232. 帰宅
イーアンが笛を吹いて、いつもと違うのは龍が来るのが遅かったことだった。
笛の音が鳴り響いた後、待つこと2分。
もう一回吹こうかとイーアンが笛を口にした時。白く雲を掛けたような森の上部に、ひゅっと青い姿が飛び出し、すぐイーアンの前にやって来た。
ドルドレンがイーアンを抱えたままウィアドを下り、龍の前に立つ。龍は大きな頭を斜めに向け、首を傾げているように、何度も頭の向きを変えてイーアンを見ている。
イーアンは龍の鼻先に手を伸ばす。背中の痛みでちょっと腕が引っ込められたが、ゆっくり手を伸ばして硬い冷たい鼻を撫でる。
「お前。あれらを倒してくれたのね」
龍はイーアンを見つめながら、触れられている手の温もりを大人しく感じているようだった。『ありがとう』イーアンが囁くようにお礼を言うと、龍は目を閉じて、イーアンの横に体を寄せて座った。
「乗れないの。痛いから」
ごめんねと謝るイーアン。龍は尻尾をばたばた振って不機嫌そうな態度に変わる。ドルドレンは、言って通じる相手なんだろうが、と思いつつ、分かりやすく伝える。『イーアンは背中を打った。乗せても落ちる』落ちやしないかもしれないが、痛いだろうと思う。
ドルドレンの言葉に、龍は瞼を半分くらい閉じて睨んでいる。なぜ睨む・・・本当なのに。困るドルドレン。
「頑張ってくれたの。ありがとうね。だけど背中が痛いと座れないのよ」
治ったら乗りますから、とイーアンが宥めると、龍は不服そうに首を上げ下げしながら立ち上がり、そのまま空へ歩いて行った。
「機嫌が悪そうだが、根に持つ性格ではなさそうだから大丈夫だろう」
ドルドレンは苦笑いして、イーアンを抱えたまま、再びウィアドに飛び乗った。『さて』目の前の森をどうしようか、とステファニク以下・各隊長を集めて総長は話し合う。
結論から言うと、どうにもならない。
「あの範囲は手に負えないです」 「凍ってるのかな」 「冬の氷の張り方と違うな」 「煙かと思ったが」 「どの道、人の手でどうにかなるものではない」
魔物は死んだだろうなと、ティモが森を見つめる。あれだけ怒った龍が生かしておくとは思えない。満場一致で帰路に着くことにした。時刻にして10時を回った所。年末大仕事は本当に大仕事だった。
ただ、大仕事の割には自分たちは疲れていないという、何とも変な大仕事だった。大見物とでも言うべきか。ベルゾが若干怪我をしたが、ベルゾも外傷はなく、打ち身だけ。イーアンも再び打ち身三昧。負傷者の枠には入らない、とベルゾもイーアンも言い張るので、今回負傷者0とする。
とりあえず。魔物は完膚なきまでに退治した(←龍が)という感じ(※森危険すぎて確認に行けない)で、確認は年始明けと決まった。
一旦南西支部に戻ろうかとなった時、ギアッチ達はこのまま北西に戻ることを提案する。
「私たちはここらでお暇しましょう。支部まで7時間くらい掛かりますから」
そうか、それもそうだ、と北西陣とその場でお別れすることになる南西支部。話は楽しかったし、面白いことも聞けたから・・・また来てよとギアッチは肩を叩かれて別れを惜しまれた。
「武器や防具の話。良い進展をお祈りしています」
統括が総長に言う。他の隊長たちもお礼と楽しさを告げ、近いうちにまた、と挨拶を交わした。招かれたことを感謝した総長は『なかなか良い時間だった』と満足そうに感想を述べた。
ティモはザッカリアに『またおいでよ』と頭を撫でてお別れする。ギアッチがお礼を言うと、ザッカリアも『面白かった、美味しかった』嬉しそうにティモに言う。来年もよろしくね、とギアッチと握手するティモ。
ハルテッドの側には、なぜかレッテが来て『大変、お強い姿に胸を打たれた』そんな具合の胸の内をつらつら述べ、目を閉じてウットリ新しい気持ちを打ち明け続けた。目を開けるとハルテッドはおらず、馬に跨ってイーアンを心配していた。
トゥートリクスは、兄の打ち身が心配で付き添いたい・・・と総長にお願いする。ベルゾは、大したことないと弟に微笑んだ。年末だしね、と思ったドルドレンは、ウィスに『年始7日以内に戻れば良い』それを告げて、自由にさせた。
学習組の話については、今回は魔物の動きが読めなかったから、また今度として終わる。魔物と龍の対決になると、自分たちは何も出来ないことだけは身を持って知った。
南西の支部の騎士たちに見送られながら、北西支部の一行は帰り道に入る。
馬車に積んできた、南西支部のご馳走の余りやら何やらで、馬上昼食ものんびり過ぎる。
しかしイーアンを抱えながらなので、ドルドレンは自分も食事できない。それでは気の毒ですからと、イーアンは馬車へ移ると言い、仕方なしイーアンを馬車へ乗せた。
ザッカリアとギアッチは御者台なので、荷台はイーアンだけ。ハルテッドが知らない間に入り込んでいて、それに気がついたドルドレンが馬車の荷台を見ると、ハルテッドが食べさせる直前だった。
怒鳴り散らして間男を追い払い、馬車に飛び乗ってイーアンの安否を確認する。『悲鳴を上げなさい』口酸っぱく言い聞かせるドルドレン。
「食べさせると言うので、千切ってもらって受け取る、とお願いしました」
だから直接口に運ぶことはないと思いましたから、とイーアンは言う。ドルドレンはイーアンの頬にキスをして『油断のならない相手なんだよ』だからもっと警戒するようにっ・・・厳しく甘めに言い聞かせる。
そこで。自分が食べさせようと妙案を思いつく。即、実行だ。
イーアンは恥ずかしそうにして、『そんなにしなくても自分で』と言い続けていた。
でも顔は嬉しそうな愛妻(※未婚)に、ドルドレンはせっせと餌付けのように与え続ける。『ペースが速い』途中から注意を何度も受けるが、食べさせると可愛い・・・それを知って止まらなくなる旦那(※未婚)。
そのうち『もういいですから』と拒否された。げふっと息をつく愛妻。少々無理に食べさせたことにようやく気がついたが、とても新鮮で楽しい体験をしたドルドレンは、意気揚々とウィアドに戻った。
何のかんの言いながら。昼が過ぎ、おしゃべりを通して、のんびりと午後は過ぎる。気がつけば夕方の日が空にかかる頃。少し寒い風が吹いてきた辺りで、北西支部の明かりが見えてきた。
「長かったな」
ドルドレンは一言呟く。ウィアドが少し鼻を鳴らして答えた。久しぶりに、遠征以外で支部を離れた気がしたドルドレンだった。後ろでザッカリアが『もう帰ってきちゃった』とつまらなさそうに言うのが聞こえた。馬車の中を覗くと、イーアンは青い布に包まって眠っていた。
ドルドレンがイーアンを見て微笑んでいると、ハルテッドが馬を寄せて『可愛い顔してるよな。44だって言うけどさ』とんでもないことを語るので、睨んで追い払う。
イーアンは違う人種だから、歳を取ってるとしても、普段はあんまり気にならないのだ。ドルドレンはイーアンの年齢なんか気にしたことはなかった。イーアンが例え来年から老け込んでしまっても、自分はイーアンの魅力をよく知っているから、何にも気にしないことをドルドレンはよく分かっている。
彼女の表現や笑顔や、言葉や雰囲気は、表側の肉体を超える。それが彼女の大きな魅力だとドルドレンは知っていた。
北西の支部に到着すると、門番が『やぁ早かったですね!』とギアッチやハルテッドに声をかけた。総長には『イーアンは?』と訊ねる。俺はどうなの、とドルドレンは思う。だがイーアンがいつも一緒と知っての発言だろうからと、荷台で眠っていることを伝えた。
「ああ。イーアンは出向でも頑張って。今夜に向けて休んでおくのは正解です」
同情なのか労わりなのか。門番の騎士にそう言われて総長は頷くに留めた。。
馬車を厩に入れる際にイーアンを抱えて下ろし、彼女の荷物一式をハルテッドに持たせて部屋へ向かった。
ベッドに寝かせてから、ドルドレンが鎧を外しに下へ降りようとすると、ハルテッドがベッドのイーアンに屈みこんでいたので引きずり出した。ぎゃあぎゃあ言うハルテッドを廊下に連れ出し、丁寧にがっちり扉の鍵を掛ける。
鎧を外してから、今日の料理をとりあえず確認に厨房へ行くドルドレン。案の定ヘイズが料理を作っている。
「お帰りなさい。良かったですよ、今日は彼女が大好きだと思うものを沢山作っています」
だって年末祝いですからね・・・・・ 純粋に料理の腕を振るい、お客様を満足させたい料理人に成り切っているヘイズに、ドルドレンは何も言えないまま『そうか』と呟いた。
――ある程度の覚悟は決めないといかんな。イーアンと昨日話し合ったばかりだが、ヘイズの料理で溶け始めたのだ。腕を振るわれては、勝ち目がないと思ったほう良い。どうにかイーアンを囲うしか方法はなさそうだな――
年末も年始も、騎士たちの生きていることを喜ぶ大切な行事で。だから総長は決して席を外すことが出来ない。この二日間は例外なく、会のお開きまでは一緒にいないといけない日。
イーアンを連れ去ることが出来ない以上。そしてヘイズが料理人魂をこめる以上。もうこちらの度量が試される。ドルドレンはとにかく徹底しようと決意を固めた。
風呂場へ向かい、ザッカリアが爺と入ると知って、次に風呂へ入れねばと部屋へ戻るドルドレン。鍵を開けるとイーアンはまだ眠っていた。
眠るイーアンのベッドに腰掛けて、髪を撫でる。
くるくるした黒い螺旋の髪の毛が揺れる。最初にあった日から、この髪の毛が印象的で好きだったのを思い出す。頬に触れたのは、つい。つい、だった。支部に初めて来て、空き部屋で着替えさせた、胸に絵があると知ったあの時。肩に乗せた手が、思わずそのまま彼女の頬に動いていた。
「俺はずっと、君を待っていたのかもしれない」
そっと頬にキスをして、イーアンを見つめるドルドレン。
このまま風呂に入れちゃおうかな、と過ぎった時。イーアンの目が覚めた。
「あら。お風呂?」
なぜ馬車の荷台から風呂に意識が飛ぶのか。眠った時は馬車だったのに、と思うドルドレンだったが、目覚めてニコリと笑ったイーアンに嬉しくて。愛妻を抱き寄せて『そうだ』と微笑んだ。
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