2328. 古王宮夜 ~部族と大貴族
古王宮の中、二人の男が鉢合わせるまで、たっぷり一晩かかった。
先に入っていたリチアリは、どうしたかと言えば。
彼は中へ入ってからずっと馬を下りず、磨かれた床だろうが、高価な絨毯の上だろうが、関係なく馬で進んだ。
馬を下りて後悔する危険―― 魔物 ――がある以上、常に馬と行動を続け、鍵のかかっていない部屋は、どこでも見て回った。
意外なもので、割と鍵のない部屋は多かった。全室にかかっていると思っていただけに、扉が開く場合は、少し開けて室内を見回し・・・リチアリの魔法に反応しなければ、見るだけで終え、中へ入りはしなかった。
人は居ないと分かっていたが、もしも誰かに見つかって注意(※それ以上の予想ではあれど)を受けたら、自分が何をしに来たかをはっきり告げる気だった。だが人は居らず・・・とはいえ、馬に乗っていることより、少々気にしたのは。
「王宮と言っても、人の家だからな。空き巣みたいで、あんまり気分の良いものじゃない」
大いなる使命に基づくと理解しているが、それでも常識的に受け入れ難い、滅多にない動きを、リチアリは苦笑いで続ける。
鍵の開いている部屋の中を見る場合も、また、鍵がかかっている部屋の前に立つ場合も、リチアリが試すことは『魔法に反応するか』。探し物用の魔法、求めるものに近づけば魔法は教える。
しかし魔法は一切反応を見せないまま、日は落ち、夜が来て、リチアリは暗い王宮をひたすら探索し続けた。
「お前は夜目も利くし、助かるよ。私も自分用の灯りくらいは持っているけれど、遠くを照らすわけでもなし・・・階段だ。気を付けて。ゆっくりだよ、ゆっくり・・・ふーむ。一階も地下も、二階、三階と全部調べたつもりだが、四階はどうだろう」
魔物が来る気配はなく、表で放置した門番二人は、そろそろ魔法も解けて疲労困憊だろう、と少し思いながら、馬で階段を上がり、四階へ到着。
古王宮の外観から、そこまで時間が掛からないと踏んでいたものの。『部屋が多いんだな』大きい部屋ばかりとは限らないので、小さな通路や階段、小部屋の類も見逃さないようにしていたら、想像以上に時間を食った。
「お屋敷(※ゴルダーズ邸)も広かったけれど、古王宮は本館から続く、右翼と左翼に加えて、中庭が幾つもあるから回廊もある。回廊の角から小部屋があったり、本当に迷路みたいだ」
魔法を使いながら進んだから、一つも見逃してはいないが、しかし骨が折れる作業。どこに『書き換え』の品があるか、探すのにこれほど時間を使うとは。
まだ半日で済んでいる、と思うようにして、リチアリは四階の探索に入る。
上がった階段は、本館ではなく、三階の右翼側の回廊から伸びた階段。回廊の階段も、右と左に設置されているらしいが、降り口・昇り口がそれぞれ異なる。早いうちにこれに気付いて良かったと、二度手間を回避し、一先ず右の建物から本館を辿る。
異様に豪奢な天井や彫刻などは、お屋敷でも見慣れているので免疫はあるが、それでもリチアリが舌を巻くくらいの差は古王宮にある。
「また、だ。仕掛けが・・・・・ 」
古王宮は、仕掛け部屋と通路がやたら多かった。大窓の横にある騙し絵が通路だったり、扉が二重で、両開きの片側だけ外れて内廊下へ続くなどがある。これも見つけられたから良いようなものの、見つからなければ、何日ここに籠るだろう、と思わされる。
「でも。こうまでする理由があったということだ。四階を調べて何もなければ、五階と天井裏。夜明けまでに、どうにかなるかな」
リチアリも、明日には(※この時点で夜明けの一斉襲撃前)危険が加速すると、占いに出ていたため、夜明け前には辿り着きたかった。
そして、馬を進めて、横に部屋もなく絵画のみ展示される、暗く長い廊下が終わるところで、角の影から人が出て来た。さっと馬は顔を向けたが、驚きはしない。リチアリも急に現れた人物に緊張したが、向こうが静かなので警戒に変わるだけ。宮殿内に当番がいたのだろうか。全く気配に気づかなかったとは。
足を止めた馬。手綱を引いた手を動かさない乗り手。二秒固まってから、リチアリが声をかけようとしたのを、向こうが被せた。
「何者だ。なぜここを馬で歩く」
「・・・私は精霊の部族。この日、精霊に導かれてここへ来た。馬に乗っていなければ、いつ何者に襲われるとも限らない」
「そうだな」
やけに落ち着いている相手は、暗がりから出てこない。そうだなと言った後、また数秒の間が開き、リチアリは『精霊の用だ』と通行する意思を伝えた。魔法を使うべきか、少し悩んだのは、相手が・・・・・
「精霊の部族、か。なるほど、丁度良い遭遇だ。私はこの王宮を、管理してきた後裔だから」
「何?貴族か」
「驚くところじゃないだろう。ここは貴族と王族が使った場所なんだ。私の方が驚いているよ、部族の君に」
高圧的ではないが、どことなく差別する言い方。リチアリは馬に乗ったまま、影の中の人物を見つめ、その本心を読もうとして、ふと気づいた。
「あなたは、まさか。精霊に」
貴族らしき人物の内側を感じたリチアリは、彼から精霊の宿命を感じる。これは何だろう、と戸惑ったリチアリに、相手はやっと影を出て、窓から差し込む僅かな明かりに顔を見せた。
赤い髪、緑の目、白い肌。厚着をしていても痩身と分かる若い男は、馬より数歩分離れて立ち止まり、馬上の男を見上げる。
「昔。俺は狼男だった、なんて話。信じるかい?」
「昔?」
上品そうな若者が、いきなり『俺』と自分を呼び、『狼男』と妙なことを言う。彼は20代前半に見えるのに、『昔』とか・・・ 何が何だかと瞬きするリチアリをちらっと見て、青年は付け足す。次は自身を『私』と言い直した。
「だが、私にとっては昔でも、実際は『あの日』から一ヶ月も経ってないかもしれないんだ」
「さっきから急に、何の話を。狼男?あなたがそうだった、と?昔というのは最近?それは、精霊に関わることで?」
青年の注釈さえ分からない尽くしの内容。しかし、嘘ではないのも、リチアリは感じる。精霊の何が絡んでいるのか?と訊ねてみれば、戻った答えは。
「『精霊の祭殿』が、私の岐路だったよ」
「・・・精霊の祭殿。あなたは、そこに行ったというのか」
リチアリの顔から、血の気が引く。目の前の人物は『精霊の祭殿にいた』と口にした。おいそれと行ける場所ではない。なぜ、この普通の人間にしか見えない、それも貴族が・・・精霊の導きに招かれたのか。
信じる信じないなど、リチアリは関係なかった。
貴族が『精霊の祭殿』を知っている時点で在り得ない。まして貴族は『精霊を遠ざける立場の人々』だというのに、目の前の彼は・・・・・
リチアリは言葉を失う。驚きが過ぎて口も半開きで、若い男をじっと見つめていたら、同じように自分を見ていた若い男は、ぷっと吹き出した。
「何で、そんなに驚くんだ。君は精霊の部族だろ?ここへ来た用事だって、『精霊に導かれた』といったくせに」
「そうだけれど。しかし、貴族のあなたの言葉は、突拍子もなくて」
「ん?私が貴族なのに、狼男やら精霊の神殿やら、口走ったから?『精霊』は、合言葉じゃないのか?この時代の大波を潜る、唯一の繋がり、間違いのない旗標、委ねるに恐るることなき相手」
貴族の若者の真っ直ぐな声、緑の澄んだ視線に、リチアリは急いで『名前は?』と訊ね遮った。赤毛の彼は『私はルオロフ』と返し、左手を上に向けて、馬上のリチアリにも自己紹介を促す。
「私の名はリチアリ。今日、ここで」
「そう。ここで。さて、信用は出来たな。行くぞ。君もまだ探していなさそうだ。私もまだ見つけていない」
ルオロフはそう言い、背中を向けてリチアリを肩越しに見ると、さっと片手で付いてくるよう、招く仕草を見せた。突然現れた貴族・ルオロフの奇想天外な自己紹介、そしてこの場所で何をすべきかを知っていそうな態度に、リチアリはごくりと唾を呑んだ。
「・・・ルオロフさん。あなたは、何をどこまで知って・・・いるのか」
馬の手綱を揺らし、馬はゆっくり足を出す。蹄の音と靴の音が重なって、高い天井に響く中、ルオロフは大きく息を吸い込んで、装飾だらけの廊下を眺めて返事をする。
「私は、大貴族ルオロフ・ウィンダル。この立場になる『前の私』の方が、アイエラダハッドの隅々まで知っていた。
その記憶が、私のこれまでの人生を常に握り、私を動かしていた。自分が何をすべきか・・・生まれた家・『ウィンダル家』の立ち位置を知る度に、明確になった。
私は、この日を待っていたんだ。いや、正確には『精霊が私に、この日を動かすよう待っていた』のだろう。
リチアリ、この宮殿のどこかに『誓いの板』を使う場所がある。そこに行き、貴族の名前を消し、君の名前に変えるんだ。君の部族でも良い。交代の時に何をするのか、私は知っている」
歩きながら、流暢に簡潔に、古王宮ですべきことをリチアリに教える貴族。
リチアリは、どう見ても自分より年若い相手に、彼の方が年を重ねている印象が消えない。
ルオロフは・・・『狼男だった』そうだが、本当に何者なのだろう。もし、私の知っている狼男を示しているのなら、アイエラダハッドに狼男はもういない、ということだろうか?
気になることが多過ぎる、見た目普通の貴族の青年・・・ 突拍子のないルオロフの正体に気を取られていたリチアリは、彼がそれよりもっと重要な発言をしていたと思い出し、ハッとする。
「そうだ、ルオロフさん。今、『誓いの板』を使う場所がある、と」
「・・・そうだよ。そういうのは知らなかった?」
「いや、知っていたけれど。でも、使う場所を見つける前に『誓いの板』を、まず手にいれないといけない。私はそれを探していて」
「あ、それか。すまない、うっかりした。ここに在る」
ここに、と肩掛け鞄をポンと片手で叩くルオロフ。目を丸くするリチアリは、次々に意表を突く青年に『あなたが持っている?』と確認する。
窓から入る淡い明度は、彼の顔にほんの少し、微笑を浮かべた影を作る。緑の目を細め、ルオロフは斜め後ろを歩く馬の背に視線を向け、静かに頷いた。
「私の家の家宝・・・だったんだろうね。数日前に、私以外は魔物に殺されてしまったから、詳細を聞いていないけれど」
「なんですって。あなたの家と家族が?」
「私が実家に帰った日。父や使用人、全員殺されていた。家も壊れていた。私はこの・・・『誓いの板』だけを持って、ここへ急いだ。リチアリ、君と私の大舞台はもう、数時間後だよ」
辛いはずなのに―――
何もかもが、この青年の発する、言葉も声も態度も場違いに感じるほど、彼の落ち着き方が、リチアリは理解しづらかった。
彼の目は寂しそうではあるが、それが家族を殺された悲しみとは距離があるように感じたし、大貴族と名乗っているのに貴族の時代が終わりを迎えることに何の抵抗もない様子。
彼の正体は何だろうか。リチアリはもっと彼のことを知った方が良い気がしたが、今はそれどころではないのも理解している。正体不明の味方らしき男は、きっとこの先も・・・用事が終わった後も縁が続くはず、とそれだけは感じた。
詳しく聞くには、全てが一旦片付いてから。そうリチアリが思ったところで、ルオロフが顔を向ける。
「私にも質問させてくれないか。君は精霊の部族と言うが、人間?」
「そうだよ。疑うのか?」
「門番が締め付けられていたが、あれは君?」
「そう。門番は、私と馬を槍で脅した。ルオロフさんはそんなことをしないだろうけれど、彼らは、部族民と見れば、怪我も平気でさせるから」
「私はしないね。そうか・・・悪かった。躾が足りなかった」
顔を俯かせて一言謝ったルオロフは、ぽかんとするリチアリをまた見て『人間らしくない、と思ったよ』と、他にも鍵が開いていたことが理由、と加える。リチアリは『それは精霊が、私の声を聞き届けたから』と正直に答え、ルオロフは興味深そうにふぅんと頷いた。
「君は、精霊に会えるのか。部族的な儀式を通さなくても」
「何でそんなことを聞くのか。あなたも出来そうだ、ルオロフさん」
「私は・・・出来ないよ。今はただの人間だから。でもリチアリは、人間でも、精霊と常に疎通するような気がして」
「それは、何か都合が良いのか?この先」
「勘だ。アイエラダハッド知恵の時代が交代するんだ。『書き換え』が一筋縄で運ぶと思うかい?」
嫌な予感もしているんだよ、と赤毛をちょっとかき上げて、ルオロフは四階に並ぶ部屋を全て素通りしてから、左翼側の回廊から上がる階段の前で立ち止まる。
「リチアリ。古王宮は、右が無害で、左が有害なんだ。有害の意味は『貴族にとって面白くない』ということ。五階に行こうとしてここから上がると、五階は通り過ぎて屋根裏へ行く」
「屋根裏」
「屋根裏だが、古王宮の屋根裏は、意味合いが他の常識と全然異なる。先に言っておく。覚悟してくれ、差別の歴史も戦史も何もかも詰め込まれた、悪夢の宝庫だ」
「覚悟とは、私のような被差別民への制圧を見る、と言っているのか?五階に行って、書き換えの部屋があるか探さずに、屋根裏の・・・その、悪夢の宝庫へ行くのは」
「五階は王族の寝室しかない。寝室と衣裳部屋。ここまで来て、権利を譲渡して国を揺るがす―― 『貴族の統治した国』の意味で、その重大な場所が在るとすれば、屋根裏だ」




