216. モイラとお出かけ
赤毛をきっちり編みこんだ、白い肌に緑色の目のモイラは、とても若く見える。紺色のワンピースにサン・イエローの毛糸で編んだ大判の布をかけて、編み上げの明るい茶色の革の靴を履いている。
年齢を聞いたことがないので、イーアンは年を訊く。モイラがああ、と答える。『私?41歳』もうおばさんだよね、と笑った。初めて見た時は、40代前後かなと思ったが、見れば見るほどモイラは若く感じて、その答えが意外に思えた。
「あなたがおばさんだったら、私はずっと老けてるなぁ・・・・・ 」
イーアンの寂しそうな笑顔に、モイラは急いで『そういう意味じゃないのよ』イーアンは若いわ、と一生懸命繕ってくれた。そしてイーアンの服を上から下までしっかり見てから、とても素敵でよく似合っていると誉めた。
「服。たくさん持っているの?」
「ドルドレンが北の町で買ってくれました。私は着替えにあまり関心がなかったのですが、服屋さんが服を選んでくれました」
「何度かしか見たことないけれど。全部、とても綺麗よ。皆、素敵な服ばかり。高いんでしょうね」
「それまでが騎士の方たちと同じ服だったので、私も新しい服を並べて見た時にそう思いました。でもドルドレンは値段を言いません」
だから高価だろうな、と思うものの分からない・・・イーアンは肩をすくめて笑った。歩きながらそれを聞くモイラは興味深そうに頷いた。話がちょっと切れたあたりで、モイラが腕を引っ張って、通りの右を指差した。
「そこ。年末だと特別のお菓子を出すのよ。入ろう」
賑わう店の並びに、こじんまりした食堂があり、モイラはその店の扉を開けて『友達連れてきたわ』と挨拶をした。甘い美味しい香りが漂う。
店内は広くないが、ガラス細工の明り取りがたくさん吊られ、天井に小さな妖精がいるように見え、全体が穏やかなオレンジ色で明るい。古い家具と真っ白な布をかけた食卓が6つ置かれて、昔の楽器や、活けられた花が壁を飾っていた。透明なガラスや摩りガラスの小物が多く、店はきらきらした可愛い印象だった。
「イーアン。冬のお菓子なのよ、2つずつ頼んで、半分こで食べない?」
モイラがカウンターの上の美しい菓子を4つ選んで、飲み物を頼む。
イーアンはお金の数え方を以前教えてもらったが、それ以降、お金を使う機会がなく忘れていた。分からないから、ドルドレンに持たせてもらった硬貨を一種類ずつ手にとってモイラに聞く。『これで足りる?』話しかけられたモイラは、イーアンの手の平をちょっと見てから、驚いた顔をしてイーアンの鳶色の瞳を見つめる。
それから何度か瞬きして、うん、と頷いたモイラは、イーアンの手から茶色と銀色の飾り縁のついた硬貨を取って『これ、イーアンの分ね』そう言って店の人に渡し、イーアンに微笑んだ。
自分の財布からも同じ硬貨を出して、モイラは店の人に手渡すと、金属の盆に乗せられた菓子と飲み物を受け取って食卓へ移動した。
美しい工芸品のような菓子が目の前に4つもあって、イーアンは『きれい』と何度も言いながら観察した。モイラは突き匙で切り分けて、それぞれの皿に取り分ける。
「食べて良い?」 「もちろんよ。食べよう」
笑顔の二人は一緒になって菓子を頬張る。美味しくて呻くが、控えめに呻くイーアン。ふとモイラを見ると、モイラも目を瞑って嬉しそうに呻いていた。こういうものよね、とイーアンは安心する。
甘いとか甘酸っぱいとか、香り高いとかクリーミーとか、あれこれ感想を思いつくまま。二人は喜びのうちに菓子を一口ずつ残して食べた。
「この最後の一口がね」 「名残惜しいわよね」
茶を飲みつつ、一口分が4種類乗った皿を見つめる二人。『こんなお菓子食べるなんて思わなかった』イーアンが、一つ菓子を口に運んで呟く。
「そうなの?騎士修道会の中は、お菓子ないの?」
自分が時々作らせてもらうけれど、騎士たちが懐かしんで食べる様子から、あまり菓子などは食べないのかもしれない・・・それを伝えると、モイラはなぜか『イーアンはお菓子作れるの』とそこに反応した。
昔、好きで覚えたものを少し作れるくらい、と話すと、モイラは食いついてきて『食べたい。今度行く』と本気の眼差しで、うんうん頷いていた。
「でも魔物が多いから、道で出くわすと怖いでしょ。出かけようにも難しい時代になったわ」
民間の人の声を聞くと、イーアンの中で同情や援助の気持ちがむくむく育つ。早く皆が安心して、自分たちの生活を取り戻せるようにしたいと心から思った。
「私が迎えに来る時は?モイラのお店がお休みの時はあるの?」
「イーアンが迎えに来ても、魔物が出たらおやつ2個みたいな感じでしょ」
その例えが可笑しくて、イーアンは笑った。モイラも笑って、『だって、私たちおやつくらいじゃない?』お互いの腰回りや手の細さを見ながら、モイラは『食べ甲斐なさそう』と苦笑した。
「旦那さん、強そうだよね。強いの?」
彼は大変強い人であることをイーアンは説明した。戦う場面を見たことがあり、こんな戦闘をするのかと最初は驚くやら気が気じゃないやらだった、と。モイラは顔を両手で覆って、目だけ出してイーアンを不安そうに見ている。
「私。私の旦那がそんな場所に行く、って言われたら。待ってる間、ご飯食べれない」
ご飯食べれないだけで済むの? ついイーアンは訊きそうなったが、彼女の真剣さなのだと思って、笑いを堪える。そう。ご飯が喉を通らないくらい、日常ではない怖さなのだ。そう。そういうこと。
「ごめん、イーアン。訊いちゃ駄目だろうなと思ってたけれど。もしかしてその怪我はそういう」
またこの話かと思ったイーアンは少しがっくりする。でもモイラにいつか話そうと思っていたから、自分が騎士修道会でどんな立場かをこの際、誤解のないように簡略的に伝える。
モイラの目が見る見るうちに丸くなり、そして不安が募るように可愛い顔を曇らせた。泣きそうな、きらきらする緑色の瞳が、心配する時のトゥートリクスを思い出させる。
「やだ。そんな怖い目に遭ってるなんて。怪我は遠征でついたのね!何て可哀想」
イオライ・カパスの雹の話に戻りそうだったので、イーアンはそこで話を変える。『私は殆ど何もしていないのです。彼らが倒す魔物の特徴を見つけて、有利に倒せるように相談するだけで』それで騎士たちの倒した魔物を今後の国のために役に立つように、今はいろいろと動いて話し合っていると教えた。
魔物を役立つ存在に。それはモイラにピンと来ないらしかったが、モイラなりに頷いてくれた。
「そうだったの。イーアンはとても大きな仕事に関わっているのね。忙しい?」
「忙しい時もあります。でも大体は誰かが手伝ってくれたり、気遣ってもらえるので、こうして表に出ることも・・・仕事絡みですけれど、友達にこうして会うことも出来ますから、大変とは思わないの。私は楽しいの」
自分を友達というイーアンに、モイラの手がそっと伸びて、イーアンの手の甲に重なった。
「あのね。私何も出来ないけど、イーアンの友達だから。いつでもお出でね。たくさん食べなきゃ体が持たないわ。うちに泊まる時は、たくさん食べてゆっくり休んで行ってね」
優しい言葉に微笑むイーアン。嬉しい。とても有難い気持ちがストレートに心を満たす。有難う、とモイラにお礼を言って、カードも嬉しかったことを話した。カードの話になると、モイラは『そうだ、見せたい』と手を打った。『カード。きれいなのが一番売られる時期なの。見に行きましょう』さっと立ち上がって、イーアンの腕を引いた。
そのまま店を出た二人は、カードの店へ行く。カードの店というよりも、文具の店だった。イーアンは綺麗なカードの他に、紙やインク、ペンや絵の具を見つけ、とりわけ絵の具に惹かれた。
「絵の具だわ」
呟くイーアンに、モイラは横顔を見つめる。『絵の具。持ってない?』ちょっと伺うようにイーアンを覗き込んで訊ねた。イーアンは首を横に振って、慎重に絵の具の容器を一つ手に持って眺める。絵の具は容器の中で、色のついた砂のように揺れた。
「これは・・・どうやって使うの?」
モイラにはもう何かがバレているとイーアンは思っているので、判らないことは素直に質問し、答えを聞くことにしていた。お金の支払いの件も、モイラは自然体で受け入れてくれたので、絵の具も同じように訊いた。
「あのね。そうね、私は使わないけれど。普通はこの絵の具を水で溶くの。それで筆があるから、これで絵を描くのよ」
岩絵の具なのかもしれない。イーアンは昔の絵の具を思い出す。日本画を描いたことはないが、使い方は知っている。膠も工房にある。描ける、と思った時、イーアンは嬉しくて笑顔になった。
「モイラ。これは高いのかしら」
値段が書いてあるが読めない。値札とイーアンを交互に見たモイラはすぐ、『さっきイーアンが持っていたお金の、大きい銀色の硬貨で一箱買える』それほど高くはないと教えてくれた。
買うなら一緒について行ってあげる、と言ってくれたので、イーアンは嬉しくて絵の具と綺麗なカードを選んだ。持ってきたお金を見てもらい、モイラは硬貨を2枚選んでから『これで足りる』と微笑んだ。
店員に品物を見せて、カウンターでお金を支払うと、お釣をもらった。品物はきちんとした硬い紙の袋に入れて持たせてもらった。
「ありがとう。一人じゃ買えなかったわ」
店を出たイーアンがモイラに振り返って微笑むと、モイラは首を横に振って『どういたしまして』と笑った。
「もしかして。イーアン、私に送ってくれたカードはイーアンが絵を描いたの?」
そうだと答えるイーアン。絵の具がなくてインクだけだったと笑うと、モイラは感心していた。『すごいわ。買ったのかと思っていた』じゃあ、絵の具で絵を描いたら見せて・・・と言うので、そうすると約束した。
まだ食べれるか、と訊かれたので、イーアンが食べれると答える。その答えに、イーアンの腕を組んだモイラが『あっちに素敵なお店がある』と引っ張っていく。
店の庇が大きく張り出した黄色と青が基調のお洒落な店があり、そこの表に置かれた椅子に座り、モイラが温かい菓子を頼んで待った。
手の平くらいの幅の陶器に、湯気の立つ甘い菓子が入っていた。柔らかい酒の香りと果物の香りが混じる、艶がかった茶色と白のソースが覆い、金色の粉が振ってある。
匙で掬うとお酒の香りが一気にこぼれる。一口食べて呻く二人。甘くて温かくて、酒の味と柔らかい弾力のある乳製品。
「こんな美味しいものがあるなんて」
イーアンが感動する。ドルドレンにも食べさせたい、と話したら、モイラが明日二人で食べると良いと言った。そういえばお代を支払わなければ。思い出したイーアンがモイラに代金を訊くと、これは奢ると言ってくれた。
「だからってわけではないけど。今度イーアンが来る時は、イーアンのお菓子を食べさせて」
奢られなくても持ってくるのに、とイーアンは笑った。お礼を言って美味しく食べる、冬の熱い甘い菓子に舌鼓を打つ。
「イーアン。イーアンは」
言いかけてモイラが止まる。菓子を口に運びながら、綺麗な緑色の瞳をイーアンにぴたりと合わせている。続きを待っていると、モイラは目を逸らして小声で続けた。
「どこか、ずっと離れた所から来たのね。お金も文字も違うところから。絵の具も、食べ物も違うどこかから」
「はい。とても遠いです。私もどう来たのかを知らず、どう帰るのかを知らず。そんなずっと離れた所から来ました」
「いつか帰るの?家族はいないの」
「私の家族。いたかもしれないけど、それほど仲良いものでもないので、家族は関係ないです。
いつか帰るのかと言われたら、私は帰りません。帰れといわれても嫌です」
ここが良い。この世界が私の住む世界です、とイーアンは言葉にして伝えた。『この世界』その言葉がモイラの瞳の奥に吸い込まれた。
「うん。そうよ。イーアンは私たちの世界にいて。どこにも行っちゃ駄目よ。だって仲良くなったんだもの」
微笑んだモイラに、イーアンも微笑んだ。心まで温かくなる菓子を食べながら、二人はそろそろ宿に戻ろうと話した。
夕方になる頃。モイラが宿に戻って、すぐにカウンターに入ると、引っ掛けてあった前掛けを慣れた手つきでさっと着けて、いつものモイラになる。『夕食まで時間があるから待ってて』元気の良い笑顔でモイラはイーアンの腕をぽんと叩いた。痛いが声は堪えた。
二階に上がって部屋の鍵を開けると、ドルドレンが静かに眠っていた。
イーアンはそっと起こさないように入り、扉を閉めて上着を脱ぎ、お土産の絵の具とカードの入った袋を机に置いた。
夕日の差し込む部屋の中。埃が光を受けてきらきら小さく舞う。眠るドルドレンを見つめながら、自分がここに来たことに感謝するイーアン。




