220. 家族の意味
「どうやってここへ」
イーアンを抱き締めるドルドレンが訊ねる。『ドルドレンのお父さんが、連れてきてくれました』その答えにドルドレンが固まる。
「何かされたか」
開口一番その質問って。そういう人なのか、と思いつつ、イーアンは首を振る。『私は変な顔みたいですから』苦笑いでそう言うと、ドルドレンの灰色の瞳にぎらっと怒りが滾る。『おのれ』愛妻を馬鹿にしやがってと歯軋りをするドルドレンの呟きに答えるかのように、パパが馬車に入ってきた。
「それがお前の結婚相手か」
「だから何だ。関係ないだろう。イーアンの顔を馬鹿にしやがるとは許さん」
「お前は本当に。親に、なんて口の利き方をするんだ。馬鹿になどしていない」
そっくりさんが言い合う場面を見る、複雑なイーアン。顔の話もやめて。年齢の話も嫌だけど、顔もやめて。序に体型とかもやめて。いろいろやめて。
「俺の愛妻だ。二度と顔だ何だと」
「馬鹿にしてない。いい女だと思っただけだ」
ウソだと思うイーアン。そんな感じじゃなかった。こりゃ面白い顔、くらいの言い方だったわよ。やっぱりパパは信用ならない。グレーなんだわ、とドルドレンのホールドの中からパパを睨む。
パパは近づいてきて、息子の腕の間から見えるイーアンに顔を寄せる。
「なかなか変わってて良いじゃないか。良い目つきだ。男でも女でもない。どちらでもある。こんな女がいるとはね」
ぜーんぜん誉められてる気がしない。この人、嫌い。イーアンはドルドレンの背中に回した手をぎゅっと締めた。ドルドレンはイーアンが傷ついていると分かって、父親に怒鳴る。
「イーアンを馬鹿にするな。もう帰る。どけ」
「だから。なんで馬鹿にしてると思うんだ。気に入った、って言ったろ」
「お前が、魔物がどうとか言うから、来てやったのだ。それが何だ。魔物にやられた仲間なんていないだろう。イーアンまで巻き込みやがって。帰る」
「この馬鹿。魔物にやられた仲間はここにいない。死んだ」
ドルドレンとイーアンはぴたりと止まった。パパは息子に冷たい視線を投げて『馬車が一台ないことさえ、気づかなかったのか』ここで育ったくせに、と吐き捨てる。
「アジーズの家族が、馬車丸ごと谷に落とされたんだ。ここに来る前に。それを見ていた奴が市場に買出しに行ってるから、戻るまで待たせてるのに」
薄情な奴め、とパパは感情を隠さないで息子を詰った。ドルドレンの目が開いたまま、唾を飲み込む音がした。
「場所は。いつですか」
ドルドレンの腕をそっと押して、イーアンが質問する。パパはイーアンを見つめて『息子に話している』と少し控えるようにといった具合で、静かにイーアンを制した。
「彼女に話せ。彼女が魔物を倒す」
アジーズのために。ドルドレンは一言付け加える。イーアンを見つめるパパは、息子に視線をすっと動かしてから『何者だ』とイーアンの説明を求めた。ドルドレンの怒気が膨らんだのを感じ、イーアンはすぐ、自己紹介することを目で教えた。
「私はイーアンです。2ヶ月ほど前にドルドレンに森で保護されました。以降、彼の保護下で北西の支部にいます。
どこへも帰るあてがなく、どこへ行くあてもない流浪人です。持っているのは、この身と経験で蓄えた知識だけです。なんの後ろ盾もなく、なんの力も持ちません」
イーアンの自己紹介に無表情で聞いていたパパは、額を掻いて『イーアン』名前を呼んだだけだった。
ドルドレンはイーアンを再び抱き寄せてから『彼女の自己紹介に間違いがある。それは何の力もないという部分だ』はっきりとそう言い切った。
「いいだろう。そこへ座れ。立って話すほど簡単な話ではない」
パパはそう言うと、小さな部屋のような馬車の中にある暖炉から、沸かした湯を取って茶をくれた。馬車の奥高い位置にベッドがあり、ベッドの下には物入れがある。その手前に、箱型のベンチのような長椅子的存在が備え付けであり、暖炉が片方に添えられていた。
絢爛豪華な装飾を小さな世界に押し込めた不思議な美しさの中。イーアンは綺麗な茶器を受け取って、パパの話を聞く。
「アジーズは殿だった。西からここへ抜ける道で・・・でかい谷が続く岸壁の道だ。そこで真横から出てきた魔物に、馬車ごと落とされたんだ」
「真横とは」
「言った通りだ。崖の道の壁が突然抜けて、そこから奇妙なものが飛び出たと思ったら、もう。馬車は僅かな道幅を車輪を外して」
首を振りながら、感情の消えた目で。パパは手振りを使って、ひゅー・・・と下へ落ちる馬車を示した。
「見たのか。その魔物」
「見た時には落下中だ。やけにでかいピカピカした奴だったな。馬車と一緒に谷へ。谷底までは行かなかったが、先の膨らみで馬車を止めて、アジーズの馬車を上から見た。魔物もアジーズの馬車の横に落ちて死んでいるようだった」
イーアンは黙って話を聞いていた。ドルドレンが、場所はどこだと聞くと、パパは西の中の道から回ってきて、ウィブエアハに入る街道に抜けるまでの谷だと答えた。
「ここから先はバアバックに聞け。あいつがアジーズの前の馬車だった」
もう来るだろ、そう言うとパパは立ち上がって外を見た。ドルドレンはイーアンを見て『何か思いついた?』と訊ねた。イーアンは少し考えて『見たほうが良い気がします』・・・あまり気乗りはしないけど、と答えた。
「バアバックが戻るまで、ちょっとここにいろ。腹は空いてるか」
「要らん」
「お前に聞いていない。イーアンどうだ」
「急に来ました。食事を頂く気はありません」
パパはフンと笑う。息子の前を通り過ぎて、奥に座るイーアンの前に跪き『食べろ。俺の家族になれ』そう言ってイーアンの手を取った。
息子が瞬間で叩く。パパは負けない。息子を睨むこともせず、完全な無視をして、イーアンの手を取ったまま口角を吊り上げる。『気を悪くするな。イーアンは俺の家族になる』微妙すぎる言葉を囁いたパパ。イーアンは手をそーっと抜いて『ご迷惑にならない程度で』と顔を背けた。
「見て分かれ。軽率な男は嫌われるんだ。あっち行け」
「軽率は代々だ。軽率は人生を旅に導く。お前はつまらない人生だ」
イーアンはドルドレンの胴に貼り付いて『あなたのままでいて下さい』と頼んだ。ドルドレンは困った顔をして『当たり前だ』と答えた。『俺の人生は真面目に最高だ』イーアンを抱き寄せて、パパを睨む。
「イーアン。なぜそんな退屈な男が良いんだ。俺を見ろ。そんな若造より、自由で闊達な俺は君に釣り合う」
「このスケベ。山のような女と過ごしているのに、息子の妻まで手を出すのか。息子の前で」
「選ぶのは彼女だ。俺はイーアンを気に入った。自分を流浪人、と女が口にするなんて。この声、顔つき、その眼差し、この儚い体。どこをとっても珍しい。他の女でこんな魅力を持つ者はいない」
「さっきから聞いていれば。赤の他人に何て言いようですか。まるでご自身が一番のように、人に押し付ける言い方をして。それにあなたの気持ちは、ただ物珍しい生き物を欲しがる子供ではありませんか」
パパの軽薄さに堪えかねて、イーアンは呆れたように吐き捨てた。
『愛する人のお父さんとはいえ、いい加減になさい。私は彼を愛してるのです。その親兄弟に媚を売ったり、気に入られようと思いません』馬鹿にしやがってくらいの勢いで、パパを叱る。
横でドルドレンが感動していた。『イーアンかっこいい』『もう一回言って』とか何とか、メロメロしながらイーアンの腕に貼り付いている。
パパはちょっと怒ったような顔をした(←図星)。そのすぐ後に溜め息をついて、イーアンの顔に手を添える。
「そんなに俺を刺激するな。気が強すぎて、無理矢理ものにしたくなるだろう」
イーアンは嫌悪丸出しの表情で顔を反らした。『あなたは山のように女性がいても、それでも』魔物相手のきっつい目つき(※でも垂れ目)でパパを見据える。
パパは年季が入っているので怯まない。イーアンの目つきに唇をペロッと舐めて笑う。『なんて旨そうな女だ』その表現に息子がキレた。
「イーアン。外でバアバックを待つ。この鬼畜の側に我慢する必要はない」
何も言葉にする気になれないイーアンは、黙ったままドルドレンに肩を抱かれてパパを後に、馬車を降りた。
「すまない。下品な男で」 「あれがあなたの男親なんて信じられない」
「申し訳ない」 「ドルドレンが謝ることではありません。でも無理」
俺はイーアンで良かった・・・ドルドレンはイーアンを片時も離さず、その頭に何度もキスをした。二人が立つ場所に、その後パパはふらっと来たが、怒られたからか大人しかった。二人ともパパを無視した。
20分くらいして、バアバックが馬車に帰ってきた。馬と一緒に食品を積んで帰ってきたバアバックに、ドルドレンが声をかけると、彼はとても驚いた様子で走り寄ってきた。
「ドルドレン。ドルドレンだろ。どうした、元気か」
「バアバック。元気そうだ、良かった。今日はたまたまこの町に来ていた。親父に捕まって、アジーズの」
アジーズの名前が出た途端、バアバックと呼ばれた男の顔が曇った。焦げ茶色の髪の毛に、日焼けした肌、黒い瞳の初老の男は目を伏せる。馬を他の者に預けて、ドルドレンの腕を押して、近くの馬車の足掛けに座らせた。イーアンが側にいたので、彼はイーアンにも横に座るように促した。
「バアバック。彼女は俺の妻になる人だ。とても優秀で知恵者だから、魔物の話を彼女にも聞かせてほしい」
バアバックはイーアンを見て頷いた。『あなたどこの人か知りません。でもドルドレン、あなた信用するなら、あなた私の家族だ。話を聞いてほしい』その言い方に、イーアンは胸が打たれて『あなたの力に成れますように』と涙が出そうになりながらお願いした。
バアバックの話は、パパの話と殆ど同じだった。イーアンは丁寧に質問をして、バアバックが近くで何を感じたのかを教えてもらった。
「アジーズの馬車、壊れる音しました。アジーズ大きな声だった。でも私見た時。彼と彼の馬車、穴開いた。落ちた、谷。魔物、馬車同じ。とても大きいよ。とても怖い。ウレイッシュ、何?ドルドレン」
「光っている、だ。ギラギラしている光だな。魔物は光っているとバアバックは言っている」
イーアンが頷いて、どんな形だったか分かるかと質問すると、バアバックは暫く思い出すように下を向いてから、『オショレイ ピオドリカ ウィエックウレイッシュ ジジャック イェロ ヌフ』とドルドレンに伝えた。
「重なる肌、ギラギラしていて茶色いのだ。背が丸く大きいような、手が大きいのか」
別の国の言葉なのか分からないけれど、ドルドレンはバアバックに確認しながらイーアンに伝えた。バアバックに地面を見て、とイーアンは土を指す。
落ちている石で、乾いた土に絵を描いた。バアバックは大きな目をぐっと開いて口を押さえた。絵を指差しながら、イーアンに何かを早口で伝えて、絵の上からバアバックが見たものを付け足した。
イーアンは頷いて、バアバックにお礼を言った。
バアバックの話でイーアンが何かを理解したと分かったドルドレンは、バアバックにお礼を伝えて慰めた。『俺に出来ることはしよう』それしか言えず、俯いた。バアバックも分かっているようで、ドルドレンの肩を叩いた。そしてイーアンを見て『あなた見える人。気をつけて』そう、気遣いの言葉を掛けてくれた。
「イーアン。もう昼を過ぎた。宿へ戻ろう」
「その方が良いですね。明日は南西支部です。この話をしましょう。その前に谷の方向だけ確認できたら」
「見当が付いたのか」
「バアバックが絵を見て付け足してくれました。話と照らし合わせても、思いつくのは2~3種類の生き物くらいです。同じ場所に出るとは限らないので困ります」
ドルドレンとイーアンが話していると、子供が寄ってきてドルドレンに食べ物を渡した。イーアンを見てから少し躊躇うように戻った。
「ドルドレンはここで育ったのですね」
イーアンが微笑む。頷いて『そうだな。随分前のことのように思える』ドルドレンは子供たちを見つめた。さっきの子供がもう一度来て、イーアンにも食べ物を渡した。イーアンは嬉しくなって微笑んでお礼を言った。
「俺と一緒にいるから、イーアンも家族だと思ったのだろう」
――ここで言う家族。ベルがそういえば、トゥートリクスに話していたことを思い出す。一緒に食べたら家族、と言っていた。ドルドレンも昨日の食事で同じことを言った。さっきパパもそんなことを(怪しいけど)。
「私。家族なのですか」
ドルドレンは微笑んでイーアンの頬をそっと撫でてから、額にキスをして『もちろんそうだ』と囁いた。イーアンはじんわりした嬉しい温もりを感じる。
「では。私は家族のために、その魔物を倒してきます」
胸を張ってニッコリ笑い、手渡された肉の塊をぱくっと食べた。そんなイーアンに、ハハハと笑ったドルドレンも肉をぱくりと食べた。抱き締めて『俺たちは家族なんだ』とイーアンの頭を撫でた。
遠くから馬車に腰掛けて、その様子をパパは見ていた。パパの横には豊満な奥さん(何人目かわからない人)が座って、健康的な肢体を台の上に伸ばし、旅の音を笛で吹いていた。
パパは、肉付きの良い奥さんの肩を抱きながら、細っこくて中性的な不思議な、息子の妻(※未婚)を眺めていた。あんな女を裸にして、夜通し喘がせて苛めまわしたいものだ・・・そんな、とんでもない変態趣味を妄想しながら。
お読み頂き有難うございます。
 




