまったので、精霊の灯りを持つリチアリは、馬にここで待つように言った。置いて行くのは心配だが、入れないのは仕方ない。ルオロフに後ろへ行き、足元を照らしながら一緒に進む。
灯りがなくても、大して気にしないように歩いていたルオロフは『最後に来たのは随分前だ』と小声で教え、燭台の並ぶ壁際へ寄り、小棚の箱を開け火打ち石を取り出すと、蠟燭の芯に火をつけた。そこに蝋燭があるのも、横の箱に火打ち石が入っているのも知っている青年に、リチアリはただ黙って話を聞くことにした。
彼の手にした燭台は三本の蠟燭を立て、小さな炎の光で見れる範囲を教えるように、ルオロフは燭台を高く掲げる。
「リチアリに見せていいか、少し考えたが。交代すれば、これも消えるかもしれない。見ておいてくれ。傷つけてしまうが、私たち貴族が同じ人間にどれほど残酷だったか。二度とこんなことが起きないように」
「・・・見なくても。私は知っているよ」
三つの蝋燭の炎で浮かび上がる、薄暗い壁と天井、棚の陳列に、貴族が何百年の統治の間に行った残虐な歴史が、誉れ高き栄光のように残る。リチアリの眉根は寄り、呼吸は静かに変わる。この場で息を吸うのも嫌な気持ち。
精霊信仰、土着信仰を全否定する絵画が並び、騎士僧会の武勲の品が飾られた側に、各地を制圧した証として標本にされた人体の一部や、強奪された部族の宝が、名称付きで並ぶ。リチアリは普通に字も読める。そこに、自分たちの部族の厳しい過去も、ちらっと見て目を伏せた。
「もういい。『ここに用がある』意味なら理解した。私が書き替えに名を書いたらこれを始末し、今後同じ過ちを繰り返さないため、というなら、充分すぎるくらい解っている。書き換えの場所へ急ごう。ルオロフさん、部屋を出よう」
暗い声で退出を促すリチアリを、ルオロフは少し見つめてから『ここが、舞台だ』と言い難そうに伝える。さっと顔を上げたリチアリの目は厳しい。彼は頭を一振りして否定を示す。
「書き換えの場所があるなら屋根裏、と言っていたけれど、この部屋が?ただの差別の標本室だ。陳列棚と壁に、残酷が正義として飾られているだけの部屋に、どうしてそう思う」
不愉快な気持ちが昂ったリチアリは、苛立たしく言い返す。逆なら同じ反応をするかもなと、穏やかそうな男の怒りを受け入れるルオロフは、小さな溜息を吐いて、燭台を持つ手でゆっくりと先を照らした。
出入口が一ヶ所の長方形の部屋、一番奥に数の少ない階段の影。
ほの暗い灯りに、段の上もちらつきながら見える。祭壇が一つあり、凝った技巧の祭壇の背後には窓があるのか、紺色の長い布が天井から垂れていた。
「あれは・・・窓か?でもここは、内廊下で囲まれた内側では。それに、窓があるからと言って、舞台とは限らないだろう?」
怪訝そうに訊ねたリチアリに、ルオロフは頷いて『窓なんだよ』と短く答えると、一緒に来るよう、彼の腕をちょっと押した。
暗く厳しい過去の悲劇と残酷の場所で、リチアリは気分が悪くて仕方ない。返事をせず、本当かどうか分からない、ルオロフ独断の『舞台』に重い足を向けた。
「なぜあなたは、ここ、と決めつけるんだ?」
嫌味な言い方が、つい口を衝いたリチアリの質問に、ルオロフは気を悪くすることなく頭を少し振って『勘、と言ったら信じないだろう』とふざけているのか、神頼みなのか分からない返答をした。
「『下調べ』はしていた。決定打だけがなくて、それで勘と言っているが。ここへ来たのは、時間の無駄ではないと思うよ」
「私には無駄どころか、嫌がらせだよ、ルオロフさん」
「リチアリ。聞いてくれ。多分、この部屋の可能性が一番高い。君が知っているか分からないが、『知恵の還元』の序文で、精霊から貴族の時代に移り変わる時、『窓の向こうの世界』に呼び掛けた件がある」
それは知っている、と流して目を背ける相手を、ぐっと覗き込んだルオロフは『序文では、精霊の民族が祈祷台に使った建造物の窓だった』と言うと、嫌そうに眇めたリチアリが『知っている』と強い口調で言い返す。
「私が知らない、と決めないでくれ」
「ここからなんだ、リチアリ。この古王宮は、統治するために、祈祷台を壊した跡地を使った」
「・・・序章に場所は、書いていなかったと思うけれど」
「私は貴族の書物で散々調べたし、調べて出てこなかったことは、この姿に生まれ変わる前の『狼男』の記憶で探った。
古王宮は、奪った土地じゃない。知恵が入れ替わる場として、知恵を持続する力を持つ、古来から何かに護られた土地だ」
「だとして、だ。ルオロフさん。この部屋の窓と、どうして決めるんだ。あの祭壇の後ろに、外の景色があると思えない。窓なら山ほどある宮殿で、なぜにここだ」
不審を問うリチアリに、ルオロフは言葉は無用かと解釈し、『ちょっと見ていて』と彼を残して祭壇へ上がる。片手に持った燭台を祭壇に置き、紺色の長い布をルオロフの腕が引いたそこに、確かに、縦長の天井まで届く『窓』があった。
そして、その窓は―――
リチアリの目は信じがたいものを見つめて、動きが止まる。信じられないのは、なぜこんな場所に、と在り処の問題。ルオロフの説明の通りだとしても、権力者でしかない王や貴族に許された特権を越えている、精霊の域へ通じる、この窓・・・・・
ルオロフも若干、驚きを見せたが、彼は知っていたようで『これだ』と後ろを振り返った。
「王政が終わった後、貴族が国政を執り行った。理由は、王が耐えられなくなったからだ。簡単に言うと、この『重荷』に耐える人間はいない、ということだろう。
窓の向こうは常に動いている。私の家系でも、直系しか知らず、直系の中でも、後継ぎのみ、だ。妻や他の子に漏らすことは禁断だった。古王宮の開かずの間だ。
知っているかい?『古王宮』は建立した時から『古王宮』と名付けられていたことを。古い、その意味が示すところは」
「部族の知恵を替えて、ここに継いだと」
「言ってみれば、そう。この土地なんだ。知恵の還元の舞台があるなら、ここか、私の全く知らないどこかだろう、と思っていた。でも私は古王宮だと睨んでいたし、古王宮であれば、この部屋が有力候補だった。
教えておくが、宮殿内にここまで妖しい部屋は・・・他にないよ」
なぜ屋根裏なのか、そこまではルオロフも知らないようだった。建築して完成した時、全ての部屋に調度品を入れ始めた矢先、屋根裏は王だけが鍵を持った記録が残っていたが、その理由に『突如現れた不気味な異時空』の存在があったかどうかまでは、どこにも書かれることはなかった。
『窓の向こうは、アイエラダハッドなのか?」
祭壇に近寄ったリチアリが、唾を呑みこみ、ガラス一枚で隔てられた異様な風景を尋ねる。ルオロフは少し首を傾け『分からない』と正直に答える。
「私はこの窓を開けたことがない。子供の頃、父上に連れられてこれを見たが、その時もどこか分からない場所が映っていた。だが、思うに、だよ。思うに・・・父上が私にこの話をする前に他界したから、私の推測を肯定するものはないが、この祭壇で書き換えをして、窓を開けて、宣言するのではないだろうか」
祭壇に手を置いたルオロフの言葉に、リチアリは覚悟を決める。恐らく自分は、何かがあっても生き残る立場にいるだろう。
だが、先ほどルオロフが死期を臭わせる言い方をしたのは、彼もまたこの状況の想像で『自分は犠牲になる』と案じているからだ。リチアリは大きく息を吸い、ゆっくり深呼吸してから、窓と祭壇の間に立つルオロフの隣に上がった。
「ルオロフさん。あなたの命が終わらないことを、私は祈る」
「私もそう願うけれど・・・数時間前にあった君に、洗い浚い話すのも不思議だが、私は一度人間として死んで、そして狼男で間を繋ぎ、それも終えてこの人生に生まれ変わっている。
頭のおかしい奴の話だと思われても仕方ないが、もしかしたら、ここで死ぬため、と私は捉えているよ」
「あなたがどんな経緯で、私の真横にいるにせよ。死なない意識でいて。祈っているから」
死ぬ気で挑むのは、同じ。だが、死ぬつもりで諦めないで、とリチアリは励まし、力なく微笑む若者の背中をポンと叩いた。
「書き換えを」




