225. アジーズの落ちた谷で
龍と一緒に工房へ戻ったイーアン。
龍を裏庭に降ろしたところで、騎士の何人かが『おはよう』『お帰り』の挨拶をしてくれた。ダビを探そうとすると、向こうから来てくれて工房の鍵を受け取った。
「でもまた南西にすぐ出かけます。だからまた鍵を預けるので、ちょっと一緒にいてもらって良いですか」
「ああ。そうなんだ。総長とケンカでもして帰ったのかと」
工房の扉を開けて中へ入りながら、そんな会話をする二人。『ケンカじゃないですよ』イーアンは笑って一時帰宅の理由を話す。
「龍で帰ってくるケンカなんかしたら、彼の名誉がずたずたですから。そんなに皆さんに見せつけるケンカはしません」
ダビは面白そうに頷いて『そうかもしれないけど。しょっちゅうあの人、ずたずたですよ』・・・この前も名誉消えたんじゃないかなと笑っていた。
そうなの?イーアンの不安が募る。ちょっと仲違いしただけでも、そんなに見られてるのかと、自覚の低さを反省する。
「まあ。四六時中べったりなんだし、ケンカするほど仲が良いと。それはそれで。
で。イーアンは、南西の魔物退治もするって話なんですか。地図で確認したら、あなた動く気でしょ?」
「南西の魔物退治をするかどうかは分からないです。向こうの許可もあるでしょう。ただドルドレンが良いと言えば、手伝った方が被害を早く止められそうなので、そうしたいと思います」
あまり口を出すのもね・・・・・ イーアンは他所の支部の管轄まで入り込んで良いのか、それこそ他の地域の騎士からすれば、名誉とか面子が気になるのではと案ずる。ダビは『ふーん』と一言もらして、地図の本を机に置く。
「部屋が冷えてますから、長居は体にきついでしょう。地図をとりあえず見ましょう」
ダビが地図を見てくれて、昔の南西部アラゴブレー辺りを示した。『あれ。なんだこれ』地図に頭を屈ませてダビが図に指を置く。イーアンもその指の置かれたところを見て理解した。
「イーアン。あなたの読みは時々怖くなりますね。これ、この辺り全域にあったんじゃないですか。標高が載ってますよ。標高が・・・ああ、そうか。こっちの山の先にある休火山だ。だからこの谷は昔」
「谷まで調べていないのです。帰りに見てみましょう。硫黄があるかも」
「それが良いです。湯道っていうのかな。鋳型では湯口とかいうんだけど、今言いたいのはお湯の流れるところです。地図にそれが描いてある。どこですっけ、総長の知り合いの人の事故」
イーアンは畳んで持ってきた地図を開く。照らし合わせたダビが『ペン良い?』と地図を見ながら手を出した。ペンを渡すと昔の地図を見ながら、湯道と呼んだ線を、持ってきた地図に書き込み始めた。
「大体ですよ。あんまり当てにしないで。でもイーアンが付けた印の真ん中辺りは大きめの空間です。だからそこに、あなたの考えている巣が」
ニヤッと笑ったダビが、ペンでくるりと丸を付けた。『深さは相当です。でも湯道を避けてその間を下へ行けば、魔物のねぐらかもしれないですよ』ここね、とペンでとんとん叩いた丸印。
「龍の出番です。これはさすがについて行ったら駄目ですよ」
フフフ、とダビは笑い、イーアンの肩に手を置く。イーアンはダビに描いてもらった地図の印しを見つめて微笑む。『ついて行ったら、今度こそ瀕死でしょう』イーアンが地図を畳みながら笑うと、ダビは真顔になって『そんなの許しません。もう怪我をしないように』と鳶色の瞳を見つめて注意した。
冗談ですとイーアンが言っても、ダビは取り合ってくれなかった。
「さあ。お行きなさい。場所を見たら南西へ戻るんでしょ。総長が向こうで駄々を捏ね始める前に」
ああそうだった、と思い出して、ダビに鍵を渡して廊下へ出ようとすると。棚から剣を下ろしたダビがイーアンに剣を渡す。何だろう、と思うと。
「南西でギアッチが話しするんですよね。その後、魔物製の事業の話が出るでしょう。鎧は預けちゃったんだろうから、これ連れて行って見せると早い」
黒い角で出来た2本の剣。一本は、ダビが打ち付けてくれた金属の支え付き。もう一本は、ほぼ金属なしの部族的な雰囲気の剣。
剣はイオライセオダに預けたとイーアンは思っていた。剣はダビに任せていたから。ダビはあの時、もう一回別工房に行くと思ったから持ち帰った・・・と言った。
「ソカと剣2本。手袋があれば、何をしようとしているか分かりやすいでしょう」
言われるとおり、イーアンは剣を2本ベルトに下げて、それと少し大きい金属容器を持って工房を出た。ダビがいると、いろいろと捗るなぁと感謝する。
裏庭までダビは付いてきてくれた。『さっきの容器。また何か集める気なのかも知れないけど』ダビが首を振りながら前置きして、絶対に地下の穴に入るなっ・・・きちっと再びイーアンに注意をした。
龍を呼んで跨り、『鎧工房の手紙があるから、戻ったら渡します』と伝えると、ダビは『楽しみです』そう答えて手を振った。
明日帰ってくるのを待ってますよ、大きな声で叫んだダビに、イーアンは手を振り返して空へ向かった。
南西へ向かう途中で、ギアッチたちの馬車を見た。龍に高度を下げてもらって、ハルテッドの馬の上に影を落とすと、ハルテッドとトゥートリクスが気づき、上を見上げて手を振った。
ギアッチも気がついたようで、御者台に座るギアッチとザッカリアが笑顔で手を振ってくれた。
「イーアン。どこへ」
ハルテッドが叫ぶ声が聞こえて、イーアンは龍にもう少し高度を下げてもらう。『南西の谷を見てきます』後でね・・・と叫び返してから、手を振って龍にアラゴブレーへ向かうように指示し、龍とイーアンはぐーっと向きを山側へ逸らして飛んでいった。
「南西の谷?」 「魔物かな」 「あの人は魔物好きだから」 「イーアン、魔物好きなの」
一向は笑いながら、空の向こうに消えた龍を見送った。『放っておけば戻ってくる』魔物の首を取ったふうに、ギアッチが首の前で手を横に滑らせた。ハルテッドが笑って『戦う時、首は切らないだろ』いくら何でもと答えた。
「溶かすよ。イーアンは魔物を溶かしたり、燃やしたり、叩き潰して倒すんだ。その後ね。首切るとか、手足切るとか、皮を剥ぐ」
そう呟いたトゥートリクスの頭の中に、ディアンタの僧院前の谷が浮かんでいた。冷えた笑顔で魔物を溶かす衝撃が怖すぎて、その後何度も夢に出た。
トゥートリクスの笑っていない顔に、ハルテッドも何となく理解して頷いた。『欲しいものがあると、狙う場所、限定してますよね』ギアッチが笑いながらザッカリアを見る。ザッカリアは『龍に乗りたい』と目をきらきらさせていた。
アラゴブレーの先の谷へ飛んだイーアンは、龍に、昔この辺りに熱い湯が湧いていたかを訊ねた。
龍はきょろきょろ顔を動かして、すーっと谷の崖を下がる。崖は相当高さがあり、場所によっては下の川まで300m以上ありそうに見えた。しかし、川の様子がおかしい。龍の飛ぶままに見ていると、崖の途中から湯気の立つ水が流れている。硫黄の匂いもする。下方の川も湯気で妙な雰囲気に包まれていた。
崖の上には確かに道があり、それを通っていたのかと思うと、パパたちの旅が過酷できつそうに感じた。落下した馬車はどれほど怖かっただろう。胸がぎゅっと痛む。龍は知ってか知らずか、谷を進んだ先にある、川から少し上がった距離の長い岩棚へ飛んだ。
「あっ」
見たくなかった、とイーアンは目を瞑った。形も留めないほどに壊れた馬車と、岩棚から吊られた馬1頭の死体が見えた。馬車の下に人がいるようにも見えた。馬は魔物や動物に食べられているのか、馬車横に倒れたもう1頭の馬は、腹や足が崩れて骨が見えていた。
硫黄の臭気と湯気がゆっくり立つ中で、馬車から少し離れて魔物の死体が見えた。イーアンはぐっと堪えて、馬車を見ないように魔物の側へ飛んでもらった。それは馬車と同じくらいの大きさで、後足の付き方が昆虫のように逆を向いていて、前足は短く、不釣合いなほど手が大きい。
魔物は、バアバックや、ウキンが話していたままの形で、ウキンがちょっと『モグラみたいな手』とドルドレンに説明した一言が過ぎった。本当にモグラみたいな手だ。土の中を移動するからか。
体には昆虫のような節が見えて、羽がない胴体丸出しの虫のようにも思える。ギラギラとした光の意味は、もともと光沢質の体だからと分かる。それと、体を保護している粘膜のようなものがあり、そのためか、落ちた時に付いた小石が貼り付いていた。
目は殆どない。顔が虫らしくないとウキンは言っていた。でも哺乳類の顔でもない。ツィーレインの森の魔物を思い出す。一見すると猫みたいなのに、口と目が奇妙だった。あれと近い。
龍は魔物の側の岩棚に降りた。上の道がある付近まで100~150mほど。崖に斜めに岩棚は付いていて、もう少し傾斜を上がると、岩棚の幅が殆どなくなっているのが分かる。
『降りなくてもいいの、これだけ分かれば大丈夫よ』後は、魔物が飛び出してきたという穴を見に行こう。イーアンはそう思って龍を飛び立たせようとした。
龍は動かず、砕けた馬車を見つめている。何か気になっているのかとイーアンも馬車の方を見た。動いた。
「えっ。動いて」
イーアンは思わず声を上げた。『誰?誰かいるの』馬車の中から声が響き、一瞬ぞわっとするが、慌ててイーアンは龍を降りて駆け寄った。
壊れた馬車の屋根の下に、男の人と女の人と子供が1人いた。男の人は腕を布で巻きつけて首から布で吊って支え、女の人は座ったままで腕に抱える子供はぐったりしていた。
横に、もう一人の男の人と子供が横たわっている。その二人が亡くなっているのはすぐに分かった。イーアンは顔を押さえて一度だけ下を向いた。そしてすぐに顔を上げて、『動けますか』と訊ねた。
「あなたは、あなたも落ちたの」
女の人が大きな不安そうな目を向けてイーアンをよく見ようとする。イーアンは自分は落ちていないと伝え、自分はそこにいる龍とここへ来たと手短に言うと、大人2人はびっくりして『龍』と呟いた。女の人はすぐに子供をイーアンに向けて『この子だけでも助けて』と頼んだ。
「あなた達は動けますか」
イーアンはもう一度質問する。女の人は足を折ったという。男の人も足と腕を折っている。子供は骨を折らずに済んだらしいが、打ち身が酷くて背中に大きな痣が出来ているという。自分たちは馬が死んで、馬を少しずつ食べながらここで生きていたと。だけど子供がもう限界で動かない。まだ生きてるけれど・・・・・ そこまで言うと女の人は涙で詰まった。
頭を必死で巡らせ、ここにある馬車の状態を見てから、イーアンは思いつくことを急いで質問する。
「寝具は。寝具で大きな布はありますか。私が使っても良いもの」
女の人が頷いて、男の人は崩れそうな馬車の奥を示す。『あの引き出しが壊せれば、中に布があります』引っ張ると千切れるかも、と拉げた棚を指差した。
彼らを動かせないのか。龍を見て、イーアンは『どうしよう。3人生きています。でも彼らは一歩も動けず、お前に吊るせる布はあっても、それは馬車を動かさないと』困惑しながら話す。龍は金色の目を何度か瞬きさせて、馬車の砕けた屋根を噛んだ。
ゆっくり持ち上げ、少し隙間が出来たときに止まった。龍が動かしてくれたとわかって、すぐにイーアンは中へ入る。大人2人が何があったのかと、持ち上がった馬車を恐ろしそうに見て震えていた。
「布を出します。大丈夫です、龍が助けてくれます」
急いでそれだけ伝え、彼らの後ろに腰を屈めて入ると、イーアンは拉げた引き出しをこじ開けた。中から綺麗な布がいくつも出てきて、それを広げて重ねて輪にし、端を龍の首に結んだ。
龍は、中の人の気配がする場所から、口に銜えた馬車の屋根を少しずらして置いた。
「良いですか。よく聞いて下さい。私にはこの子一人だけを運ぶ力しかありません。まずこの子を近くの騎士修道会へ運びます。その後すぐに力の強い騎士を連れて、ここへ帰ってきます。次はあなたたちを運びます。分かった?分かって」
イーアンが二人の男女の目を見て、出来るだけはっきり伝えると、二人は頷いた。女の人は涙を浮かべたまま、子供をイーアンに抱かせる。イーアンはその子を受け取り、布に包んでから、龍の首の布の中に入れた。
「絶対に戻ります。だからここで待って下さい」
約束して、イーアンはすぐに龍に乗り、南西の支部へ飛んだ。支部は目と鼻の先だった。
お読み頂き有難うございます。
 




