2321. オリチェルザムと三ヵ国目・『呼び声』舟唄・白い遺跡の使い道
嵐の荒れる海域の孤島から、少しずつ石の板が空中に現れる。それは荒ぶる嵐を抜け、風に動かされることなく向かい合う城へ届く。
魔物の王は石の上を滑るように進み、石造りの堅固な城へ入り込み、誰一人近づけない王の間に佇む、死体のような老王の座る椅子へ寄った。その頭上に、赤く光る玉が目的。
赤い石玉の中で、ひらひら舞う紙切れのような光景では、何が起きたか掴めない・・・・・
『毎度毎度・・・意味の分からないのが増える。今、何をしたのか。サブパメントゥを操ったような』
雑音状の割れ声が呟く。黒い偽龍、初期サブパメントゥ一匹、混成魔物の群れ。
黒い偽龍は見ていただけで、サブパメントゥは姿を出し、光の矢で射られて死んだ。魔物も間を置かず、その場に出たのは消滅した様子。
劣化で石造りに隙間が出始めた城の壁は、城の外のささやかな光を通し、玉座に座ったまま動かないヨライデ王の、屍に似た姿の輪郭を曖昧に浮き立たせる。廃人となって、命だけが残った体を、本人が動かす日は来ない。
長く閉じたことのない半開きの唇も乾き引き攣り、ごくたまに瞬きをする目は、眼球に膜が皺を寄せて張り、何も映っていなかった。
この白髪の頭に置かれた魔物の王の手が、廃人の頭を椅子の肘掛けのようにトントン叩いて、さて、と石の玉の中身を考える。
禍々しい腕は、廃人が凭れる玉座の背に伸び、玉座の後ろにぼんやり光る赤い玉の前で浮く。指先が触れるような仕草をすると、玉の中が揺らいで別の光景を連れてきた。
『こっちにするか』
異界の精霊で時間を食うのは割に合わない。
センダラも最近、女龍と妖精仲間に接触が目立つ。二度目の妖精の再現に似た、このセンダラは面倒臭い。
だが面倒が増えた一方、『ホーミット』と『バニザット』は姿は出てこなくなった。序に、もう一人の『大地の魔法使いバニザット(※魔導士)』も。
テイワグナでは二人だった『大地の魔法使い』が、今は二人とも不在・・・・・ そしてコルステインも、以前は頻繁だった接触が、半分以下に減った状況と言っていい。
旅の仲間がまとまることで手こずる場面が多かったが、この国では分散した動きに変わった。
『精霊が―― いない。旅の仲間は、龍と妖精、勇者。正邪眼の剣も留守がちだな』
オリチェルザムが『こっち』と呼んだ方法。
魔物の門封じを揺り起こす、テイワグナで都合よく生じたあれを早める。
――アイエラダハッドは北で門を開けたが、方角が知られていた最初だけに、かなりの門が旅の仲間に壊された。
残った場所から地を伝い進めて来たが、出現頻度の上がった初期サブパメントゥの誘因に乗じ、数の制限がある魔物は、古来から棲みつく土地の邪と混じる機会をそこかしこで得た。
今回は、この世界以外から『魔性』を連れて来ることは出来ないが。
土地の邪に混ざる増殖、偶発ではなく、誘発のサブパメントゥによる引き合わせが、好都合となった今、これに勢力を付けてやろうと、魔物の王は、過去に封じられた魔物の門を、旅の仲間の手によって開けざるを得ない状況へ進めることにした。
『今がいい。今が、良い時間だろう』
南下した魔物は集中的に、門封じの地帯から発生させる。
辺り一帯破壊する龍や妖精、大型の力で一掃する輩には『見物な事態』になるかもしれない。もしかすれば、決戦前に一人二人は動けなくすることも、無いとは言えない。
赤い石の玉の内側。風に飛ばされた紙切れのような光景が舞うのを、赤い虚ろな光は見つめて命じる。
『溢れ返れ。宙は身代わり、土の下を進め。種を同胞に、濁りを幻へ撒け。通路へ集れ。女龍を欺け。妖精を翻弄し、人間を盾に取れ』
オリチェルザムが命じる、残り半分を切った魔物の動き。骨じみた指が玉の上を一周し、玉の中に舞う紙切れは赤黒い炎に焼けた。
用が済み、魔物の王は孤島へ戻る。決戦までの時間を逆算し、丁度いい・・・と余裕気に嗤って。
*****
この夜は珍しく、凍る空気も遠い。温い風が地表を舐めて吹き抜ける。
中南部は山脈西側。人里からほどなく離れた、ある小さな川に、一艘の奇妙な舟が緩い速度で進んでいた。
小舟の幅がやっとの、細い細い川。両脇は背の高い草が束になって倒れ、川自体が影になって見えないが、その黒い影になった水は波紋を連れて、小舟を流す。
小舟に仰向けに横になっている人影は、組んだ両手指を腹の上に乗せ、舳先に両足をかけていた。腰の下に太い綱でもありそうな様子だが、これはこの者の尾が巻かれている。
小舟からはみ出る体躯の者は、星のない夜空を、それと同じくらい濃い紺色の目で見つめ、囁くように歌い出した。
ミット スロットゥエ サーブパメン
ウォルテミネグ ウンドゥ サーブパメン
ミンヴァィエド イーニガ ブロニエ
ディーブリェネン マーニュレネン ソンヘッケルウンドゥ ジョディグ
ドラギソン スティージャール ヒムネ ラオスルッキ シェルネットバ
ドラギナネグ デンスコール メッガ ベクトゥ
テレンイルーニァ ・・・・・
その言葉を理解できる人間はいない。理解できる龍も、精霊も、妖精もいない。同じサブパメントゥでも、コルステインたちも知らない。
不均一な音の声で歌う。静かで、話しかけるように。冷たい両眼は大気を挟んで向かい合う空を見据えたまま、小舟に寝そべった男は、同じ内容を―― 空を呪う歌を ――ただただ繰り返した。
そうしてどれくらい経ったか。夜の色が変わり始める前に、男は体を起こすと、狭い川に舟を残して川縁に移った。長い爬虫類の尾がゆらりと出て、小舟の底にあった死体が潰れていた。
歌いながら、男は草を踏みしめて歩く。歩くことが久しいように、一歩ずつゆっくりと。味わうように、足を進め、川沿いの町の端に立ち止まった。
男の紺色の目が、町の古い壁に凭れ掛かる大石に向く。町の守りとして昔からある、奇妙な白と黒と赤の絵模様。
「何だったかな、名前は・・・ ラファル、だったか。ラファル、お前がいなくても、まぁ、どうにかしよう」
俺一人だと手数が足りないんだ・・・迎えに行かないと出てこないか。
独り呟きながら、だるそうに溜息を吐いたすぐ、黒い煙が体から噴き出し、鎧じみた体をもうもうと包む。
黒い煙は、蛇のように幾重にも分かれてうねり伸び、絵模様の大石に吸い込まれ、そして町の塀の内側、バッと弾ける音と共に、井戸の屋根を吹き飛ばし、水柱が突き上げた。
紺色の目は、高く上がった噴水を眺める。
少し遅れて、人々の騒ぎだす声が聞こえ、間もなく魔物の吼える声と破壊音、火の手がそこかしこで暗い空を照らし、町は燃える。町を逃げ出てくる馬車が、数台続いたその後ろ・・・大槍を携えた、魔物とは異なる影が、赤黒い炎に一瞬姿を見せ、また紛れていなくなった。
「開けてやる。魔物を誘い、人間を片付けろ。家族よ」
『呼び声』もその場から離れる。次の場所へ向かう足は、黒い土溜りに溶けた。
*****
「それじゃ・・・行ってきます」
「心配しなくて大丈夫だよ」
空の境界線まで女龍と来た、銀が混ざる赤銅色の男龍は、不安そうなイーアンを丁寧に落ち着かせた。イーアンは頷いて、イヌァエル・テレンを離れる。彼女が、中間の地の空へ抜けたところで、タムズも戻る。
暫く一人で考えながら飛んでいると、向こうからニヌルタが来て合流。
彼もイーアンの話を聞いた男龍で、二人はイーアンの頼みを聞きながら提案をし、彼女にも了承させ、ニヌルタはビルガメスに伝えに行き、タムズはイーアンを送ったのが先ほど。
「ビルガメスが、朝になったら話があると」
「順番か?」
ニヌルタが受け取った伝言に、タムズは『中間の地へ行く順番を決めるのか』と訊き、白赤の男龍は『そんな所だ』と軽く答えて、ちらっと違う方を見た。
「夜明けに始まるそうだが、とっくに面倒の蓋は開けられていそうだよな」
ニヌルタの視線は、中間の地の方向。それはタムズも言わなかったが感じていた。夜より前に準備は完了して、夜中には徐々に動き出していただろう、そのこと。
イーアンは夕方から夜の最初までは、ドルドレンたちと一緒に行動していたらしく、夜半は『イーアンの城』にいたと話していた。彼女はその後、すぐにイヌァエル・テレンへ来たから・・・
「戻ったら、慌てそうだな」
「もう慌てていたよ」
何かあったのか?と訊ねるニヌルタに、タムズは送った時に、彼女に仲間から連絡が来て、応援を頼まれていたと教える。
「じゃ、今頃。早速動いているか」
「だと思う。彼女に連絡をしたのはドルドレンだが、イーアンへ応援を頼んだのは『妖精』だとか・・・フォラヴではない方の」
タムズも、もう一人の妖精について知らないので、紹介はその程度。無論、ニヌルタも興味がないので『そうか』と返したが、少し黙った後、タムズに『その妖精がもしかすると』と、この前の龍気の変換話に繋げる。
先ほどイーアンが来た時、『お前は最近、変わった力の使い方をしていないか?』と聞いたニヌルタに、イーアンは少し考えてから『あれのことかな』と説明した。
『始祖の龍と似た技』で、タムズの『物質置換』の変化型を、大きな龍気によってこなした。その時、一人ではなく、『妖精のセンダラと協力した』とイーアンは話した。
「妖精が気になる?」
ニヌルタが反応しているので、タムズはちょっと訊いてみる。ニヌルタは、細かいことに気を囚われない性格なのに。
「そうじゃない。イーアンに龍気の使い方を広げさせている。悪くならないなら良いが、イーアンは割と従うところがあるし、変に焚き付けられてはイーアンに迷惑だ」
「君でもそんな風に、イーアンを心配するんだね」
「ついこの間、ダルナで散々だっただろう。イーアンは俺たちに従わないのに、他所のやつの声には耳を貸す」
男龍二人は、『イーアンは耳を傾ける相手を間違える』と笑った。そして、本題。
「ガドゥグ・ィッダンだがな。サブパメントゥの掃除に使うなんて、俺も気乗りはしない。ただまぁ、イーアンのためでもあるし、二ヵ所ずつ抑えて、同時が良いと思う。人間が少々減るのは諦めてもらうしかない」
「そこまで私は話してないけれど。君はそのつもりだったよね。イーアンは、そう解釈していないかもしれない。『一ヶ所ずつ』私たちが対処すると思っていそうだ」
「『そう解釈』していたら、真っ向から反対する。疑わし気に頷いた、あの顔を思い出すとちょっと胸が痛むな」
「ちょっとで済むのかね」
「お前も言わなかっただろう」
ガドゥグ・ィッダン分裂遺跡が発動したら――― ニヌルタは、『残党サブパメントゥの動きも顕著』とイーアンに聞いて、思いついた。
空に帰す際、膨大な龍気を使う作業に、サブパメントゥも引っ掛けて潰す。どれほどいるか知らないが、ガドゥグ・ィッダン分裂遺跡の多くは、地下や海底に在る。
身の程知らずな輩は、わざわざ表(※地上)にうろついているそうだから、龍気で引きずり込む際、二ヵ所発動まで抑えて、二つを同時に対処すれば、龍気の影響力は強大。地下の国に逃げ込んでいない輩は、完璧に消滅。
「コルステインたちには、話しておくように言った。『二ヵ所で挟み込む』と言わなくても、一ヶ所でさえ、あれらには恐怖な相手。警戒はする」
飄々としたニヌルタに、タムズは小さく頷いて『人間は警戒する暇もないね』とささやかな皮肉を呟いた。
「龍気で倒れるわけじゃない。二ヵ所目が発動するのを待つまでの間、最初に発動した付近で、魔物の門が開く可能性。それで人間が減る、その程度の話だ」
「イーアンが知ったら怒るよ」
タムズの不審気な目つきに、ニヌルタは上手く言っといてくれ、と笑って押し付ける。『サブパメントゥが減る方が、イーアンたちには良いだろ』俺たちに相談するとこうなる・・・ 白赤の男龍はそこまで話すと、また後でと挨拶して自分の家の方へ飛び、タムズも自宅へ向かう。
「私に押し付けて。イーアンが怒ると、自分でも分かっているのにニヌルタときたら、あれだ。ビルガメスも二つ返事だったようだし、全ては中間の地で頑張る女龍のため、ということか」
愛情の向けた方が大雑把だと思うタムズは、イーアンが気にする内容を伝える際、どう言葉を選ぶか考えながら家に入った。
空はもうじき、明るさを帯びる頃。
お読み頂き有難うございます。




