2290. 中南部襲撃 ~2③無責任・逆さ海の悲劇
荒ぶる嵐の真夜中。入り江の奥の峡谷で、イーアンはセイレーンのような番人と向かい合う。歌と海の被害を質問している最中に、そのセイレーンが奇妙な情報を口にした。
「・・・海の現象は、あれは魔物でもない」
「魔物、ではない?」
「そうよ。私が知っている魔物と違う」
自分が疑われないためにか。女は俯く。もう、彼女は震えていない・・・イーアンはこの変化も注意しながら『魔物以外が入った、と?』と説明を促す。
イーアンとしては、土地の邪+魔物の組み合わせ、の意味だが、何を聞かれているのか怪訝そうな女は、眉根を寄せて質問を返した。
「どこに入った、と訊いているの?」
問いはまた違う質問で戻り、少し考えたイーアンは、言われてみれば、何かに入る前提で自分が話しているように聞こえるかと思い、『魔物と他の似た別ものが混ざる場合がある』と教えた。
それを伝えると女は顔を上げて、翼を広げる女龍に『それを倒しているのか』と質問。イーアンの質問への答えから遠ざかるので、イーアンは軽く頷いて彼女を見下ろしたまま、肩越しに親指で背後を指した。
「海の怪奇現象、も倒します。あれは魔物ではないのですね?」
「私も倒すの?人を惑わしたから」
「さっきから。私の質問に答えていませんね。では、私も答えません・・・でもあなたの認識は間違えていると、言っておきます。あなたは惑わしたのではなく、人を狂わせ殺しています」
女龍の返事に感情はなく、女の大きな目は瞬きして伏せられた。『私が殺した訳じゃない。殺す気がなければ、人間は行動をとらない』言い訳のように、さらっと付け加えた一言に、イーアンは相手を見据え『だとしても』と低い声で予告する。
「あなたの歌がなければ、殺し殺される羽目にならなかった可能性は確実にある。私はあなたを逃がす気はない。逃げても追うでしょう」
「殺す気なの。さっきは歌をやめればよいと」
「答える気はないです。歌をやめていなさい。私が戻るまで・・・あなたを逃がしはしない、とだけ断っておきます」
「龍め。強引で横暴な」
「寒くなさそうですね。私はあれを倒しに行きますから、あなたはここにいなさい。もう一度だけ言います。逃げたら追います。多くの人を殺したあなたを放置はしません」
殺した自覚がある――― 情の籠らない目で見下ろすイーアンに、女は目を合わせず憎々し気な文句を言う。
「お前は私を見つけられないわ」
「それなら、私ではない誰かに探してもらいましょう。逃げずにここにいなさい。次に歌を聴いたら、あなたが人を殺すため動いたと判断します。その時は、確実にあなたを倒す」
どしゃ降りの雨で、二人の距離は一mほど。聞こえるはずのない音量の会話は、耳打ちと同じ正確さで互いの耳に届いている。
セイレーンのような女は、長い髪の貼り付いた顔を向け、怒りを露に歯軋りした。
「嘘ばっかりね!殺さないと言ったくせに、歌えば倒すとか、龍は昔も今も嘘」
「私は嘘をつかない。歌えば倒す。実行する」
相手の自分よがりの言い草に、いい加減、頭に来たイーアンは吐き捨て、白い翼で宙を叩く。6枚の白い翼が、一瞬で女龍の体を上に飛ばし、その龍気でセイレーンは再び突っ伏した。
嵐の海へ飛んだイーアンは、あんな番人もいるのかと気分が悪い。あれじゃ、本当に始末しなければいけない対象じゃないか、と舌打ちする。
人を狂わせて殺し合わせたことを、否定はしなかった。自分の歌がそう影響したとは解っていて、だが行為を実行するのは人間であり、自分のせいではない、と無関係を決め込む。
「何百人、死んだと思ってんだ」
壊滅した村もあった。その責任を全て放棄する番人を、イーアンは『初』で倒さなければいけない気がする。異界の精霊たちを助けたい気はあれど・・・あの感覚で動き回るなら止めねばならない。
逆さ海の真上、視界が横殴りの暴風雨と闇に遮られている下方を見つめる。この現象は、あの番人ではない・・・らしい。それは本当だろうと思った。
さて。この逆さ海の状態、どうやって打破するべきか。女龍が上に来たのは感じ取っているようで、ここだけ海の荒れ方が急に増す。魔物ではないのか、丸っきり古代種か。
どうにか、中にいる船を助け出さないと。イーアンはリテンベグの町と同じように助けられる可能性を考える。今回は異時空ではなさそうだから、幻影に覆われているこの状態と仮定しても、蜃気楼じみたあの中に確実に船は囚われている。だとすると、中にいる人々の状態を保護する魔法を使い、周囲の幻を吹っ飛ばす・・・ことは可能だろう。
精霊の布アウマンネルに聞きたい。バタバタとはためくクロークの内、青い布を目端に映して思うが、布は何も言わない。こういうのは頼らない方が良いのかも、と思い直し、人命が掛かっている状況に対処を決め、イーアンは龍気を上げた。
膨張する龍気が、辺りを真っ白に照らす。イーアンの手が、魔法の紋に組まれて救い出す条件を備える。
イーアンは逆さ海を包む量の龍気を置換し、女龍さえ遮る原因に、同時で龍気を散らすつもりで、狙いを定める。
「助けます」
うまくいってと念じ、荒れ狂う海に浮かぶ現象へ龍気が飛んだ。
轟音の嵐に白光が走った一瞬。全ての音が呑まれた直後、バッと激しい破裂音が上がる。ずっと沖でも連打する太鼓の如く、破裂音がけたたましく鳴り渡る。
奇妙な音の正体に緊張しながら、下方に現れた漁船にイーアンは急ぎ、上下する波に倒れそうな漁船を龍気で覆い安定させ、浜へと移動させる。
龍気の網を、全部の船にかけて引っ張る具合。普通ならこんなことも出来ないが、船全体を幕で包んだ龍気が物質化して引き網状の救出が叶った。
太鼓の連打に似た音は、一分もしない内に消え、嵐だけが残る。白い龍気の網に包まれた船を引き、イーアンはどうにか浜まで運んだ。
幻は解けたが、倒せているのかどうか。だが、救出が出来て、これが何よりよかった。もしも、倒しきっていないなら、すぐに倒せば良い。とにかくこの人たちを村に届けるのが先。
そう思っていたイーアンに、どんでん返しが待っていた。
浜から近い村では、海から来る白い光の後ろに、囚われていた漁船の影を見た漁師の家族が、雨の中を飛び出してきた。口々に家族の名を呼びながら、白い龍気の中にある舟へ駆け込む家族は、中を見るなり悲鳴を上げた。
イーアンは知らなかった。引くだけ引いて連れてきて、自分より早く舟の乗員を確認した家族の見たものを。
彼らの悲鳴に振り向き、イーアンも船の中を見て息が止まりかけた。
気絶して倒れていると思いこみたかった。倒れた漁師たちに泣きすがる家族は、漁師たちが互いに殺しあって死んだままの姿に大声で嘆いた。
「そんな」
あの逆さ海にいた間で・・・この人たちも、歌に狂わされたのかと気づき、イーアンは愕然とする。漁師の家族は大泣きして悲しみ、一人がイーアンを見て『もう助からないですか』と泣きじゃくる顔で聞いた。
イーアンが殺した誤解はされないが、龍のイーアンが彼らを運んだ理由に、救う見込みがあると思われている。イーアンは悲しく、いいえ、と首を横に振って『私に死んでしまった命は取り返せない』と答えた。
ごめんなさい、と謝るイーアンにすがり付いて、家族の人たちが泣いた。どうにも出来ない、死者となって戻った漁師たちに、イーアンが出来ることと言えば、彼らを消すくらい。でもそんなことは言えなかった。
叩きつける雨風の真夜中。悲劇の結末で終わった漁村の魔物退治。逆さ海は消え、破裂音もなくなり、歌も聴こえてこなかった。
この後、イーアンは村人に、弔いと、そしてお守りのため、尻尾の鱗を渡した。
倒したと思うが正体がはっきりしないので、他にもいるかも知れず、それを探すと言うと、村の人たちは理解してくれ『魔物を倒してください』鱗を握り、女龍を送り出した。
イーアンは他の村にも一旦戻り、最初の村まで回って鱗を少し多めに渡してから、入り江の村へ戻った。待っていたあの男性が、イーアンの白い光に気づいて外まで来てくれ、イーアンはここまでの話を彼にした。
「赤い魔除けは、見つかってないのですね」
辛い面持ちの女龍を労い、男の人は魔除けを探しきれなかったところに、話の焦点を戻す。頷いた女龍に、『赤い魔除けも幻で隠されていたかも』と思うところを話し、イーアンもそれを聞いて『あり得る』と考えた。
でもなぜ、沖の幻現象が、魔除けを隠す必要があったのか・・・もしもそうだとすれば、隠された理由も気になり出す。
嫌な推測が浮かび上がったが、イーアンは思い込まないよう、その推測を胸に押し込み、男性に別れを告げた。
「いつでも間に合うわけではないのが辛い。でもどうぞご無事で」
「今日、命拾いしたことを忘れません。もし、今後私たちが魔物に襲われても、そこまでの時間、龍に救われて生き永らえた、と思うでしょう」
男性の言葉に、女龍は俯いて礼を言う。指輪を早く集めなければと、気持ちが焦る。イーアンは村を発ち、峡谷へ向かった。
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