2310. 『黒い小箱』と獅子・想定外の未来・魔導士と獅子の情報交換
小さな透明の玉の中――― 青空、白い雲、変わった虹、そしてミレイオとイーアンの姿。
シャンガマックは『ミレイオとイーアンだ』と不思議そうに小さな玉に顔を近づけて覗き込む。固まったように動かない獅子も、静かに二人の人物を認める。
「らしいな」
誰の視点か分からないそこに、空に顔を向けるミレイオと、彼の背中を抱える白い翼の女龍が、すぐ下から見ている角度で映る。獅子は気付く。これが何を意味しているか。
この不思議な玉を食い入るように見ている息子から、そっと箱を引く。目を上げた息子に『変なものだった』と囁いて、蓋を閉じる。
その言い方に、シャンガマックは悲しさを感じ、自分は見ない方が良かったのだろうかと戸惑ったが、獅子は息子の心を読んで『お前は気にしなくていい』と優しく宥めた。
「今は。言えないが」
「いいよ、大丈夫だ。見せてくれて有難う」
微笑んだ息子に片腕を伸ばし、息子が側に寄ると、獅子はしっかりと抱き寄せる。玉の中にミレイオが映っていたことは、何かヨーマイテスに引っかかった・・・それだけは解るシャンガマックに、何を言うことも出来ない。実の息子の危険を知ったような、獅子の沈黙をそんなふうに感じた。
そのまま少し、獅子はシャンガマックを抱えた状態で目を合わせず、じっとして、シャンガマックも獅子の複雑そうな顔を見ないように大人しく抱えられていた。数分経って、肉の焦げ始める臭いが漂い、獅子は気持ちを切り替えて息子から腕を解いた。
「焼けたから、食べろ」
「そうだね」
小箱は閉じられ、獅子の側に置かれたままで、この後の会話は別の話に変わり、食事を終えた二人は、仔牛に入って休む。
どちらも触れない話題が気になり続けるものの―― 遥か昔からのメッセージが、まさかミレイオとイーアンを映すとは。
誰にも言わないよと、眠る前にそっと一言伝えて、シャンガマックは眠った。理解ある息子に感謝しながら、眠った息子を両腕に抱きしめて、獅子も目を閉じた。
―――あれは。 ミレイオが鍵として、イヌァエル・テレンへ上がる日だ。
連れて行くのはイーアン・・・ 止めなければと、獅子は理解した。メーウィックがどこまで知っていたのか、そこに焦点をずらすと実に得体の知れない男に思った。何であれ、彼は、俺への礼として『俺のためになるもの』を届けた。
俺が、生き残るために。
俺に、ミレイオを止めろと。それが、生き残る方法だ。
*****
眠ろうとしても眠れず、獅子は暫くしてから瞼を上げる。狭間空間にはまだ入れない・・・入れたら、置いて来るものを。
手元に置きたいと思えない、黒い小箱。これを持っているだけで、息子バニザットに気遣わせる気がして、それは嫌だった。ミレイオの行く末も、全く気にならないと言えば、嘘になる。自分の宿命をファニバスクワンに変えられた、あの日。自分だけが遁走したような錯覚を受けた。
箱の開け方を知っていたのは、ずっと以前に、魔導士が『空の土』を持ってきた時の箱と、同じものだったから。
しかし、メーウィックが老魔導士に、礼の一件を話はしないと踏んでいるので、単に同じ品物・・・と捉える。魔導士もメーウィックも、どこから持ってくるのやらと思う物を、当たり前のように使っていた。
小さく息を吐いて、腕に抱えた息子を起こさないよう、獅子は大きな頭を少し動かして、小箱を置いた隅を見た。黒い小箱は、もう光ることもなく影に佇む。
―――『空の土』。ミレイオを創った、材料・・・・・
もっと大きな箱だったが、見た目も仕掛けも、この小箱と同様。土の入っていた箱は、魔導士の封じ付で託された。ここにある小箱より守りは堅かっただろうが、それは『俺以外の者が開けようとした場合』の話で、俺が開ける分にはどうってことはなかった。
今回も。獅子の爪が食い込んだ瞬間、鍵は開いた。どこに掛かっていたかも分からないが、鍵をかけた者は俺を指定していた。
「ご丁寧に、獅子の印までつけてな」
魔導士から箱を受け取った時は、直に渡されたのでただの黒い箱だったが、メーウィックは時を超えて誰かに託したため、獅子の絵を焼いて革に付けた。目には、間違いようのない碧の石を埋め込んで。
『空の土』が入っていた箱と。
『ミレイオの未来』を映す玉が入っていた箱。
ミレイオに、教えるべきか。イーアンに伝えるのは違うだろうが、ミレイオは知っておく権利がある。
あの光景が未来なら、俺は確実に・・・あの続き、その後、責任を取るだろう。
ファニバスクワンの褒美(※1547話~参照)、変化の続きであれ何であれ。時が来たら―― 空に手を引っ掛けたこの爪を、世界は問わずに見過ごしはしない。
まして、運ぶ役目がイーアン、女龍と予言されたなら。こんな形で、女龍を動かすことになるとは。
怒りで、地上とサブパメントゥ破壊へ動いた始祖の龍とは、まるで逆の動き―― 女龍の意思で、女龍自ら、ミレイオを禁断の扉へ運び込む道を造った経緯は、確実に『その目的でミレイオを創った』親の俺に降りかかる。
ファニバスクワンと褒美の話をした、あの日。ヨーマイテスの決意で、ミレイオも自由を得た、と言われた。
その自由の矛先は、『空の鍵として宿命どおり、役目を果たし、消滅する未来』を示したのか。
ファニバスクワンは、ヨーマイテスに、サブパメントゥ統一を諦める誓いをさせた。ガドゥグ・ィッダン分裂遺跡にも入らないよう、約束。『空を諦めろ』と。息子の命の時間と引き換え、ヨーマイテスは即答で受け入れたのだ。
だが、この前。あれで終わってはいなかった、と知った―――
精霊の祭殿で受け取った面の一つは、白虹の面。一度だけ、『宿命に対し、持ち主を複製する力』を、ファニバスクワンは俺に与えた(※2216話後半参照)。
意味を、瞬時に察した。俺は、罪を問われる日が来る。
バニザットは生きる時間を新しくしてもらい、ヨーマイテスは自ずと統一を狙う意志を手放した。精霊の祝福は、ヨーマイテスの全身に聖なる模様を授け、親の呪いは終わり、体温を受け取り、男龍ビルガメスの赦しで光の下を歩ける体に変わった。が。
―――それと、『最終に問われる場』は、関係ない。犯した罪は、消えたわけではないのだ。
・・・ファニバスクワンが、これほど個別に関与して守ろうとする理由は疑問だが、とにかくファニバスクワンは、『最後の手段』を用意してくれた。俺がどんな形で残るのかは見えなくても、終了の道を外れる方法ではある。
「まずは。バニザットに話すか」
呟いた声に、息子は目も覚まさず静かな寝息を続ける。隠しているのは良くない。ミレイオのことも気にせず、真向かいから耳を傾けてくれる息子に、余計な心配をさせないように話をしてから。
その時、外に気配を感じ取った。迎えが来たかと思いきや、揺れた気配は―――
「ヨーマイテス。出てこい」
一日前に聞いた嗄れ声が、頭の中に命じた。
*****
仔牛の外には魔導士が立っており、『今度は何だ』と、複雑な心境を押し込んだ獅子が応じると、黒髪をかき上げた魔導士は『鎖のことだ』と用件に入った。
「鎖?渡したやつだけだ」
「本数の話じゃない。使ってどうなるか」
「・・・精霊が許可したんだろ?あの男に使った結果なんか、俺が知ったことじゃ」
「ない、な。だがお前は使用者だ。使用した感想を聞きに来た」
ここで会話は途切れる。獅子は小さな目を向かい合う相手に凝らし、見下ろす長身の魔導士は微動だにせず返事を待っている。これだけ喋れば、充分だろうと・・・旧知の仲を突き付けるような。獅子は目を逸らし、ケッと吐き捨てた。
「知ったことか」
「おい。無視できると思うなよ、俺相手に」
「サブパメントゥの産物に手を出しておいて、感想?知るかよ」
「口の利き方に気を付けろ。至宝の取れたお前より、俺のが上だぜ」
「やれるもんならな」
畳みかける勢いが、ヨーマイテスの唸りで止まる。睨みつける碧の瞳に、魔導士は面倒くさそうに大袈裟な溜息を吐く。
「お前だって、俺の子孫でバカ臭い心配だ何だ、ってあるんだろ?」
その言い方はムカつくが。獅子は唸る声を引っ込め、目を眇めた。『ラファルとやらが、お前の心配か』先ほどまでの不安定な心が揺らいだ獅子は、まず口にしない言葉で返す。こんな言葉に、普段の魔導士なら鼻で笑うだろうに、そうはならず彼は頷く。
「俺もバカ臭い心配に、面倒だ」
「そうか」
「教えろ。あの男に、鎖を付けたら・・・アホで天井知らずの自惚れのキチガイが、あいつを餌にしないかどうか」
「キチガイの餌?まぁ、なるだろうな。『餌』に『新しい餌』が増えるだけだ」
のみ込みの早い獅子は、懸念が伝わる。残党サブパメントゥ・・・そこかと理解し、飾ることも遠回しにすることもせず、単刀直入に合わせてやった。事実、そうなるだろう。
緋色の魔導士の表情は動かないが、漂う空気にピリピリしたものが伝う。獅子は、滅多にない同情・・・少し、気が向いて。
「どんな面倒だ」
そう、聞いた。
この問い。同情と共感から出たものなのに、思いがけない方向を自分に齎すとは思わなかった。魔導士に答え、問い、返答が戻り、そうこうして話が展開していく内、幾つもの状況を獅子は知る。
早い駆け引きのように進んだ会話で、気付けば夜更け。聞きたいことを聞き、伝えてやれそうなことは答えた魔導士。それはお互い様で、獅子も聞くだけ聞いたし、話せる範囲で教えてやったと感じたところで、この時間は終了。
「守れるんだか、守れないんだか」
獅子の遠慮ない一言に、魔導士は首を少し傾げる。『俺の決めたことじゃない』序に、自分が引き受けるとも考えていなかった、押し付けに悩んでいる―― ラファルの存在。
「この世に呼ばれた意味は、意思を持って動く兵器で・・・残党を手助けするようにしか見えない、加担的な立場だ。
精霊が呼びつけただけで、意味を考えるのも無駄だ。いつの時代も、精霊が絡めば深追いは無しだ、そこ止まり。
ラファルが自由に動ける状態は維持されるが、俺が同伴。それでも残党の手出しが増えてきたら、コルステインの守護方法を取り入れて、『自由維持で守りは許す』わけだ」
「まだ死なれちゃ困るって感じだな。死んでるも同然の男でも」
「そのとおりだ。生きていない男に対し、表現は正確じゃないが、『甚振られる前提、目的まで死なせないように保つ』としか思えん。鎖が最新の保護用道具だが、効果のほどがどう影響するかは、精霊に関係ない。彼の管理を任せた俺が、何とかする認識だろう」
「面倒だな」
「面倒だ」
ふーっと息を吐いた魔導士に、じっと碧の瞳を向け『ラファルは、ミレイオと立場が似ている』と獅子は呟いた。
話の中程でミレイオの話題も挟まった―― 黒い小箱の玉とは別の ――ことで、魔導士も獅子の一言に意外さはない。さっきの話になぞらえれば、そうだな、と同意する。
ただ、ヨーマイテスの口からミレイオの名前が出るのは久しぶりで・・・魔導士は、奇妙な感覚を覚え、話を続けたくない気持ちに駆られて、『鎖が単純で何よりだ』とささやかな礼を言い、風に変わった。
「さっさと檻から出ろよ」
「放っとけ」
魔導士の嫌味に獅子がぼやいた時には、既に風は消え、獅子もすぐ仔牛に入った。
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