2316. 書庫、始祖の龍情報・赤い泉から愛を・『呼び声』恨みと、獅子の親の記憶
湖に入り、水中のアーチ、白いトンネルを抜け、イーアンは異次元の山岳地に足を踏み入れる。私の城・・・小さな円筒型の御堂の階段を降りる。イーアンがここを頼るのは、この短期間で度々あった。
いつも来るたびに感じるのは、以前の世界の空気に似ている、その印象。
だからどう、とはならないが、ここは少し重なっているのかなと思う。伽藍洞のダンスホールみたいな広さの部屋を通過すると、書庫がある。
美しい古美の趣をふんだんに漂わせる、大きな図書館、もしくは本屋のような風景を少し歩き、女龍は始祖の龍の書が置かれる棚の高さに、翼二枚を出して浮かぶ。
どう、探せばいいか・・・白い遺跡の名前でもあればいいのだけれど。
悩んでいる時間はないので、とりあえず、イヌァエル・テレンの上にある始祖の龍の部屋と、地上の白い遺跡の共通点を思い、勝手に関連付けてみる。イーアンは言葉を厳選して、呟いた。
「イヌァエル・テレンの神殿遺跡そっくりな、中間の地の遺跡」
呟いた声を追いかける光と風が、グワッと正面から放たれる。ビックリして目を閉じたイーアンが、『通じた』と手応えを感じ、ゆっくり目を開けると、目の前の棚に数冊おきで光を伴う本がある。
この本のどこかのページに、中間の地の遺跡のことが書いてあるのか・・・始祖の龍の文字は、そのままでは読めないが、ダルナの時と同様で魔法を併せると読める(※2137話参照)。
心の中で先に謝る。始祖の龍、申し訳ありませんが、あなたの記憶を頼ります―――
人の記憶を探るなんて嫌だが、イーアンは情報が欲しい。アイエラダハッドの昔の呼び名、イヒレシャッダと呼んだそうだが、更に条件を絞り『アイエラダハッドにある、その遺跡の場所と状態』を声にしたところ、輝く本の数はめっきり減る。
・・・たった2冊? そのうち一冊は、見下ろす位置。よく見ると、下段のイーアン専用棚だった。これは私が気にしたからか。本というより、ノートの薄さなので、気にし出した時からの記憶分かもしれない。
つまり、と顔を上げたイーアンは、始祖の龍の棚にあるうち、アイエラダハッドの白い遺跡は、この一冊にのみ情報があることを理解する。
探す量が一気に減った安堵。時間をかけずに済むことに感謝し、イーアンは輝く本の背表紙に指をかけて引っ張り出した。
*****
すり鉢の盆地の夜。木もなく凍り付く地面を埋める黒い石が、夜を一層暗くする、その中心。何の光も撥ね返さない、黒い泉が佇む。
泉の下・・・中には、不透明で真っ赤な床。血だまりの床は鏡面。群青の僧服に包まれた青鈍色の者が、その上に立って体を屈め、赤い艶に顔を映し可笑しそうに鼻で笑った。
「よく似てる。俺と、お前」
映る自分に言うわけでもなく、自分の顔を用意した相手に独り言。だるそうな動きで片腕が上がり、何かを放り投げる。それは幾つかの目玉で、ぼちょんと鈍い音を立て、血だまりの床に沈む。
「せいぜい、増えてやれ」
頭を振ってフードを背中に落とし、角の生えた頭は天井を見上げる。天井は、黒い泉の水面。あの日、男連れで来た女龍は、今頃どうしているのやら。精霊の祭殿にいた時点で、更に余計な力を手に入れたはず。龍のくせに、なんて弱々しい奴だか、と鼻で笑う。
「女龍。お前はどんなに嫌がっても、俺が最後まで離れない以上、苦しむことになるんだよ。魔物退治が丸く収まったってな・・・次の幕で、お前用の証言台と法壇が待ってる。お前の価値?値打ち?居る意味を、暴露されて問われるんだ。
土壇場で、お前は何を言うだろう。あの性格じゃあ、後悔より、やり切ったかどうか、が大事そうだからな。お前が『死にたくなるほど頑張れるように』、お手伝いだ」
俺だって精霊なんだぜ、と首を傾げる。薄ら笑いを浮かべる顔は、イーアンの冷たい表情に似て、暗闇のような目が虚空に続く。
「この手から零れるものは、『俺の愛』とでも言っとくか。いうなれば」
赤い泉を緩慢な歩みで進み、原初の悪は両腕を広げる。広げた腕を、黒くぼこぼこした液体が垂れて伝い、液は血の床に落ちて吸い込まれる。
「数がな・・・魔物じゃ、足りないんだってよ。『勝手に使われて増やされる古代種』からすれば、一緒に倒されて敵扱いなんてとばっちりだと思わないか?
初期サブパメントゥも、こっちを使い放題だ。でもな、俺は寛大。女龍、お前のために、この際だから試練を増やしてやれるってな・・・優しいだろ?」
ぶはっと堪えていた笑いを吹き出し、原初の悪のけたたましい笑い声が、黒い空間に木霊する。均衡のために存在する精霊は、限度も範囲も承知の上。その上限を掠める手前まで、龍を追い込む。
試練だよ、試練。 行為と裏腹の明るい笑いは、どこまでも皮肉に響き渡る。それに応えるかのように、泉を上がった地を古代種が這う。
這う速度は、時に姿が消えるほど。忙しなく縦横無尽に地表を駆けずり回り、原初の悪が許した地へ散らばると、それらは『呼び寄せられる音』に吸い寄せられ、待ち侘びた魔物の影に呑まれ、増え始めた。
*****
遥か昔に・・・倒れたまま。土に馴染んだ柱の上で、紺と白の鎧の体が寝返りを打つ。
実際には寝てもいないし、休むような性質でもないが、爬虫類の尾をだらりと垂れて、この柱の上に体を横にするのは習慣だった。
「聞こえてくる。軋むより早く、砕ける音が」
ぼんやりと呟く唇は、ほとんど動かない。白目のない目は、怨霊の墓場が収まる洞窟の、高く黒い天井を見つめる。
「いい傾向だ。もうじきだな。コルステイン」
独り言を楽しんで、声となった音に浸るように目を閉じ、『呼び声』は思い出す。コルステインの親が、自分の親を生贄にしたことを。自分が創られて、間もない頃に。
「お前の親は・・・腰抜けどころか裏切り者。コルステイン、なぜ解らないんだか。頭が悪いにも程がある・・・・・ あのな。ちょっと前に、お前の仲間に龍の目を持ったサブパメントゥがいる、と噂を聞いた」
瞑った目をそのまま、誰かに話しかけるように『呼び声』は喋り続ける。いや、実際に、その場にいない相手に話しかけている状態。すうっと息を吸い込み、静かに吐いてから、合成の音に似た声がまた話す。
「サブパメントゥのはずが、龍の目を持っている?そいつに、こっちがやられかけたと知った時、俺がどう感じたかお前に分からないだろう。
そいつが実在か、一つ探ってみたら・・・これが笑い話じゃなくて何だか。親(※ヨーマイテス)まで、お前の仲間だ。だが、本当におかしいのは、ここからだ。
またその親は、俺たちの仲間だった。お前らが毛嫌いする、俺たちの志を持っていたサブパメントゥ・・・どう、狂うとこうなるんだ?」
お前は知ってて、一緒にいられるんだろう? 抑揚のない問いかけは途切れる。
静かな呼吸以外が聞こえなくなった、闇の空間。ゆっくりと瞼を持ち上げた『呼び声』の、深い紺色の目が視線を固定する。
天井に映るのは、自分の親とコルステインの親の映像。圧倒的な力の差で括られ、サブパメントゥの外へ連れて行かれた。
光の中に立つことも出来ないサブパメントゥが、中間の地の真昼間、突き刺す太陽の光に焦がされる。外へ出られずに、地下の国でその状況を、思念によって受け取り、聞き続けた他のサブパメントゥの中に、『呼び声』もいた。
「感じ取るだけだった、俺たちの一人に。まさか、お前の仲間の親がいたとはな。だが・・・親は子育てに失敗した、といったところか」
『呼び声』は、ミレイオもヨーマイテスも知らないが、ヨーマイテスの親は知っている。
初代の空へ船で上がったものの、龍に落とされ、勇者を嗾けた続きも失敗した。勇者と共に、閉じる前の空へ上がった、サブパメントゥの一人だった。
「もうじき。もうじき。コルステイン。俺はお前に忠告したのに」
天井の映像は霞に消える。鎧の体を寝かせたまま、倒れた柱の側面に片手を当てた。この柱は、誓いの跡。
紺と白の大男は闇に溶けていなくなる。夜明けまで、あと数時間。
お読み頂き有難うございます。




