2325. 背徳のダルナと龍の、貸し借り
ミレイオに『ダルナが西南へ向かっていた』と聞いたばかり。
拭った涙の乾かない顔を向けた女龍は、突然現れた大型のダルナに瞬きして、ミレイオの報告とは違うのかと思った。
目の前に浮かぶ体は、ドラゴンそのもの。ダルナの状態とドラゴンの状態、その別は何度か見ているが、このダルナは『ドラゴン状態』に近く感じる。
体色は、威厳のある真鍮色。古い盾のような、年月を経た真鍮のような穏やかな色で、翼や手足、尾にモザイクタイルを敷き詰めた雰囲気の模様がある。
色とりどりのそれは何かの物語みたいに、模様は連続する絵にも見えるが、側面や影になる場所でよく見えなかった。
尖った顔つきがどことなく神経質そうではあるが、巨体の影響で和らいでいる。目は、どのダルナも共通の赤と水色。比率は異なるが、このダルナも水色の揺れる中に、赤い炎が灯っているようだった。
「お前が龍、だろう?」
口半開きで答えがないイーアンに、ダルナの低い重い声が聞き直す。ハッとしたイーアンが、そうですと頷くと、大きなダルナは長い首を伸ばして、イーアンの近くに顔を寄せて左右上下、矯めつ眇めつ女龍を観察・・・泣き終わったばかりのイーアンがひくっとしゃくり上げると、ちらっと二色の瞳が向いた。
「泣いていた?」
「ちょっと。事情がありまして」
目を逸らす女龍に、小さく頷いたダルナは首を戻してまた距離を開ける。『解除ですか』とそれ以外に思いつかないイーアンが訊くと、ダルナは『そうじゃない』と言う。
ショックから抜け出ていない、イーアンの頭は働かない。鈍い回転で思いついたのは、『解除はするけれど、自分の存在を守りたい方の求めかも』と、それを尋ねた。するとダルナは、それも違うと答えた。
何だか分からない相手に掴まって、イーアンは段々焦り始める。先ほど見逃してしまった魔物の群れも追わないといけないし、他でも魔物が出ている。用件を言い出さない相手に、イーアンが早く用を訊こうと口を開けかけたが。
「お。そうか」
「はい?」
サッと遮られ、イーアンの眉根が寄る。遮ったわりに、答えない。何がそうなのよ、と時間を潰す無駄に苛立ち始める。こんな事態に突入して、意味も解らないダルナに足止めをされている暇なんてないのだ。
「すみませんが、御用がないなら行きます。私はしなければいけないことが」
「ふーむ。この世界の龍には効かなかったか。さすが、と言ってやるのも皮肉だ」
「あのね。何の話をしているのか分かりませんけれど。私に何かされても、私困るんですよ。私は急いでいて」
「龍よ、俺はお前を『攻撃』したのだがね。お前には、一切効かないとは」
「・・・攻撃。いつ?」
矢継ぎ早のここまで。始まったばかりの一日に、頭が混乱でおかしくなりそうなイーアンは、呆気に取られ、何なのこいつとうんざりした。用件は言わないし、攻撃したとか嫌なことを言う。『いつだ』と聞いても、黙ったまま。
無駄な沈黙と無駄なやり取りを押し付ける自己中ダルナに、イーアンは首を横に振って『魔物退治しないと』と、背中を向けた。
「倒す気だったのは、これか?」
向けた背に投げられた一言。これ?と肩越し振り返る女龍に、ダルナは大きな爪の先を見せる。爪に引っかかった、一枚の絵。・・・絵? ますます意味が解らない相手。からかわれてむしゃくしゃするイーアンは『急いでいるんですよ!』と怒鳴ったが、相手は何も言わずに絵をもう少し見ろとばかり、爪の先を揺らす。
「なんなんですか!私は魔物を」
昂った大声で突き放そうとしたイーアンは、言いかけてピタッと止まった。絵の中に、絵に。『魔物・・・群れが』驚く呟きに、ダルナは尖った爪に引っ掛けた絵をイーアンの近くへ出した。
よく見ると、真下の風景そのもの。魔物が小山の間に沸き返っていた、あの瞬間・・・・・
「これ、だろう。お前が言っているのは」
「どういう、これはどういうことです」
「倒すなら、ほら。やるから消せ。どうも苛立っているところだったようだし、話も出来そうにないな」
やるから、の言葉と一緒に、爪の先がふっと絵から引き抜かれ、画用紙大の板が放られる。慌てて受け止め、若干抽象的な、だがはっきりと同じ光景の『魔物の群れの絵』を凝視。
どこかで、見たことがあるような・・・ どこで見たんだっけと、特徴的な雰囲気と色使いが気になったが、それよりも『これは何か』が先と意識を戻し、イーアンは相手を見た。相手も可笑しそうに、悩んで考える龍を見つめている。
「これを消すと・・・先ほど下にいた魔物が消える、と言っていますか」
「他にどう捉える?龍をからかうために、そんな絵を用意して遊んでいると思うか?」
「いえ。その。意味が。消したら、貸し借りとかもありそうです」
話しを変えたが、胡散臭い相手にイーアンは『貸し借り目的では』と続けてしまう。でもダルナは悪く解釈しておらず、瞬きをして『ある』と答えた。キッと向けられた鳶色の瞳を見据え、『あるな』ともう一度繰り返す。
「急に渡されたものをダシに、こちらが知らずの内に貸し借り。私が言うことを訊くとでも」
「卑怯だったか?」
「あなたは、そう思えないのですね?」
「俺も龍に、同じことをされたから」
黙るイーアン。この話だ・・・と溜息を落とす。始祖の龍に恨みを持つ彼らは、始祖の龍と私の区別がついていないダルナも多い。知らせる術がないから当然だが、うっかりしていた。
このダルナも怨恨持ち。理解すれば、この態度も無理ないと、イーアンは顔を上げ『何の貸し借りでした?』と聞いた。まずは、相手が取り上げられたままと思い込んでいるものを、解決できるなら。
やけにあっさりと対応を変えた龍に、ダルナは少し考えてから『ずいぶん経ったからな。覚えていないのか』と呟き、イーアンに教える。
「『嘘ではない』と言われた捨て台詞を、俺が忘れることは決してないが、あれを騙すと言わないなら、貸し借りは騙す内に入る」
この出だしで少し不安そうに見上げた小さな龍の女に、ダルナは説教するように淡々と話した。
内容を聞いたイーアンは、瞼に指を当てて大きく溜息を吐く。理由はあるだろうが何でそんなことを、と過去を責めたくなる。そして、ダルナに例外がいるのも知った。一呼吸置き、返事を待つ相手に、イーアンは何度か頷いて、気持ちを引き締める。
「あなたは、では。今、私に何を求めているのですか」
「子がどこにいるか知りたい」
「私には分からないです。魔物退治一回分に見合うかどうかではなく」
「何回分だ」
「・・・何回分とか、そうした話ではありません。ダルナはもう、全頭解放されたと聞きました。子供さんも、この空のどこかにいるでしょう」
言い難いが、イーアンは『いない可能性』は言わなかった。消されている場合もあるとは・・・・・
「この空のどこか、か。もしくは地に落ちた、か。どこにいようが、知りたい。だがそれには俺だけでは無理だ」
ダルナはイーアンの言葉に続けたが、不穏な響きを含む。『地に落ちた』意味で引っかかった女龍は、ふっと顔を向け、ダルナがもう少し説明を添えた。
「何者かによって倒されていることもある。それでも、だ」
「他のダルナで『探す能力』を持つ者がいたら、彼らを頼っ・・・あ!」
思いついたことを迂闊に口走ったイーアンは、言いかけて慌てて口を閉じる。睨むダルナに『ごめんなさい。うっかり』と謝った。しかしダルナは大きく息を吐いて『龍が、他のダルナに頼ることも出来る。俺のことを言わず』と、否定はせず、そうした方法も使えるなら使っていい、と認める。
「俺は。大っぴらに飛ぶわけにもいかない。探すにしても、他の連中に見つかったら一触即発もあり得る。噂で聞いているやつがいれば」
「はい・・・ ただ、私は探す時間が。今日から、地上に恐ろしい状況が始まりましたから」
「倒すだけなら、手も貸せる。貸し借りの一端で」
「あなたの名を知らないので、あなたとしか呼べませんが。私があなたと一緒に動くことは、難しいです。私の友達にもダルナはいます。私が彼らにお願いする時はしょっちゅうだし、彼らは数日と置かずに、私と会います」
「都合は任せる。イーアンが探す時、手数が足りないなら、『貸し借りの一端』があることを思い出せ。その時は、イーアン単独で」
返事にまごつく女龍を、少し見つめた後、真鍮色のダルナは『ここに待て』と言い残して急に消えた。あ、と驚いたものの、もういないので、イーアンは戸惑う。
「待て、って。私、退治にいかないといけないのに。それに返事を求められても」
引っ切り無しで面倒が続く。いや、本音で言えば面倒だけれど、このダルナの場合は何と言っていいか。同情を通り越して、自分が謝りたくなった。
一人残されたイーアンは、片手に『絵』を持ち、増える魔物の気配や振動にそわそわしながら、その場で待つ。待っている間、彼の打ち明け話を考えては、ありえない、と頭を振った。
―――あのダルナは、子供と一緒に来た。
ダルナは雌雄の別がない。イヌァエル・テレンの龍族のように、男の姿で子を持つ。子は、魔力と自然の産物から生まれる。育てなくても勝手に育つようだが、あのダルナは子の成長を守っていた。
そして、異界の精霊たちが、一斉にこの世界に連れて来られた日。世界に入った時にはもう、子と離れていた。
ダルナは、子を探そうとした。何が起こったかも知らず、子も側にいない別の環境で、放り込まれた現象。子はどこかと気が急いて飛び立ち、そして何かの攻撃を食らう。
だがその攻撃はダルナに当たらず、一頭の大きな龍が盾になっており、龍に礼をいうと『貸しだ』と言われた。
ダルナは突如、貸し借りを作られ、借りとして『ダルナの絵を描くように』と命じられた。このダルナが『絵を描く魔法』と知っている様子に、奇妙な相手と勘繰るも、ダルナは石に一つ描いた。描き上がったら、絵は彫り版を当てたように数が増え、あっという間にどこかへ飛んで行った。
これが借りを返すことになるのかと不審ではあったが、求められるままにダルナの絵を何度か描いた。
数回、同じようなダルナの絵を石に描いた後、自分は子を探したいと、龍に話した。すると龍は『子はお前の隣に』と答えた。隣になどいないのに、何を言っているのかと聞き返すと、龍はその場を浮いて離れ、ダルナは遺跡に閉ざされた。
この時、『お前の力はそのままに』と龍の声を聞いたが、既に壁に体が埋もれて動かず、ダルナが吼えようにも姿は絵に変わっていた。
『嘘はついていない』最後に聞こえた龍の言葉。それが、自分の隣に子がいるのだと信じるしかない、長い歳月の始まりだった―――
「でも。狼男が来て解放された時。彼の隣には子供の絵はなかった。遺跡は一つだったし、隣の意味が全く見えず、ダルナは嘘を吐かれたと恨んだ。
そして、描かされた絵は、自分さえ閉じ込めた絵であり、同胞も自分の絵によって封じられたと後で知った。
なんて辛いだろう。もし誰かが、彼の行動を知っていて、彼が龍に加担したと捉えたら、彼を『裏切った者』と思うでしょう。
・・・彼の姿がドラゴンに似ているのは、似ているのではなくて、彼だけは『解除』がないからだった」
これが、辛くなくて何だろう。胸を押さえて『なぜ、そんな』と理解に苦しむイーアンは、始祖の龍が何を考えて動いていたかを知りたいと切実に思う。あのダルナは、イーアンを始祖の龍だと思い込んでいて、イーアンはまだそこに触れていない。違う、と言おうとしては、タイミングを逃していた。
そして、真鍮色が再び朝日に照らされる。不意に現れた眩しさで片眼を閉じたイーアンの前に、ダルナの大きな手が伸び、何かと顔を上げたそこに、重なる板を見た。
「これは・・・・・ 」
「この辺の魔物だ」
真鍮色のダルナは、見渡せる一帯で他の種族もダルナもいない状況を確認した上で、『手に入れられる』魔物は全て絵にして持ち戻った。
「消せばいなくなる。隠し材料でもなければ」
「隠し材料が残っているかは、確認に行きます」
「そうしろ。俺を呼ぶ時は、鱗をこすれ」
そう言って、ダルナは体の側面に並ぶモザイクのような鱗を一枚剥がし、イーアンに渡した。頷いたイーアンは、手渡された絵に礼を言い、その場で消滅させた。龍の首に変わるのは遠慮して、龍の爪を出し、絵を貫き塵にした。
別れ際『西南の方向にダルナが群れで飛んでいる』と思い出した情報を伝えた。するとダルナは、知っているようにその方向を見て、翼の先で空を差す。
「ダルナの群れか。他のダルナを倒すために、動いているな。忠告を受け取る」
「そんなつもりでは」
イーアンの言葉が終わる前で、ダルナはスーッと掻き消える。彼の伝えた言葉に、イーアンは西南へ向かう。
他のダルナを倒すための、群れへ―――
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