223. イーアンの独白
(※ちょっと暗めのお話です)
早朝。モイラの宿を立つ時間。
モイラは早めに朝食を用意し待っていてくれて、ドルドレンもイーアンも、焼き菓子付きのたっぷりした朝食に満腹になった。
イーアンはモイラを抱き寄せて『とても素敵な年末だった』とお礼を言った。モイラもイーアンを抱き締める。『また来てね、次はお菓子持ってきて』笑いながらイーアンに約束を思い出させる。
ご主人はドルドレンに、温泉情報をくれたお礼を言った。『教えてもらわなかったら、妻を連れて行ったかもしれない』変な所みたいだから、行かなくて良かったよと囁いた。
砂糖菓子や絵の具やカードをお土産に入れて、ウィアドに跨って、二人は宿を後にする。通りに出たモイラとご主人は、二人が見えなくなるまで手を振ってくれた。イーアンも手を振って、また来年ねと叫んだ。
町を後にして、イーアンは後ろを振り返った。町の反対側に『家族』がいるんだなと思った。不思議な気持ちだった。次にここに来た時には、あの豪勢な色の馬車はない。あの自由に楽しむ人々の影はない。
「家族がどこかにいるって。何だか頼もしい気持ちです」
「イーアンは家族の話をしないな」
「取り立てて好きな思い出はないのです。子供の頃もあまり好きではない人たちでした。疎遠ですし」
ただ、世話になったから大人になるまで育ったわけですが、と寂しそうに笑ったイーアン。『どうでもいいことです』優しい微笑と合わない、冷たい言葉をイーアンが普通に言い放った。
「俺の家族とはまた違うな」
「昨日。私を迎えてくれた方々は私の家族です。私は彼らの家族に入れてもらったんだと分かりました」
きっと私がどこに行っても、どれくらい会えなくても。彼らは私を見つけたら、まるでその前の日も一緒だったように迎えてくれるだろう。そう思えることがイーアンは嬉しかった。それだけが、一番簡単な、でも一番抜け落ちやすい判断のようにも思えた。
「以前の世界に生きた家族や、一緒にいた人は。形だけどころか、書面上だけの関わりでした」
呟きにも似た告白の中、ドルドレンが一つの言葉に引っかかる。一緒にいた人。胸の中がざわつく。この世界に運ばれる直前まで、他の男と一緒に?
――結婚していたのかな。イーアンは病気になる前、子供がいたのだろうか。俺と会う前、誰かと一緒に――
そこまで考えると、息が苦しくなった。イーアンに気取られないように、冷静に対処しようと自分を抑える。すぐにバレたみたいで、イーアンは振り返った。
「こんな話。ドルドレンは嫌だろうと思ってしませんでした。私はドルドレンの女性付合いを知りたいと思いません。怖いからです。だけどもし。ドルドレンが、私の過去のそうしたものを知りたいなら、私は話します」
ぐっと息を飲み込んで、1秒黙る。聞かなくてもいいはずなのだけれど・・・でも聞いておこうと覚悟して、ドルドレンはお願いした。イーアンは淡々と他人事のように話し始めた。
「若い時、結婚したことがあります。それも事情がひどくて、嫌々渋々の結婚で。結局そんなの上手くなんて行きません。相手はしょっちゅう誰かと浮気し、喧嘩すれば殴られるような関係でした。いがみ合って、互いが大嫌いになって別れました。
当時。私には子供がいました。子供と、その結婚した相手は、相手の家族と生活することになりました。私は自殺寸前まで心を病んで別れたので、何の後悔もありませんでした。病気になって内臓の一部を取りましたが、それを心配する人はいませんでした。
もともと、私はただ産むだけの存在でしたから、子育てもほとんど取り上げられていました。何をしても私が悪かったようでした。私は居ても居なくても、生きてても死んでても。彼らにとっては、どうでも良かったのです。
その後、暫くして一緒に暮らした人はいましたが、それもなんと言うか。その人は結婚する、したいと言いながら、一切展開はないままでした。気がつけば、10年生活を共に暮らしましたけれど。その人はただの居候みたいになって。単に使われてるだけだと理解した頃には、もうこんな年でした。
もうこれからは一人で生きたい、と毎日思っていました。でも自分に自信なんか・・・疾うの昔になくなってしまって。
私は偽善者です。悪いことも酷いこともした生き方だから、こういうふうに報いを受けてるのかなと。嫌いでも笑顔を向けるとか、怒ったら暴力に走るとか。もう何が良いのか悪いのか。私はいつも出来損ないで利用されるしかない人間なのかなと思ったり。だからこのまま、年老いて死ぬのかなと考えて」
「もういい。イーアン。もう、いいんだ。もう終わったんだ」
ドルドレンはイーアンが可哀相で、ぎゅっと抱き締めた。可哀相で、可哀相で。何でこんな素晴らしい彼女がそんな苦しい生き方をしてきたのか、ドルドレンには分からなかった。その相手になった男たちを殺してやりたいくらい腹が立った。ウィアドの前に乗るイーアンを見ることは出来ない。でも少し鼻をすする音がして、イーアンが泣いたと分かった。
「イーアン。俺と一緒だ。ずっと俺と一緒だ。来年、絶対結婚するから大丈夫だ。何も繰り返さない。新しく良い方向にしか変わらない。ザッカリアにそう教えただろ?」
――だから、だからだ。彼女の自信が薄いのは、そうした年月だ。生きてる価値がないと教え込まれた。何をしても彼女が悪くなった。利用され続けていた。
確か、ザッカリアが言っていた。イーアンは若い時、暴力のある家で育って、学校に行かないで働いて、それで自分の悲しさや怒りが上手く出来ないから喧嘩をしていたと。そんな子供時代の後に、今の話が続くのか・・・・・ 誰も彼女を理解できなかった。誰も彼女を理解しようとしなかった。彼女が要らないから?
そんなわけあるか。自分の命を顧みないで、戦う人だ。
シャンガマックを炎に焼かれてでも守る人だ。呑まれたら死ぬ滝つぼに飛び込む人だ。誰もが恐れる魔物相手に突っ込んでく人だ。皆の安全を確かにするために、雹に打たれ続ける人だ。いつだって自分を犠牲にして、いつだって全力で挑む人だ。
そんな人が、人生を無価値なんて思わされていたのか。そんな人をそいつら――
もう一度、ぎゅ―っと抱き締めて。いつも優しい笑顔を湛えるイーアンの、心の裏側にあった苦悩を追い出したかった。だから、人一倍理解しようとする。人一倍優しいんだ。ドルドレンの目にも涙が滲んだ。
ザッカリアの親を、殺しそうなほど追い込んだのも。自分の近くにある、女性の存在に過剰に怯えるのも。イーアンにそうした過去があったからだ、と分かる。
思い出すと次々に、これまでのイーアンの行動の理由が当て嵌まる気がして、ドルドレンは辛かった。可哀相で仕方なかった。
「イーアン。大丈夫だ、俺は絶対に君を傷つけない。いつでもイーアンに、笑顔でいてもらえる男でいる。来年必ず結婚する。祝おう。皆の前で結婚して、ちゃんと幸せに」
「今もすごく幸せです」
自分をかかえるように、背中から抱き締めてくれるドルドレンの腕の中で上半身の向きを変えて、イーアンはドルドレンの銀色の瞳を見つめた。『ドルドレンに出会ってから、ずっと人生で最高です。生きていて良かったって』そこまで言うと、涙で濡れた鳶色の瞳を閉じて、ドルドレンにキスをした。
「あなたは私を幸せにしてくれています」
「イーアン。当たり前だ。ずっと幸せだ。俺だって幸せなんだ。ずっとだ、ずっと一緒だ」
抱き合ってお互いの存在に幸せを感じながら、二人は出会いに感謝する。背に乗せているウィアドはちょっと歩きにくそうで、時折すれ違う人は『仲直りかねぇ』やら『若いって良いね』と囁いていた。
目一杯キスした後、ドルドレンがイーアンに言う。
「もうちょっとで南西支部だ。涙を拭こう」
二人とも泣いてたら何かと思うから、とドルドレンが微笑む。イーアンもちょっと笑って頷いた。馬を停めて、水筒の水で目元を拭いて少し冷やす。
「目立つかしら」
「大丈夫だ。綺麗だ」
大きな広い胸に頭を凭せかけて、イーアンはドルドレンの存在にひたすら自分の居場所を感じる。ドルドレンもイーアンを抱き寄せて頭にキスをして、この人を一生笑顔でいさせよう、と誓う。
そんな二人の馬上の姿を、遠目の利くトゥートリクス(※お兄ちゃん)が南西支部の窓から見ていた。『本当に仲が良いというか。何というか』ぼそっと呟いて苦笑いする。弟がちょっと気の毒だな、と思いつつ。総長とイーアンの早い到着を仲間に知らせた。
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