2307. アイエラダハッド南の治癒場・音のダルナ『イデュ』
※明日16日(月)の投稿をお休みします。疲労の為ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
※明後日17日(火)は、なろうのメンテナンスで朝5時の投稿が出来ないため、メンテナンス終了予定8時30分以降に投稿します。
細い川を挟んだ両岸に、かつての女龍ズィーリーが彫刻された、アイエラダハッド南部山脈の奥。続く先にハイザンジェルを臨む。イーアンとタンクラッドは、キトラの蝶々が導いた治癒場を見下ろす。
「イーアン。降りよう」
「行きなさい。始祖の時代はここを予言され、次の時代は予言の行方が願いとして形に成り、今、三度に渡った女龍が初めて訪れる時が来た」
タンクラッドに続いて、蝶が神妙な古の運びを伝える。イーアンはしんみりと頷き、タンクラッドと一緒に、川の水が半分かかる横穴へ降りた。
水位が低く浅い川は、川縁の形状で反り返って流れる水を返す。そのため、横穴の下半分を水が埋めているように見えるが、近くで見るとそうでもなく、穴は上に向かって傾斜し、水は入り口に流れ込んでは出る具合だった。
この穴・・・川面に触れず浮かびながら覗き込んだイーアンとタンクラッドは、人一人分の穴の傾斜が、山の内側に伸びる様子を想像した。
「ちょっと濡れるけど、入りましょう」
「濡れると冷えそうだ」
龍気があっても、濡れるには濡れる。体温関係ないイーアンと、そうではない親方の『濡れる』気にし具合は異なる。
「南とはいえ、寒いには変わらんな」
「龍気で乾かせます。あんまりびっしょりですと、どうか分かりませんが」
少しは大丈夫ですよと女龍に言われ、苦笑した親方は『アイエラダハッドで濡れるのは命取り』と、上陸した頃を思い出しながら、川に浸る穴を潜った。
背を屈めた姿勢で、長身のタンクラッドは腿から下が水の中。腰から上は濡れないが、じゃぶっと入った足丸ごと、凍る手前の水温に堪える。
イーアンも続いて、翼を窄め・・・と、形だけ。水にかからないよう、本体丸ごとすり抜ける物質置換を使い、入り口びしょ濡れを回避した。
物質置換は龍気を変えて使うものだから、長い時間に対応するものではない。この前のずぶ濡れだった、夜通し雨の状況は、濡れることを選ぶよりないのだが、このくらいの『ちょっとくぐる』数秒は全く問題ない。
暗い穴を照らす龍気が、ふっと一度瞬いたので、タンクラッドが振り向く。目にしたものが信じられず、入り口を潜ったイーアンと目が合ってニコッとされ、親方は固まる。
「す、すり抜けているのか」
「はい。ずっとは出来ないですが」
水に入った半身が、翼や尾の現れる時と同じ透け方で、向こうが見える。水のない高さに出た後、透けていたイーアンの腰から下が、普段の物質的な質感を取り戻した。
魔法か?と怪訝そうな親方に、『これは龍気の使い方です』と往なし、さぁさぁと上へ促す。
背を丸めている二人だが、親方の方が腰に悪そうな角度なので、早く上がってしまおうと急かすとタンクラッドも、そうだった、と先へ進み始めた。
『今のは』と肩越し後ろを見て、聞きたいことが山盛りそうな表情の親方に、『私ではなくて治癒場を』と、意識を戻してもらう女龍。
タンクラッドが見ていないところで、ちょくちょく使う技。話だけは知っていても、間近で見ると衝撃なのだろう。
冷える岩穴を進む間、親方の反応に、イーアンも自分の変化を考える。
出会った時、自分は普通の女性だった。今は姿も能力も、付き合う相手も様変わりして・・・狭く囲う周囲に、視線を走らせる。
普通の人間だったら、ここを一筋縄で上がれない。湿度が薄く凍りつき、階段的な段差もない。歩くなら足を進める幅は非常に狭く、斜線そのもの、通路とは言えない道。紙を丸めた筒の内側、そんなところを急な角度で上へ進む、治癒場。
怪我人が絶対に頼れないでしょ、と思ってしまう。健康な人でも、明かり片手に荷物や装備の重さもある体で、ツルツル滑る傾斜をどこまで上がれるやら。
色々な事情でここなのだろうから、治癒場にケチをつけはしないが・・・そこではなくて。
こんな所にも、入ってすぐに難なく進む自分に、どれほど変化したかと改めて思う。それを言えばタンクラッドも変化というか、手に入れた道具は、旅の間にかなり不思議系が増えているのだけど。
地上に開いた穴を下った治癒場よりも、この治癒場は目的の部屋までかかる。浮かびながら進む二人は、黙って一本道を前へ行くだけだが、随分と距離があるなと途中から感じていた。
それを言おうと、タンクラッドが振り返った時、ちょうど行く手に僅かな光がぼんやりと見え、イーアンが到着を教える。前を見た親方も『おお、やっとか』と安堵した。直線で進んでいたわけではないが、二人は道の角度と傾斜から、多分ここは、山の中腹から少し下では、と見当をつけていた。
「部屋があります。北と同じです」
「アイエラダハッドの治癒場は、俺はここが初めてだ。お前は行ったことがあるだろ?」
狭い通路が急に大きな空洞に繋がり、風船で膨らませたような広い空間に二人は立った。足元も石質が少し変わっている。
「私が行った北部は氷窟でした。精霊と一緒に移動し、民も運んでいたので、落ち着いて調べることはありませんでしたが、ここと同じような印象です(※2139話参照)。ハイザンジェルやテイワグナとも、造りは同じですが、アイエラダハッドの方が大きいような」
少し気温が高くなった空間の一番奥―― 青い光の小部屋 ――へ、二人は歩く。タンクラッドは少し沈黙を挟んで、はっきり言うのをやや躊躇った素振りをしつつ、見上げた女龍に訊ねた。
「一昨日、か。お前やドルドレンが、助けきれなかった者たちだが。治癒場へ連れて行く考えはなかったのか」
「何度か過りはしました。でも、ええ。そう。私も、ドルドレンも、フォラヴも・・・そこに至りませんでしたね」
「責めていない。傷つけたなら悪かった」
声が小さくなって溜息を吐き、目を逸らしたイーアンに、タンクラッドはすぐに謝り、彼らが一様に治癒場を忘れていたかもしれない、と気づいた。
それどころではなかった、と言ったら、これも語弊なのか。
敵の状態と現場の目まぐるしさに翻弄された状況、百戦錬磨の彼らであれ、『倒す』『救う』に絞って集中しただろう。例え、途中で思い出しても、状況に振り回されて焦る、持続しない意識。
こういうこともあるよな、と親方は心にしまう。ドルドレンたちにも言わなかったが、恐らく・・・ミレイオやオーリン、現場に関わらなかった仲間は、自分と同じように『治癒場に連れて行けないのか?』と感じた気がする。
今から、一命を取りとめて傷を負う民を、ここへ連れて来ることも出来なくもないだろうが。
治癒場の存在は、アイエラダハッドでは遠かった。意識的にも。一ヶ所しか知らず、それも精霊の助けがないと運べない。テイワグナの治癒場も、異様な距離と奥まった場所の印象があるが、アイエラダハッドも然りだった。
ずっと以前・・・イーアンが『誰でも使えるわけではないのかも』とハイザンジェルの治癒場、その場所の不思議に呟いた言葉を、今タンクラッドも思い出す。
広いとはいえ、歩いて一分二分程度の空間。いくつもの思いが行き来する重い空気に沈黙したまま、二人は青い光の前に並んだ。
「タンクラッド、入ってみては」
「お前は?」
「私はどこも悪くありません。龍ですから」
「・・・俺も別に、悪くはないぞ」
真面目な顔で譲り合い、二人はお互いを見て、『どこも悪くないけれど、一応入ろう』と決める。タンクラッドが片手を出し、イーアンに手を繋ぐよう、ちょっと揺らした。
「手は繋がなくても」
「何があるか分からん。どこか飛ばされてもな」
ふと、以前ドルドレンと入った時の移動を思い出したイーアンは、親方が何でそんなことを思うのだろう、と少し不思議だったが、はいと了解して親方の手を握る。小さな青い光が揺れる小部屋の手前には、少し変わった形の祭壇があり、コの字型の祭壇の内側は、一段だけ引き出しがついていた。確認は後に回し、二人は一緒に小部屋に足を踏み入れる。
青い光がしゅーっと吹き上がり、イーアンとタンクラッドに星明りのような銀粉が降り注ぐ。それはすぐ煙の微細に変わり、女龍と時の剣を持つ男を包み込んで―――
「繋いでおいて正解だったな」
タンクラッドの呟きに、呆気に取られて眼前を見つめるイーアンも頷いた。
*****
一方、解除後の仲間を待つイングとスヴァドは、イーアンたちが戻るより早く、『待っていた相手』が動き出したことに気付いた。
「スヴァド、俺が迎えに行く。お前はここに」
「俺が行っても良い。イングはここで」
なぜか二人で迎えに行こうとし、互いを見つめるダルナ二頭。『あいつを手懐ける気か?』先に口を開いたのはスヴァドで、イングは長い青紫の首を傾ける。その仕草、お前もそうだろ?と問うよう。
「珍しい力の持ち主だからな。『音』のダルナは、そうそう見かけん」
スヴァドは暁色の顔を空の一方に向ける。もう動きだしている・・・早く導いてやらないと、どこへ行くやらと、イングに言うように呟いた。
イングもそう思う。スヴァドの狙うものと自分の狙うものが、重なっているのも理解するので、仕方なしと迎えに行くのを諦めた。向こうに来てもらうことにする。
「親切な迎えの一手がないのは、あまり良くない」
「お互い様だ」
イングは魔法で呼びかけ、解除の終わったダルナに方向を示す。自分たちがいる方へ誘導すると、伝った魔法に返事が戻り、それは風の音として戻って来るなり、二頭のダルナの前でパラパラと形に変わる。これといった形ではないが、煌めき、軽やかで、色は美しさを持ち、ダルナの好む要素が詰まっている。
「新たな状態に楽しんでいるようだ。『ゆっくり来る』の意味か」
ふん、と鼻を鳴らしたスヴァドが、パラっと落ちた欠片に爪を触れると、それは砂に変わって消えた。
「音を固形化。魔法として使えなくもないが、使いこなすのはな。持って生まれた力でなければ」
じっと見ていたイングの一言は、ささやかなようで重要。イングもスヴァドも、使おうと思えば出来る技の範囲だが、持ち前の能力だと、備わっている応用も魔力の操りようも違う。スヴァドの目が青紫のダルナに向けられ、低い声で確認の質問。
「イーアンの足を引っ張る奴が、丁度『音』だって話じゃないか」
「スヴァドよ。お前の力はまだよく解らないが、地獄耳みたいなものか?」
「俺の話をしていない。お・・・来たな」
お互いの胸中も思惑も察しがついている二頭だが、正直に言うこともない。
スヴァドは話を切り、近寄ってきた茶色いダルナの影を見つめる。『楽器のようだ』力を戻し、存在を変えた茶色のダルナは、解除前よりも奇妙な鱗に包まれた姿に変わっていた。
その鱗の形状から、寄ってくる緩慢な速度でも、向かい風が体に当たると音を奏でる。鱗を抜けた音は光を撥ね、茶色い艶の体に滑って転がる。
スヴァドの表現で言うなら、さながら、奏でた楽器から音符がこぼれる絵のように。
「賑やかだ」
言うほど、さして賑やかではないが、音を形に変えながら現れた珍しいダルナに、イングが少し笑った。
大型の二頭の側へ来た、小柄な茶色のダルナ。待っていた仲間二人に、『俺の名は、イデュ。世に渡る音は、俺の姿』と自己紹介した。
お読み頂き有難うございます。
※明日16日(月)の投稿をお休みします。疲労の為ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
※明後日17日(火)は、なろうのメンテナンスで朝5時の投稿が出来ないため、メンテナンス終了予定8時30分以降に投稿します。
いつもいらして下さる皆さんに、心から感謝して。いつも有難うございます。




